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トクホン創業者の鈴木由太郎。若い頃から薬のエキスパートだった。 |
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トクホンが最初に製造販売した頭痛膏「乙女桜」。一般薬ではなく、得意先向けの配置薬だった。 |
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萬金膏「シカマン」。後に「キクマン」に名称変更し、大ヒット商品となった。 |
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初代トクホン。桐箱入れで問屋に卸され、袋単位で売られていた。 |
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永田徳本の銅像。「甲斐の医聖」として名を馳せた人物だった。 |
誰もが日常的に経験している肩こりや腰の痛み。「やれやれ、またか」と思いながら救急箱から取り出すのは、四角い消炎鎮痛貼付薬。多分それは、「トクホン」か「サロンパス」だろう。日本人なら誰もが知っているこの2製品は、興味深いことにわずか1年違いで誕生している。トクホンは1933(昭和8)年に東京で、サロンパスはその1年後に佐賀県で。今回は日本で初めて量産された消炎鎮痛貼付薬、トクホンの歴史をたどってみよう。
トクホンの生みの親は、明治生まれの鈴木由太郎。幼い頃から薬に興味を持っていた由太郎は、浅草の製薬会社で薬の処方を覚え、若干21歳の若さで独立。1901(明治34)年に医薬品製造販売業
鈴木日本堂を創立する。
由太郎が並みの商売人でないことは明らかだった。これからは「消耗するもの、大量生産できるもの、保存できるもの、手軽に持ち運べるもの」こそが売れると考え、その条件に当てはまる貼り薬(貼付型の膏薬・こうやく)に絞って商品づくりを進めたのである。
初の商品となる頭痛膏(こう)「乙女桜」に始まり、風邪薬「オピトリン」、「アカギレ膏」、萬金膏「シカマン」などを次々と発売。中でも消炎鎮痛効果に優れた「シカマン」(途中で「キクマン」に名称変更)は大ヒット商品となり、多くの人々に愛用された。
この頃に売られていた貼り薬は、油や蝋(ろう)で固めた生薬を紙に塗ったもので、貼り付ける時は火であぶって軟らかくしてから使っていた。しかし、これでは貼るまでにどうしても手間がかかってしまう。「もっと簡単で手軽に貼れる薬を作れないものか」──由太郎が求めていたのは、利便性を向上させた新しいタイプの貼り薬だった。
ちょうどその頃、静岡に出掛けていた当時の専務が、「天来(てんらい)」という名の貼り薬を会社に持ち帰ってきた。天来は現在のトクホンに似たシール状の貼り薬で、剥離紙をはがせばそのまま患部に貼ることができた。「なるほど、これなら手軽で簡単だ」と感心した由太郎は、この天来をヒントに新商品の開発に乗り出す。1日1回の試作を根気よく続けた結果、当時日本の特産品だったハッカを入れ、膏体(肌に接する部分の材質)に天然ゴムを使うことを発案。そして1927(昭和2)年、ついに初代トクホンが完成した。日々繰り返した試作品の数は、既に1,500個を超えていたという。
発売当初は少数を問屋に卸すだけだったトクホンだが、由太郎は自ら製造機械を発明し、トクホンの量産化を実現した。とはいえ、従業員はわずか10人前後。実際の製造には約300人の女工さんがあたった。彼女たちの手際は素晴らしく、ちょうど10枚のトクホンをパッと一掴みし、袋詰めすることができたという。トクホンは10袋をまとめて桐の箱に梱包し、問屋に卸された。当時の値段は不明だが、桐箱に収められるほど価値のある貼り薬だったことは間違いない。
ところで、トクホンという響きの良い商品名はどこからきているのだろう? 1928(昭和3)年のある日、由太郎は従業員が読んでいた雑誌の中に、永田徳本という医者の名を見つける。徳本は室町後期から江戸初期に活躍した医者で、武田信玄の主治医を務めた後、諸国を遍歴して庶民の治療にあたった人物。自らの経験と直感を頼りに独自の薬を調剤し、どんな薬も十八文(現代に換算すると500円くらい)以上は受け取らなかったと言われている。そんな徳本の生き方に感銘を受けた由太郎は、すぐさまトクホンの商標を登録し、新商品に採用した。
恩恵を意味する「徳」、痛みと炎症を溶かす「溶く」、それを解きほぐす「解く」──新しい貼り薬に、これほど相応しい名前はなかった。 |