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きゅうりのキューちゃん ニッポン・ロングセラー考 愛されて、早43年“古くて新しい”日本を代表する漬物

商品、パッケージ、ネーミング。そのすべてが革新的だった

キューちゃんの生みの親となった先代の大羽至社長。登記上は3代目社長だが、実質的な創業社長にあたる人物だ。
   
 
1962(昭和37)年、発売当時のキューちゃん。当時の価格は35円で、塩分は10%以上あった。パッケージは落ち着いたグリーンがベースで、キャラクターもやや大人っぽい。
   

奈良漬け、しば漬け、べったら漬け、千枚漬け、福神漬け……全国各地で様々な野菜が採れる日本は、同時に漬物大国でもある。食の西洋化が進んだ現代の家庭でも、冷蔵庫に一つくらいは漬物が入っているはずだ。
漬物業界のロングセラーと言えば、東海漬物の「きゅうりのキューちゃん」を忘れるわけにはいかない。今でこそスーパーやコンビニの棚に当たり前のように並んでいるが、発売当時、キューちゃんは極めて斬新でユニークな商品だった。誕生の経緯をたどりながら、キューちゃんの革新性を見てみよう。

キューちゃんが生まれたのは1962(昭和37)年。今から43年も昔のことになる。製造元は1941(昭和16)年、名古屋に創業した東海漬物製造(現・東海漬物)だ。
キューちゃんの革新的なポイントは3つある。
まず第1に、衛生的で手軽に扱える小袋入りで発売されたこと。実は60年代初頭まで、漬物は店頭の樽から小分けして販売されるのが普通だった。お客は小売店で必要な量だけを買い求め、ビニール袋に入れてもらっていたのである。
60年代初頭は、従来の小売店に代わり、スーパーマーケットが次々と登場してきた時期にあたる。この頃、食品包装の形も大きく代わり始めた。プラスチック系の原材料を使った小袋包装が開発され、多くの食品がパッケージの形で売られるようになった。
東海漬物製造は1960(昭和35)年から袋詰め漬物に進出。これは業界のなかでもかなり早い部類だった。キューちゃんを袋詰めで発売した62年当時、小袋入り漬物の他社製品はほとんどなかったという。

第2のポイントは、きゅうりを醤油漬けにしたこと。それまで、きゅうりの漬物と言えばぬか漬けが代表的で、醤油漬けにするのは主に大根、カブなど。きゅうりと醤油を組み合わせるという発想自体が斬新だった。
第3のポイントは、そのネーミング。当時の商慣習に倣えば「きゅうりの醤油漬け」といったシンプルな名称にするところだが、なんと「きゅうりのキューちゃん」という愛称そのもののような商品名が付けられた。漬物に限らず、食品にこんな大胆な名称が付けられること自体が大変珍しかったのだ。

何から何まで初めて尽くしで登場したきゅうりのキューちゃん。こんな大胆な商品にゴーサインを出したのは、東海漬物の第二創業者と言われる大羽至社長(先代社長)だった。アメリカを視察旅行した大羽は、大量生産・大量消費を特徴とするアメリカ式の流通革命が、いずれは日本にも起こると確信していた。手作業を中心とする伝統的な手法を守ってきた漬物業界もまた、変わらなければならないのだと。
同社常務取締役で、営業企画部部長でもある伊藤晴夫氏はこう語る。
「先見の明があったということでしょう。発想に柔軟性があったし、常に新しいものを作ろうとしていた。そして、行けると判断したら迷わず行動する決断力がありましたね」
キューちゃんの発売は会社にとって冒険だったに違いない。その冒険は、同社に大きな実りをもたらした。


業界を驚かせたキューちゃん専用工場の建設

愛知県渥美郡田原町のキューちゃん専用工場。安定した品質を実現するJAS認定工場だ。
キューちゃんの原材料は、中国杭州の広大な農場で作られるきゅうり「四葉(スーヨー)」。皮が薄く身が締まっていて、歯切れが良いのが特徴だ。塩漬けされた状態で日本に搬入される。

きゅうりのキューちゃんは発売当初から好調な売れ行きを示した。消費者からすれば、小袋に入っているキューちゃんは手軽に手に取ることができるし、衛生面でも安心できる。
きゅうりの醤油漬けは未経験の味だったが、パリパリとしたきゅうりの食感は今までになく新鮮で、さっぱりとした味わいは広く日本人全般に受け入れられるものだった。キューちゃんの革新性は、多くの消費者から好意的に受け止められたのである。

