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ニッポン・ロングセラー考 Vol.55 マルシンフーズ マルシンハンバーグ 油を引かずにそのまま焼くだけ日本初の調理ハンバーグ

“食の革命”と呼ばれた独自の油脂コーティング技術

創業者・新川有一

マルシンフーズ創業者の新川有一。マルシンハンバーグは彼の閃きから生まれた。

本社

1970年代当時の本社外観。

工場外観

1970年に建設された滋賀工場。

工場内

ハンバーグ製造工場は1970(昭和45)年頃から機械化された。発売当初は手作りだったという。

「マールシン、マールシン、ハンバーグ♪──テレビCMは思い出せないけれど、あのメロディーはよく覚えてるなあ」
「そう言えばお弁当によく入ってたっけ」
「うちは晩御飯に週1回は食べてたよ」
50歳前後の中年層にマルシンハンバーグの話題を振ると、いろんな声が返ってくる。しかもそのほとんどが、セピア色に彩られた子供の頃の記憶。一家全員でテーブルを囲み、幼い自分がマルシンハンバーグを美味しそうに食べている、といったような。
この世代で「マルシンハンバーグを一度も食べたことがない」という人は少数ではないだろうか。今はもうハンバーグ自体あまり食べなくなってしまったけれど、ハンバーグと言えば、まずはマルシンハンバーグを思い出す──そんな読者も少なくないかもしれない。

今から約50年前、東京・築地の魚市場で、新川有一という若者が働いていた。魚商売を充分に経験した新川は、1960(昭和35)年に自分の会社を興して独立し、マグロの切り身やイカのもろみ漬け、煮凝り(にこごり)などの水産加工品を扱うようになる。
普通に考えれば、まずは加工品の商売を軌道に乗せていくところだろう。ところが新川は違っていた。あまりにも進取の気風に富んでいたため、水産加工品とは全く関係のないものに目が向いてしまったのである。

それがハンバーグだった。1960年代前半と言えば、そろそろ食の欧米化が進んできた時期。街のレストランにはスパゲティーやカレー、シチューなどがメニューに並ぶようになっていた。詳細は不明だが、新川はその頃まだ珍しかったハンバーグを食べ、いたく感銘を受けたらしい。「これは美味しい。家庭で簡単に食べられるようになれば大ヒットするはずだ」と。
それは、商売の神様が舞い降りた瞬間だった。新川は日本初となる調理加工されたハンバーグの製造に乗り出した。

まず、どんな肉を使うか。牛肉は値段が高く、供給量も少ないので使えない。新川は鯨肉、豚肉、マグロの肉を選んだ。次なる問題は、鮮度をどうやって保つか。1960年代始めは、やっと電気冷蔵庫が普及し始めた頃。木製の箱に氷を入れた保冷箱を使っている家庭もまだ残っていた。もちろん、冷凍食品が登場するのはもう少し後の話。目標としては、10度以下の温度で15日くらいは鮮度を維持したい。
鮮度維持と並ぶもうひとつの問題が、どうやって調理の手間を減らすか。買った後に手をかける必要があるなら、主婦は買ってくれない。更には製造コストの問題もあった。こうした問題を同時にクリアする方法はないものか。新川は技術者たちと共に研究に取り組み、ついに画期的な調理技術を開発した。

それが、当時“食の革命”とまで呼ばれた独自の「油脂コーティング」。加熱処理したハンバーグ全体に、ラードを薄く塗布加工する技術である。コーティングしているので、保冷程度の温度で鮮度を保持できる。もちろん、調理時はコーティングしてある油が溶け出すので、フライパンに油を引く必要がない。製造コストも驚くほど低く抑えることができた。
新川は油脂コーティングに関する特許を取得し、ついに念願の調理ハンバーグ製造に乗り出した。


「さつま揚げのオバケかい?」認知が進まなかった販売初期

80年頃のマルシンハンバーグ88年頃のマルシンハンバーグ
(左)初期のマルシンハンバーグ。紙のパッケージは2000(平成12)年まで使われていた。(右)88年頃のパッケージ。マルシンのロゴがカラーになった。
営業風景

