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ニッポン・ロングセラー考 Vol.66 河田 ダイヤブロック 作っては壊し、壊しては作り…子供たちを育てた純国産ブロック玩具

発想の原点は売れ残りの鉛筆キャップだった?

創業者・河田親雄

創業者・河田親雄。河田を一代で日本有数の玩具卸売業に育て上げた。2007年逝去。

ブロックキャップ

ダイヤブロック開発のヒントになったブロックキャップ。覚えている読者も多いのでは?

初期のダイヤブロック

発売当時のダイヤブロック。ピースは透明中心でキラキラしていた。

実家で探し物をすると、たまに珍しい物を発見することがある。最近、押し入れの奥から見つけたのは、ビニール袋いっぱいに詰まったカラフルなブロック玩具だった。「懐かしいなあ。ダイヤブロックだ」。40年ぶりくらいの再会だろうか。子供の頃、よくこれで遊んでいたっけ。
5歳になったばかりの子供を呼んで、遊ばせてみる。何やら興味津々の様子。「ほら、飛び出ている部分をこっちのブロックの窪みに入れてくっつけるんだよ」最初は組み立て方が分からず戸惑っていたが、すぐに理解したようだ。何を作れとも言ってないのに、いつの間にか動物のようなものを作っている。「面白い?」「うん」…そうだろうな。目が輝いているもの。
それにしてもこのダイヤブロック、いつ頃の物なんだろう? 40年前だとすると、それが今でもちゃんと使えるとは驚きだ。さすがに色がくすんで角は丸くなっているけれど、一つ一つがしっかりつながる。ただのオモチャとは思えない。

ダイヤブロックの製造元は株式会社河田。創業者の河田親雄(ちかお)は20代で玩具の卸売業を始め、1952(昭和27)年、東京・新宿に有限会社河田商店を設立した。扱っていたのはトランプ、花札、碁、将棋など、大人向けの定番玩具。派手さはないが、デパートや玩具専門店を中心に販路を拡大し、地道に業績を伸ばしていった。
転機が訪れたのは55(昭和30)年頃。名古屋のとある文具メーカーが「売れずに困っている。何とかならないだろうか」と、ある商品の販売を河田に依頼してきたのである。それは、2本並べて差し込む形の鉛筆キャップだった。当時は鉛筆の芯が折れないようにキャップを被せるのが一般的で、そのメーカーは赤と黒の鉛筆を同時に差せる商品を作ったのだ。が、意に反して文具としては売れず、仕方なくキャップを積み重ねて遊ぶ玩具として販売。「ブロックキャップ」と名付けられたその玩具は、親雄ら河田の経営陣の興味を引いた。試しに夏休みの工作用商材としてデパートで実演販売したところ、売れ行きは絶好調。ブロックキャップは河田の正式な取扱商品となった。

だが、売れる一方で課題も明らかになった。鉛筆キャップの形では遊び方に限界があるので子供はすぐに飽きてしまう。また経営面でも、河田には業界ならではの特殊な事情があった。玩具が一年のうちで最も売れるのは、クリスマスからお正月にかけての年末商戦。それ以外のシーズン、特に夏場は人々の関心が外に向くので玩具が売れないのである。通年で売れる商品が是非とも必要だったが、河田の業態は卸売業。一部オリジナル商品はあったが、企画から製造までを手掛ける商品はまだなかった。そこで親雄は考えた。「組み立てて何度も遊べるブロックキャップの発想は良い。これを改良して、もっと遊びやすく奥の深いものは作れないだろうか」と。河田が玩具メーカーへの本格的な一歩を踏み出した瞬間だった。
研究開発には7年近い年月がかかったが、時代は河田に味方した。原料のプラスチックが安くなり、プラスチック玩具のブームが到来したのである。1962(昭和37)年10月、河田はついに新しいブロック玩具の販売にこぎつけた。

