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「すしのこ」のパッケージと同じ色に塗られた営業車。街中では大いに目立ったに違いない。
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タマノイ酢は街頭や店舗フロアなどで数多くの試食会を実施し、直接消費者にアピールした。 |
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「温かい御飯にふりかけて混ぜるだけ」を印象付ける広告イメージ。 |
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店頭に置かれた陳列ラック。キャッチフレーズが前面に大きく書かれている。 |
タマノイ酢は販売の中心を東京に置き、そこから「すしのこ」を全国に向けて展開することにした。だが、大きな問題が待ち構えていた。「すしのこ」を扱うのは街中の乾物店や食料品店。今まで営々と築き上げてきた酒屋ルートが使えなかったのだ。となれば、自分たちで食品ルートを開拓するしかない。タマノイ酢の営業マンは、商品と同じ黄色に塗った「すしのこカー」を駆り、全国の乾物屋や食料品店を訪問して回った。
当時の記録は残されていないが、おそらく相当な苦労があったことだろう。酢のメーカーとしては有名でも、食品メーカーとしての知名度は低い。しかも売るのは粉末すし酢という、今までにない斬新な商品。それでも同社の営業マンは地道な努力を続け、徐々に販売網を拡大していった。
当初、「すしのこ」の評判はどうだったのか? こちらも思うようにはいかなかった。若い主婦層は興味を持ってくれたが、年配の女性層の評判が芳しくなかった。彼女たちには、何年も液体の酢で酢飯を作り続けてきた経験がある。自分だけのレシピとコツを掴んでおり、それが自信にもなっている。そんな女性たちにしてみれば、簡単においしい酢飯が出来てしまう「すしのこ」は、おいそれとは認められない商品だったのかもしれない。
そこでタマノイ酢は、攻められるところから攻めることにした。誰でも簡単においしい酢飯が作れるという「すしのこ」の特徴は、とにかく一度使ってもらわなくては伝わらない。商品サンプルを持参した営業マンが訪問した先は、幼稚園や保育園だった。各園の許可を得た上で子供たちにサンプルを配布し、それを母親へ渡してもらったのだ。この作戦は見事に当たり、タマノイ酢はすし作りに頭を悩ませている若い主婦層を取り込むことに成功した。その数年後には新聞の一面にサンプル提供の広告を出稿。さらに幅広い消費者層にアピールを図ったことで、「すしのこ」の知名度は一気に上昇した。
さらにテレビCMや店頭での販促活動にも力を入れた。発売初期にはトップ女優・乙羽信子を、その後は良妻賢母イメージの丘みつ子をCMに起用。宣伝では御飯に「すしのこ」をふりかけているイメージを多用し、一見しただけで「すしのこ」の特徴が伝わるようにした。
また、店頭での試食会を至る所で実施。黄色の地に赤い文字で描かれた「すしのこ」の大きなロゴマークは、どの場所でも人目を引いた。液体のすし酢でなければ酢飯は作れないと考える主婦は次第に少なくなり、いつしか「すしのこ」は珍しい商品ではなくなっていた。スポット的に類似商品も現れたが、そのほとんどが長続きせず市場から姿を消した。同じように見えても、酢飯を作ってみると何かが違う。甘みと酸味の絶妙なバランスは、「すしのこ」にしかないものだった。
「すしのこ」の販売量がピークを迎えたのは、1980年代後半から1989(平成元)年にかけてのこと。販売開始から約30年間、「すしのこ」はほぼ右肩上がりに販売量を伸ばしてきた。その推移は、日本の家族の有りようを反映しているかのようだ。ハレの日に母親や祖母が作ったおすしを家族全員で食べていた時代が過ぎ、核家族世帯が増え、個食化や外食化が進むにつれ、「すしのこ」の販売量は一定の水準に落ち着いてきた。今は、スーパーの総菜コーナーやテイクアウト専門店、はたまたコンビニに至るまで、さまざまな種類のおすしが売られている。おすしは家で作るものから、家に持ち帰って食べるものに変わってしまったのかもしれない。
もちろん、自宅でちらしずしや巻きずしを作るニーズがなくなったわけではない。現在、市場で人気を博しているのは、具材とすし酢をレトルトパウチにした、ちらしずし専用商品。シンプルな粉末すし酢は少なくなったが、「すしのこ」は定番のすし酢として、常に一定の需要をキープしてきた。粉末すし酢に限れば、その市場シェアは90%以上にもなるという。 |