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発売当時のクレラップ。カートンのデザインはグラフィックデザイナー・伊藤憲治によるもの。剥き出しの鋸歯が底に付いていた。 |
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60年代当時の呉羽プラスティック工場。 |
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60年代の会社案内。 |
家庭用ラップの2大ブランドといえば、「サランラップ」と「NEWクレラップ」。おそらくほとんどの家庭では、そのどちらかを継続的に使っているのではないだろうか。この2大ブランドで、家庭用ラップの市場シェアは8割近くにもなるという。長年に渡って市場競争を繰り広げてきたこともあり、両社のブランド名は広く一般に浸透している。
ではどちらが先に発売されたか、ご存じだろうか? 「なんとなくサランラップのような気がする」という声が多いかもしれない。実は、日本初の家庭用ラップはクレラップなのである。発売されたのは1960(昭和35)年7月。サランラップの発売より、ほんの数ヶ月早いタイミングだった。
呉羽化学工業(現・株式会社クレハ)が設立されたのは1944(昭和19)年。その前身は呉羽紡績(現・東洋紡)の人絹・化学工業部門である。当時の同社が作っていたのは、人絹(人工繊維のこと)製造用の苛性ソーダ。その副産物として大量の塩素ができたため、これを有効利用することが求められていた。
それを受け、1950(昭和25)年に開発されたのが、ポリ塩化ビニリデン樹脂「クレハロン」。丈夫で耐水性が高いことから、当初は主に漁網用繊維として使われた。その頃、アメリカでは既にポリ塩化ビニリデン樹脂のフィルム化に成功。太平洋戦争中は銃や弾丸を湿気から守るための包装材として、戦後はチーズの包装材として使われていた。
繊維以外の需要を模索していたクレハも、クレハロンのフィルム化を推し進めた。フィルムは1956(昭和31)年に完成。酸素を通さず食品の鮮度を保つことができるため、魚肉ソーセージやハムの食品包装材として使われるようになった。
この頃、同社の経営陣には大きな危機感があった。アメリカの石油化学メーカー、ダウ・ケミカルが日本の旭化成工業(当時)と合弁会社「旭ダウ」を設立し、1952(昭和27)年にアメリカ国内で、家庭用ラップフィルム「サランラップ」を発売していたのである。耐熱性・耐水性に優れた家庭用ラップを使えば、鮮度を保持したまま冷蔵庫での食品保存が可能になる。化学メーカーにとっては将来性のある事業だった。
実はこの合弁話、ポリ塩化ビニリデン樹脂の開発技術を持っていたクレハと旭化成工業の両社に持ち込まれたものだった。だがダウ・ケミカルとクレハの交渉はうまく行かず、結果的に同社は独自の道を歩むことになった。
「いずれ旭ダウは日本でもサランラップを発売する。先手を打って市場を確保しよう」──この思いがクレハの開発陣を突き動かした。
初期のクレハロンフィルムには、製造過程でわずかながら塩素臭が付いていた。そのため、ソーセージのように香辛料を使った食品にしか使われなかったのだが、これでは家庭用ラップとして使えない。開発陣は研究を重ね、原料を化学反応させる前に特定の安定剤を加えることにより、完全に無臭のクレハロンフィルムを開発することに成功した。クレハロンの包装材は、蒲鉾、豆腐、味噌など様々な食品で使われるようになり、現在も幅広い用途で使われている。
無臭のクレハロンフィルムが完成したことで、準備は整った。同社は1960(昭和35)年7月、日本初となる家庭用ラップを発売。幅30p、長さ7mのフィルムを紙管に巻き、鋸歯が付いたカートンに収めた。7mという長さは中途半端に思えるが、これは末端価格を100円にすることからはじき出された数字。当時、大卒の初任給は約1万3000円、ハガキ1枚が5円、コーヒー一杯が約60円だった。100円は現代に換算すると1000円以上の感覚に近い。
発売当時のクレラップは、庶民が手を出しにくい高級品だったのだ。
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