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ニッポン・ロングセラー考 Vol.59 UCC上島珈琲 UCC缶コーヒー 巨大市場を開拓した世界初の缶コーヒー

「もったいない」から生まれた、日本独自のコーヒー文化

上島忠雄氏

缶コーヒーの生みの親、UCC上島珈琲の創業者・上島忠雄(故人)。日本のコーヒー文化を築き上げた功労者でもある。

自動販売機のウインドウにずらりと並ぶ、色とりどりの缶コーヒー。コンビニの冷蔵棚には各社の缶コーヒーがひしめき合い、激しい場所取り合戦を繰り広げている。
日本人は本当に缶コーヒーが大好きだ。その国内市場規模は、年間出荷量が約3億5000万ケース。
1ケース30本入りだから、1年に100億本(!)以上も飲まれていることになる。消費者の8〜9割を占めているのは男性。缶コーヒー市場は、自動販売機やコンビニを頻繁に利用する20〜40歳代の男たちが支えているのだ。
それにしても、一体誰が缶コーヒーを作ったのだろう?今やあって当然の飲み物になったけれど、缶にコーヒーを入れるなんて、かなり大胆な発想だったに違いない。発売当時の反応はどうだったのだろう?

調べてみると、缶コーヒーを作ったのは、後に「日本のコーヒーの父」と呼ばれるUCC上島珈琲の創業者・上島忠雄だった。幼い頃から働く事が大好きだった上島は、関西の食料品店で経験を積み、1933(昭和8)年に独立。神戸にジャムやバターなどの洋食材を取り扱う個人商店を開業した。
当時の神戸は東洋を代表する貿易港で、街には西洋文化があふれていた。喫茶店で初めてコーヒーに出会った上島は、その不思議な味わいに魅せられ、自らコーヒーの焙煎卸業を始める。順調に事業を拡大した上島は、戦後、商店を株式会社に改組してUCC(UESHIMA COFFEE COMPANY)ブランドを確立。全国に販売拠点を整備し、コーヒー業界の中心人物となってゆく。

上島珈琲株式会社

1951(昭和26)年、個人商店から株式会社に組織変更。腰に手を当てるのは、上島が気合いを入れる時のポーズだった。

缶コーヒーの誕生は、上島自身が1960年代後半に経験した出来事に由来する。列車を利用して毎日のように全国を飛び回っていた上島は、ある日、駅の売店で瓶入りのミルク入りコーヒー(コーヒー牛乳)を買った。ところが飲もうとした途端に発車のベルがホームに鳴り響いたため、一口だけ飲んで慌てて電車に飛び乗った。瓶を売店に返さなければならなかったからである。
「あー、もったいないことをしてしもた」──農家の五男として育った上島には、物を大切にする習慣が身に付いていた。あんな無駄は我慢できない。そもそも瓶を使うから飲み残しが生じるのだ。「そうか、缶や。缶入りのコーヒーならいつでもどこでも飲めるから、飲み残すことはない。しかも常温で流通できるから、商材としても扱いやすいはずや」それは、電撃のような閃きだった。上島は自らが中心となり、すぐさま「缶コーヒー開発プロジェクト」をスタートさせた。

当時の飲料事情を振り返ってみよう。缶入りの飲料は一部のジュースやコーラくらいしかなく、店頭販売や自販機でも瓶入りがほとんどだった。コーヒーもレギュラーコーヒーを喫茶店で飲むスタイルが一般的で、家庭でコーヒーを飲む習慣はまだ根付いていなかった。上島が缶コーヒーの開発に邁進したのは、そこに大きな市場性を見ていたからにほかならない。瓶入りのミルク入りコーヒーは売れていたが、瓶の破損や回収といった問題が残っていた。これを解決すれば、誰よりも早く、より大きな市場を獲得できるのは明らかだった。
だが、道は想像以上に険しかった。世界初の缶コーヒーの開発は困難を極めたのである。


コーヒー屋の意地と執念で、開発の困難を克服

UCCコーヒーミルク入り
記念すべき世界初の缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」。飲み口はプルトップではなく、トップに付けられた缶切りで開けるようになっていた。
大阪綜合工場

