「靴なんて1年に1回くらいしか磨かないな」と言う人は多いと思う。あるいは、朝、汚れが気になった時につや出しスポンジでサッと磨くくらい、という人がほとんどではないだろうか。
それでも、誰の家の下駄箱にも靴クリームの一つや二つは必ず入っているはず。もしかしたらその中に、嘴の長い奇妙な鳥のマークが描かれた丸い缶が入っているかもしれない。それも、かなり高い確率で。
キィウイの油性靴クリーム。ロゴは“KIWI”、愛称は“丸缶”。「ああこれか。うちにもあったんだ」下駄箱を開けたあなたはそう呟くに違いない。
今回は、世界中で愛されるロングセラー商品がこの日本でもそのままの形で日本に定着し、ロングセラーとなった希有なケースを取 り上げる。
キィウイブランドが誕生したのは1906(明治39)年、オーストラリアでのこと。創業者は、その8年前に一家でメルボルンに移住してきたスコットランド出身のウィリアム・ラムゼイだ。元々磨き粉などの生産技術を持っていた彼は、当時の粗悪な靴墨に目を付け、高品質な靴クリームを作れば売れるに違いないと考えた。
創業から2年後の08(明治41)年、同社初の製品「ダーク・タン」を発売。従来の靴墨とは異なり、靴を奇麗に着色したうえで艶やかな光沢を与える革新的な靴クリームは、あっという間に人気を博し、オーストラリア中に広まった。その後、キィウイはライト・タン、ブラックなど、カラーバリエーションを増やしていく。
ちなみにキィウイというブランド名は、ウィリアムの妻アニーがニュージーランド出身だったことから付けられた。同国の国鳥にもなっているキィウイは、飛べない鳥として知られる珍鳥。また、つがいが生涯を共にするほど仲が良いことでも有名だ。おそらく、ウィリアムは妻アニーをこよなく愛していたのだろう。
オーストラリア国内の好調な販売に勢いを得て、1912(大正元)年、キィウイはイギリスに進出した。ほどなくヨーロッパは第一次世界対戦に突入。キィウイ油性靴クリームが世界的に知られるようになったのは、実はこの戦争がきっかけだった。
当時、オーストラリア軍は連合国側の一員として対戦に参加していた。戦場を駆け回る各国兵士の軍靴は泥や土埃にまみれて常に汚れているのが当たり前だったが、なぜかオーストラリア兵の軍靴だけは、いつもピカピカに輝いていた。
彼らはキィウイの油性靴クリームを持参し、戦火の合間を見つけては丁寧に軍靴を磨き上げていたのだ。キィウイで磨いた軍靴は見た目が美しいだけでなく、皮をしっかり保護するため、耐久性もアップする。これに、連合国側の同士であるイギリス兵とアメリカ兵が目を付けた。キィウイは瞬く間に戦場での定番靴クリームとなっていった。
戦後、母国に帰った兵士たちが愛用し続けたことから、キィウイは一般層へも浸透してゆく。アメリカが空前の経済活況を見せた1920年代には、いわゆるローリング・トゥエンティーズの若者たちの間で大ヒット。キィウイは当時の若者文化のシンボルとして扱われた。この頃、キィウイ油性靴クリームは世界50ヶ国にまで販路を拡大。既に並ぶもののないベストセラー靴クリームとなっていた。 |