一般的なペンは、インク、ペン先、本体からなる3つの要素で作られている。
紙に書いても滲まず、裏写りしないペンを作るには、何よりもまずインクを水性化しなければならない。だが、1960年代前半、中綿(インク吸蔵体)を使った水性ペンは、世界中のどのメーカーもまだ開発していなかった。
ぺんてるが作ったのは、発色が良く、滲みも少ない新しい染料インク。素人考えでは、ぺんてるペンの油性インクをこのインクに変えるだけで良いように思えるが……。
「そうはいきません。中綿にインクを吸い込ませ、ペン先に一定量のインクを染み出させる仕組みは同じですが、水性インクは油性インクに比べると粘性が少ないんです。同じ中綿やペン先を使うと、インクが漏れてしまう。インクを良く含み、適度に吐出する中綿とペン先を作る必要がありました」
これが大変だった。ぺんてるペンの中綿とペン先にはアクリル繊維を採用していたが、新開発の水性インクに合わせ、更に細かい工夫を施す必要があったのだ。
棒状に固める中綿の繊維は、縦方向のものを厳選して使用。細字化するため、ペン先はぺんてるペンの約2.5倍の強度を確保した。もちろん、繊維の接着剤や成型条件もぺんてるペンとは異なる。中綿とペン先の開発には、数え切れないほどの試行錯誤が繰り返された。
本体のデザインも難しかった。開発者たちの念頭にあったのは、既存の筆記具にはない新しいデザイン、そして真似されにくいデザインだったという。
「ペンは構造がシンプルですからね。真似するのは簡単なんです。そこで、当時一般的だった丸形を基本に、後部を転がりにくさやフィット感、高級感などを考えて六角形にしました」
今は見慣れたこのデザインも、当時は類例のない斬新なものだった。ところがこの形にしたため、従来の押し出し成型を使うことができなかった。仕方がないのでオス型とメス型ふたつの金型を組み合わせるインジェクション成型方式を採用。まず簡単な図面を書き、バルサ材を削ってモックアップを自作する。次に金型屋に依頼し、真鍮で倍寸の精細モデルを作ってもらう。これを元に特殊な旋盤を使って、実寸の金型を作った。
完成した金型に原材料の成型しやすいスチロール樹脂を流し込み、芯(コア)ピンを抜けば本体が出来上がる。実はこのインジェクション成型方式には後に、キャップが密封できないといった問題が見つかるのだが、何はともあれ、開発がスタートして3年後の1963(昭和38)年、ぺんてるはついに第4の筆記具の発売にこぎつけた。
商品名は、想定する用途と語呂の良さからシンプルな「サインペン」に決定。用意された色は黒・赤・青の3色。本体の色はみなベージュで、尾栓をインクと同色にして区別した。価格は油性ペンとほぼ同じで、1本50円。儲けがほとんどないバーゲン価格だった。
発表の場は、同年1月に開催される東京文工連見本市。世界初の水性サインペンを完成させた若井さんたちは、当然のように高評価を期待していた。
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