販売現場の様子。昔も今もマルシンハンバーグは、売り上げの半分が市場経由だという。

マルシンハンバーグが発売されたのは、会社設立から2年後の1962(昭和37)年。形や大きさは今とほとんど同じで、価格は14円だった。当時の食品の値段は、コロッケが10円、牛乳が14円、コーヒーが60円といったところ。マルシンハンバーグは最初から庶民的な値段だった。
ユニークなのはそのパッケージ。1枚の紙でハンバーグをくるみ、上と下をぴったりと閉じて背面は紙を重ねただけ。つまり背面に隙間があって、中のハンバーグが見えるのである。
これは、ハンバーグの水蒸気を外に逃がすための工夫だった。マルシンハンバーグは加熱後、冷却してから包装するが、完全には冷え切らないので、密封すると中に水蒸気がこもり、品質に影響を与える恐れがあったのだ。

秀逸なのは、このパッケージのデザイン。白地をベースにしたシンプルなデザインも中身同様、発売当時から現在に至るまでほとんど変わっていない。今はマルシンフーズ全体のキャラクターとなっている女の子「みみちゃん」が登場したのもマルシンハンバーグから。ちなみにこの「みみちゃん」、よく見ると髪の毛のカールは魚、リボンの曲線は豚のしっぽに似ている。当時の原材料がデザインに採り入れられているのだ。

マルシンハンバーグは品質もパッケージも完成度が高かったが、それにもかかわらず販売面では相当の苦労があったという。
その最大の理由は、「ハンバーグ」という食品に対する知名度の低さにあった。肉食分化は徐々に家庭に浸透しつつあったが、ハンバーグがどんな食べ物かよく知らない家庭がほとんどだったのである。それどころか、販売する側の人間もハンバーグの存在をよく知らなかったらしい。マルシンフーズは築地のような市場経由で商品を全国に流していたが、同社の営業マンは市場で働く人々から「それ何? さつま揚げのオバケかい?」とからかわれたという。
こんな状況では、どんなに良い物を作ってもなかなか売れない。営業マンたちは全国の市場や販売店に出向き、店先で実際にマルシンハンバーグを焼いてみせた。「これがハンバーグですよ。どうです、美味しいでしょう?」各地でねばり強くこうした実演販売を続けた結果、マルシンハンバーグの名は徐々に全国に広まっていった。

 


高度経済成長期の昭和50年代に、日産100万食を達成

キャンペーンのチラシ類

85年の「ストップウオッチ」プレゼントキャンペーンのチラシ。

様々な商品アイテム

70〜80年代にマルシンフーズが扱っていた商品類。ハンバーグ以外にも沢山あった。

macバーガー

80年代に自動販売機で売られていたハンバーガー。

みみちゃんマークみみちゃんマーク
おなじみの「みみちゃん」マーク。マルシンハンバーグ登場時はマーク下にマルシンのロゴがあったが、後にみみちゃんに変更されている。

マルシンハンバーグが発売されたのは、ちょうど日本の高度経済成長が軌道に乗りだした頃。この頃から、日本人の食生活は大きく変わった。肉類や乳製品を多く採り入れた食の欧米化が急速に進んだのである。それまでは珍しかったスパゲティーやカレーが、当たり前のように食卓に上るようになった。同時に、食の簡易化も進んだ。冷凍食品やインスタント食品が普及し、手間をかけずに調理できる食品が主婦の間に浸透していった。「手軽で美味しく、しかも安い」マルシンハンバーグは、こうして時代の波にうまく乗ったのである。
マルシンフーズは1970(昭和45)年に本格的な機械化工場を建設。以降、需要が急激に伸びたこともあって、全国に8ヵ所あった工場はいつもフル稼働していた。75(昭和50)〜77(昭和52)年にかけては、ついに日産100万食を達成。マルシンハンバーグは絶頂期にあった。

積極的な宣伝展開も、マルシンハンバーグが広く一般に受け入れられた理由の一つだろう。多くの中年層が知っているあのCMソングは、マルシンハンバーグ発売から数年後に流されている。『ハクション大魔王』『タイムボカン』シリーズなどアニメ番組のスポンサーになり、子供たちへアピールしたことも大きい。アニメの記憶と共にマルシンハンバーグを思い出す人も多いのではないだろうか。
また、知名度が高まってからはさまざまなプレゼントキャンペーンやタイアップを仕掛けていった。ポケットカメラや巨人戦チケットのプレゼントキャンペーンには、膨大な量の応募があったという。

