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ニッポン・ロングセラー考 Vol.47 伊藤ハム ポールウインナー 誰も思い付かなかったセロハンフィルム包装

2度の失敗経験が培った不暁不屈の精神

伊藤傳三氏

伊藤ハムを創業した伊藤傳三。自らの会社を育てるだけでなく、食肉加工業そのものの発展に貢献した。

飲み屋での会話。ソーセージの盛り合わせを前に、中年男数人がビールを飲んでいる。
「そういえば子供の頃、ソーセージを良く食べたな。おやつがわりに」
「そうそう。ちょっと太めの魚肉ソーセージだった。金具を歯で食いちぎってさ」
「それは東京の子供の記憶やね」こう言ったのは、関西出身の男である。ソーセージにまつわる彼の記憶は、ほかの男たちとはちょっと違っていた。
「東京のソーセージは魚肉やろ。関西は畜肉や。わしの体の半分はポールウインナーでできてんねんで」
「ポールウインナー?」
「伊藤ハムのポールウインナーやがな。あれ、知らんか?」
「……」ほかの男たちは皆、怪訝そうな顔をしている。

今から約80年も昔の1928(昭和3)年。大阪市北区深田町(現・南森町)の一角に、弱冠20歳の青年が小さな会社を立ち上げた。青年の名は伊藤傳三。会社の名は伊藤食品加工業。資本金2000円はすべて借金でまかなった。設立の目的は食肉加工だったが、とりあえず、経験のあった海産物の加工販売から始めた。
傳三が作ったのは海苔の佃煮。これが順調に売れ、会社は軌道に乗り始めた。が、創業の翌年に起こった世界恐慌に飲み込まれ、あえなく倒産。無一文になった傳三は東京へ出て、再起のための蓄えづくりに励むことになる。

やがて関西へ戻った傳三は、わずかな資本を元手に、神戸市葺合区(現・中央区)に新しい工場を造った。やりたいのはやはり食肉加工。だが昭和初期はまだ畜肉の生産量が限られていた。思案した傳三はオリジナルレシピを活かした魚肉ソーセージを製造。普通の畜肉ソーセージが100匁(375g)45銭だったところ、100匁25銭でデパートに売り込んだ。
安くて美味しい傳三の魚肉ソーセージは好評だったが、思わぬトラブルが発生した。
ケーシング(ソーセージの表皮部分)に使用した豚腸や羊腸に小さな穴が開いていて、日が経って乾燥すると中から水気が浸みだし、バクテリアが繁殖したのである。
デパートからは返品が相次ぎ、傳三はやむなく工場を閉鎖した。二度目の大きな挫折だった。

ここで終わっていたら、現在の伊藤ハムはなかったかもしれない。幸いにも傳三には、商品開発にかける人並み以上の熱意と、不暁不屈の強靱な精神力があった。
その後は缶詰工場の顧問として働きながら、衛生試験所や図書館に通って食品化学を勉強。念願のハムやソーセージなどを作るための知識と技術を身に付けていった。
その結果、食肉加工品の製造にとって最も重要なのは温度管理であることが分かった。原料肉を水洗いし、一定の温度を保ちながら塩漬けにして熟成させる。原料同士が結合したら、ケーシングに充填して加熱処理する。あとは販売先の冷蔵庫で保管すれば良い。
本格的なハムやソーセージを作る自信はできた。が、自分には資本力がないので、大手メーカーと同じものを作っても勝ち目はない。今までにない独自の商品を作らなければ……。傳三の頭の中に、あるアイデアが閃いた。