発売後10年も経たないうちに、キューちゃんは東海漬物の基幹商品となった。製品の安定供給、品質の維持、人手不足の解消を目的に、同社は1973(昭和48)年、愛知県渥美郡田原町にキューちゃん専用工場を建設した。これもまた、業界を驚かせるほどの画期的な出来事だったと伊藤氏は語る。
「キューちゃんだけを作る工場ですからね。エレクトロニクス製品ならともかく、食品分野での単品定量生産工場は、当時も今も滅多にありません。業界に冠たる工場として話題になりました。ここに資源を投入したのも、経営陣の英断があったからです」

60年代から70年代の高度経済成長期にかけて、キューちゃんは販売数を順調に伸ばし、誰もが知る全国ブランドに成長していった。伝統的な漬物にこだわる一部のバイヤーは、「キューちゃんは本格的な漬物じゃない」と批判的だったが、もとより加工食品の価値基準は本格的かどうかというところにはない。
キューちゃんは、メーカーにとっては会社の屋台骨を支える基幹商品であり、流通にとっては管理しやすく売りやすい商品であり、消費者にとっては利便性が高く使い勝手のいい商品だった。
「3者すべてに都合のいい商品だったんです。どこかひとつがノーと言ってたら、キューちゃんは成功しなかったでしょう。3者のリンクを継続するため、私たちは今に至るまでしっかりとキューちゃんを育ててきました」と伊藤氏は語る。

 
 

 ●キューちゃんの代表的製造工程

■洗浄
さまざまな種類の洗浄機を用いて、混入した異物を入念に洗い流す。
■選別
残留異物や加工に適さない材料を、熟練した検査員が目視で選別する。
■切断
箸でつまめるコンパクトで食べやすい大きさにカットする。
■選別・除去
切断不良などを再び目視で検査する。
■脱塩
塩分ゼロ%を目標に、流水で長時間洗い流す。
■圧搾
圧力をかけて水分を絞る。
■調味
キューちゃん専用の減塩醤油などで味付けする。
     
           
■箱詰め・出荷
定量を箱詰めし、卸や販売店の倉庫へ出荷する。
■殺菌・検査
風味をそこなわないように蒸気殺菌を行う。異物検査も重ねて実施。
■計量・包装・検査
厳重な金属検出や重量検査、さらに目視で品質チェックする。
■仕込み・熟成
独自の低温熟成で、美味しくなるまでじっくりねかせる。
 
 
 
 
     
       
             

時代の変化に合わせ、幾度ものリニューアルを実施

 ●きゅうりのキューちゃんの変遷
 
1973(昭和48)年。この年から田原町の専用工場で生産。パッケージにはJASマークが付いた。
1991(平成3)年。現在も続く3代目キャラクターが登場。塩分は4.8%にダウンした。
1998(平成10)年。保存料、合成着色料を除き、安全・安心・健康をうたった新キューちゃんとして登場。
2003(平成15)年。社名を東海漬物に変えたのに合わせ、より親しみを感じさせるデザインに変更。
1970(昭和45)年。新たに低温熟成方式を採用し、塩分を66年の8.7%から6.5%に下げた。
1981(昭和56)年。2代目キャラクターが登場し、パッケージにはQマークを大きく使用。塩分は5.2%に。
1994(平成6)年。パッケージのQマークが進化し、より印象的なイメージに。塩分は4.4%になった。
2001(平成13)年。21世紀の新パッケージを採用すると共に、4.0%のさらなる低塩化を実現。

製品の革新性が市場を開拓し、すべてがうまく回り始めると、メーカーはその成功に安心してしまい、製品のリニューアルを怠りがちだ。その結果消費者がそっぽを向き、ロングセラーになりそこねた商品は世の中に沢山ある。
しかしキューちゃんはそうではなかった。それどころか、数あるロングセラーのなかでも一、二を争うくらい頻繁にリニューアルを繰り返している。もちろんそれは、時代と共に変わる消費者の嗜好に応えるためだ。

基本的な製造工程に変化はない。風味のもととなる本醸造醤油やきゅうりの品種は変わっているが、肝心の風味自体はほとんど変わっていない。反対に大きく変化したのは塩分濃度だ。発売当時10%以上あった塩分は、過去7度に渡って徐々に減らされ、2001(平成13)年に登場した製品ではわずか4%となっている。
その要因としては、日本人の食の洋風化と健康意識の向上が挙げられるだろう。低塩化は食品全般に見られる大きな特徴だが、塩分が味わいの大きな部分を占める漬物で、ここまで低塩化を進めたことは注目に値する。しかも、塩分が少なくなってもキューちゃんの風味はまったく変わっていないのだ。
変えてはいけない部分はしっかり守り、変えるべきところは躊躇せず大胆に変える。商品のメインテナンスはロングセラー商品の大切な要件だが、キューちゃんはそれが上手くいっている典型例といえる。

