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満を持して発売した「スペアミント」。6枚入りで20円だった。 |
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初代「グリーンガム」。深緑、赤、白の基本カラーはこの時から。6枚入り20円。 |
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初代「クールミントガム」。ペンギン、鯨、氷山のイラストがシンボル。6枚入り20円。 |
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ロッテは全国の卸店、小売店ネットワークを作り、強力な販売網を確立した。 |
1954年(昭和29)10月、ロッテは板ガム研究の成果として「スペアミント」を発売。これは天然チクルと厳選した各種原料を配合したチューインガムで、スペアミントの清涼感を前面に打ち出していた。この新鮮な味と品質の高さが市場で大きく評価され、スペアミントはヒット商品に育っていく。
その後、ロッテは天然チクルを配合した板ガムの製造技術を確立し、工場を拡張。板ガムの大量生産を開始する。
スペアミントでミント系ガムの基礎を作ったロッテが次に送り出したのが、1957(昭和32)年4月発売の「グリーンガム」だった。
キャッチフレーズは「森林の緑の爽やかさとペパーミントの爽やかさ」。葉緑素(クロロフィル)を配合し、ガムの脱臭作用、殺菌作用をアピールするこのガムは、「お口のエチケットガム」として発売当初から人気を集める。男女のデートが盛んになってきたという時代背景もあるが、発売翌年に始まった玉置宏司会のテレビ番組「ロッテ歌のアルバム」による宣伝効果が大きかった。
ちなみに天然チクルの正式輸入が認められたのもこの頃。その後ロッテは天然チクルの入手ルートを商社経由から自社買い付けに変更し、より高品質なガムベースの生産を実現する。
その3年後の1960(昭和35)年6月に登場したのが、「クールミントガム」だ。こちらは「大人の辛口、南極の爽やかさ」がキャッチフレーズで、当時としては珍しいくらいに強烈なミント味を特徴としていた。
お口のエチケットを訴求するグリーンガムに対し、クールミントガムはリフレッシュメントを訴求。これもまた発売当初から大きな話題を呼び、好調な売れ行きをした。
ちなみに、当時のクールミントガムのパッケージには、南極を想起させるペンギン、鯨、氷山のイラストが描かれていた。これは56(昭和31)年、ロッテが南極観測隊用の栄養ガムを納入したことを背景にしているという。強烈なミントの爽やかさを、南極のイメージで表現したわけだ。
グリーンガム、クールミントガムという2種類の看板商品を持つようになったロッテは、販売面でも常識を破る流通戦略を実施していく。
その具体例が、末端の小売店を直接把握するための販売促進制度だった。ロッテは特約店向け、仲卸店向け、卸店店員向けに組織を作り、それぞれに専任の販売促進スタッフを対応させた。販売促進スタッフの合い言葉は「常全多前」。意味するところは、「ロッテの製品は、常時、全種、多量に、しかも前方に陳列されていなければならない」だった。
彼らの尽力により、ロッテのチューインガムは全国津々浦々の小売店に置かれるようになる。
販売に寄与したもうひとつの施策は宣伝だった。「天然チクルのロッテ」を流通だけでなく一般消費者にも浸透させようと考えたロッテは、1961(昭和36)年、世間をアッと驚かせるキャンペーンを打ち出す。
それが、特賞1000万円という懸賞企画だった。公務員の初任給が1万4200円だった時代の1000万円だから、今なら1億円以上の価値になる。過去に類を見ない大型懸賞に、日本中が騒然となった。
「天然チクルのロッテガム50円で特賞壱千万円ズバリ当る」──この広告を見て寄せられたハガキの総数は、なんと760万通。あまりに過熱化しすぎたため、翌年には景品表示法が制定され、このような大型懸賞は姿を消すことになった。
この懸賞をきっかけに、ロッテはガム業界で、ついに売上げトップの座を獲得する。
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世間を驚かせた「1000万円懸賞」。当選発表は有楽町の日劇で行われた(当選者は1人)。 |
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