糊の問題を克服して生まれたセロハン・ケーシング

初代セロハンウインナー
初代のセロハンウインナー。「ポールウインナー」という商品名はまだなく、伊藤ハムの刻印があるだけだ。
 
神戸工場

セロハンウインナーのヒット後、神戸市灘区に造った工場。その後の伊藤ハムの発展は、ここがベースとなった。

魚肉ソーセージでの失敗は、ケーシングが不完全だったことが原因だった。肉汁が漏れてネト(糸を引く粘液)ができたりしないケーシングがあれば、衛生的にも問題はないし、豚腸や羊腸など天然腸のケーシングよりも長期保存がきく。
傳三が目を付けたのは、セロハンだった。セルロース(植物細胞の繊維成分)を加工して作るセロハンは1930年代から産業界での利用が進み、既に食品パッケージなどで使われていた。
セロハン自体は断ち屑で充分間に合うから、いくらでも手に入る。傳三は竹製の金尺物差しを紙ヤスリで削り、ケーシング製造の型を作った。これにセロハンを巻き付け、糊で接着すればケーシングができるはずだった。が、ここで思わぬ問題が発生した。

ソーセージに含まれる水分でケーシングが膨張し、接着部分から破裂してしまうのである。
原因は、接着に使ったアラビア糊にあった。アラビア糊は天然のアラビアゴムから作られる天然糊で、水に弱いという弱点があったのだ。
もっと丈夫な糊が必要だ──傳三は頭を抱えたが、ある時ふと、図書館通いをしていた時に読んだ本から、コンニャク糊のことを思い出した。これはコンニャクイモを細かく砕き、熱を加えて作る糊のことで、水に濡れても剥がれにくい性質がある。一般には太平洋戦争末期、日本軍がアメリカ本土を爆撃するために飛ばした風船爆弾に使ったことで知られている。傳三はそれより10年も前に、コンニャク糊を平和利用していたのだった。

1934(昭和9)年、傳三は世界初のセロハンウインナーを完成させた。原材料は豚肉が85%、ほかに兎肉などを使った。工場はまだなく、完全な手作りである。当初は妻がセロハンでケーシングを作り、傳三がその中に10匁(37.5g)ずつソーセージを詰め合わせていった。ケーシングの先端には現在のような金具ではなく、紐を使った。
思いどおりのソーセージはできた。問題は、これをどう売るかだった。傳三は手始めに神戸の売店や飲食店を回って売り歩いた。売値は1本5銭。売店はそれを20銭、バーやカフェは30銭という値段でお客に売った。決して安くはなかったが、これが飛ぶように売れた。戦中・戦後の混乱期で食糧事情が悪かったこともあるが、1本10匁という定量販売だったこともプラスに働いた。当時の天然腸ケーシングを使ったソーセージは容量がまちまちなので、店頭での量り売りが中心。店にとってもセロハンウインナーは、売上げの計算がたてやすかったのだ。

「セロ1本くれ」──酒のつまみになるセロハンウインナーは、バーやカフェでの人気が高かった。冬は湯煎して温め、カラシを付けて食べる。今は当たり前のこんな食べ方を流行らせたのもセロハンウインナーだった。
注文は次々と入ってきたが、生産は妻と2人だけの手作りだからとても間に合わない。しかも資本が少ないから、材料費がなくなると作りたくても作れない状態に陥った。
新しい工場の設立を考えた傳三は、資本を集めるために画期的な方法を思い付く。それが、セロハンウインナーの引換券だった。用意したのは11枚綴りの5円券と22枚綴りの10円券。購入者は5円券で50銭、10円券で1円得する計算になった。その代わり支払いは前金が原則。これで、傳三は200円近くを集めることができた。
神戸市灘区備後町に新工場を造り、伊藤栄養食品工業を設立したのは1948(昭和23)年。セロハンウインナー誕生から14年が経過していた。