頻繁にリニューアルしているのは中身だけではない。パッケージそのものも、4、5年に一度の頻度で変わっている。消費者に馴染み深いのは、あのキューちゃんキャラクターだろう。発売当初はサラリと描かれた大人っぽいイメージだったが、1991(平成3)年に大きくイメージチェンジし、可愛らしい子供のキャラクターに変わった。
伊藤氏は、「時代の要請でしょうね。次第に人々が求めている“癒し”を表現したキャラクターになってきたんです」と語る。

 

ロングセラーの秘訣は“懐かしい商品にしないこと”

昨年までオンエアされていたのがこのCM。熊と対峙して恐れをなした角田選手が、キューちゃんとご飯を食べて元気を出すというコンセプトだった。
川口選手を起用した最新のCM。ヨーロッパの街並みを舞台にした詩的なイメージが評判を呼んだ。

日本人の食生活の変化や健康意識の変化に合わせ、数多くのリニューアルを繰り返してきたキューちゃん。東海漬物はその節目毎に新しいテレビCMやキャンペーンを導入し、需要を喚起してきた。
最初のテレビCMは発売翌年の1963(昭和38)年に放送。商品と同じ名前の人気歌手・坂本九を起用したこのCMにより、きゅうりのキューちゃんの名は全国に知られるようになった。
1977(昭和52)年にはキューちゃん10億袋突破を記念して「10億袋キャンペーン」を実施。この年はやや大きなサイズの「キューちゃんL」も発売している。
1989(平成元)年には俳優の風間トオルを起用したテレビCMをオンエア。同時に「消費者プレミアムキャンペーン」を実施し、さらなる売上増を果たした。

記憶に新しいのは、昨年まで3年間に渡って続けられた格闘家・角田信朗を起用したコミカルなテレビCMだろう。伊藤氏は、このCMはキューちゃんのブランドイメージを活性化させるためのものだったと言う。「2001年の9.11事件をきっかけに、ここ数年は暗い世相が続きました。あのCMは『みんな、もっと元気を出そうよ』というメッセージでもあったんです」

そして今年の2月から4月にかけてオンエアされたのが、日本を代表するサッカー選手・川口能活を起用した不思議な味わいの私小説風CM。最後のカットでパッケージが出てくるまで、これがキューちゃんのCMだとは分からないユニークな内容が話題になった。
「こちらはターゲットを正面から見据えた正攻法のCM。テーマは“本物”です。世の中もそろそろ安定してきたし、消費者ともう一度しっかりコミュニケーションを取ろうと考えて作りました。既に認知度100%と言っていいキューちゃんが“今”の商品であることを伝えるためには、コンセプトを真正面から伝えるアプローチが必要だったんです」

40年以上に渡ってきゅうりのキューちゃんがロングセラー商品であり続けた理由が、ここにある。
“今”の商品であり続けること。そのため、決して懐かしい商品にしないこと。
確かに、食卓でご飯の脇に添えられたキューちゃんを見ながら、「懐かしいなあ」と思う人はいないはずだ。
漬物嫌いの子供でも、キューちゃんだけは進んで食べるという声をよく聞く。彼らにとって漬物はもう昔の食べ物だが、キューちゃんだけは“今”の食べ物なのだろう。
伝統的な漬物。誕生して43年。味わいは不変。それでいながら、まったく古さを感じさせないきゅうりのキューちゃん。日本人の食卓にこれほどしっかりと根付いた漬物は、他にない。

取材協力:東海漬物株式会社(http://www.kyuchan.co.jp/


新ブランドの育成を目指し、キムチ市場に参入
  2000(平成12)年発売の「熟うま辛キムチ」
   
 
「熟うま辛キムチ」が進化した「こくうま」   こちらは「プチこくうま」。関東地区限定にて新発売
 

経営資源という面から、東海漬物はキューちゃんに続く第2の基幹商品を育てようとしている。その筆頭候補がキムチだ。キムチは人口の動態変化に左右されにくく、20代から50代まで万遍なく売れるという。
同社は2000(平成12)年、本格白菜キムチ「熟うま辛キムチ」で業界に初参入。2004(平成16)年にはそれを日本人の味覚に合ううまみのあるキムチに進化させ、「こくうま」という商品名で発売した。これはかつお魚醤とイカごろを配合した点がポイントで、キムチとしてはコクがあるところから、売れ筋商品となった。覚えやすく美味しそうな印象を与えるネーミングもなかなかユニークだ。
そして2005(平成17)年の新製品が、「プチこくうま」。瓶詰めのキムチでは賞味期限内に食べきれないし、冷蔵庫に置いておくと臭いが気になるという消費者のために、「こくうま」を食べる分だけ開封できる小分けパックにしたものだ。4パックタイプと2パックタイプがある。こちらも東海漬物らしく、消費者ニーズをよく考えて作られた商品と言えるだろう。


撮影/海野惶世(タイトル部、プレゼント) Top of the page

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