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ニッポン・ロングセラー考 Vol.75 ガリガリ君 赤城乳業 年間販売3億本が見えてきた遊び心いっぱいの定番アイス

ピンチから生まれた「スティックタイプのかき氷」

「ヒロセヤ」

赤城乳業のルーツとなった「ヒロセヤ」。ペンギンは70年代まで同社のアイコンとして使われていた。

「赤城しぐれ」

今も発売されている「赤城しぐれ」(60円)。発売当時のデザインもこれに近かった。カップが波状になっているのは、氷をすくうとき滑らないようにするため。

現社長:井上秀樹氏

井上秀樹社長。会社の窮地を画期的な新商品「ガリガリ君」で乗り切った。

常務取締役開発本部長の鈴木政次氏

常務取締役開発本部長の鈴木政次氏。「ガリガリ君」育ての親と呼ばれている。

汗だくになって飛び込んだコンビニ。アイスケースに近づき、「今日はどの味にしようかな?」とひとしきり悩んだ末に、いつものソーダ味を持ってレジへ行く。袋を開けて、勢いよくガリッ、ガリッ。氷をかみ砕く音と共に、頭の芯がキーンとする。「あー冷たい! あーおいしい!」
子供にとって、「ガリガリ君」ほどなじみのあるアイスキャンディーは他にない。ガリガリとしたかき氷の食感、季節によって変わる味のバラエティー、愛きょうたっぷりのキャラクター、当たりが出るかもというワクワク感、そして、100円でおつりがくる手頃な価格。魅力を感じるのは子供ばかりではない。若いサラリーマンが仕事帰りにコンビニで買ってガリガリ。家庭では、お風呂上がりのお父さんがマルチパックの箱から抜き出してガリガリ。
夏、私たちが一番よく目にするキャラクターは、もしかしたら「ガリガリ君」かもしれない。

「ガリガリ君」を作っているのは、埼玉県深谷市に本社を置く赤城乳業。同社のルーツは、1916(大正5)年に現社長の祖父・井上徳四郎が深谷駅前に開業した「ヒロセヤ」にまでさかのぼる。深谷は中山道で軽井沢と結ばれていたので、夏場は天然氷の需要がある。徳四郎は氷を売りながら、周囲の顧客を相手にアイスクリームの販売にも乗り出した。
創業家が赤城乳業株式会社を設立したのは、経済成長の兆しが見え始めた1961(昭和36)年。埼玉県の会社なのに、あえて群馬県にある山の名を付けたのは、「裾野の広い赤城山のように、広く大衆に好まれる商品を作りたい」という思いから。ちなみに設立の時点では、まだ乳製品を手掛けていなかった。

かき氷がメイン商品だった赤城乳業は、1964(昭和39)年にカップ入りかき氷「赤城しぐれ」を発売する。かき氷は町のアイスクリーム屋で食べるのが当たり前だった時代に発売されたこの商品は、予想をはるかに超える大ヒット商品になった。会社の基盤も安定したが、発売から15年後の79(昭和54)年、赤城乳業は思わぬピンチに見舞われる。
この頃、第二次オイルショックによるコスト高を吸収するため、氷菓メーカーは主力商品を一斉に値上げした。赤城乳業も「赤城しぐれ」を30円から50円に変更。ところが大手メーカーが価格を維持したために、「赤城しぐれ」を始めとする同社の商品は売れ行きを落としてしまったのである。ヒット商品も出ないから、工場ラインはストップ寸前。設立以来、初めて経験する危機的状況だった。

このピンチを打開すべく、現社長で当時の専務取締役開発本部長であった井上秀樹が新商品開発の中心に据えたのが、現在、常務取締役開発本部長の鈴木政次氏。現社長と共に「ガリガリ君」誕生の要となった人物だ。
開発陣が悩んだ末にひねり出したのは、「会社の財産である『赤城しぐれ』を、ワンハンドで食べられるようにする」というアイデアだった。アイス商品のメインターゲットは子供。ならば、遊びに夢中の子供が食べやすいよう、スティックタイプのかき氷を作ろうという発想だ。一般的なアイスキャンディーではおなじみの形だったが、それまでのかき氷商品にはスティックタイプがなかったのである。
その理由を、後に赤城乳業の開発陣は身をもって知ることになる。


