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ニッポン・ロングセラー考 Vol.131 V・ロート

1964年発売

ロート製薬株式会社

日本人の目を守って半世紀 マルチに使える目薬の王道

胃腸薬に続き、第二の柱となった目薬

画像 新聞広告

発売当初の新聞広告。効き目はもちろん、「シマズ イタマヌ ロート目薬」と、差し心地にもこだわった

画像 ディスプレー

「ロート目薬」と「胃活」のディスプレー(大正時代)

画像 ガラス瓶、自動点眼器

ガラス瓶にコルクで栓をした容器+点眼器(左)から、一体型の自動点眼器へと進化

画像 新聞広告

新容器をアピールする新聞広告(1931年)

「ロート製薬といえば、目薬」と思う人が多いのではないだろうか。ところが、同社の源流である信天堂山田安民薬房(しんてんどうやまだあんみんやくぼう)が1899(明治32)年の創業時に発売した商品は、胃腸薬「胃活(いかつ)」だった。「胃活」は、創業者・山田安民(やすたみ)が考案した「胃病に胃活、泣く子に乳」という名コピーを得て、大ヒット商品となる。それに続く第二の商品として誕生したのが、後に社名の由来となる「ロート目薬」なのだ。

日本にはもともと眼病患者が多く、古くは平安時代に水で溶いて使う固形の目薬があったという。明治時代にも精き※水や一点水、びっくりめぐすり、そして後に目薬業界で覇を競うこととなる田口参天堂(現・参天製薬株式会社)の大学目薬など、数多くの目薬が発売されていた。
日露戦争終結後、ちまたでは眼病のトラホームが流行。安民はこれを治したいと、目薬の発売を決意する。処方は、当時の眼科医界の権威である東京眼科病院の院長・井上豊太郎博士に依頼。井上博士に白羽の矢を立てたのは、博士がミュンヘン大学のロート・ムンド博士に師事し、最新の処方を譲り受けていたからだ。
発売に当たり、安民が一番頭を悩ませたのが商品名だった。「胃活」にちなんで「眼活」にするか...、いや、これでは新鮮味に欠ける。呻吟(しんぎん)する中で、ふとひらめいたのがロート・ムンド博士の名前。カタカナの「ロート」にすれば、既存の目薬にはない斬新さがあり、ハイカラだ。これなら、いける!
1909(明治42)年、新しい時代にふさわしいネーミングの「ロート目薬」を発売する。当初の商品は定価10銭と20銭の2種類。米1キロが15銭の時代なので、決して安くはなかったのだが、順調に売り上げを伸ばし、「胃活」と並ぶ2本柱となった。

「ロート目薬」の次なる課題は容器。従来は、目薬の入った本体容器と点眼器の2点セットだったが、山田安民薬房の若主人・山田輝郎(後の二代目社長)は、これを一体型に改良したいと考えた。輝郎のアイデアは、上下に口のあるガラス瓶を作り、上の口にゴムキャップをかぶせ、ここを押すと下の口から目薬が出る方式。輝郎は取り引きのあった製瓶工場の田中彌(たなかや、現・永井株式会社)に依頼するが、当時、両口のガラス瓶を作るのは技術的に非常に難しく、開発は困難を極めた。
田中彌の主人・永井勇亀の懸命の努力でようやく形になった滴下式両口点眼瓶は1930(昭和5)年に新案特許を取得し、翌年、自動点眼器による「ロート目薬」を全国一斉発売する。この時、ライバル企業をあっと驚かせたのが、その発売方法。何と全ての旧製品を無条件で、新発売の自動点眼器と交換したのだ。この大胆な販売戦略と相まって、「ロート目薬」は一躍トップブランドに躍り出た。
ちなみに、新容器開発で苦労を共にした永井株式会社は現在もロート製薬の指定容器メーカーであり、100年を越えた付き合いとなっているという。
※き:金偏に奇