最大の謎「なぜ関西でしか売られていないのか?」

第2世代パッケージ

60年代のパッケージ。まだポールウインナーの商品名は印刷されていない。

 
ポスター

関西におけるポールウインナーの人気は圧倒的だ。スーパーでは食肉コーナーの最も目立つ場所に陳列されている。

1950〜60年代にかけてセロハンウインナーは、地元の関西を中心にその販売量をどんどん増やしていった。1950(昭和25)年には問屋を通さず、営業マンが独力で各店舗に商品を売り込んでいくルートセールスを導入し、関西一円の販売店を開拓。この時点で、京阪神地区におけるセロハンウインナーの存在は確固たるものとなった。
もちろん競合製品も数多く発売されたが、原材料の熱処理問題や味付け、コンニャク糊の使い方などセロハンウインナーには独特のノウハウがあったため、人気はまったく揺るがなかった。
その後、セロハンウインナーには「ポールウインナー」という正式名称が付けられた。

高度経済成長期、ポールウインナーの知名度をさらに高めたのは、地元の関西を中心に採用された学校給食が挙げられるだろう。1965(昭和40)年のことだった。
地域によって違いはあるが、コッペパンやマーガリンなどと共に、たまに半分ほどの長さのポールウインナーがメニューとして提供された。当時の子供たちにとってそれは、食事のメニューというよりおやつだった。学校でポールウインナーを食べ、家に帰ってお腹が空けば、冷蔵庫に入っているポールウインナーをむしゃむしゃ食べる。夜になると今度は父親がビールのつまみにポールウインナーをかじっている……。
一昔前の関西の家庭では、こんな光景がごく普通に見られた。関西出身の中年層にとってポールウインナーは、子供の頃の記憶に直結する思い出深い食べ物なのである。

それにしても不思議なのは、ポールウインナーが関西でしかその存在を知られていないことだろう。70年以上の歴史を持ち、他を圧倒するほどのガリバー商品であり、伊藤ハムのソーセージ類の中では4番目に多い販売量を誇る主力商品(生産量は1日30万本!)なのに、関西以外での知名度となると、ほとんどゼロに近い。数多いロングセラー食品の中でも、これほど地域限定の商品はほかに思い浮かばない。なぜこんなことになったのだろう?

実は取材を受けてくれた同社広報室の担当者も、詳しい理由は分からないという。ただ、かつて何度か東京への進出を図ったことはあるようだ。伊藤ハムは1959(昭和34)年に目黒工場を開設している。おそらく60年代から首都圏への進出を本格化させたと思われるのだが。
「本当になぜか分からないんです(笑)。関西以外では既に魚肉ソーセージが普及していたから、という説がありますけどね。魚肉ソーセージの味に慣れていたら、ポールウインナーの味は『何これ?』となるでしょう。もうひとつ考えられるのは、畜肉ソーセージなので魚肉ソーセージより値段が高かったことですね。今でも10本入りで550円ですから」
ほかにも首都圏では営業力のある競合メーカーがあったからなど諸説あるが、正確なところは分からない。関西名物ポールウインナー、なんとも謎めいた存在なのである。


 
73年にわたって変わらない味とパッケージ

第3世代パッケージ
第4世代パッケージ

CIを導入し、新マークを採用した1980年代前半のパッケージ。創世児とソーセージをかけているところが微笑ましい。

1998(平成10)年、創業70周年を迎えたときの記念パッケージ。ポールウインナーは創業6年後に誕生している。
現行パッケージ
2本入りパッケージ

現在のパッケージ。といっても10年前のものとほとんど違いはない。来年は創業80周年記念パッケージが出るかも。

2本入りパッケージ。主にコンビニで販売されている。
かんたんカット

パッケージ裏面に表示されている「かんたんカット」。赤いテープを剥がし、先端を上に引っ張るだけでフィルムが剥がれる。金具をかじって開ける必要がなくなった。

関西以外の人々から見ても、ポールウインナーは不思議な存在だ。
一般にいうウインナーソーセージは、直径15ミリ前後、長さ5センチ前後のころんとした小さなソーセージのことを思い浮かべるだろう。昔は真っ赤な天然腸に包まれたウインナー(いわゆる赤ウインナー)が主流で、母親はよく子供のお弁当にタコの形に切ったウインナーを入れてくれたものだ。そうしたウインナーは、ボイルまたはフライパンで火を通してから食べるのが普通。加熱処理されているので本当はそのままでも食べられるのだが、たいていは火を通していたはずだ。

