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キッコーマンしょうゆ卓上びん ニッポン・ロングセラー考 〜機能性と美しさを兼ね備えたしょうゆ差しの逸品

樽からガラス瓶へ、しょうゆ容器の変遷

例えば、500mlのペットボトル入りのお茶。
お茶そのものは湯呑に入っていようが、缶であろうが、中味に変わりはない。
が、小容量のペットボトルに入ったことによって、“飲むスタイル”は確実に変わった。
通常、容器は中味の食品に規定されることが多いが、ペットボトルやレトルトパックのように、
容器によって食品の位置付けや食のスタイルが変わることもある。
今回、ご紹介する「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は、ボトルメーカーではなく、
食品メーカーであるキッコーマン自らが作った容器。
そこには、どんな意図が込められていたのだろうか。

本題に入る前に、まずはしょうゆ容器の歴史についておさらいしておこう。
しょうゆを運ぶ容器として江戸時代から戦後の長きにわたって用いられてきたのが樽だ。
樽は主に酒の輸送容器だったが、江戸前期にしょうゆが工業的に生産されるようになると、
従来の重くて壊れやすい甕(かめ)や壺に代わって、広く用いられるようになった。
この樽詰めは大正時代に全盛期を迎える。
一般の人は陶器の徳利でしょうゆを買いに行き、そのまま、あるいはしょうゆ甕に入れて保存していた。
また、農家ではしょうゆ甕で自家醸造することも多かったと言う。

おなじみのガラス瓶は、明治になってヨーロッパから輸入されたビール瓶がその始まりとされるが、
しょうゆ容器として本格的に使われるようになったのは大正期以降。
ガラス瓶が自動製瓶機によって安定して生産できるようになってからだ。
ガラス瓶は保存性に優れ、再利用しやすく、また中味がよく見えるため、
樹脂容器登場まで、しょうゆ容器の主役の座を占めることとなった。

結樽
酒やしょうゆに用いられた樽の代表格「結樽(ゆいだる)」。材質は柔らかく加工のしやすい杉。
2リットル瓶 キッコーマンは、1917(大正6)年の創立当時から1.8リットル入りのしょうゆガラス瓶を販売してきたが、その1.8リットルに代わり、25(大正14)年にこの2リットル瓶を発売。以降、94年まで使われる。


新しいしょうゆのカタチを求めて

変遷

卓上びんの変遷。写真左から(1)52(昭和27)年に作られた六角錐形の卓上びん (2)54(昭和29)年に作製されたヒナ鳥型卓上びん。いずれも宣伝用。 (3)58(昭和33)年、初めて市販された「卓上びん150cc」。1本30円で、左がしょうゆ、右がソース。

発売当時

榮久庵憲司(えくあん・けんじ)によってデザインされた「キッコーマンしょうゆ卓上びん」。発売当時、150ml入りで1本40円。写真右は同時に発売されたソース用卓上びん。

昭和20年代後半、キッコーマンは、消費者の間で高まっていた小容量容器での販売を
希望する声を受け、卓上びんの開発に着手する。
当時、各家庭では、買ってきたしょうゆを小さなしょうゆ差しに移し替えて使っていたが、
注ぐたびにしょうゆが垂れ、容器やテーブルを汚す。
そのため、しょうゆ差しには受け皿が添えられていることが多かった。

「受け皿なしで快適に使えるしょうゆ差しを!」と、
1952(昭和27)年に合成樹脂のキャップを使用した六角錐形の卓上びん、
続いて54年にはヒナ鳥型卓上びんを作製。
これらは宣伝用として、女子高生の卒業祝いなどで配布された。
その後、初めて市販されたのが58(昭和33)年の「卓上びん150cc」で、
液垂れが随分解消され、好評を得る。