1970(昭和45)年に完成した大阪綜合工場。コーヒーの計量・焙煎から包装・商品化まで全てを行う近代的な工場で、缶コーヒーもここで生産された。

開発に当たって、上島らは単なる「コーヒー」ではなく、「ミルク入りコーヒー」であることにこだわった。1960年代、一般家庭において乳飲料は高級品であり、健康に寄与するというイメージが浸透していたからだ。同時に、甘み成分にも気を遣った。自然の甘みを重視した結果、当時普及していたサッカリンやチクロといった人工甘味料ではなく、砂糖を選んだ。
ところが、開発を進めてすぐに問題が持ち上がった。コーヒーの抽出液とミルクを溶かして缶に入れても、缶の上部にミルクが浮いてしまい、うまく溶け合わないのである。この問題はミルク製造業者と一緒になって研究を重ね、ミルクの粒子を均質化する技術を導入して解決した。

次に直面したのは、殺菌処理による味の変化だった。UCCが作ろうとしている缶コーヒーは、商品分類上は乳固形分を3%以上含む「乳飲料」にあたる。長期保存するためには、低温殺菌ではなく高温処理する必要があった。ところが、どうやっても加熱臭が付いてコーヒーの風味が悪くなってしまう。開発陣は失敗したコーヒーを飲み続けながら、加熱後に美味しく感じる最適な成分比率を探り続けた。その結果、ミルク及び砂糖:コーヒーのベストな比率がほぼ7:3であることを発見。味の問題はこれで解決した。

最後に待ち受けていた難題が、コーヒーと缶の間で起こる化学反応だった。従来の缶メッキ技術では、溶接部分に使うハンダや金属缶から鉄イオンが溶出し、コーヒーの成分のひとつであるタンニンと結合してしまう。その結果、コーヒーが真っ黒になってしまったのである。これを見て、さすがの上島も「ブラックコーヒーを作れとは言うてないで」と苦笑するしかなかったという。
化学反応を避けるためには、缶の内側に特殊なコーティングを施すしかない。開発陣は製缶技術の専門家に指示を仰ぎながら、来る日も来る日も実験を繰り返した。工場裏には大型トラック数台分の試作用缶コーヒーの空き缶が潰され、山積みにされていった。
開発に当たったある役員が、当時の様子をこう振り返っている。「ひとつの缶がコーヒー代と同じくらいしたから、本当に大変でした。気持ちを支えたのは、コーヒー屋の意地と執念だけ。ほかの業者に先を越されるわけにはいかなかったんです」

缶のコーティング問題は苦労の末に解決した。完成したコーヒーを試飲した上島は、「成功、満点や」とひと言だけ言い、感涙にむせびながら開発陣一人一人の手を握ったという。
UCCが世界初の缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」を発売したのは、1969(昭和44)年の4月。値段は喫茶店のコーヒーとほぼ同じで、1本70円だった。今も続くシンプルで印象的な「三色缶」は自社のデザイン。赤はコーヒーの実、白はコーヒーの花、そして茶は焙煎したコーヒー豆の色を表している。
「UCCコーヒーミルク入り」は、UCCの技術を結集して作り上げた自信作だった。社内の誰もが、「これは売れる」と固く信じていた。

だが、UCCの思惑は見事なまでに外れた。コーヒー業界からは、「こんな商品は邪道だ。コーヒーとして認めるわけにはいかない」と無視されたのである。ならば直接消費者へアピールして売り込みたいところだが、喫茶店など業務用ビジネスに力を入れていたUCCには、家庭用の販売チャネルがほとんどなかった。せっかくいいものを作ったのに、このままでは大変なことになる。上島は社員を叱咤激励した。それに応えるべく、社員も一丸となって缶コーヒーの販売に乗り出した。
とにかく人目に付くところで販売し、缶コーヒーの存在を知ってもらう必要がある。営業マンは鉄道弘済会売店(キヨスク)のルートを開拓し、大声で缶コーヒーを指名買いしたり、買った缶コーヒーを車窓に並べるなどして宣伝に努めた。また、販売とは直接関係のない社員たちも食料品店などに飛び込み営業を行い、販売ルートの開拓に尽力した。涙ぐましい努力はほぼ1年にわたって続けられたが、残念ながら実際の販売には結び付かなかった。缶コーヒーは市場に受け入れられないのか?──社内に暗いムードが漂い始めた頃、思いがけないところから大きなチャンスが巡ってきた。

