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「ロッジセット」。当時の価格は1800円。 |
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これがダイヤブロックの大きな特徴である「2重バネ構造」。
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1972年に発売された「3LDKセット」。マイホームへの憧れを反映し、ヒット商品に。
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人形がセットされた「わたしのおうち」。以降、ダイヤブロックでのごっこ遊びが本格化する。
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「ダイヤブロックジュニア」。写真は発売当時のもの。
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河田の大きな強みは、元々玩具の卸売業だった点にある。販売ルートは既に自社で開拓しているし、数多くの商品を納めていることから、大手流通との関係も良好だった。販売ルートを持たないメーカーが一から新商品を開発しても、軌道に乗せるのはなかなか難しい。
その販売方法についても、河田は独特の手法を採り入れた。ダイヤブロックの作成見本となるよう、社員が見栄えのする大きなタワーや家を造り、照明やデコレーションを付けて店頭でディスプレイしたのである。これには「こんなに凄い物が作れるのか」と、子供だけでなく大人までが引き付けられたという。
発売後しばらくは新商品の投入がなかったが、1966(昭和41)年、その後のダイヤブロックの方向性を決める大きな変化があった。「モデルセット」の発売である。それまでのダイヤブロックは、基本的には“自由な発想で一から好きな物を作る”玩具だった。もちろん今もそのコンセプトに変わりはないが、ブロック玩具には何でも自由に作る楽しさだけでなく、与えられたテーマに沿って組み立てる楽しさもある。河田が提案したのは、当時流行していたプラモデルのように、テーマの家を作るための部品と組み立て説明書をセットにした商品だった。説明書と言っても、立体図が描かれたような現在のものではなく、下から一段ずつ平面図を書き起こしたもの。それでも、モデルセットの「ロッジ」と「レストハウス」は好評を持って迎えられた。
翌67(昭和42)年には、庶民の憧れ“マイホーム”をテーマにした「3DKセット」を発売。この中に入っていた「サッシブロック」は新しい住宅の象徴でもあり、単独で発売されるほどの人気を集めた。
この頃、ブロックのピースも大きく変わった。プラスチックの素材はもっと弾力性のあるものになり、透明から色付きに変更。更に組み合わせの方法も、独自の2重バネ構造になった。これは凹側ピースの裏側中央に、壁のように2枚の板バネを設けるというアイデア。そこに凸側ピースのポッチをはめ込むと、バネのたわみでブロック同士が圧着される仕組みだ。組み立てやすく外しやすいこの構造は、今に至るまでダイヤブロックの大きな特徴の一つとなっている。
モデルセットの発売以降、シンプルな組み立て玩具だったダイヤブロックに“ごっこ遊び”の要素が加わった。家ができたら、次に欲しくなるのはそこに住む家族。それまでにもソフビ人形を同梱したセットは発売していたが、1971(昭和46)年発売の「わたしのおうち」に組み込んだ人形は、人形自体がブロックの形をしている斬新なものだった。
70年代はごっこ遊びの要素となる家を中心に、自動車や鉄道などの乗り物や建設機械、動物など、子供にとって身近な世界をテーマにしたバリエーション商品が次々と発売された。そこから、お小遣いで買える安価な「マスコットシリーズ」など新たなヒット商品が生まれた。ブロック玩具としての可能性を模索し始めた、ダイヤブロックの成長期といえるだろう。
また、ごっこ遊びが主流になり、ダイヤブロックで遊ぶ年齢層が小学校低学年にシフトしたため、より下の年齢層に向けた商品が新たに発売された。1969(昭和44)年の「ニューダイヤブロック(後のダイヤブロックジュニア)」は、幼児を対象に一回り大きくして角を丸めたダイヤブロック。79(昭和54)年の「ジュニアソフト」は、赤ちゃんの手に馴染むよう、空気で樹脂を膨らませて作った柔らかなダイヤブロックだ。両シリーズとも、オリジナルのダイヤブロックに続くロングセラー商品となっている。
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