|
アーム筆入の生みの親であり、サンスター文具の現社長でもある伊藤幸信さん。子供の頃から機械や工作が大好きだったという。 |
|
初期のアーム筆入。サイズやデザインが頻繁に変わっているため、もはや社内にも商品の全貌を把握している人はいないらしい。 |
子供の頃使っていた文房具で、最も思い入れの強いものは何だろう。鉛筆? 消しゴム? それともノート? 人によってさまざまだろうが、多くの人は「筆入れ(筆箱)」と答えるのではないだろうか。昔の小学生にとって、文房具は単なる実用の道具ではなかった。キャラクターが描かれた鉛筆や消しゴムは、玩具と同じくらい大切なもの。それを入れる筆入れは、中身以上にカッコよくて友達に自慢できるものでなければならなかった。そう、子供たちにとって筆入れは、夢がいっぱい詰まった宝箱のような存在だったのである。
戦後間もない頃の小学生なら、セルロイド製の筆入れを使っていたことだろう。昭和30年代の小学生なら、プラスチックの箱形筆入れを使っていたかもしれない。スナップ式やボタン留めのビニール製箱形筆入れや、表面に人気アニメのキャラクターが描かれた筆入れが登場したのもこの頃だ。
日本の筆入れの歴史が始まって間もないこの時期、ひとつの爆発的なヒット商品が誕生する。その名は「アーム筆入」。東京のサンスター文具が開発した、合わせ蓋方式のシンプルな箱形筆入れだ。形は思い出せなくても、「象が踏んでも壊れない!」というテレビCMのキャッチコピーを覚えている人は多いはず。あのCMを見て親に買ってもらい、自ら強度実験を行った子供たちがいかに多かったことか。
さすがにもう作っていないだろうと思って調べてみたら、「NEWアーム筆入」として今もちゃんと販売されている。文具業界は商品数の割にロングセラーが少ない。その意味でもアーム筆入は貴重な存在なのだ。
アーム筆入の生みの親は、現社長の伊藤幸信さん。ちょうど商品企画を担当していた20代半ばの頃、「落としても割れない丈夫な筆入れ」の企画が持ち上がった。
昭和30年代後半、世間に広く普及していたのは、セルロイド製の筆入れとプラスチック製の筆入れだった。セルロイド製筆入れは落としても割れにくかったが、わずかな火種でも引火して燃えてしまうという欠点があった。当時はまだ家庭内に電熱器や火鉢など剥き出しの火種があり、セルロイド製品に引火する事故が少なくなかったのである。一方のプラスチック筆入れは燃えにくかったが、床に落としたり踏んでしまうと簡単に割れるという欠点があった。
サンスター文具は後発だったが、プラスチック筆入れへの切り替えが早かったため、業界では既にトップメーカーになっていた。だが割れやすいというプラスチックの欠点を解消しなければ、会社の将来は見えてこない。伊藤さんの肩に重いプレッシャーがのしかかった。
燃えにくく、床に落としても割れない丈夫な素材──そればかりを考えていたある日、自宅でテレビを観ていたらこんなニュース映像が目に入ってきた。
湘南のカミナリ族(暴走族)が信号に向かって石を投げている。だが、石が当たっても信号機のランプは割れる気配がない。ガラスなら簡単に割れるはずなのに。伊藤さんはひらめいた。「あれはガラスじゃないのかも。もしかしたら新しい筆入れに使えるかもしれない」
地元の警察に問い合わせたところ、信号機のランプはガラスではなく、耐衝撃性や耐熱性に優れた新素材、ポリカーボネートであることが分かった。今でこそCDやDVDなどの原料としてよく知られているが、ポリカーボネートが産業界で使われ出したのは1960年代に入ってから。アーム筆入が極めて斬新な製品だったことは間違いない。それだけに開発は苦労の連続だったという。商品化するまでにサンスター文具は、かなりの赤字を出している。
企画を通すのも簡単ではなかった。伊藤さんは役員会議の席で試作品を見せたが、「丈夫なのはいいが、丈夫すぎて買い換え需要がなくなってしまう」と、否決されてしまったのである。そこで伊藤さんは社長に直談判し、ポリカーボネートのメリットや新しい筆入れの可能性を熱心に説明した。ここで諦めなかった伊藤さんも凄いが、「そんなに良い商品なら、売り上げが減ってもかまわないから作りなさい」とゴーサインを出した社長の決断もまた凄い。この思い切りの良さが、かつてないヒット文具を生むことになる。
アーム筆入の発売は1965(昭和40)年。残念ながら当時の資料が残っていないので詳細は不明だが、数種類のサイズがあり、価格は150〜250円くらいだったらしい。ちなみにアーム筆入という名称は、当時盛んだったプロレスに由来する。レスラーが力強く腕を組んでいるさまが、筆入れの丈夫さを連想させることから名付けられた。 |