 


万博を契機に注文が殺到、生産が追いつかない状態に

万博会場へ商品を搬入

万博会場へ商品を搬入するUCCのトラックと社員。作業は夜を徹して行われた。

万博会場で缶コーヒーを飲む来場者と会場スタッフ。

自販機

コールド専用の自販機(左)とコールド/ホット兼用の自販機。

UCC缶コーヒーを訴求した初めてのテレビCM「ゴルフ編」。

1970(昭和45)年3月、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会(略して万博)」は、高度経済成長に湧く日本を象徴するようなビッグイベントだった。ほぼ半年の開催期間で、総入場者数は約6400万人を記録。UCCはこの万博に目を付けたのである。
最低でも2000万人の入場者はあるだろう。工場は万博会場に近い。他社に先駆けて営業すれば、きっと成功する──そう読んだ経営陣は、様々なセクションから人材を集めて「万博出展準備室」を編成した。工場の横には「万博支店」と呼ばれた大阪北支店を開設。夜間に備えた搬送態勢を整え、セントラルキッチン方式で冷やした缶コーヒーを輸送する2tトラック5台も用意した。
各パビリオンや飲食店には、万博開催前から積極的なセールス作戦を実施。取引は顧客にUCC商品を納めるだけでなく、コーヒーショップで使う機械の搬入や、そこで働くスタッフの準備にまで及んだ。UCCが長年培ってきた喫茶店の運営ノウハウは、取引先にとってもメリットが大きかったのだろう。日本のパビリオンと飲食店は80%、海外パビリオンはそのすべてがUCCを取引先に選んだ。

鳴かず飛ばずだったUCC缶コーヒーはどうなったか。結果は夏に入ってすぐに現れた。会場内での売れ行きが爆発的に伸び始め、会場で缶コーヒーを飲んだ人からの再注文が殺到したのである。なかには「大阪中央市場の朝市で売らせてほしい」という問屋まであった。
この夏を境に、UCC缶コーヒーの販売状況は一変した。工場は全国から入ってくる注文をさばくためにフル稼働状態となったが、いくら生産しても追いつかない。工場の搬出口にはいつもトラックが待ちかまえていた。
万博の翌年、UCCは初めて売上高100億円を達成した。UCC缶コーヒーは発売から2年を経ずして、同社を代表するブランド商品となったのである。

UCC缶コーヒーが全国商品となってゆく過程で、見逃せないポイントが二つある。一つは、1973(昭和48)年から実施した自動販売機の導入。この年は競合他社が一斉に缶コーヒーを売り出したこともあり、激しい販売競争が予想された。当初、UCCはコールド専用の自販機を使っていたが、間もなくコールド/ホット兼用の自販機を開発。1年を通じて商品を販売できる態勢を整えた。1977(昭和52)年には、自販機の展開と缶コーヒーの販売を行う「全国UCCベンダー会」を発足。自販機で売る飲料の種類も徐々に増やしていった。業界全体にとっても自販機の影響は極めて大きく、UCCを含む缶コーヒーの市場は70年代以降、急成長を遂げてゆく。

もう一つのポイントは、テレビへの露出である。もともと上島は、わざわざ新幹線沿線に支店や工場を建て、その屋上に巨大な看板を設置するなど、宣伝に関しても図抜けた才能を持っていた。缶コーヒーを発売した4年後の1973(昭和48)年には、商品を前面に押し出した初めてのテレビCMを展開。以降も、スポーツ選手やタレントを使ったテレビCMを積極的に手掛けていった。
有名なのは、野球選手の田淵幸一を起用した1975(昭和50)年のCMだろう。「飲むんだったらUCC、いつでもどこでもUCCコーヒー♪」というCMソングは、この時初めて使われた。


 
次々と現れる競合商品、主役は“ブラック無糖”タイプへ

缶デザインの変遷

缶デザインの変遷。上段左から初代(1969年)、2代目(1978年)、3代目(1981年)、4代目(1986年)、下段左から5代目(1993年)、6代目(2000年)、7代目(2001年)、8代目(2003年〜)。現行商品の価格は120円。

缶デザインの変遷

「UCC BLACK無糖 缶」。120円(税込み)。商品バリエーションは全部で11種類ある。

 