プラスチック製ブロックの色は白・赤・青・黄の4種類。白以外は透明で、まるでダイヤモンドのようにキラキラ輝いていることから、製品名をダイヤブロックとした。ブロックのピースはポッチの数が2・4・8の3種類。大小のセットがあり、それぞれ300円と1000円の値付けだった。
発売当時のダイヤブロックは、現在の製品とは随分違っている。プラスチックに弾力性がなく、ピース同士をがちっと噛ませるため、一度つなげると外すのに力が必要だったのだ。それでも、今までに見たこともないユニークなブロック玩具に子供たちは飛び付いた。他の玩具に比べると高価だったが、人気が止むことはなかった。
しかもこの年、河田はディズニーとライセンス契約を結んでいる。河田はダイヤブロック発売の翌年に、ディズニーキャラクターをあしらった「ディズニーブロック」を発売。テレビ放送開始から約10年、この頃、ディズニーを初めとした海外のキャラクター番組が放送され、子供たちのハートをつかんでいたのである。開発に時間と手間はかかったが、親雄はダイヤブロックに確かな手応えを感じていた。


ブロック玩具の遊び方を変えた「モデルセット」の登場

ロッジセット
「ロッジセット」。当時の価格は1800円。
2重バネ構造

これがダイヤブロックの大きな特徴である「2重バネ構造」。

3LDKセット

1972年に発売された「3LDKセット」。マイホームへの憧れを反映し、ヒット商品に。

わたしのおうち

人形がセットされた「わたしのおうち」。以降、ダイヤブロックでのごっこ遊びが本格化する。

ダイヤブロックジュニア

「ダイヤブロックジュニア」。写真は発売当時のもの。

河田の大きな強みは、元々玩具の卸売業だった点にある。販売ルートは既に自社で開拓しているし、数多くの商品を納めていることから、大手流通との関係も良好だった。販売ルートを持たないメーカーが一から新商品を開発しても、軌道に乗せるのはなかなか難しい。
その販売方法についても、河田は独特の手法を採り入れた。ダイヤブロックの作成見本となるよう、社員が見栄えのする大きなタワーや家を造り、照明やデコレーションを付けて店頭でディスプレイしたのである。これには「こんなに凄い物が作れるのか」と、子供だけでなく大人までが引き付けられたという。

発売後しばらくは新商品の投入がなかったが、1966(昭和41)年、その後のダイヤブロックの方向性を決める大きな変化があった。「モデルセット」の発売である。それまでのダイヤブロックは、基本的には“自由な発想で一から好きな物を作る”玩具だった。もちろん今もそのコンセプトに変わりはないが、ブロック玩具には何でも自由に作る楽しさだけでなく、与えられたテーマに沿って組み立てる楽しさもある。河田が提案したのは、当時流行していたプラモデルのように、テーマの家を作るための部品と組み立て説明書をセットにした商品だった。説明書と言っても、立体図が描かれたような現在のものではなく、下から一段ずつ平面図を書き起こしたもの。それでも、モデルセットの「ロッジ」と「レストハウス」は好評を持って迎えられた。
翌67(昭和42)年には、庶民の憧れ“マイホーム”をテーマにした「3DKセット」を発売。この中に入っていた「サッシブロック」は新しい住宅の象徴でもあり、単独で発売されるほどの人気を集めた。

この頃、ブロックのピースも大きく変わった。プラスチックの素材はもっと弾力性のあるものになり、透明から色付きに変更。更に組み合わせの方法も、独自の2重バネ構造になった。これは凹側ピースの裏側中央に、壁のように2枚の板バネを設けるというアイデア。そこに凸側ピースのポッチをはめ込むと、バネのたわみでブロック同士が圧着される仕組みだ。組み立てやすく外しやすいこの構造は、今に至るまでダイヤブロックの大きな特徴の一つとなっている。

モデルセットの発売以降、シンプルな組み立て玩具だったダイヤブロックに“ごっこ遊び”の要素が加わった。家ができたら、次に欲しくなるのはそこに住む家族。それまでにもソフビ人形を同梱したセットは発売していたが、1971(昭和46)年発売の「わたしのおうち」に組み込んだ人形は、人形自体がブロックの形をしている斬新なものだった。
70年代はごっこ遊びの要素となる家を中心に、自動車や鉄道などの乗り物や建設機械、動物など、子供にとって身近な世界をテーマにしたバリエーション商品が次々と発売された。そこから、お小遣いで買える安価な「マスコットシリーズ」など新たなヒット商品が生まれた。ブロック玩具としての可能性を模索し始めた、ダイヤブロックの成長期といえるだろう。