キッコーマンはこれに満足せず、さらに研究を続ける。
当時、新型卓上びんの開発を担当したのが、企画宣伝課の吉田節夫(さだお)。
吉田には「新しい時代にふさわしいしょうゆの世界を提案したい。
新しいしょうゆのカタチを作りたい」という熱い思いがあった。
新しい時代。そう、51(昭和26)年には公営アパートにダイニングキッチンが登場し、
56(昭和31)年には『経済白書』の中で「もはや戦後ではない」と宣言され、
人々のライフスタイルは大きく変わり始めていた。

吉田は最初から新しい卓上びんの開発は、容器メーカーではなく、
デザイナーに依頼することを決めていたと言う。
コンセプトは、売るための容器ではなく、お皿や茶碗と同じように食卓で使える什器だ。
大御所と言われるデザイナーをはじめ、何人かを訪ね歩いた結果、
彼が白羽の矢を立てたのが、GKインダストリアルデザイン研究所の
榮久庵憲司(えくあん・けんじ)。
榮久庵は今でこそ、日本の工業デザイン界の第一人者として世界に知られる人物だが、
当時はまだ新進のデザイナーだった。
吉田は、夢を分かち合うパートナーとして、自分と同じ20代の榮久庵を選んだのだ。

若い2人がタッグを組んで作った「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は、
開発スタートから1年半後の61(昭和36)年1月、世に出ることとなった。

広告
65(昭和40)年の新聞広告。卓上びんが掲載された商品ラインナップ。

注ぎ口の下側をカットする逆転の発想

具体的に、デザインのポイントを見てみよう。
全体のフォルムは、細い首から底に向かって丸く広がる安定感のある形で、
サイズは一緒に置かれるお皿や茶碗の空間からはみ出さない大きさに抑えられている。
胴回りの柔らかな曲線も親しみやすい。

素材は、当時主流だった陶器ではなく、新しい時代の開放感を演出する透明ガラスを採用。
もちろん、ガラスなので、しょうゆの残量も一目で分かる。
そしてキャップは、しょうゆの赤褐色とのコントラストが美しく、温かさが感じられる赤に。
しょうゆと赤いキャップの間にできる空白もきれいだ。
また、詰め替え口は2リットル瓶の口径より1mmほど広くし、注ぎやすくした。

榮久庵は、首の細さについて「首をもって注ぐ時、女性の手の大きさだと、小指が上がり、
美しい手のカタチになります。しょうゆを注ぐ時の手が非常にきれいに見えるんです」。
置いた時だけではない、道具として使う時も美しいこと、そこまで配慮したデザインだと言う。

ところで、卓上びん開発の目的だった液垂れ問題は、どのように解決されたのだろう。
やはり、ここが一番のネックで、注ぎ口の模型を100個以上作ってみたものの、
液垂れはなかなか解消しなかったと言う。が、ある日、注ぎ口の下側を切ってみた。
すると、しょうゆがすっと出て、しかも垂れない。
従来のしょうゆ差しは、急須の注ぎ口と同じで下が長い。
これと逆に、下側をカットして短くしたことによって、
液垂れのないキレの良い注ぎ口ができたのだ。

「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は、その機能性とデザイン性が認められ、
93(平成5)年に「グッド・デザインマーク商品」に選定されている。

 
下側を60度の角度でカットした注ぎ口。
しょうゆの赤褐色を美しく見せる透明ガラス。残量も一目で分かる。
女性が親指から中指までで持てる太さの首。
2リットル瓶からの詰め替えがラクな広い口径。
安定性のある背丈と胴回りのバランスは絶妙。  

世界で認められたキッコーマン・ブランド

現行-特選

買ってきて、そのままポンと食卓に置ける「キッコーマンしょうゆ卓上びん」は、発売されたその年だけで
8万8000ケース(約200万本、24本/ケース)を出荷。
旧型の卓上びんが5万ケースであったことを考えると、その評判の高さが伺える。
6年前の97年時点での出荷量は、33万2077ケース(約400万本。12本/ケース)。
現在も毎年同じぐらい出荷されていると言うから、その人気の根強さには驚かされる。
さらに、近年は国内以上に海外で売れているそうだ。