窮余の策だったコンビニ販売で大成功

発売当時の「ガリガリ君」
1986〜89年の「ガリガリ君」

発売当時の「ガリガリ君」。現行商品とは異なり、キャラクターは確かにガキ大将の印象が強い。

こちらは1986〜89年の「ガリガリ君」。商品ロゴが現在のデザインに変わっている。

1992年の「ガリガリ君」
1997年の「ガリガリ君」

1992年の「ガリガリ君」。キャラクターはそのままで、値段の表記が60円になっている。

1997年の「ガリガリ君」。キャラクターのデフォルメ化が進んでいる。

1980(昭和55)年、赤城乳業はかき氷をゼリー状に固めた棒スティックタイプのアイスを発売。この商品は大いに売れたが、次々とクレームが舞い込み、すぐに製造どころではなくなってしまった。ゼリーではかき氷を充分に固められず、袋の中でバラバラになってしまったのである。開発陣全員が、スティックタイプのかき氷の難しさを痛感した出来事だった。
失敗はしたが、新商品に必要な要素もはっきりした。薄いアイスキャンディーの膜を作って、その中にかき氷を入れれば型くずれしない──このシェル(膜)とコア(中に入れるかき氷)の発想が、「ガリガリ君」の原点となった。作り方の基本は至ってシンプル。アイスの金型にアイスキャンディーを流し込み、外側だけが固まった段階で中の液体を抜き取り、そこにかき氷(赤城乳業では「ガリガリ氷」と呼ぶ)を充てんする。規模こそ拡大したが、この製造方法は今も全く変わっていない。

フレーバーと色も、アイスキャンディーの大きなセールスポイント。鈴木氏ら開発陣は、当時子供たちに人気のあった炭酸飲料をヒントに、ソーダのフレーバーを選んだ。子供たちが外で元気よく遊ぶシーンを想定し、色は空や海をイメージさせる水色に決定。新商品の形がほぼ見えてきた。
だが子供に選んでもらうには、まだ何かが足りない。そこで開発陣は、新商品にワクワク感や楽しさをプラスすることを考えた。まずは商品名。実は発売直前まで、かき氷をかじったときの擬音「ガリガリ」でほぼ決まっていた。音の響きは良いが、どこか寂しい気がする。誰もがそう思っていたところに上がったのが、「じゃあ、君を付けようよ」という社長の一声だった。「ガリガリ君」という、ちょっととぼけた個性的な商品名はこうして決まった。

商品名が「ガリガリ君」なら、それに見合ったキャラクターが欲しいという理由から生まれたのが、イガグリ頭と大きな口が特徴の「ガリガリ君」。“昭和30年代のガキ大将”をモチーフに社内でデザインしたキャラクターで、中学3年生の設定だった(現在は小学生)。子供を対象にした商品でオリジナルキャラクターを作るのは珍しくないが、わざわざレトロ感漂うガキ大将を選ぶところが、赤城乳業独特のセンス。一般的に考えればもっと可愛らしいデザインにしたいところだが、それではインパクトが足りない。後年、商品づくりや販促における“外し”の感覚は赤城乳業のお家芸のようになってくるが、その出発点が「ガリガリ君」のキャラ設定にあるのは明らかだ。
更に子供にワクワク感を抱いてもらうため、当たりくじを付けたのも大きな特徴。子供にとってその場でもう一本もらえる喜びは、ことのほか大きいのである。

「ガリガリ君」の発売は1981(昭和56)年。価格は1本50円で、フレーバーはソーダの他に、コーラとグレープフルーツを用意した。ところが、販売本数が思ったように伸びない。その理由は販路にあった。当時は、アイスキャンディーの売り上げの60%を、駄菓子屋などの一般小売店が占めていた。店頭では大手メーカーがショーケースを抑えてしまい、「ガリガリ君」は置き場所すら満足に確保できなかったのだ。
そこで目を付けたのが、次々とその数を増やしつつあったコンビニ。大手メーカーは小売店やスーパーが中心で、まだコンビニ販売には力を入れていなかった。赤城乳業はメインの販売チャネルをコンビニに置き、各チェーンの名を冠した「ガリガリ君」を販売。85(昭和60)年には通年販売を狙って秋冬バージョンの「ソフト君」を、95(平成7)年には同じく冬用の「カジロー」を投入した。同時に営業面でも強化を図り、コンビニチャンネル専門の販売部隊を設立。こうした努力が実を結び、コンビニでの販売金額は、10年で約3倍にまで伸びた。
過去の経験を活かした戦略もあった。他社が商品を10円値上げした90(平成2)年」にはあえて追従せず、1年間我慢したのである。60円になってからも、「ガリガリ君」の売れ行きが落ちることはなかった。

