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グリコ アーモンドチョコレート
ニッポン・ロングセラー考 異色の存在から定番へ江崎イズムに貫かれたヒット作

アーモンドとの出合いから「1粒で2度おいしい」誕生まで

江崎利一が渡米した時の参加者集合写真。能率研究を目的としたテーラー協会日本支部主催による視察だった。

   
 

発売当時のアーモンドグリコ。大きい方が20円、小さい方は10円だった。ただしアーモンドが高価だったため、製造コストは高くついたという。

もうすぐ2月。今年も14日のバレンタインデーには、日本全国で無数のチョコレートがやりとりされるのだろう。今回はチョコレート界のロングセラー、グリコ「アーモンドチョコレート」の話である。
グリコの創業者、江崎利一がキャラメルのグリコを発売したのは1922(大正11)年。その後33(昭和8)年にはビスコを発売し、子供向け栄養菓子の分野で順調に業績を伸ばしていた。ただ、この2商品だけでさらに売上げを伸ばすのは難しい。54(昭和29)年、利一は大人向けのグリコを作ろうと考え、開発に着手した。

味は、チーズを作るときの副産物であるホエー(牛乳のエキスのようなもの)を使ったミルク系。試作品の出来は良かったが、利一は満足できなかった。
「これでは今までのキャラメルと同じだ。差別化するための何かが足りない」。
ホエーにプラスするには何が必要か? 研究所ではトロピカルフルーツや木の実など、ありとあらゆる材料が検討された。それでもなかなか満足すべき結果が出ない。ある日、利一が「これを使ってみてはどうだろう」と、懐から何かを取り出した。研究員の誰も見たことがない、不思議な木の実。
それが、アーモンドだった。

利一とアーモンドとの出合いは1930(昭和5)年にまで遡る。この年、彼はアメリカ産業視察団の一員として渡米し、約3カ月にわたって各地の会社や工場などを精力的に見学した。
その途中、シカゴやニューヨークのビルの入り口にあるナッツ専門店に利一の目が止まった。後年、彼はこう述懐している。
「間口一間くらいの小さな店で、ピーナッツなどのナッツ類を沢山売っている。その中で値段が一番高く、一番おいしいのがアーモンドだった」
初めて出合った豊かな味わいと香ばしさ。この時、アーモンドの存在は利一の舌と記憶に深く刻まれたに違いない。

それから25年後の1955(昭和30)年、満を持して「アーモンドグリコ」を発売。それは、利一が長年温めていたアイデアを初めて形にした菓子だった。口に含むとホエーのミルク味がし、噛むとアーモンドの香ばしさが出てくるところから、利一自らが「1粒で2度おいしい」という、あの有名なキャッチフレーズを考案した。
日本ではまだアーモンドがほとんど知られていなかった時代である。果たして、アーモンドグリコは爆発的なヒット作となった。誰もがアーモンドのおいしさを知り、「1粒で2度おいしい」を体験した。アーモンドの名は、全国的に知られるところとなった。


「他所ができないことをやるのがグリコだ」──貫かれた江崎イズム

 

発売当時のアーモンドチョコレート。大きな方は50円、小さい方は30円だった。白地に赤の十字、真ん中にアーモンドチョコをあしらったパッケージデザインの基本は、今も変わらない。

 

包装にこだわるのはアーモンドチョコレートの大きな特徴。これは後年発売されたスライドケース式チョコレート〈フライド〉の包装工場。

 

アーモンドの存在を世に知らしめたアーモンドグリコの功績は大きかったが、グリコが更に飛躍するためには、まったく新しい分野への進出が必要だった。
昭和30年代後半にかけ、菓子業界の様相は徐々に変わりつつあった。従来のキャラメルやビスケット類に変わり、チョコレートにスポットが当たっていたのである。当時の製品は、板チョコを銀紙で包装し、チョコレート色のラベルで巻いたものがほとんど。チョコレート分野へ進出することを決めたグリコは、基礎研究と平行して、既存のどの製品とも異なる独自のチョコレートの試作を開始した。

コーヒー味のチョコレートや、洋酒、ポップコーン、クルミ、ピーナッツなどを入れたチョコレートを次々と作るなか、利一たち研究陣が辿り着いたのは、やはりアーモンドだった。それも、チョコレートひと山に1粒のアーモンドをそっくりそのまま入れるという斬新な手法。
当時、一部の市場では砕いたアーモンドをランダムに入れたチョコレートが市販されていたが、丸ごと1粒というのは前代未聞だった。しかもアーモンドはカリフォルニア産の最高級品、ノンパレル種を使用。その香りを引き立てるため、処理方法はロースト製法にした。一方、チョコレートの味は市場調査の結果、人気の高かったミルク系に決定。既存の製品との違いを明確に打ち出すため、パッケージもラベル巻きではなく箱入りにし、セロファンをかけて高級感を出すことにした。

