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発売当時の「ほんだし」。瓶入りと袋入りの2バージョンは今も変わらない。 |
「かつお風味のほんだし〜♪」──食卓に上るお味噌汁や煮物を前にすると、時たまこのメロディーが頭の中を流れる。テレビCMのキャラクターは女優の池内淳子さん。ブラウン管の向こうから池内さんが差し出すお味噌汁は、本当に美味しそうだった。
味の素から和風だしの素「ほんだし」が発売されたのは、今から約40年前の1970(昭和45)年11月。もっと昔からあったような気がするのは、その圧倒的な知名度のせいかもしれない。和風だしの素市場でのシェアは50%以上。発売後5年で40%に達し、販売量も99(平成11)年まで右肩上がりを続けてきた。用途の広い風味調味料として、「ほんだし」ほど家庭に浸透している商品は他にない。発売元の味の素株式会社にとっても、「ほんだし」は「味の素」に並ぶ基幹商品となっている。
「ほんだし」が発売された当時、日本は高度経済成長の波に乗り、生活のあらゆる面が大きく様変わりしつつあった。食生活はどう変わったか。核家族化の進行によって、いわゆる“おふくろの味”の継承が難しくなった。また食の洋風化が進んだことにより、和食そのものの頻度が徐々に低下していった。洋風化と同時に進行したのは、食の簡便化。女性の社会進出が珍しくなくなり、家事労働の低減や料理時間の短縮が求められるようになった。スーパーが登場し、棚に加工食品や冷凍食品が並ぶようになったのもこの頃である。
こうした流れの中にあって、台所に立つ女性にとって「だしを取る」事は、依然として骨の折れる作業だったに違いない。代表的なかつおだしにしても、まずかつお節を削る事自体が手間の掛かる作業だ。削り節ができた後は、煮出し時間に神経を使う。一番だしや二番だしなど、用途によって手間の掛け方が違ってくるからだ。失敗すると時間も手間も無駄になってしまう。
和風だしの素の誕生には、食生活をめぐるこうした背景があった。さらには、調味料自体に変化があったことも見逃せない。精製度の高い精製塩や上白糖から、天然原料を使用したナチュラル系調味料へと消費者のニーズが変化したのである。かつお風味の和風だしの素の場合、主原料はまさにかつお節そのもの。消費者に受け入れられる素地は充分にあった。
実は、最初に発売された和風だしの素は「ほんだし」ではない。1964(昭和39)年に発売された競合他社の製品が市場を開拓し、数社がそれに続いた。味の素は単一うま味調味料(「味の素」)と複合うま味調味料(「ハイミー」)の分野では先陣を切り、業界トップを走っていたが、風味調味料の分野では後発だったのである。
だが後発だからこそ、味の素には“ベター&ディファレント”な商品を開発することが可能だったともいえる。和風だしの素にとって大切なポイントは、香り・コク・うま味の三要素。味の素にはコクとうま味を作り出すノウハウはあったが、香りに関しては一から研究しなければならなかった。開発陣は厳選した薪を燃やし、煙でかつおを燻して香りを付ける焙乾(ばいかん)技術に独自のノウハウを投入。職人の技と味の素の技術を融合させて、かつお節をつくり上げる事に成功した。
次はかつお節を粉砕し、かつおエキスやうま味成分などの粉末を混ぜ合わせる段階。だが、ここに大きな問題があった。当時の「ほんだし」の容器は、70g入りの瓶と60g入りの袋詰めパック。これだと大きく重い粉末だけが容器の下方に移動してしまい、味の均一性が保てなくなってしまうのである。同時に、粉末同士が吸湿して固まるという問題もあった。
難題だったが、社内の医薬部門で使われていた造粒のノウハウが道を切り開いた。つまり、異なる大きさの粉末同士を練り固めた顆粒にすることで、粉末分散と固着の問題をクリアしたのである。
「ほんだし」は、味や風味、製法もそれまでの和風だしの素とは決定的に違っていた。発売時の小売価格は瓶入りが120円、詰め替え用の袋入りが80円。先行商品よりもやや高かったが、消費者の目は確かだった。なかなか拡大しなかった和風だしの素市場は、「ほんだし」の登場で一気に活気づいたのである。 |