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オロナインH軟膏 ニッポン・ロングセラー考 〜親から子へ受け継がれる家庭の常備薬

50年前、徳島で産声を上げたオロナイン

「ヤカンに触ってやけどした〜」「オロナイン、塗っときなさい」
「転んで擦りむいたぁ」「薬箱にオロナインがあるでしょ」
生傷の絶えない子供のころ、誰もが一度はお世話になったことのあるオロナイン。
そんな家庭の常備薬「オロナイン軟膏」は、徳島県鳴門の小さな製薬工場で生まれた。

大塚武三郎が1921(大正10)年に創立した大塚製薬工場は、
戦前は、鳴門の塩業から出る苦汁(にがり)を使った製薬原料を作っていた。
終戦後、原料だけでなく自社でも製品を作ろうと医療用の注射液の製造販売を始め、
朝鮮特需に乗って規模拡大を果たす。

が、主力商品が注射液や蒸留水だけでは、特需が去った後、
経営が厳しくなるのは誰の目にも明らか。
父の会社に11番目の社員として入社し、47(昭和22)年に経営を引き継いでいた
大塚正士(まさひと)が製品開発に頭を悩ませていたころ、三井物産からある話が舞い込んだ。
アメリカのオロナイトケミカル社が新しい殺菌消毒剤を開発した、これを使ってみないか・・・。

さて、これを何に使うか?
正士が目を付けたのが軟膏だった。
当時、メンソレータムやメンタム、 ペニシリン軟膏といった大衆薬がヒット商品となっており、
この分野なら安定した売れ行きが期待できると考えたからだ。
早速、徳島大学の3人の教授に製品開発を依頼。
新製品は52(昭和27)年に完成し、翌53年には発売にこぎつける。
待望のオリジナル製品第1号は、原材料メーカーの社名から「オロナイン軟膏」と命名された。

大塚正士
大塚グループ各社取締役、故・大塚正士(まさひと)。
創業事務所
徳島県鳴門市の大塚製薬工場内に現存している、父・武三郎が創業した当時の住宅兼事務所。

試供品を全国児童に無償配布

宣伝カー

「オロナイン軟膏」の知名度アップのため、宣伝カーを使って全国行脚を行う。

企業と大学――今で言う産学協同で開発した「オロナイン軟膏」だが、
製薬大手の製品と違って知名度がない。
そこで、とにかく製品を知ってもらおう、使ってもらおうと、
さまざまな販売促進活動を展開する。
例えば、発売されたその年には、
看護婦さんを対象した「ミス・ナースコンテスト」を、
病院向けの情報誌『大塚薬報』で告知して実施。
翌年からは、当時としては珍しかった宣伝カーを使って全国行脚を行う。
また、最初の1年は、社長自ら毎月26日間出張し、
全国の主要病院を回ったということからも、
大衆薬分野での初の自社開発製品にかける意気込みが伺える。

徐々に売り上げを伸ばしていった「オロナイン軟膏」だが、
月商3000万円に届いたところで頭打ちになってしまう。
「においが気になる」といった不評も聞こえてきた。
これを解決するために打ち出した策が、
全国の幼稚園・小学校の児童に2.5g入りの試供品を無償配布する
というアイデア。
今でこそ、新製品のサンプリングというのはよく使われる手法だが、
当時としては画期的かつ大胆な販促だったに違いない。

においを消すための製品改良、
そして当時の売り上げを上回る大金を投じてのサンプリング作戦が功を奏し、
57(昭和32)年以降、「オロナイン軟膏」は再び勢いを取り戻す。
正士いわく「最高の宣伝は現物の使用。
たった1回の使用でも10回の宣伝より効果がある」。
それは、ピンチをチャンスに変える一手だった。


広告という名のコミュニケーション

病院向けの販促、宣伝カー、サンプリングに加え、
大塚製薬はメディアを使った宣伝活動にも積極的だった。
例えば、新聞・雑誌広告。
当時、一世を風靡したラジオドラマ「君の名は」の映画化で
主演した佐田啓二、岸 恵子を起用し、
“君の名はオロナイン”というキャッチフレーズで商品名をアピール。
ラジオ番組「ダイマルラケットのお笑い街頭録音」では、
漫才の中田ダイマル・中田ラケットが「聞いてみてみ、つけてみてみ」と
軽妙なやりとりで笑わせた。