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眼病の治療薬から保健目薬へ

画像 新ロート目薬

肝油で知られるビタミンAは脂溶性。これを水溶性にする特許を持つ米国企業と契約し、国内初のビタミンA配合目薬「新ロート目薬」を発売

画像 生野本社

ハトが飛ぶテレビCMでおなじみの大阪市生野区の総合事業場(1959年完成)。働く人の楽園「ロートピア」の理念の下、芝生のグラウンドやボートの浮かぶ池、映画も上映できるロート会館など福利厚生施設も充実

画像 V・ロート

ポリカーボネート樹脂容器を採用した「V・ロート」は、その後フラッグシップブランドへと成長

画像 子どもV・ロート

親しみやすいイラストをデザインした「子どもV・ロート」。イラスト入りパッケージは大衆薬業界初の試み

1949(昭和24)年、第2次世界大戦の戦禍から復興した山田安民薬房は、看板商品のロート目薬にちなみ、社名をロート製薬株式会社に改称。家業から企業への第一歩を踏み出した。
戦後、衛生状態が改善されると、目薬も抗生物質を主体とした治療薬から、目の健康を考える保健目薬へとシフトした。この保健目薬という新しいコンセプトに対応した商品が、1958(昭和33)年発売の「新ロート目薬」。疲れ目に効くビタミンAを配合し、高度経済成長時代の人々の目の健康を支えた。

昭和30年代半ばにシェア4割以上を獲得していた「新ロート目薬」だが、戦前からの最大のライバル・参天製薬も新製品を発売し、シェアを挽回しつつあった。ライバルの追撃を受けたロート製薬では、二代目社長となった輝郎が、清涼感があり、目の健康に良い新目薬を出すと社内に号令をかけた。
入社2~3年目の若手社員が、当時、栄養剤の有効成分として注目されていたアスパラギン酸塩を配合してはと提案したところ、輝郎は即断即決。「すぐに始めよう」と、その日のうちに彼を母校である金沢大学へと送り出したのだ。

OTC※と呼ばれる大衆薬は使用可能な成分や最大量などが決められており、その範囲内であれば、臨床試験を実施する必要はない。しかし、アスパラギン酸塩は目薬としては新成分であったため、医療用と同様の臨床試験や品質保持に関する安定性試験、厚生省(当時)への申請などが必要だった。新成分の採用は時間的にもコスト的にも負担が大きいが、全社を挙げて取り組んだ結果、わずか2年で発売にこぎ着けた。1964(昭和39)年、充血にも疲れ目にも効くマルチ目薬「V・ロート」が誕生する。
「V・ロート」は、その画期的な効能に加え、CMタレントとして起用した高見理沙のテレビCMと軽快なCMソングが話題となり、わずか1年で1,500万個を販売。目薬市場では戦後最大のヒット商品となった。

昭和40年代になると、目薬の分野でも多様化が進み、年齢や機能別にセグメントされた商品が次々に発売される。そんなセグメント目薬の一つが、「子どもV・ロート」。当時、長時間のテレビ視聴や受験勉強の加熱によって、学童の近視率が急増した。ロート製薬は、アスパラギン酸塩とビタミンAを主剤とし、特に子どもに必要なビタミンAを増量した子ども専用の目薬を開発。1970(昭和45)年に発売した「子どもV・ロート」は、プールの後に差す目薬としても重宝された。
※Over The Counterの略で、医師の処方せんがなくても薬局・ドラッグストアなどで購入できる一般用医薬品のこと。カウンター越しに薬を販売するスタイルに由来している。


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時代によって変化する目のトラブルに対応

画像 二代目新V・ロート

二代目「新V・ロート」はパッケージも一新。グリーンの大きなVの字が店頭での目印に

画像 クイズダービー

家族そろって一つの番組を見ていた時代、ロート製薬が1社提供したテレビ番組「クイズダービー」の最高視聴率は40.8%

画像 三代目新V・ロートプラス

三代目「新V・ロートプラス」のCMタレントには、斉藤由貴、松たか子、中山美穂といった正統派女優を起用

画像 四代目新V・ロートEX

2001年発売の四代目「新V・ロートEX」。翌年にはOTC目薬の基準内最大容量である20mlタイプも発売

画像 上野テクノセンター

全て自動化された「上野テクノセンター」のアイケア製造ライン

発売から10年以上経過した「V・ロート」は、リニューアルを検討すべき時期を迎えていた。セグメント目薬が数多く発売されていたが、市場の主流は、1本で幅広いニーズに対応する「V・ロート」のような複合型目薬であることに変わりなかった。