一方、日本初の調理ハンバーグを成功させた新川は、これに飽きたらず、常に新しい事にチャレンジしていた。ハムやソーセージなどの食肉加工品はもちろん、パスタの製造やレストラン経営にも進出。ユニークなところでは、子会社を作り、自動販売機によるハンバーガーやベルギーワッフルの製造まで手掛けていた。
今から振り返ると、どの商売も目の付けどころと進出のタイミングが抜群に良い。だが、新川はあまりにもこだわりの強い人だったらしく、往々にして品質過剰になり、商売としてはマルシンハンバーグ以外、どれもあまりうまくいかなかったようだ。
その意味でも、同社にとってマルシンハンバーグは重要な意味を持つ商品なのである。


 

現行マルシンハンバーグ

現行のマルシンハンバーグ。内容量85g。

チーズ入りハンバーグ

チーズ入りハンバーグ。カマンベールチーズペーストを使った自然な風味が特徴。

チキンハンバーグ

チキンハンバーグ。マルシンハンバーグとは異なり、こちらはボイルタイプ。

一時は日産100万食を達成したマルシンハンバーグだったが、1970年代後半以降、その売れ行きは徐々に下降線を辿ってゆく。マルシンフーズはそれまでの市場主体からルート販売に力を入れるなど販売方法にもメスを入れたが、結局うまくいかなかった。
売れ行きが鈍ってきた最大の理由は、日本人の食に対する志向の変化だ。80年代から90年代にかけ、食品のニーズが、安いもの、簡便なものから、高いもの、本物感のあるものを求める方向へと大きくシフトしたのである。1個100円前後の値段で買えるマルシンハンバーグは、安いというだけで消費者の選択から外れるようになってしまった。
そして90年代に入るやいなやバブルが崩壊。マルシンフーズも、長年続けてきたハンバーグのテレビCMを打ち切らざるを得なくなった。

時代は巡る。バブル崩壊以降、長く続いた不況を経験した日本人の食生活は、再び変わってきた。値段の高い安いに関係なく、本当に価値のあるものが選ばれるようになり、家計が見直され、安くても美味しいもの、品質の確かなものに再び注目が集まってきた。
マルシンハンバーグの売れ行きも2000(平成12)年頃から下げ止まり、ここ数年はやや上昇傾向にあるという。そうした背景もあり、同社は05(平成17)年にテレビCMを復活。「マールシン、マールシン、ハンバーグ♪」というあの懐かしいフレーズが、約15年ぶりに甦ったのである。

現在のマルシンハンバーグは、パッケージが完全密封タイプのものに変わっている。原材料は鶏肉、豚肉、牛肉が中心で、その配合バランスも供給状況や消費者の好みを反映し、微妙に変えているという。
それでも、パッケージデザインは昔からほとんど変わっていないし、形も昔ながらの小判型のままだ。もちろん、値段の安さも変わっていない。1個100円前後で買える他の食品を探してみても、マルシンハンバーグのように高い商品性を持つものはそう多くない。
現在は、特にお弁当需要が高いとのこと。朝の慌ただしい時間に油も引かず簡単に調理できるマルシンハンバーグは、依然として主婦の大きな味方なのだ。

知り合いのある男性は、行きつけの喫茶店で必ずハンバーグ定食を食べるという。手作りではなく、あえてマルシンハンバーグを使っていることをウリにしたハンバーグ定食だ。
マルシンハンバーグの味は、普通のハンバーグとはちょっと違う。多くの中年層にとって、それは淡い思い出が込められた特別な味なのである。

 
取材協力:マルシンフーズ(http://www.marushin-foods.co.jp
     
もうひとつの主力商品「宇都宮餃子」
宇都宮野菜餃子
主力の「宇都宮野菜餃子」。野菜の旨味と肉の風味が絶妙のバランス

90年代後半、マルシンフーズはハンバーグの売れ行きが下降していたため、新商品の開発に迫られていた。ちょうどその頃、同社はOEMで餃子と焼売を作っていたが、依頼先の会社が撤退したため、生産設備が余ってしまった。「もったいないからうちが餃子を作ろう」ということから作り始めたのが、2000年から発売した「宇都宮餃子」シリーズ。新川の後を引き継いだ港正幸社長もこだわりの人で、餃子を作るなら味と品質にこだわった製品を、ということになったらしい。
結局、このシリーズは宇都宮餃子会に認められ、「宇都宮餃子会承認商標」を受けた唯一のメーカー製餃子となった。現在、マルシンフーズの売り上げの50%はハンバーグが、残りの半分にあたる25%を餃子が占めている。「宇都宮餃子」シリーズは、ハンバーグに次ぐ第2の柱に成長した。

 
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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