何から何まで新しいことづくめ。当然、製造現場では混乱が続いた。最も困ったのは、チョコレートひと山に1粒ずつアーモンドを入れる機械の開発が遅れたこと。競争が激しい業界ゆえ、画期的な製品は少しでも早く市場に投入したい。周囲には「おいしさが変わらないなら砕いたアーモンドを入れてもいいのでは」という声もあったが、利一は頑として譲らなかった。
「砕いたアーモンドを入れたものなら他所でもできる。できないことをやるのがグリコだ。時間が掛かってもかまわない。それまでは人手を掛けてでもやるんだ」
誰もやっていないことだからやる──これこそ創業時から続くグリコの精神、"江崎イズム"そのものだった。

1958(昭和33)年2月、「アーモンドチョコレート」はまず京阪神地区で売り出された。テストセールを省いたいきなりの大勝負。しかも製造現場は機械化が間に合わず、手作業部分を残したままの見切り発車だった。チョコレートはしゃもじでモールドに詰め、ヘラでならした。驚くべきことに、アーモンドは1粒ずつピンセットでチョコレートに入れていたのである。
危惧されたのは製造工程だけではなかった。アーモンドのグラム単価はチョコレートの2倍以上。高級感を出すため箱入りやセロファン包装を選んだ結果、商品の値段は50円と30円になってしまった。これは当時の板チョコに比べるとかなりの割高。特約店の前評判も今一つだった。


広告と販売は胃と腸のように1本でつながっている

 

代理店任せにするのではなく、メーカーの営業担当自らが特約店や小売店を回って商品を拡販していった。

   
 
発売当時の広告ポスター。アーモンドが粒のまま入っていることを強調している。実物見本進呈も紙面で告知した。

難しい条件下での発売となったアーモンドチョコレートだったが、グリコはこの商品に社運を賭けていた。総合菓子メーカーに脱皮できるか、キャラメルとビスケット菓子だけの会社で終わるか。
同社は成功を期して、京阪神地区での発売に合わせ、店頭での販促と広告キャンペーンに全力を注いだ。まず、短期間のうちに主要店舗にそのまま陳列されるよう専用陳列台に製品をセット。同時に主要新聞4紙に大々的な広告を打ち、5万名を対象にした実物見本進呈キャペーンを実施した。その後、製品の中に券を封入して、当時としては型破りな「山小屋が当たる」キャンペーンを行った。
努力は実を結んだ。アーモンドチョコレートは当初の不安が嘘のように、好調な売れ行きを示したのである。

4月には、ひと山に1粒ずつアーモンドを入れる機械の開発に成功。遂に10月からは首都圏での発売に踏み切った。
ここでも、同社は積極的な広告展開を実施。連続的な新聞広告と車内吊り広告、更には宣伝のためにラジオ番組を企画し、三木鶏郎作詞作曲によるCMソングを作ってラジオやテレビで繰り返し放送した。
アーモンドチョコレートは首都圏でもヒット商品となった。同社は発売後4年で東京工場を増設。異色と呼ばれたチョコレートは、年を追う毎にグリコの看板商品となっていった。

グリコがこれほどまでに広告や販促に力を注いだのはなぜか。
「製品がどんなに優れていても、それだけでは販売戦に勝てない。広告と販売は胃と腸のように1本でつながっている」。生前、利一は口癖のようにこう語っていたという。実際、彼はすべての広告原稿に目を通し、時には社員と一緒になってコピーを考えていた。広告の重要性を誰よりも理解している男だったのだ。1935(昭和10)年、大阪ミナミの戎橋に建設した有名なネオン塔は、その象徴なのかもしれない。

1962(昭和37)年春、アーモンドチョコレートに更なる追い風が吹いた。ベルギーのモンド・セレクション事務局から、ナッツ部門で1位になったという知らせが届いたのである。モンド・セレクションは高品質な食品を選定する世界的な権威。受賞は日本で初めての快挙だった。

 
モンド・セレクション受賞の伝達式にて。
メダルを受け取っているのが創業者の江崎利一。受賞は新聞やテレビなどでも報道された。

 
キーワードは"青春"──若者の心をつかんだ巧みなCM戦略

「アーモンドチョコレート〈プルトップ〉」。煙草の箱のようなデザインで高級感があった。

 
   

ヒット商品となった「アーモンドチョコレート〈フライド〉」。複雑なスライドケースは機械化が間に合わず、1年以上にわたって手作業が続いたという。

 
新製品「アロマーモ」。エチオピア産モカ100%のコーヒー豆を、凍結微粉砕してチョコレートに練り込んでいる。
現行のアーモンドチョコレート。キャンディコートしたアーモンドを高温でフライし、香ばしさを更にアップ。
コンビニなどでよく見掛けるるのがこの小袋タイプ。6粒入りで100円ほどと値段も手頃だ。
 
 