「V・ロート」のリニューアルに際しても、家庭の常備薬として、疲れ目から炎症、充血、かゆみまでマルチに効くことが命題とされた。二代目「新V・ロート」には、疲れ目に効く新成分のメチル硫酸ネオスチグミンと、抗炎症成分のグリチルリチン酸二カリウムを追加配合。これは、多様な有効成分を配合し幅広い効能を持つ"大衆目薬の原点"に立ち返った商品といえよう。
1979(昭和54)年発売の二代目「新V・ロート」は15ml/580円で、初代より2倍以上高価だったにもかかわらず市場を席巻。大ヒットした理由の一つに、テレビCMによる販促活動があった。

ロート製薬は、山田安民薬房時代の立て看板や辻(つじ)貼りに始まり、新聞、ラジオ、テレビと、その時代の中心的な媒体を使った広告宣伝に力を入れてきた。例えば、「新V・ロート」の歴代テレビCMタレントをみると、布施明、大原麗子、松坂慶子と、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。また、テレビ番組の1社提供も同社の大きな特徴の一つで、1963(昭和38)年から22年間続いた長寿番組「アップダウンクイズ」や「クイズダービー」、「SMAP×SMAP」といった人気番組を提供。マス媒体の活用は、消費者に指名買いをしてもらうことを狙ったマーケティング戦略であった。

平成に入ると、パソコンやテレビゲームなどモニター画面が生活の中に浸透し、目の疲れを訴える人が増えてきた。1991(平成3)年発売の三代目「新V・ロートプラス」では、疲れ目に効果的なパンテノールを配合し、目のかすみや疲れに対応する機能を強化した。パンテノールは医療用成分としては使われていたが、OTCとしては初めてだったので臨床試験を実施し、フラッグシップブランドにふさわしい効果を検証した。

四代目となる「新V・ロートEX」は、パソコンやケータイの使用が日常化するにつれて現れた"目の乾き"というトラブルに対応した目薬。目の乾きを予防するため、涙の成分の一つであるコンドロイチン酸ナトリウムを追加した。

ところで、目薬と他の薬とは、その製造過程でどのような違いがあるのだろうか。医薬品・医療用具の製造においては、薬事法で品質管理などに関する基準※が定められているが、目薬はその中でも最高レベルの衛生状態を実現しなければならない。というのも、目薬は目という"臓器"に直接使用するため、注射液と同じく無菌製剤が必要となるのだ。現在、ロート目薬は、1999(平成11)年に三重県の伊賀上野に完成した、世界トップ水準の工場「上野テクノセンター」で作られている。
※GMP(Good Manufacturing Practice)基準と呼ばれ、国や地域によって内容が異なる。


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付加価値の高い商品作りとアジア諸国での展開

画像 ロートV11

2008年発売の「ロートV11」。11種類もの有効成分を配合できたのは、目薬を100年以上作り続けてきたロート製薬ならでは

画像 ロートVアクティブ

2014年、満を持して発売したアクティブシニア向け目薬「ロートVアクティブ」

画像 中国パッケージ

中国で現地生産されている「新V・ロート」

画像 ギネス世界記録に認定

2014年6月10日、ロートブランドは「OTCアイケアブランドで年間売上No.1」としてギネス世界記録に認定された

現在、国内の目薬市場では価格の二極化が進んでおり、例えばコンタクトレンズ用目薬では300円を切る商品も発売されているという。ロート製薬としては、需要の大きいこの分野で戦うことはもちろん、同社にしかできない付加価値の高い商品作りを目指しており、「ロートV11」や「ロートVアクティブ」は、その代表的な商品である。
「ロートV11」には国内最多※の11種類の有効成分を、また「ロートVアクティブ」にも5種類の有効成分についてはOTC基準内の最大濃度で配合。両方とも1,000円以上の高価格商品だが、目のトラブルに悩み、確かな効き目を求めるユーザーから大きな支持を得ている。

