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ニッポン・ロングセラー考 Vol.61 大関 ワンカップ大関 歴史を作って早44年 元祖カップ酒、ここにあり

若者をターゲットに、日本酒の新しい飲み方を提案

長部文治郎氏

10代目の長部文治郎。ワンカップ大関は彼の大胆な発想から生まれた。

初代ワンカップ大関

初代ワンカップ大関。蓋は中央部から開けるプルアップ方式で、ロゴは瓶にプリントされていた。

カップ酒と聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう? 「オジサンが新幹線の中で飲んでるお酒」「なんか古臭い。ビールの方がサマになるよ」「安い日本酒でしょ」…若い人からはそんな声が聞こえてきそうだ。けれど、当のオジサンが抱くイメージはちょっと違う。50〜60歳前後の中年層にとって、カップ酒は若者が飲むカッコイイ日本酒だったのだ。この世代から見れば、自分たちの父親世代の方がずっとオジサンぽく日本酒を飲んでいた。一升瓶からコップに注いで飲んだり、お猪口やぐい呑みを使ってちびちびと飲んだり。
カップ酒は、そんな飲み方しか考えられなかった頃に現れた“日本酒の一大革命”だった。革命を起こしたのは、兵庫県西宮市に本社を置く酒造メーカー、大関。1964(昭和39)年に発売した1合コップ入り清酒「ワンカップ大関」が、日本酒の歴史を変えたのである。

日本経済が急伸長した1960年代。自動車、カラーテレビ、レトルト食品、冷凍食品…生活を便利にする新しい消費財が次々と登場し、日本人の生活は大きく変わり始めていた。そんな時代の荒波に揉まれて、大関の社長・10代長部文治郎は悩んでいた。「日本酒はいまだに一升瓶が主流や。これでええんやろか?」と。
店で日本酒を飲む時、徳利を使うとどこのメーカーの酒か分からないことも不満だった。瓶をそのまま出されるビールなら、メーカー名は一目瞭然。日本酒でもメーカーの顔が見える容器を作りたいと考えていた文治郎は、目の前に置いたコップを見ていてパッと閃いた。
「そうだ。コップに大関と書けばこのまま飲めるし、メーカー名もすぐに分かる。コップのまま売り出せばええんや」

それは、常識の逆をつく大胆な発想だった。日本酒といえば一升瓶の時代に、敢えて立ち飲みイメージのコップで売り出そうというのである。社内でも賛否両論があったが「時代に先駆けること」をモットーにしている大関には、チャレンジ精神が溢れていた。
中心になって開発を進めたのは、文治郎の息子・二郎だった。二郎ら開発陣は、(1)若者をターゲットにする(2)立ち飲みイメージを払拭する(3)コップで飲むことをカッコ良くアピールする(4)中身は一級酒(5)ワンタッチで開けられる蓋にする(6)容量は180ミリリットル(7)広口瓶を使う(8)機能的なデザインを重視する──これら8つのポイントを設定し、製品化を進めていった。

容器に関しては、その頃、取引のあった容器製造会社がジャムの広口瓶を作る機械をアメリカから導入することになり、それを応用することが決まった。ただ、キャップの内側にゴムのパッキンがあり、そのままでは酒にゴム臭が付いて商品にならない。そこで、新たにアルミのプルアップキャップを開発し、容器を完成させた。
新規商品はネーミングも重要。当時娘と一緒に英会話を勉強していた二郎は「one cup of coffee(「ワン・カップ・オブ・カフィ」)」から思いついた「ワンカップ」という名称を提案した。この案には文治郎が「日本人はカップやのうてコップやろ。ワンコップにせい」と反対したが、ワンコップでは当時の立ち飲みスタンドの一般名称「ワンコップスタンド」と重なってしまう。結局ワンカップで行くことになり、1964(昭和39)年10月10日、ワンカップ大関は85円の一級と125円の特級の2種類で発売された。東京でオリンピックの開会式が行われていたその日、「オリンピックのように華々しく売れて欲しい」──大関の誰もがそう思ったことだろう。だが、現実はそう甘くはなかった。すぐにある問題が持ち上がったのである。