今も昔も変わらない印象のUCC缶コーヒーだが、缶のデザインは時代の節目毎に少しずつ手を入れている。現在のデザインは8代目。消費者の嗜好を反映し、途中で「オリジナル」の文字を加えたり、一度外した「ミルク」の文字を復活させたりはしているが、基本的に赤・白・茶の三色缶であることには変わりがない。現行商品のデザインはUCC缶コーヒーの発売当初のデザインに近く、原点回帰したかのようにも見える。缶そのものは、190g前後のショート缶が主流になった今でも、昔と同じロング缶(250g)のままだ。
中身はほとんど手を加えていない。消費者の嗜好や時代のトレンドに合わせた微調整は行っているが、ミルク及び砂糖:コーヒーの黄金比率もほとんど変わらないという。

だが、時代は変わった。1970年代半ば以降、缶コーヒー業界は飲料メーカー、ビールメーカー等が入り乱れての激しい市場競争が繰り広げられており、その戦いはますます激しくなっている。
2000(平成12)年に、UCCは自販機事業を他社に譲渡している。ここ数年、町でUCCの自販機を見かけなくなった理由はそこにある。現在、UCC缶コーヒーを販売しているのはスーパーやコンビニ等の小売店。販売の主役も、新商品に代わった。

現在、缶コーヒーの市場は緩やかにシュリンクしつつあるが、その中にあって唯一拡大しているのが、ブラック無糖のカテゴリー。昨年度の市場内比率で14%を占めている。背景にあるのは、消費者の健康志向と本物志向。ブラックはコーヒーの味がそのまま表に出てくるので、コーヒーメーカーにとっては腕のふるいどころとなる。UCCは1994(平成6)年、このカテゴリーに「BLACK無糖」を投入し、これが大ヒット。今はこの商品がUCC缶コーヒーの基幹商品となっている。 実は、ブラックコーヒーを業界でいち早く発売したのもUCCだった。商品名「ブラックコーヒー」の発売は1973(昭和48)年。

現在販売されている缶コーヒーは、大半が「コーヒー」(100g中の生豆使用量5g以上)または「コーヒー飲料」(100g中の生豆使用量2.5g以上5g未満)に分類される。「乳飲料」に分類される缶コーヒーもあるが、数は少なく、そのほとんどはカフェオレとして販売されている。
UCC缶コーヒーも生豆使用量ではコーヒー飲料に分類されるが、あえて「乳飲料」として登場し、それを貫いてきた。業界の歴史を振り返れば、UCC缶コーヒーはかなり異色の存在なのである。

UCC缶コーヒーは、来年、発売50周年を迎える。主役の座から降りはしたが、世界初の缶コーヒーであり、市場を開拓したパイオニアとしての大きな存在感は、いささかも揺らいでいない。今日もどこかで、数多くのファンが三色缶のプルトップを開けているはずだ。

 
取材協力:UCC上島珈琲株式会社(http://www.ucc.co.jp/
     
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UCCコーヒー博物館
館内
昨年開館20周年を迎えたUCCコーヒー博物館。イスラム教のモスクをイメージさせる外観。

クラシフィカドールと呼ばれるコーヒー鑑定士の仕事を紹介した人形も展示。

開館時間等の詳細はホームページ
http://www.ucc.co.jp/museum/index.html
日本で唯一のコーヒーをテーマにした企業博物館が、神戸のポートアイランドにある。名称は「UCCコーヒー博物館」。1981(昭和56)年に開催された「神戸ポートアイランド博覧会」にUCCが出展した、巨大なコーヒーカップ型のパビリオンが元になっている。博覧会閉幕後の87(昭和62)年に、コーヒーの歴史と文化を広く伝える博物館としてリニューアルオープン。外観もイスラム教のモスクのようなデザインに変わった。
館内にはコーヒーの起源・栽培・流通・加工・文化・情報という6つのテーマに沿った展示室があり、一巡すればコーヒーに関する基礎的な知識が身に付くようになっている。CMライブラリーがある特別展示室「UCCヒストリー」や、オリジナルグッズが豊富にあるミュージアムショップもあり、来館者を飽きさせない。もちろん、UCCコーヒーを心ゆくまで味わえる喫茶室もある。
 
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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