1958(昭和33)年10月1日、三菱鉛筆はユニを全国一斉に発売した。当時は銭湯の大人料金が16円、コーヒー1杯が50円の時代。いかに品質が優れているとはいえ、鉛筆が1本50円というのは、あまりにも一般常識からかけ離れている。数原をはじめ、同社の責任者はみないくばくかの不安を抱えていた。もしユニが失敗したら、30円クラスの他の鉛筆も売れなくなってしまうのではないかと。
同社は、ユニの需要は限られていると読んでいた。だからあえて「最高級製図用鉛筆」と銘打って発売したのだが、意外なことにその読みは完全に外れてしまった。
ユニは発売当初から爆発的な人気を呼び、予想をはるかに上回る勢いで売れたのだ。
大手百貨店や専門店はともかく、店頭を飾るつもりで置いてもらった小学校前の文房具店でも、ユニは飛ぶように売れた。あまりに売れたため、手作りのダース箱では製造が追いつかなくなり、発売6年後には機械生産できるようにダース箱をモデルチェンジしなければならないほどだった。
ユニ(普及版のユニP含む)の販売数は、発売からわずか6年で当初の10.8倍にまで達している。
ユニがここまで売れた理由は、いくつか挙げられる。まず、景気上昇の波にうまく乗ったこと。発売した58年は鍋底景気が日本全体を覆っていたが、翌年には天の岩戸景気が到来。60(昭和35)年には時の池田勇人首相が所得倍増計画を打ち出し、本格的な高度経済成長時代が始まった。消費者の購買力は増大し、安いものではなく、より良いもの、満足できるものが求められるようになっていった。ユニが持つ高級感は、人々の新たな嗜好にぴったりとはまったのだ。
百貨店や小売店など、販売する側の協力が得られたことも大きい。単価の高いユニは、従来の鉛筆に比べて圧倒的に販売効率が良かった。三菱鉛筆もまた、小売店を対象とした販売促進運動や店頭でのユニ・コーナー設置に力を入れた。
購入者に対して行ったプレゼントキャンペーンも効果的だった。ユニと聞いて、笑ってしまうほど大きな「ジャンボユニ」や、丸くて大きな消しゴム「ユニ坊主」といったプレミアムグッズを思い出す人も多いだろう。あのおまけ欲しさにユニを買い求める子供も多かった。このプレミアムグッズキャンペーンは70年代に始まり、今も継続展開されている(現在の対象商品はシャープペンシルの替え芯)。
しかし、時代は大きく変わった。鉛筆の国内生産数はシャープペンシルやボールペンの登場により、年を追って減少しつつある。黒芯鉛筆の国内生産数は、ピーク時の1965(昭和40)年が約700万グロス(1グロスは12ダース)だったのに対し、2003年は約200万グロス。60年代から70年代にかけて黄金期を迎えたユニも、80年代以降、さすがに売れ行きが落ちてきた。三菱鉛筆の売上構成比(2003年)のなかでも、もはや鉛筆の販売金額は8.9%に過ぎない。
それでも、依然としてユニは国内トップブランド鉛筆であり続けている。黒く、濃く、滑らかに書ける鉛筆の名作は、誕生から50年近くを経た今でも、その輝きを失っていない。物価上昇率からすると相対的な値段は下がっているのに、高級感がまったく失われていないのも不思議だ。
結局、ユニ以降に、ユニを越えるほどの価値観を提示できる高級鉛筆は現れなかった。文字どおり、ユニは鉛筆界における唯一の存在となったのである。
取材協力:三菱鉛筆株式会社(http://www.mpuni.co.jp/) |