|
大阪市都島区にあるシード本社と本社工場。工場はベトナムにもある。 |
|
1943(昭和18)年の三木康作ゴム製造所カタログに掲載されている消しゴム。 |
|
|
レーダー発売以前のシードのプラスチック消しゴム。スリーブレスで色が付いている。 |
青いケース(スリーブ)に入った、真っ白なプラスチック消しゴム、シードの「レーダー」。と聞いて、スリーブに描かれた「Radar」のロゴをすぐに思い出せる人は、おそらく関西出身に違いない。
レーダーを作った株式会社シードは、大阪の都島区にある。ずっと関西を中心に販売展開してきたため、関東ではレーダーの名もシードの名も意外と知られていないようだ。子供の頃に馴染んだレーダーを東京でほとんど見かけないので、不思議に思っている関西出身の読者は、案外多いのではないだろうか。「あの有名なレーダーをなぜ売ってないんだろう?」と。
シードは1915(大正4)年の創業。当時は三木康作ゴム製造所という社名で、天然ゴムを加工し、ゴムチューブやマット、ホースなどを作っていた。消しゴムも作っていたが、数多い生産品の中のひとつに過ぎなかった。
この頃の消しゴム市場はどのようなものだったのか。明治政府が義務教育を制度化したため、明治中期から昭和初期にかけて文房具の需要が急拡大した。鉛筆が普及するにつれて消しゴムの需要も増えたが、大正時代に数社の消しゴムメーカーが誕生しても、ほとんどの需要は外国からの輸入品でまかなわれていた。天然ゴムの国産消しゴムは、品質の点でなかなか外国製品に追いつけなかったのだ。
三木康作ゴム製造所は1950(昭和25)年にシードゴム工業と改称し、消しゴム専業メーカーとして再スタートを切る。背景には、幅広い製品を手掛けるよりも、有望な市場へ特化した方が得策という経営判断があった。
この頃、シードに限らず消しゴムメーカーには共通の悩みがあった。天然ゴムは自然素材だから価格の相場変動が激しい。製品の品質を安定させるのにも苦労していた。「天然ゴムに代わる新しい素材はないだろうか?」どのメーカーもそう思っていたところに、あるところから軟質塩化ビニルを使うというアイデアが持ち込まれた。
消しゴムの条件とは、紙面に圧着した鉛筆の黒鉛をうまく吸着し、なおかつ消しゴムの表面がきれいに削れること。軟質塩化ビニルを使えば、それが可能になるかもしれない。詳細は不明だが、このアイデアは複数の消しゴムメーカーに持ち込まれたらしい。ほぼ同時期に、数社でプラスチック消しゴムの開発が進んでいたわけだ。
プラスチック消しゴムのメリットは沢山ある。天然ゴムの消しゴムのように経年劣化して固くなることがなく、消しカスがポロポロすることもない。ゴム臭もなく、形は自由に成型でき、鮮やかな色を付けることもできる。
先陣を切ったのがシードだった。1958(昭和33)年に製法特許を公告し、世界に先駆けてプラスチック消しゴムを発売。それがどんな製品でいくらで売られていたのかは、シードにも現存資料が残っていないので分からない。ただ、レーダー発売以前のほとんどの製品がそうだったように、スリーブレスで薄い色が付いていたようだ。
プラスチック消しゴムが発売されたといっても、50年代後半から60年代後半にかけて、市場はほとんど変わらなかった。主流はあくまで天然ゴムの消しゴム。国産品の品質もかなり良くなったが、製図用などの高級品は相変わらず外国製品が支持されていた。
シードは、他社に先駆けて開発したプラスチック消しゴムを改良し続けた。そして10年後、その努力が大きな実を結ぶことになる。
|