 

全面刷新したキャラクターとテレビCMで全国商品に

1994年の「ガリガリ君」レモンスカッシュ
1996年の「ガリガリ君」アプリコット

「ガリガリ君」レモンスカッシュ(1994年)。

「ガリガリ君」アプリコット(1996年)。

1999年の「ガリガリ君」赤ぶどうサワー

「ガリガリ君」赤ぶどうサワー(1999年)。

マルチパックの「ガリガリ君」

マルチパックの「ガリガリ君」(写真は現行商品)。この商品でスーパーへと販路を拡大した。

2000年の「ガリガリ君」

意表を突く3Dキャラで登場した2000年の「ガリガリ君」。以降、パッケージは横スタイルが主流になっていく。

「ガリガリ君」が売れた理由のひとつに、発売当時から継続している独特のバリエーション戦略がある。基軸商品のソーダだけが通年商品で、それに加える形で季節毎に新しいフレーバーを併売しているのだ。これまでに発売したフレーバーは、50種類を越えるという。コーラやグレープフルーツなど半ば定番的なフレーバーもあれば、さくらんぼや柚子のように珍しいフレーバーもある。消費者の嗜好の変化を一早く汲み取っている結果だろう。

コンビニチェーンとの取り組みを推し進めた赤城乳業は、アイス市場が過去最高の4270億円を売り上げた1994(平成6)年に、それまでで最高の販売本数6600万本を達成した。飛ぶ鳥を落とす勢いの「ガリガリ君」だったが、他のメーカーが黙って見ているはずもない。90年代後半には「ガリガリ君」タイプのアイスキャンディーがコンビニに溢れ出し、一挙に競争が激しくなった。
面白いことに97(平成9)年、赤城乳業は7本入りのマルチパックを発売し、スーパーへと販路を拡大している。ちょうど他メーカーとは逆の方向に動いたわけだ。以降、アイス市場が徐々にシュリンクする中でも、「ガリガリ君」は右肩上がりに販売本数を伸ばしていった。

一方、販売を担当する営業部は、「ガリガリ君」の売れ行きに壁を感じていた。コンビニに進出した時ほどの勢いはもうない。この先更に伸びるためには何が必要なのか。それを知るため、赤城乳業は大金を投じて全国3万人規模の消費者調査を実施した。だが、そこから判明したのは思いがけない衝撃の事実だった。「ガリガリ君」が嫌いという声が、目立って多かったのである。「汗が泥臭い」「歯ぐきが汚い」「田舎くさい」と、評価は散々だった。特に若い女性の見方は、全否定に近かった。
商品を買ってくれる生活者の視点を忘れていた──その反省点に立ち、2000(平成12)年の春、赤城乳業は「ガリガリ君」の全面リニューアルを決行した。最初に手を付けたのは、「ガリガリ君」のキャラクターデザイン。それまでにも小さな変更を加えてきたが、この時は外部のデザイナーを起用し、大胆にも3D化したガリガリ君を採用した。

販促面でも社運をかけた試みに挑戦し、初めてのテレビCMを実施。販売店からは「何を今更」の声もあったが、「ガ〜リガ〜リ〜君♪」を連呼するユニークなCMソングの効果もあり、「ガリガリ君」はその強烈な存在感を改めてアピールすることに成功した。
ちなみにお笑いタレントのポカスカジャンが歌うこのCMソングは、あまりにも評判が良かったため、2003(平成15)年にはCDになっている。メディアが自然発生的に「ガリガリ君」を取り上げるようになったのもこの頃だ。他のアイスキャンディーとは大きく違う「ガリガリ君」の特異性が、雑誌やテレビの興味を誘ったのである。“お金をかけない宣伝”をモットーにしていた赤城乳業にとって、これは大きな援軍となった。
「ガリガリ君」の認知度をさらに向上させた赤城乳業は、それまで食い込めなかった西日本のスーパーチェーンにも販路を拡大。2000(平成12)年の販売本数は、ついに1億本を突破した。