キヨスクルートと自動販売機の導入で、一気にヒット商品へ

ハイライトのパッケージ広告
60〜70年代のベストセラータバコ、ハイライトに打ったパッケージ広告。広告効果は極めて大きかった。
自動販売機

ビールの自販機が珍しかった頃に登場したワンカップ大関の自販機。以降、自販機はカップ酒の重要な販売チャネルになっていく。

工場ラインを流れるワンカップ大関

工場ラインを流れるワンカップ大関。1971(昭和46)年には最新鋭の瓶詰機が導入され、増産体制が整った。

発売当時は、大関と長い付き合いのある販売店ですら「売れるかどうかよく分からない」という反応だったらしい。だが、大関の営業マンはコツコツと商品を売り込んで回った。若者に向けた商品であること、飲んだ量がちゃんと分かること、飲む場所を選ばないこと等、従来の日本酒にはない大関独自の特徴を、熱心に説明していったのである。その甲斐あって、初年度69万本だった販売本数も、年を追う毎に少しずつ増えていった。
ところが、さあこれからという時に困った問題が持ち上がった。「横にしたら蓋の部分から酒が漏れ出す」というクレームが発生し、販売店からの返品が相次いだのである。キャップの形状が災いし、“口漏れ”が起こったのだった。この問題はしばらく続いたが、開発陣は解決に向かって全力で取り組んだ。その後、1970(昭和45)年に採用したティアオフタイプのキャップによって、この問題は完全に解消されることになる。

そんなトラブルを抱えながらも、ワンカップ大関は大きく飛躍していく。きっかけは、1966(昭和41)年に成立した鉄道弘済会との取引だった。それまでも電車の中で日本酒を一杯やる人は多かったが、小瓶からキャップに注いで飲むのが普通で、周りにこぼしてしまうことも珍しくなかった。コップに入ったワンカップ大関なら、そのまま飲めるし置いても安定している。車内で飲むのにうってつけだった。しかも100円玉1個でおつりが来る。
キヨスクという新たな市場を開拓したワンカップ大関は、あっという間に売れ行きを伸ばしていった。この年の販売本数は200万本に達している。

翌1967(昭和42)年には、当時人気の高かったタバコ「ハイライト」のパッケージに広告を展開。ワンカップ大関の名は全国に広く知られるようになる。更に同年、飲料業界ではまだ珍しかった自動販売機を酒類において初めて導入。最初は東京の小売店100軒に試験的に設置しただけだったが、やがて全国の小売店やレジャー施設などに拡大していき、自動販売機でカップ酒を買うスタイルが日常的な光景になっていく。自販機の導入と増税に伴い、大関はワンカップ大関の価格を95円から100円に上げたが、ワンコインで気軽に買えるカップ酒であることに変わりはなかった。69(昭和44)年、ワンカップ大関の販売本数は1,850万本にまで伸び、大関全体でのシェアも1割に届くレベルになった。

1970年代に入ると、ワンカップ大関に続けとばかりに、他社からもカップ酒が続々と発売された。大関が特許申請していたのはワンカップという名称のみ。それが認められたのも1972(昭和47)年になってからだった。ワンカップと呼べるのは大関だけだったが、巷には様々なカップ酒が溢れ出した。
更なる普及を図るため、この頃から大関はテレビCMでワンカップ大関を盛んに宣伝するようになる。中年世代が覚えているのは、ショーケンこと萩原健一が登場した一連の「旅シリーズ」CMだろう。若者たちのカリスマ的な存在でもあったショーケンが全国各地でワンカップ大関を旨そうに飲む姿は、とにかくカッコ良かった。このCMのイメージ通り、ワンカップ大関に代表される当時のカップ酒には、オジサン臭さはほとんどなかったのである。
ワンカップ大関は発売15年目の79(昭和54)年、ついに年間1億本の販売本数を達成した。大関全体でのシェアは約30%。日本酒業界の革命児は会社の看板商品に成長し、誰もが認めるベストセラー商品となったのである。

 


