ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
バスクリン ニッポン・ロングセラー考 〜〜ニッポン人の身体と心を温め続けて100余年

バスクリンの原点は「浴剤中将湯」

小さいころに入ったバスクリンのお風呂――、それはとても特別なものだった。
銭湯やヘルスセンター(今は健康ランド?)でしか見たことのないような色と香り。
今でこそ当たり前に使う入浴剤も、昭和30年代はまだまだ珍しかった。

入浴剤といえば、真っ先にバスクリンが思い浮かぶが、
それよりずっと前に誕生している入浴剤がある。
津村順天堂(現・株式会社ツムラ)が、今を遡ること約100年前、
1897(明治30)年に発売した「浴剤中将湯(ちゅうじょうとう)」だ。

日本初の入浴剤誕生のきっかけは、
ツムラが創業当初から製造・販売していた婦人薬「中将湯」にあった。
この薬には16種類の生薬が配合されているが、
その製造過程で出る残滓(ざんし:生薬を刻んだ残り)を
社員の一人が自宅に持ち帰り、風呂に入れてみた。
すると、夏には子供のあせもが消え、
冬には温泉に入ったように身体が芯から温まったという。
その噂が口コミで広がり、
銭湯の店主が分けてほしいと買いに来るようになったことから、
これを商品化して「浴剤中将湯」として発売したのだ。

銭湯では看板や暖簾に「中将湯温泉」と銘打ち、効能を大いにアピール。
が、その後、思ってもみない苦情が寄せられることになる。
何と夏場に身体が温まりすぎるというのだ。
身体が温まること自体は良いことなのだが、扇風機もクーラーもない当時、
いつまでも身体がぽっぽと温かければ、それはそれでツライに違いない。

ツムラは、暑い時期でも使えるよう、
温泉由来成分を中心とした粉末タイプに改良するとともに、
生薬特有の匂いをカバーする芳香を加え、
1930(昭和5)年、芳香浴剤「バスクリン」を発売。
当時は、まだ内風呂のある家が少なかったため、
バスクリンも浴剤中将湯と同様、銭湯を中心に販売されていた。

日本橋の本店 電飾でライトアップされた本店前の夜景
津村順天堂の創業者・津村重舎(初代)は後に“PRの天才”と呼ばれた人。彼は日本橋の本店に、1895(明治28)年に日本初のガスイルミネーション看板を、1907(明治40)年には、これも日本で初めて電気看板を取り付けた。写真左が創業当時の津村順天堂本店、写真右が電飾でライトアップされた本店前の夜景。
浴剤中将湯と発売当時の「バスクリン」
1897(明治30)年に発売された、日本初の入浴剤「浴剤中将湯」(写真左)。
1930(昭和5)年、発売当時の「バスクリン」。豆腐1丁5銭の時代、ブリキ缶入り150g・50銭だった(写真右)。
薬の雑誌に掲載されたバスクリンの広告
昭和初期、薬の雑誌に掲載されたバスクリンの広告。広告の絵は、後に多くの少年少女雑誌や女性誌で活躍した挿絵画家・高畠華宵(たかばたけ・かしょう)の手によるもの。

内風呂の普及とともに大ヒット

ブリキ缶入りバスクリン

急激に売れ始めた、昭和35年ころのブリキ缶入りバスクリン。“香水風呂”という商品キャッチが何ともレトロな雰囲気。当時はジャスミンとブーケの2種類。

バスクリン静岡工場

64(昭和39)年に新設されたバスクリン静岡工場。入浴する女性が描かれた円筒状の部分で薬剤を混合し、下の工場で缶に詰める(写真上)。
静岡工場での作業風景(写真下)。

戦争によって中断されていたバスクリンの生産は、
敗戦から5年後の50(昭和25)年に再開された。
52(昭和27)年の4月に始まったNHKラジオの連続ドラマ「君の名は」が
銭湯の女湯を空にしたというから、まだ内風呂がある家は少なく、
銭湯に通う人がほとんどだったのだろう。

が、戦後10年も経つと「もはや戦後ではない」という言葉とともに、
人々の暮らしは大きく変わっていく。
昭和30年代半ばには民間アパートの建設も進み、内風呂が急速に普及。
それに伴い、“遠くの温泉より我が家で温泉気分”と、バスクリンが爆発的に売れ始める。
小さい内風呂だけれど、バスクリンを入れれば、何となく優雅な気分。
それは、庶民のささやかな贅沢だったのかもしれない。