ちなみに、医療用目薬は単味(たんみ)製剤といい、一つの目薬に一つの成分しか配合されていない。「V・ロート」のようにさまざまな有効成分が配合され、薬効範囲の広い目薬を複合型、カクテル型と呼ぶ。多様な成分を配合すると、成分相互の反応性が大きく異なり問題が起こりやすいが、ロート製薬はこの課題を高度な製剤技術でクリアしている。

ロート製薬のアイケア商品は国内のOTC目薬市場で40年以上トップシェアを誇るが、中国やベトナムなどのアジア諸国でも「目薬といえば、V・ロート」と認識されているという。
だが、それは一朝一夕で成し遂げられたものではない。例えば、中国では1991(平成3)年、ベトナムでは1997(平成9)年から「V・ロート」を発売しているが、当時、両国にはOTC目薬はなかった。当然、一般の人々は目薬の差し方を知らないし、差す習慣もない。そこで、バスを仕立て、街頭で医師による目の健康診断を行うとともに、目薬について地道なPR活動を展開。また、小学校でも視力検査や目の構造・目薬の差し方などに関する出前授業を行ってきた。是が非でも商品を売ろうとするのではなく、まずはその国の衛生状態の改善に寄与すること。そんな取り組みが実り、現在、中国やベトナム、インドネシアでは現地生産・現地販売が行われており、ミャンマーやカンボジアでも工場の建設が進んでいる。ロート製薬の昨年の売上比率(連結)は国内6割・海外4割だが、2018年にはこの割合を半々までにもっていこうとしており、そのけん引役として期待されているのがアジア諸国なのだ。

「V・ロート」シリーズは、昨年、発売50周年を迎え、これまでに国内で累計3億9千万個を出荷した。長年使い続ける固定ファンが多く、その中心は50代以上。また、ドライバーなど目を酷使する人にも愛用されている。
「V・ロート」がロングセラーになった背景には、これまで見てきたように、その時代、時代によって異なるニーズを細やかにくみ取り、その解決策をいち早く提供してきたことがある。世界を見渡しても、これほど機能的に優れ、しかもリーズナブルな価格で多様なOTC目薬が販売されている国はない。日本人が被ってきた目薬の恩恵を、ぜひ世界の国々にも広めてほしい。
※日本医薬品集一般薬2008-2009年版


取材協力:ロート製薬株式会社(http://jp.rohto.com/
化粧品の常識を打ち破った「肌研(ハダラボ)」

ロート製薬は、胃腸薬(パンシロン)、目薬、そして1988(昭和63)年に経営権を獲得したメンソレータムブランドによる皮ふ用剤を3本柱としてきた。さらなる発展を目指し、4本目の柱に据えたのが化粧品である。2001(平成13)年発売の機能性化粧品「オバジ」は、医薬品メーカーならではのエビデンス(医学的根拠)に基づいた化粧品。続いて2004(平成16)年には、"パーフェクトシンプル"をコンセプトに、「肌研(ハダラボ)」を発売。「肌研」は、保水力の高いヒアルロン酸をふんだんに配合する一方、香料や着色料、保存料はカット。また、容器は外箱なしのプラスチック、半年後には詰め替え用パウチも発売するなど、化粧品業界の常識を覆す商品だった。特に詰め替え用パウチは当初、社内でも反対の声があり、バイヤーにも「売れないよ」と言われたそうだ。だが、消費者は「肌研」が持つ抜群のコストパフォーマンスを見逃さなかった。発売後、売り上げは右肩上がりで伸び、現在では"1.7秒に1本売れる"驚異のブランドに成長。そんな「肌研」の成功もあり、スキンケア分野はロート製薬の売り上げの約6割を占めるに至っている。

画像 極潤

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タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治
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