カップ酒の顔となった秀逸なラベルデザイン

2代目ワンカップ大関

2代目ワンカップ大関。キャップはティアオフ方式になり、口漏れが解消された。

3代目ワンカップ大関
 

3代目ワンカップ大関の特徴は、紙ラベルが採用されたこと。ラベルの裏側も有効利用された。

 
現行ワンカップ大関

現行商品「上撰金冠ワンカップ180ミリリットル瓶詰」。酒本来の味は、やや辛口になった程度で初代からあまり変わっていない。参考小売価格は税別で211円。

ワンカップ大関の特徴のひとつに、その秀逸なラベルデザインがある。濃いブルーの地色に端正なアルファベットの白抜き文字。44年経った今でもまったく古びていないどころか、今見てもなかなか斬新で、これぞワンカップ大関のアイデンティティと言いたくなるほど。
日本酒のラベルが漢字か平仮名ばかりだった1964(昭和39)年当時、アルファベットを使う事はかなりの冒険だったに違いない。実際、このラベルを目にして売る自信をなくした営業マンもいたという。ビジュアルデザインを担当したのは、当時東京女子美術大学で教えていた松川蒸二教授。

ワンカップ大関のラベルデザインは、昔も今も全く変わっていない。変わったのはラベルのプリント方式で、初代は直接瓶にプリントされていたが、オイルショックで焼き付けのコストがかさんだこともあり、1973(昭和48)年に発売された3代目からは紙ラベルに変更された。
面白い事に、この紙ラベルが大関のマーケティング戦略に一役買うことになる。ラベルの裏に日本の風景、日本の祭り、世界の女性など6種類のテーマで写真を印刷し、「ワンカップフォト」として宣伝したのである。飲酒時の雰囲気作りにもつながるこのアイデアは、この年のパッケージ展で特別賞を受賞した。

もうひとつ、瓶の形そのものもワンカップ大関の大きな特徴といえるだろう。発売当時の瓶は今の瓶とはちょっと違っていて、飲み口の部分が胴体の径よりひと回り大きかった。一見、何気ない造形のように見えるこの飲み口も、実は周到に計算されたものだった。唇で挟んだときの口当たりが良く、結果として酒を飲む回転が速くなるようにデザインされていたのである。
この瓶形をデザインしたのは、東京芸術大学の小池岩太郎教授。商品のデザイン性を重視していた大関は1961(昭和36)年、社内に「デザイン会議」を発足させており、ワンカップ大関をデザインした2人の教授は、この会議のメンバーでもあった。

瓶の形で変わったのは飲み口の部分だけだが、キャップの方式は今までに4度、変更されている。クレームがついた初代のプルアップキャップは、先述したように1970(昭和45)年の2代目登場時に引き剥がす形のティアオフ方式へと変更された。途中で周囲をぐるりと切り剥がす形になり、92(平成4)年に発売された現行商品からは、オーソドックスなプルアップ方式が採用されている。
初代で口漏れの問題が起こったことからも分かるように、キャップはかなりの製造技術が求められる重要なパーツ。今のキャップには内側に合成樹脂製のパッキンが付けられ、これが口漏れを完全に防ぐ形になっている。

ワンカップ大関の瓶は、飲んだ後も再利用する人が多い。筆差しや鉛筆立てにしたり、歯磨き用のコップにしてみたり。どんな使い方をしても不思議と似合ってしまうところが、このデザインが優れている証だろう。大関は「ワンカップのある風景」と題して、この瓶をテーマにしたCMを沢山作っている。


 
たなマーケットを開拓するために、ファミリーを拡大

ワンカップ大吟醸
ワンカップ純米酒

淡麗辛口の味わいが楽しめる「ワンカップ大吟醸」。180ミリリットル。参考小売価格は税別247円。

「ワンカップ純米酒」は飲みやすく値段も手頃。200ミリリットル。参考小売価格は税別190円。

ワンカップコンパクト
ワンカップブラック

軽量紙カップタイプの「上撰金冠ワンカップコンパクト」。180ミリリットルで参考小売価格は税別211円。

人気の「ワンカップブラック」は甘さと辛さのバランスが絶妙。200ミリリットルで参考小売価格は税別150円と値段もリーズナブル。

現在、日本酒の市場規模は全体で約380万石(1石=180リットル)ほど。カップ酒はそのうちの約30万石を占めている。約380万石という数字は、1973(昭和48)年のピーク時に比べると半分ほどに過ぎない。ここ10年ほど、日本酒市場は緩やかに縮小しているのだ。アルコール飲料の多様化、若い層の日本酒離れ、日本酒特有のネガティブなイメージ等々、理由は多々あるが、どのメーカーも現状を打破できるような対策を打つまでには至っていない。
93(平成5)年に販売のピークを迎えたワンカップ大関も、その後は徐々に販売本数を減らしてきた。それでも、依然としてカップ酒市場で約4割弱のシェアを確保しているのはさすがと言うべきだろう。