モンド・セレクション受賞後、アーモンドチョコレートは消費ニーズに応じた新製品をラインアップに加えながら変遷を重ねてゆく。
1965(昭和40)年、縦型のパッケージを採用し、カットテープを切ると同時に取り出し口が開く「アーモンドチョコレート〈プルトップ〉」を発売。68(昭和43)年には、女の子向けの「赤(ミルク)」と男の子向けの「白(セミスイート)」に商品をセパレートした。
その翌年にはアーモンドを独自の製法でフライした「アーモンドチョコレート〈フライド〉」を発売。この商品はそれまでの板チョコスタイルではなく、チョコレートを1粒ずつ丁寧に金紙で包装していた。パッケージも新形式のスライドケースを採用。こうした新しさが市場で評価され、フライドもまた人気商品となった。

1971(昭和46)年には「アーモンドチョコレートXO」、1973(昭和48)年には「アーモンドチョコレートXA」を発売。値段は共に150円。当時の高価格市場を狙った商品だった。
この頃から、グリコは広告に新しい手法を取り入れるようになった。テレビCMに人気若手タレントを起用し、印象的なイメージソングで視聴者のハートを一気につかむという作戦だ。
出演タレントには近藤正臣、志垣太郎、森田健作、岡田奈々、田中健などを、歌手には松崎しげる、チューリップ、松山千春などを次々と起用。「青春のひと粒」「カリッと青春」など、"青春"をキーワードにした宣伝コピーを覚えている人も多いだろう。
中でも有名なのは、77(昭和52)年に松崎しげるが歌って大ヒットした「愛のメモリー」。この曲はレコード会社とタイアップしたイメージソングの走りとなった。

1978(昭和53)年、グリコは1粒チョコレートの用途開発として「おもてなしキャンペーン」を展開。これは1粒チョコをお皿に盛りつけ、紅茶を入れて友人やお客様をもてなしたり、ウイスキーやブランデーのおつまみとして勧めるという、新たな食べ方の提案だった。
80年代以降、消費者ニーズが変化すると共にチョコレートも多様化が進むが、1粒ごとに包装してあるアーモンドチョコレートは、じっくり味わって食べるチョコレートとして既に確固たるポジションを築いていた。アーモンドチョコレートが最も売れた時期も、70年代半ばから80年代半ばにかけてである。

90年代後半から、チョコレートの多様化がますます進んだ。現在のグリコは、ふっくらサックリした食感の「ほわわ」や、コーヒー豆を粉砕して練り込んだ「アロマーモ」といった新感覚のチョコレートを発売し、変化する消費者ニーズに応えようとしている。
アーモンドチョコレートは数年前に店頭効果を考えてパッケージを大型化したほか、気軽に食べられるよう、新たに小袋タイプとパウチタイプをラインアップした。さすがに昔ほどの勢いはないが、今も同社菓子部門の重要な製品であることに変わりはない。

菓子業界では、1,000種類の新製品が誕生しても、その内、生き残るのは3つ程だと言われている。10年続く製品ですら滅多に生まれないという、厳しい業界なのだ。
そんな中にあって、アーモンドチョコレートはもう48年も定番であり続けている。時代の空気や消費者の嗜好に合わせて微妙に味を変えてきたが、まろやかなチョコレートの味わいとアーモンドの香ばしさは変わっていない。
カリッとアーモンドを噛み砕いた時、創業者・江崎利一の声が聞こえたような気がした。
「誰も作ったことがないチョコレートだからこそ、今も続いているんだよ」

 
取材協力:江崎グリコ株式会社(http://www.glico.co.jp

職場のお菓子ニーズを開拓するか?──「オフィスグリコ」の試み
オフィスグリコのリフレッシュボックス。この小さな箱が職場の菓子需要を開拓するかもしれない。
  「オフィスグリコ」を御存知だろうか? これは職場にグリコ菓子の専用ボックス「リフレッシュボックス」を設置し、同社の販売員が定期的に(通常は週に1回)訪問して商品補充や代金の回収を行うサービスのこと。考え方は昔からある「富山の薬売り」の"置き薬"に近い。リフレッシュボックスにはポッキーやプリッツ、キスミントなど10種類程度の菓子が入っており、値段は1個100円。欲しい人はお金を投入し、箱を開けて自分で菓子を持っていく仕組みだ。ボックスには菓子の他、アイスクリームの専用冷凍庫とアイスクリーム、飲料の冷凍冷蔵庫がある。
同社がこのサービスを始めたのは、1999(平成11)年の関西地区が最初。職場では小腹満たしやちょっと一息といった気分転換など、お菓子に対するニーズが眠っているはず、という判断から導入した。今は販売センターを東京、名古屋、九州にも拡大している。
面白いのはマーケティング調査の結果。実施前はOLの需要が多いと想像していたが、実際は7割が30〜40代の男性だったという。疲れた時に甘いものが欲しくなるのは男の方、ということなのだろうか。引き出しの中にチョコレートやお菓子を隠している甘い物好きのオジサンも、会社にオフィスグリコがあればコソコソせずに済むかもしれない。

撮影/海野惶世(タイトル部)、ジオラマ制作/小湊好治 Top of the page

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