台所の片隅から食卓へ、運搬・保存のための容器からテーブルで使う什器に。
新しい役割を与えられた卓上びんは、
「しょうゆ=キッコーマン」というブランドを打ち立てるのにも大いに貢献した。
従来の1.8リットル瓶入りのしょうゆは移し替えてしまえば、それがどこのメーカーのものなのか分からない。
ところが、卓上びんには、キッコーマンのマークが記されている。
今や中味が何であれ、これに入っているものはしょうゆと認識されるまでになったのだ。

ちなみに、ヨーロッパの中華系・アジア系レストランでは、最初の1回だけこれを買い、
次からは中国産のしょうゆに詰め替えるということがよくあるそうだ。
そして「うちはキッコーマンのしょうゆを使っているんだよ」と、卓上びんを店のステータスの証しにしていると言う。
広報担当者いわく「これは、キッコーマンというブランドがそれだけ強くなったということですから、しょうがないですね。
しょうゆの本当の味が分かってもらえれば、いずれキッコーマンがメインになることは
アメリカでも証明されているので、それを期待しています」。

「キッコーマンしょうゆ卓上びん」。
それは40余年一度もデザインを変えることなく、世界中のテーブルにある。
見て美しいだけではなく、1日に何度も何度も使う道具としての美しさ、
使う人にとって完成されたデザインが、時を経てもなお愛される理由か。

取材協力:キッコーマン株式会社(http://www.kikkoman.co.jp/

line-up 現在、卓上びんには「特選丸大豆しょうゆ」「減塩しょうゆ」
「デリシャスソース」の3種類ある。



しょうゆの違いは食文化の違い?

関西の人が東京へ出て来て、うどんやそばのつゆの濃さにビックリ。鹿児島へ行き、しょうゆの甘さに、これまたビックリ。味の均質化が進んでいるとは言え、使われるしょうゆは地域によってかなり違う。もともと、みそ・しょうゆ・酒は地域ごとに造られており、地場メーカーも多い。ちなみにしょうゆメーカーは、現在でも全国に1500〜1600ほどの醸造元があると言う。
しょうゆはJASで「濃口」「淡口」「溜」「白」「再仕込み」の5つに分類されている。それぞれの特徴と主に使われる地域は下記の通りだ。

濃口(こいくち)しょうゆ
 
淡口(うすくち)しょうゆ
 
溜(たまり)しょうゆ
日本のしょうゆ生産量の8割以上を占める最もスタンダードなしょうゆ。食塩分は約16%。大豆または脱脂加工大豆と、ほぼ同量の小麦を混ぜて造る。江戸期以降、関東を中心に発達。香りと色、味のバランスが良い。
 
生産量はしょうゆ全体の14%程度。淡口は色が淡いという意味で、食塩分が薄いという意味ではない(食塩分は18〜19%)。野菜の煮物や吸物、うどんつゆなど、素材の持ち味や色合いを生かす料理に向く。市場は関西中心。
 
国内生産量は全体の2%弱。濃口や淡口が大豆と小麦をほぼ等量使うのに対し、これはほとんど大豆のみを原材料とする。愛知県を中心に中部地方で愛用される。大豆蛋白から得られるうま味成分が多いため、とろりと濃厚。
白(しろ)しょうゆ
 
再仕込み(さいしこみ)しょうゆ
   
国内生産量は全体の約1%弱で、食塩分は約18%。溜しょうゆとは逆に、主原料は小麦でここに少量の大豆を加え、低温・短期発酵で造る。生産地は主に三河地方で、高級料理のかくし味やうどん汁などに利用される。
 
国内生産量は全体の約1%弱で、食塩分は約14%。麹をタンクに仕込む時、食塩水の代わりに、ほぼ同じ塩分濃度の「生揚げ(きあげ)しょうゆ」を加えて仕込む。発祥は山口県の柳井地方。別名、甘露しょうゆ、刺身しょうゆと呼ばれている。
   

撮影/海野惶世(メイン、プレゼント) Top of the page

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