そう、ポールウインナーはウインナーと名付けられているが、全然ウインナーらしくないのである。日本農林規格による定義では、ウインナーは「羊腸または直径20ミリ未満の人口ケーシングに詰めた畜肉ソーセージ」のことを指す。ポールウインナーは間違いなくウインナーソーセージなのだが、形は細長く、フィルム包装されており、おやつ代わりにそのまま食べられる。
初のスティック型ウインナーソーセージという捉え方が正しいのだろうが、もしかしたらここが関西以外では受け入れがたかった点なのかもしれない。「ウインナーなのかソーセージなのかどっちなんだ?」という反応である。
おそらく、関西の人々の反応はまったく違っていたのだろう。「そんなん、どっちでもええやん。旨いんやから」という具合に。

地元で生まれたこの独特のウインナーソーセージを、関西の人々はこよなく愛してきた。
ポールウインナーが誕生して今年で73年目。工場で大量生産されるようになった1940年代半ば以降、ポールウインナーはその味とパッケージのデザインをほとんど変えていない。
原材料の畜肉には豚肉・マトン・牛肉を使用。パッケージは過去何度か変更されているが、その印象はほとんど変わらない。赤みを帯びたシンプルなデザインの外装は、関西の人々にとっては一目でポールウインナーと判別できるアイコンとなっている。変わったのは、1996(平成8)年に衛生的な観点から「かんたんカット」が取り入れられたことくらいだろう。
現在販売しているのは10本入りのメインパッケージのほか、5本入り、2本入りの少量パッケージ。2本入りは主にコンビニで売られている。

広報の担当者によると、ポールウインナーは過去に数回CM放映しただけで、ほとんど宣伝らしい宣伝をしていないという。関西では早い段階から多くの人々に受け入れられたため、宣伝の必要すらなかったのだ。
もちろん、伊藤ハムは昔からずっと全国でポールウインナーを売りたいと思っていたはずだ。が、幸か不幸かそれは果たせなかった。そして、関西でしか売れなかったゆえに、いつの間にか関西以外の地域では想像も付かないような大きな存在になっていた。
「わしの体の半分はポールウインナーでできてんねんで」
飲み屋でこう言った関西出身の中年男は、今も帰省するたびにポールウインナーをまとめ買いするそうである。

 
取材協力:伊藤ハム(http://www.itoham.co.jp/
     
郷愁を誘う専用Webサイト「ポールウインナー商店」
専用Webサイト

専用Webサイト「ポールウインナー商店」(http://itoham.mediagalaxy.ne.jp/pole/)。

関西ではどこのお店でも売っているポールウインナーだが、残念ながら関西以外の地域では扱っている販売店が極端に少なく、なかなか買うことができない。全国に散らばった関西出身の人々は、近所のスーパーでポールウインナーを買えないことに驚くという。そして魚肉ソーセージをかじりながらこう思うらしい。「やっぱりソーセージはポールウインナーやで。関西人はあの味でないとあかん」
義理堅い関西の人々の要求に応えるべく、伊藤ハムは2003(平成15)年9月、専用Webサイト「ポールウインナー商店」を開設した。ポールウインナーを通信販売で買えるのはもちろんだが、少数ながら販売店舗のリストもあるので、近くの店を探すこともできる。それ以外にも、開発の裏話や誕生までの歴史を紹介したり、ファン同士が交流を図る掲示板コーナーも用意されている。全国に散らばったポールウインナーファンの熱い想いが伝わってくる掲示板は、食品が持つ文化的な影響力を感じさせてなかなか興味深い。昭和30年代の町中をテーマにしたノスタルジックなデザインもまた、関西を離れて暮らす中年層の郷愁を誘う。

 
撮影/海野惶世(タイトル部) タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 Top of the page

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