1964(昭和39)年の東京、銀座みゆき通りに現れた風変わりなファッションの若者たち。“みゆき族”と呼ばれた彼らは、こんな格好をしていた。
アウターはナチュラルショルダーでずん胴型シルエットのスーツやブレザー。インナーは洗いざらしのボタンダウンシャツ。ボトムはシンプルなコットンパンツで、なぜかくるぶしが見えるほど裾を上げている。小脇に抱えているのは、「VAN」のロゴが入った紙袋……。
アイビールックはアメリカに生まれ、日本ではVANヂャケットが火を付けて大きなブームになった。団塊の世代にとっては、リアルタイムで経験した大きなファッションムーブメントであり、60年代以降の若者文化の象徴として語られることも多い。
彼らのファッションは洋服だけに止まらなかった。ヘアスタイルも、短髪を七三分けにしてきちんと整えるアイビーカットに変わったのである。
40年代のGIカット、50年代の慎太郎カットに代表されるように、若者のヘアスタイルは徐々に短髪へと変わりつつあった。それまで多かったのは、戦後間もなく流行り出したリーゼントやオールバック。そこで使われたのは、油性でベタっとした使用感のあるポマードや固形整髪料のチックだった。だがアイビーカットは髪を自然のままソフトに仕上げるため、ポマードやチックではうまく整髪することができない。
みゆき族はポマードやチックには見向きもせず、発売されたばかりの新しい整髪料に目を向けた。
彼らがまず手に取ったのは、1962(昭和37)年にライオン歯磨(現ライオン)から発売された「バイタリス」だった(米ブリストル・マイヤーズ社の製品を提携販売)。油性の液体整髪料なので、ポマードやチックに劣らない整髪力を持ちながらも、テカテカ、ベタベタしない。若者向けのマーケティングが功を奏したこともあり、バイタリスは瞬く間に若者たちの間に浸透していった。
これを悔しい思いで見ていたのが資生堂だった。50年代半ばから後半にかけて、化粧品業界は女性化粧品の売れ行きが伸びず、どのメーカーも打開策を模索していた。その筆頭が欧米でマーケットが成立している男性化粧品、なかでも液体整髪料の分野で、各メーカーは新商品の開発に力を注いでいたのである。
資生堂は1959(昭和34)年、それまでバラバラに発売していた男性化粧品を統一し、「資生堂男子用化粧品」として新たに発売していた。「ブランド戦略」という言葉は当時まだなかったものの、販売面は好調。だが、ここにはまだ液体整髪料は含まれていなかった。
資生堂が液体整髪料「資生堂MG5リキッド」(香りはラベンダー、ジャスミンの2種)を発売したのは、バイタリスに遅れること約半年、63(昭和38)年2月のことだった。半液体の「資生堂MG5ソリッド」とともに発売され、当時の価格は300円。その後、他社からも次々と液体整髪料が発売され、男性化粧品業界はさながら液体整髪料革命が起こったかのようだった。
しかし、先行したバイタリスは強かった。販売面ではどの製品もバイタリスに追いつくことができなかったのである。 |