ワンカップ大関は、多様化する消費者の嗜好の変化に合わせて、次々とファミリーを拡大してきた。スタンダードな「上撰金冠ワンカップ」を中心に、「ワンカップ大吟醸」「特撰 しぼりたて純米」「ワンカップ純米酒」「ワンカップコンパクト」等、年を追ってバリエーション商品を追加。今ではトータルで約30種類ものラインアップを揃えている。
もちろん、1ブランドでこんなフルライン戦略を取れるのは、ブランドが確立しているワンカップ大関だからこそ。数え切れないほど多くのカップ酒が売られるようになった今でも、市場におけるワンカップ大関の存在感は抜きん出て大きい。

最近のヒット作は、多くのメーカーがしのぎを削る200ミリリットル市場に投入した「ワンカップブラック」。意表を突くブラックラベルを採用し、消費者に強烈な印象を与えた。製品の評価も高く、大関は先行メーカーに奪われていたこのジャンルのシェアを取り戻すことに成功した。
ユーザーニーズを的確に捉えた商品開発を進めた結果、ワンカップ大関は前年実績を上回る水準の売り上げを確保している。日本酒全体が低迷している中にあって、ワンカップ大関の健闘は業界全体にとっても明るい話題といえそうだ。

これからのワンカップ大関はどのように展開していくのだろう。3年ほど前にちょっとしたカップ酒ブームのようなものが起こったが、カップ酒の種類が増えただけで、ワンカップ大関の売り上げは変わらなかった。市場規模もほとんど変わらず、メーカーが期待した女性層や若年層の取り込みにもつながらなかった。
焼酎やワインのように、規模の大きなブームをカップ酒に期待するのは難しいかもしれない。だが、市場活性化のためのヒントはありそうだ。そのひとつが40歳代のマーケット。かつてのワンカップ大関を支えた層より一世代下にあたるこの層は、日本酒にそれほど抵抗がない。また、韓国や台湾など、日本酒が人気を集めているアジア圏を始め海外市場へ進出するという手もある。

誕生して44年、好調な時もあれば苦しい時もあった。かつては若者の酒として大人気を誇ったが、今はオジサンが飲む酒というネガティブイメージを背負わされている。
それでも、“元祖カップ酒”という大きな看板を背負った日本酒の革命児は健在だ。市場を牽引するカップ酒は、ワンカップ大関をおいて他にない。歴史はまだまだ続くのである。

 
取材協力:大関株式会社(http://www.ozeki.co.jp/
     
季節限定「ワンカップ大関」は、ひと味違う個性派揃い
上撰ワンカップ生貯蔵
8月までの限定商品「上撰ワンカップ生貯蔵」。180ミリリットル。参考小売価格は税別211円。

レギュラー商品だけでも豊富なラインアップを用意するワンカップ大関だが、それらに加えて大関は毎年、季節限定の個性的なワンカップ大関を発売している。今年2月から8月の間だけ発売されるのが「上撰ワンカップ生貯蔵」。製造過程で火入れをせず、瓶詰めの直前に一度だけ加熱処理をするのが特徴で、フレッシュな香りと豊かな味わいが楽しめる。
今年の2月まで発売されていたのが、「上撰 お燗酒コンパクト」と「上撰ワンカップ 新米新酒」。前者は蓋を取らずに電子レンジにかければそのまま熱燗になる手軽さがうけ、冬の日本酒党に支持された。後者はその年の新米だけで仕込んだ新鮮な風味が持ち味。おそらく今年の秋から冬にかけても、同様の季節商品が発売されることだろう。こうした季節限定商品を味わい尽くすのもまた、カップ酒の楽しみのひとつと言えそうだ。


   
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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