また、ごっこ遊びが主流になり、ダイヤブロックで遊ぶ年齢層が小学校低学年にシフトしたため、より下の年齢層に向けた商品が新たに発売された。1969(昭和44)年の「ニューダイヤブロック(後のダイヤブロックジュニア)」は、幼児を対象に一回り大きくして角を丸めたダイヤブロック。79(昭和54)年の「ジュニアソフト」は、赤ちゃんの手に馴染むよう、空気で樹脂を膨らませて作った柔らかなダイヤブロックだ。両シリーズとも、オリジナルのダイヤブロックに続くロングセラー商品となっている。

 


SF、ロボット、みんなのまち──時代を映し出したシリーズ商品

「未来冒険」シリーズ

宇宙ブームを背景に登場した「未来冒険」シリーズ。

「みんなのまち」シリーズ

男の子も女の子も夢中になった「みんなのまち」シリーズ。

玩具は世相を反映する──世の中がバブル景気にわいていた80年代、ダイヤブロックもまた、非現実の世界をテーマにしたユニークな商品を続々とリリースした。1980(昭和55)年の「未来冒険 ダイヤコスモ」は宇宙をテーマに、その翌年の「未来冒険 ダイヤマリン」は海をテーマにしたSFシリーズ。この流れは83(昭和58)年の「スーパーアドベンチャー」シリーズへと発展し、男の子マーケットの拡大につながった。

ダイヤブロックの遊び方がごっこ遊びに移ったのなら、人形玩具のように女の子マーケットも獲得したい。河田は1984(昭和59)年に、女の子が好みそうなお城やマクドナルドをテーマにした「パステル」シリーズを発売した。人形も、それまでのデフォルメされたものからリアルな造形へと変更。この流れがSF物と並ぶ大きな柱になり、85(昭和60)年発売の「みんなのまち」シリーズへと発展した。
ダイヤブロックのシリーズ物は5、6年でフェードアウトするケースが多い中、このシリーズは11年もの長寿を記録。フラワーショップやマイホームなど女の子向けのアイテムを取り揃えながら、計80以上のバリエーション商品を発売した。CMを盛んに打つなど、河田が宣伝に最も力を入れたのもこのシリーズだった。ちなみに、「みんなのまち」シリーズは2007(平成19)年に現行ラインナップとして復活。子供も大人も楽しめるダイヤブロックとして、新たなファン層を開拓しつつある。

90年代に入ると、ダイヤブロックはより多様な方向へと進化していく。SFブームを背景にロボット物が数多く発売されたのもこの時期で、1991(平成3)年には変形や合体が可能な「ガンバリオン」と「バスターカイザー」が登場。95(平成7)年には、ダイヤブロック初の電動二足歩行ロボット「未来パトロール」シリーズが発売されている。
ここまでくるとブロック玩具の範疇を飛び出しているような気もするが、こうした“枠にとらわれない大胆な物づくり”もまた、ダイヤブロックの特徴のひとつといえるだろう。
ブロックで車の動きをプログラミングする70(昭和45)年の「プログラムカー」、LSIを搭載した86(昭和61)年のみんなのまち「消防署」&「アイスパーラー」、バーコードユニットで列車を制御する87(昭和62)年のみんなのまち「リニアカー」、赤外線リモコンでコントロールする91(平成3)年の「スーパー新幹線RC」など、例を挙げればきりがない。
80〜90年代のダイヤブロックは、現在の比較的シンプルな商品構成からは考えられないほど多彩なバリエーション商品を展開していた。子供と一緒になって夢を追求し続けた、ダイヤブロックの発展期といえるだろう。

変形ロボット「ガンバリオン」
「未来パトロール」シリーズ
みんなのまち「リニアカー」

変形合体ロボット「ガンバリオン」。ダイヤブロック初のアニメ的ロボットだった。

未来パトロール」シリーズの電動二足歩行ロボット「パトロギア」。当時の価格は5500円。

未来的なテイストにあふれていた、みんなのまち「リニアカー」。グッドデザイン賞を受賞。


 
親から子へ、子から孫へと受け継がれる“夢の1ピース”