当時、バスクリンは目黒工場で生産されていたが、自社だけではとても追い付かず、
7割以上を外注していたという。
増大する需要に応え、64(昭和39)年には、静岡県藤枝市にバスクリン静岡工場を建設。
64年は東京オリンピックが開催された年だが、
開会式直前に開通した東海道新幹線の窓からも静岡工場がよく見えたそうだ。

静岡工場では、67(昭和42)年に西ドイツ製のRC缶製造機を導入し、
パッケージをそれまでのブリキ缶からスパイラル缶(RC缶)に変更。
スパイラル缶とは、上下の蓋にアルミを、胴の部分に特殊な紙を用いた容器だが、
これによってコスト低減と製造工程の短縮が図られ、利益も急伸した。


スパイラル缶入りのバスクリン
スパイラル缶入りのバスクリン。写真は昭和50年代のものだが、「裸の王様がやって来た! やって来た! やって来たっ、ぞ!」と、渡瀬恒彦が歌うテレビCMを覚えている人も多いだろう。

時代の感性を反映し大胆にリニューアル

84(昭和59)年当時の「バスクリン」
84(昭和59)年当時の「バスクリン」。さまざまな容量が発売された。
楕円型バスクリン
99(平成11)年には、容器本体に再生紙を使用し、形状も持ちやすい楕円型に変更。

ロングセラーといわれる商品には、発売当時のデザインを頑固なまでに守り続けているもの、
当初のイメージを残しながら微妙にリニューアルしているものなど、さまざまなタイプがある。
バスクリンの場合、写真を見ても分かるように、変わらないのは商品名だけで、
ロゴやパッケージのデザインは、その時代時代で大胆に変えている。

リニューアルする理由の一つに、入浴剤が嗜好品であることが挙げられるだろう。
広報担当者いわく「どんなによく知られたブランドでも、古臭いイメージになってしまったら、
もうおしまい。パッケージはもちろん、色や香りも定期的に見直して、
いつもブランドを新鮮な状態に保つ努力をしています」。
入浴剤とは、それだけ時代の感性に敏感な商品なのだ。

また、デザインが変わってもアイデンティティーが揺るがないのは、
そのブランド名のチカラによるところも大きいのではないだろうか。
実際、ツムラでは新商品を発売する時、しばらくの間は商品名に「バスクリン」という冠を
付けることが多いという。あの大ヒット商品「日本の名湯シリーズ」も、
発売当初は「バスクリン 日本の名湯シリーズ」だった。
商品が独り立ちするまで、バスクリンという認知度・信頼度ともに高いブランド名を利用し、
新製品のデビューを助ける。

バスクリンのリニューアルは、デザインだけに留まらない。
例えば、99(平成11)年には、約30年ぶりに丸型のスパイラル缶から、楕円型の再生紙パッケージに変更。
パッケージを見直した理由の一つに、握力の弱いお年寄りや年少者にとって、
丸型は意外に持ちづらい形状であったことがある。
持ちやすい楕円形にすることで、バスクリンを足の上に落としたり、
浴槽の中に落としてしまうといった事態を避けることができる。
また、新パッケージは従来のスパイラル缶と違い、本体とプラスチックの蓋を簡単に分けられるので、
使用後の分別もしやすく環境に配慮した仕様となっている。


バスクリンはファミリーユースの定番

入浴剤「きき湯」
情緒から効果へ――、温泉の効果を実感できる入浴剤「きき湯」。写真左より、肩凝り・腰痛に「マグネシウム炭酸湯」、肌荒れ・しっしんに「クレイ重曹炭酸湯」、疲労・冷え症に「食塩炭酸湯」。  
 
入浴剤「中将姫の湯」  
ツムラは03年で創業110周年。これを記念して発売されたのが、生薬きざみ入浴剤「中将姫の湯」。“温まりすぎる”というあの苦情の理由が分かるほど、身体の芯からぽっかぽかに。  

入浴剤の代名詞ともいえるバスクリンだが、70余年の歴史の中で、
類似品や競合品にその地位を脅かされたことはなかったのだろうか。
「発売当時は、なかったように思います。ノボピンという商品がありましたが、殺菌力のある硫黄を含み、
主に水虫などの治療用に使われていましたから、バスクリンとは若干用途が違います。
いわゆる入浴剤で画期的だったのは、83年に発売された花王さんのバブでしょうか」
錠剤と発泡というかつてなかったスタイルで登場したバブは、バスクリンの市場を食うというよりも、
入浴剤の市場規模そのものを拡大することに貢献したようだ。
ちなみに、83年に195億だった市場規模は、翌84年に約1.7倍の327億円にまで拡大した。

