戦後の高度経済成長期、セメダインはそれまでにも増してPR活動に力を注いだ。他社との競争が激化し、ユーザーの取り込みが急務だったからである。数多いPR活動のなかでも、目覚ましい効果を上げたのが3種類のPR誌の存在だった。
研究者向けの「セメダインレビュー」、代理店向けの「セメダインサークル」、小中学校の工作の教師を対象にした「セメダインクラフト」は、それぞれのユーザーにセメダイン製品をアピールしただけでなく、接着剤そのものの認知度を高める役割も果たした。
なかでもセメダインクラフトは、戦後教育を受けた子供たちに対し、目に見えない形で少なからぬ影響を与えていたはずだ。
1950〜70年代にかけて、セメダインCは最後のピークを迎えることになる。この頃、市場ではいくつかのプラモデルメーカーが競い合って製品を販売。子供たちのみならず、大人たちをも巻き込んだプラモデルブームが起こったのだ。
箱の中には、必ず「プラモデル用セメダイン」が入っていた。赤いキャップが付いたそれは、市販のセメダインよりもコンパクトで使いやすかった。子供の頃、戦闘機やレーシングカー、そしてガンダムのプラモデルを熱心に作っていた人なら、パーツからはみ出したセメダインを拭って指先がパリパリになってしまった経験や、床に置いたセメダインを知らずに踏み、あたり一面接着剤だらけにした経験があるのではないだろうか。
セメダインの記憶は、そうした子供の頃の楽しい体験と密接に結びついている。だから、言ってしまえば単なる接着剤にすぎないのに、私たちはセメダインの存在を忘れることができない。
そのプラモデルブームも、80年代前半から起こったミニ四駆ブームによって、静かに消え去った。はめ込み式のミニ四駆は、接着剤を必要としなかったのである。
子供たちは工作の楽しさから遠ざかり、出来合いの玩具で遊ぶようになった。クラフト需要が減るにつれ、セメダインCの売り上げも徐々に減少していった。
今、同社の全売り上げにおけるセメダインCの割合は、わずかである。プラモデル用セメダインや、セメダインCはもはや主役とはいえなくなってしまった。それでも、同社の広報担当者は、「模型やプラモデル作りはセメダインでなくては、というファンの方もいらっしゃいます。クラフト需要がゼロにならない限り、セメダインCやプラモデル用セメダインの生産を止めるわけにはいきません。それがうちの使命ですから」と語る。
黄色いチューブに黒い帯、その上に赤く力強い文字で描かれたロゴタイプ。
セメダインCには、創業者・今村善次郎の熱い魂が宿っている。
そこには、「外国製品なんのその、俺が日本初の優秀な製品を作ってみせる」という、モノを作る人間の心意気がある。 |