 
すべてのプロモーションはアイス売り場のために

「ガリガリレインボー売場」イメージ

「ガリガリレインボー売場」のイメージ。商品の楽しさが伝わってくる。

現行の「ガリガリ君」ソーダ3種類

現行の「ガリガリ君」ソーダ3種類。1つのフレーバーに、わざわざ3種類のパッケージを作っている。

「ガリガリ君リッチ」チョコチョコチョコチップ

「ガリガリ君リッチ」の夏商品はチョコチョコチョコチップ。

2000(平成12)年以降も「ガリガリ君」の快進撃は続く。マーケティング担当者が考えたのは、キャラクターを中心にさまざまな話題を提供し、アイス売り場に人を集めること。この原点になったのが、05(平成17)年に行った店頭テスト企画「ガリガリレインボー売場」だった。フレーバーが異なる7種類の「ガリガリ君」を虹のように並べて陳列した結果、今まで以上に親子層が興味を持ってくれたのである。
他にも、ゲームソフトのキャラクターとして「ガリガリ君」を登場させたり、小学生がよく読んでいる漫画雑誌で「ガリガリ君」の連載をスタートさせるなど、「ガリガリ君」が子供たちの話題になるような仕掛けを積極的に展開。玩具メーカーや文具メーカーと協業し、「ガリガリ君」アイテムを発売するようになったのもこの頃からだ。

さらに発売25周年にあたる2006(平成18)年には、「元気で、楽しく、くだらない」という「ガリガリ君」の世界観をより多方面に広げるため、あっと驚くような(時には脱力するような)プロモーションを立て続けに実施。ひとつの商品に3種類のパッケージを用意したり、必要もないスプーン入れを作って店頭に置いたり、はたまた部活気分のファンクラブ「ガリガリ部」を作ったりと、奇想天外なアイデアを次々と形にしていった。
こうした販促活動をスムーズに行うため、赤城乳業は子会社「ガリガリ君プロダクション」を設立。商品から生まれたキャラクター「ガリガリ君」は、独立してキャラクタービジネスを行えるまでに成長したのである。

口コミを意識的に活用するようになったのも2006(平成18)年から。需要が低下する冬に「ガリガリ君」の妹「ガリ子ちゃん」アイスと、小学生のブルジョア感を刺激する100円アイス「ガリガリ君リッチ」を発売。「ガリ子ちゃん」はネット上で萌え系論争を巻き起こし、おみくじを取り入れた「ガリガリ君リッチ」は「合格に効く」という口コミを誘発。共に市場の活性化につながった。この年の冬、「ガリガリ君」は例年の約2.5倍も販売本数を伸ばしている。

時には消費者からツッコミを入れられるような小ネタもあるが、あらゆる生活シーンに「ガリガリ君」の話題を投げ込むというプロモーション戦略は、確かな実績を残している。ここ数年、アイス市場はほぼ横ばいで推移しているが、昨年の「ガリガリ君」の販売本数は、なんと2億5500万本。日本人全員が1年に2本食べている計算だ。前代未聞の3億本達成も現実味を帯びてきた。「ガリガリ君」は、日本で一番数多く売れているアイスキャンディーなのである。

現在、「ガリガリ君」の中心購買層は子供ではなく、30〜40代の男性だという。小学生の頃に食べ始めたとすれば、世代的にはちょうどそのくらいになる。親子2代にわたる「ガリガリ君」ファンも珍しくない。
発売から28年という歴史は、ロングセラー商品としてはまだ若い部類に入る。だが、キャラクターが中心となった独自の世界観を、ここまで作り手と消費者が共有している商品はめったにない。その商品性はアイスキャンディーの枠組みをはるかに超えている。「ガリガリ君」の歴史は、まだ始まったばかりなのである。

 
取材協力:赤城乳業株式会社(http://www.akagi.com/
     
夏なのになぜ?──期間限定「ガリガリ君温泉」がオープン!
「ガリガリ君温泉」
ソーダのような爽快感が特徴の「ガリガリ君温泉」。期間中は約30万人の入浴が見込まれている。

「ガリガリ君」を巡る今年一番の大ネタは、夏休み思い出企画と銘打った「ガリガリ君温泉」。7月18日から9月30日までの期間限定で、「箱根小涌園ユネッサン」にオープンしている。その特徴は、浴槽の上に設置した約2メートルもある巨大なガリガリ君のパッケージ。お湯にはソーダの香りがするメントール系のオリジナル入浴剤を使用し、風呂上がりにはさっぱりとした清涼作用が得られるのだとか。ファンにはおなじみの「ガリガリ君」入浴剤も特別販売されている。夏の真っ盛りにわざわざ温泉をピックアップする、この“外し”感覚が「ガリガリ君」マーケティングの真骨頂。もちろん風呂上がりには「ガリガリ君」をお忘れなく。


タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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