「きほん105個入り」
最もベーシックな「きほん」シリーズ。105個入りで1050円。
「バラエティ500」

特殊な形のピースが入っている「バラエティ500」。5250円。

「ダイヤブロック〈復刻版〉」

発売45周年記念の「ダイヤブロック〈復刻版〉」。数量限定なので在庫のみ。2625円。

2000(平成12)年以降もダイヤブロックは子供たちの嗜好に合わせたバリエーション商品を発売し続けるが、そうした傾向は次第に変化していき、現在のラインナップはかなりシンプルな構成になっている。ダイヤブロックソフトは「ミッフィー」シリーズ、ジュニアは「ハローキティ」といったキャラクター物が中心。オリジナルのダイヤブロックは自由に作るタイプの「きほん」シリーズが主力になり、テーマ物としては復活した「みんなのまち」が目立つくらいだ。全体の販売数はここ数年、横ばいからやや縮小傾向にあるという。

いささか淋しく思えるが、子供の絶対数が減り、遊びの種類が多様化した事を考え合わせると、ダイヤブロックの健闘ぶりはむしろ注目に値する。ブロック玩具づくりで最も難しいのは金型の製作。市場シェアを維持するためには、ダイヤブロックのように絶えず新製品を作り続けなければならないのだ。規模の小さなメーカーでは、金型製作のコスト負担に耐えられない。しかもダイヤブロックは、昔も今も製品のほとんどを日本の工場で一貫生産している。玩具としての安全性を守るためと、一般の玩具よりも高い精度が要求されるためだが、この点が今、各方面から再評価されつつあるのだ。
近年、ダイヤブロックは清涼飲料メーカーや食品メーカー、自動車メーカーなど他業種との間で頻繁にコラボレーションを行っているが、その背景には単なる懐かしさだけではなく、ダイヤブロックが“純日本製”であるという安心感があるという。それが、コラボ相手の商品イメージ向上につながっているのだ。

ダイヤブロックは発売当時の活気あふれる成長期に始まり、あらゆる可能性を追求した発展期を経て、今再びシンプルな製品づくりに戻りつつある。原点回帰と言っても良いだろう。原点に戻って見えてきたのは、ダイヤブロックが持つ“ブロック玩具としての完成度の高さ”だ。
思いのまま自由に何でも作ることができ、壊してバラバラにするのも簡単。自分だけの形を作るだけでなく、複雑な形のものを説明書どおりに作る楽しさもある。1966(昭和41)年以降の製品なら、どの時代のダイヤブロックと一緒に使っても互換性に問題はない。しかも子供の成長に合わせて最適な製品を選ぶことができ、どの製品も安全・安心が保証されている。日本で生まれた知育玩具として、世界に誇れる製品ではないだろうか。

最近は、親子でダイヤブロックを楽しむ家庭も増えているという。誕生して46年も経つから、祖父が遊んだダイヤブロックが孫へと受け継がれているケースがあるかもしれない。押し入れの中に、子供の頃遊んだダイヤブロックが眠っていることもあるだろう。
「できたよー」と、子供ができたばかりの作品を見せてくれた。「パンダだね」「うん」「今度は一緒に作ろうか」──夢の1(ワン)ピースが、子供との距離を縮めてくれた。

 
取材協力:株式会社河田(http://www.diablock.co.jp/
     
大人も夢中になる? 極小サイズのブロックが新登場
「ナノブロック スタンダードカラーセット」「ナノブロック スタンダードカラーセット」
「ナノブロック スタンダードカラーセット」。3,675円(税込)。最小ピースは4×4×5mm。レッド、ブルー、グリーン、イエロー、ホワイト、ブラックの6色×パーツ7種類(ホワイト、ブラックは6種)+プレート1枚、約1100ピースのセット。

ダイヤブロックの新しい方向性を示すのが、今年10月31日に発売予定の新製品「ナノブロック」。その名のとおり、最小ピースの大きさはわずか4ミリ四方。従来のダイヤブロックの半分の大きさしかない、極小サイズのブロックだ。当然、ダイヤブロックとの互換性はないが、ミニサイズならではの豊かな表現力はダイヤブロックを上回る。テクニック次第でかなり細部まで作り込む事ができるだろう。これならダイヤブロックの表現力に物足りなさを感じていた大人のファンにもウケそうだ。ラインナップは「スタンダードカラーセット」「ダークトーンカラーセット」「モノトーンカラーセット」の3種類。シンプルなパッケージも、正しく大人のホビーという雰囲気。プラモデルメーカーが監修したビッグサイズの「戦艦大和」と「空母赤城」も同時発売される。

 
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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