現在の入浴剤市場は、バブル崩壊後のギフト需要の減少や安売りの常態化で、厳しい状態にあるという。そんな市場を活性化するため各社とも、この冬、これまでとは一味違う商品を投入。
ツムラのイチオシが「きき湯」だ。
「きき湯は、全国有数の炭酸泉である大分県の長湯温泉からヒントを得て開発した製品で、
温泉の情緒よりも、効果そのものにこだわりました。5ミリ粒のブリケット製剤にしたことによって、
浴槽内で炭酸がまんべんなく発生し、血行を促進します」

きき湯をはじめ、毎年のように新製品が発売されるが、
その中でバスクリンはどのような位置付けなのだろうか。
「バスクリンのターゲットは30〜40代の女性で、基本的にファミリーユースです。
ファミリーユースの場合、みんなが同じお湯に入りますから、
子供からお年寄りまで誰にも好まれる色と香りを意識しています。
また、最近流行の分包にしないのも、
お湯を注ぎ足しながら順々に入るという家族での入浴方法を考慮してのこと。
バスクリンなら、足したお湯の量に合わせて気軽に追加できますからね」
現在でもバスクリンは、ツムラ全入浴剤の中で約40%の売り上げを占める。王者健在なり、である。

お風呂好きの日本人が使い続けてきた入浴剤バスクリン。
その色と香りを思い出すだけで、何だか心の中まで“ほっ”と温かくなるようだ。

取材協力:株式会社ツムラ(http://www.tsumura.co.jp/
※メインとプレゼント以外の写真は株式会社ツムラからの提供です。

現行のバスクリンは7種類
03年秋にパッケージデザインを一新。同時に発売された「すずらんの香り」と「みかんの香り」を加え、現行のバスクリンは7種類。



目的に応じて使い分けたい入浴剤
 
入浴剤の基本的な効果は、身体を温め痛みを和らげる「温浴効果」と、汚れを落とし皮膚をきれいにする「清浄効果」の2つだが、最近はこれに+α の効能を謳う商品も数多く発売されている。以下、入浴剤を5つのタイプに分けて、その成分と効果を見てみよう。

タイプ別入浴剤の成分と効果
タ イ プ
成 分
効 果
ツムラの入浴剤
無機塩系 硫酸ナトリウム、硫酸マグネシウム、炭酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウムなど 塩類が皮膚のたんぱく質と結合して表面にベールを作り、身体の熱の放散を防ぐため、保温効果が高く、湯冷めしない。皮膚組織の活性化や修復に効果がある硫酸ナトリウム(芒硝)があせも、ひび、あかぎれなどを予防。また、炭酸水素ナトリウム(重曹)が石鹸と同じように皮脂の汚れを乳化して落とし、肌をすべすべにしてくれる。 バスクリン、日本の名湯
炭酸ガス系 炭酸ナトリウム、炭酸水素ナトリウム+コハク酸、フマル酸など お湯に溶けた炭酸ガスが皮膚から吸収され、血管を拡張する。血管が広がり血流量が増えるため、全身の新陳代謝が促進されて、疲れや痛みなどが回復する。皮膚から入った炭酸ガスは肺呼吸によって外に出るので、体内に蓄積されることはない。 きき湯
薬用植物系 トウキ、センキュウ、ボウフウ、チンピ、カツミレ、ハッカ葉など 生薬に含まれている化学成分と香りの働きによって、血行を促進し、湯冷めを防ぐ。自然のモノを使って人間が本来もつ自然治癒力を高め、心身を解きほぐして癒すという考え方は、浴槽にエッセンシャルオイルやハーブを入れるハーバルバスや、日本の菖蒲湯、ゆず湯など、古くから暮らしの中に取り入れられてきた。 バスハーブ、中将姫の湯
清涼系 メントール、炭酸水素ナトリウム、硫酸アルミニウムカリウムなど 夏の入浴をすっきり快適にするために、主にメントールを配合して冷感を与えるものや、炭酸水素ナトリウム、硫酸アルミニウムカリウムで湯上がりの肌をさっぱりさせるものがある。 クールバスクリン
スキンケア系 セラミド、コレステリルエステル、米胚芽油、スクワラン、ホホバ油など 乾燥する冬は、入浴後、角質層の水分が失われ肌がかさつきやすい。入浴剤の保湿成分が皮膚に吸着・浸透して、入浴後の肌をしっとりさせる。また、入浴によって柔らかくなった肌は保湿成分が角質層の内部まで浸透しやすくなるため、より一層の効果が期待できる。 ソフレ、ピュアスキン

撮影/海野惶世(メイン、プレゼント) Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]