また、「オロナイン軟膏」の発売年、53年はテレビ放送が始まった年でもあった。
初期のテレビコマーシャルは、番組の中で出演者が宣伝をしてしまう、
いわゆる「生CM」。
大塚製薬では、59(昭和34)年の大村崑主演「とんま天狗」を皮切りに、
松山容子の「琴姫七変化」、渋谷天外・中村メイコの
「うちのママ姉ちゃん」といった番組提供や、
浪花千栄子、香山美子、名取裕子らを起用したスポットCMを打ってきた。

そして、63(昭和38)年からは、全国でホーロー看板を貼り出す。
こ れは営業マンにノルマとして課せられたとのことだが、
今ではマニアがプレミア付きで集めるコレクターズアイテムとなっている。
ちなみに、ホーロー看板に登場し、後にテレビCMのキャラクターともなる
浪花千栄子の本名は、南口キクノ(なんこう きくの)。
本名を知った人が、後で思わずニヤリとするタレント起用だ。

 
ごく初期のテレビコマーシャルに登場したキャラクター。転んだ子供にオロナインを塗ってあげるなどのシーンがあった。
大村崑の「とんま天狗」は、出演者が番組中で宣伝する生CM。大村崑は同社製品「オロナミンC」のキャラクターも務める。
60(昭和35)年からスタートした「琴姫七変化」に主演した松山容子は、後にボンカレーの商品パッケージにも登場。
82(昭和57)〜96(平成8)年、オロナインのイメージキャラクターとなった名取裕子。

発売当初から変わらぬイメージ

50周年記念

50周年を迎えるに当たり、02年9月に数量限定で発売されたパッケージ。

今年で発売50周年を迎えた「オロナイン軟膏」。
残念ながら、発売当初のパッケージは残っていないが、デザイン的にはほとんど変わっていない。
オロナインに限らず、大塚製薬の製品は発売当初のイメージを守り続けることが多いと言う。
それは「売っている本人は見飽きてしまうかもしれないが、
安易に商品イメージを変えたら、お客様が分からなくなってしまう」との考えからだそうだ。

一方、商品名は、当初の「オロナイン軟膏」から、69(昭和44)年に
「オロナインD軟膏」、72(昭和47)年に「オロナインH軟膏」と変わっているが、
これは主剤の違いによるもの。「オロナインH軟膏」の「H」は、
主剤であるグルコン酸クロルヘキシジンの「ヘキシジン」に由来する。

オロナインは、子供の擦り傷や切り傷、お母さんの手荒れ、お父さんの水虫、
ティーンエージャーのニキビなど、どの世代においても
“安価で安心”という同じイメージを持たれながら使われてきた。
02年度末の年間売り上げは約60億円で、ここ数年はほぼ横ばいだそうだが、
専門薬化が進んだ塗り薬の現状や、消費低迷で縮小傾向にある大衆薬市場を考えれば、
大健闘と言えるのではないだろうか。

一つあれば安心な家庭の常備薬。
「オロナインでも塗っておくか」の「でも」は、そこまで家庭に浸透した証であり、
オロナインが歩んできた歴史を象徴する言葉なのかもしれない。

取材協力:大塚製薬株式会社(http://www.otsuka.co.jp/

line-up
「オロナインH軟膏」は10gチューブ入りのほか、30g、100g、250g、500g瓶入りをラインナップ。



50年ぶりの新製品「オロナイン液」

マーケティング調査によると、オロナインはどの世代においてもほぼ100%認知されているが、使用率は世代間で格差があり、年々、上の年代が売り上げを支える構造に変化してきていると言う。というのも、若い人達はケガの手当てに液体消毒液を使うことが多く、軟膏を塗るという意識が少ないからだ。そこで、大塚製薬では、この年代の行動にマッチした商品として「オロナイン液」を発売。オロナイン液で洗い流した後、軟膏で傷口をカバーするという手当て方法を勧めている。これから10年、20年とブランドが生き残っていくために、次の世代にもオロナインを使い続けてもらうために、50年目にして打ち出した新たな一手なのだ。

オロナイン液
肌への刺激が少ないオロナイン液。小さな子供が簡単に開けられない2段階式のキャップで誤飲を防止(写真右)。 若い母親に向けて「クレヨンしんちゃん」をキャラクターに広告展開(写真左)。

撮影/海野惶世(メイン ・プレゼント) Top of the page

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