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ニッポン・ロングセラー考 Vol.78 ヤマト糊 ヤマト 塗って、貼って、110年 自然に優しい“でんぷん糊”

画期的だった「腐らず、使いやすく、保存できる糊」

木内弥吉

ヤマト糊の生みの親、木内弥吉。両国で炭を売っていた。

初期のガラス瓶入りヤマト糊

初期のヤマト糊。容器はガラス製で、蓋は金属製。矢的は蓋だけでなく、ラベルにも大きく描かれていた。

ヤマト糊ビン詰め作業

工場でヤマト糊を瓶詰めしている様子。整然と並べられた瓶が圧巻。1916(大正5)年頃。

子供の頃はよく使っていたのに、大人になるとすっかり縁遠くなってしまう。文房具にはなぜかそういうものが多い。鉛筆、消しゴム、三角定規…そして、今回採り上げるでんぷん糊。
幼い頃、工作の時間には緑色のチューブに入った糊を使っていた。絞り出した糊を指の腹に載せ、紙の上に伸ばして慎重に貼り合わせる。うまく貼れたら一安心。失敗したら、乾く前に剥がしてもう一度貼ってみる。何を作ったかは忘れたけれど、あのチューブの感触はよく覚えている。そう言えば先生が使っている糊はちょっと違っていて、青いボトルに黄色いキャップが付いていた。
大人になった今はテープ糊やスティック糊を使っているけれど、「昔は確かにでんぷん糊を使っていたなあ」という人は多いはず。でんぷん糊は、誰にも共通する接着剤の原体験なのかもしれない。

緑色のチューブや青いボトルに入ったでんぷん糊「ヤマト糊」を作っているのは、東京のヤマト株式会社。歴史は古く、今から110年前の1899(明治32)年にまで遡る。
この頃、東京の両国で薪炭商(燃料としての炭を販売する仕事)を営んでいた木内弥吉は、ある事で大いに頭を悩ませていた。炭の小分け販売用の袋貼りに使う糊がすぐに腐ってしまい、その度に自分で作るか、糊を販売する番小屋まで買いに行かなければならなかったのだ。当時の糊はでんぷん質を水に溶いて煮たもので、保存が利かなかった。これでは不便極まりない。そこで弥吉は、当時最先端の化学知識を応用し、防腐剤を使った糊を開発した。加えて、防腐剤による刺激臭を消す目的で香料も使用。原料には精選した米の純粋でんぷんを使い、湯煎(加熱処理)して品質を均等に保った。

完成した糊は、今までの糊とは大きく違っていた。腐らないので保存が利き、香りが良いので使いやすい。弥吉はこの糊を円筒形の瓶に入れ、大八車に載せて会社や銀行、郵便局、学校などへ売り歩いた。明治後期は会社や官公庁の事務量が増え、政府が学校教育に力を入れ出した時期。日本全体で事務用糊の需要が急拡大しており、そこに登場した「保存できる糊」は、事務の効率化にうってつけの道具だったのである。
弥吉は「これを日本一の糊にしたい」「商売が大当たりしますように」という願いを込め、製品の蓋に“矢が的に当たる”当たり矢マークを刻印した。名付けて「ヤマト(矢的)糊」。響きがいいこの商品名は、そのまま社名(ヤマト糊本舗)にもなった。

発売当時のヤマト糊の価格は不明だが、従来の糊よりかなり高価だったらしい。また、初期の製品は、保存はできるものの、使っているうちに粘性が低下するといった課題もあった。だがヤマトは高まる需要を背景に商品の改良を重ね、ヤマト糊は徐々に庶民の間に普及していった。


冷糊法を完成させ、より強力で劣化しない糊を開発

冷糊法作業イラスト

冷糊法のイメージイラスト。戦時中に開発されたこの技術が糊の製造法を変えた。

歴史カタログ

昭和27〜35年前後の製品カタログ。モダンなデザインが印象的。

栗島すみこポスター

戦前の映画女優・栗島すみこをモデルにしたポスター。当時のヤマト糊の勢いが伺える。

ヤマトは戦前から宣伝にも力を入れていた。1923(大正12)年には、当代きっての人気女優だった栗島すみ子をポスターのモデルに起用。また、芝居小屋や劇場などで使う緞帳や、有名浪曲師が使う演台掛けにヤマトのマークが入ったものを寄贈し、全国を巡回する際の宣伝効果を狙った。
製品が売れ出すと、類似品が数多く市場に出てくる。この年、ヤマトは「ヤマト糊」の名称を商標登録。ブランドを守ると共に、販路の拡大を推し進めた。

順調に成長していたヤマトだったが、戦時中は一挙に状況が暗転した。1939(昭和14)年に公布された米穀配給統制法によって、米、馬鈴薯、甘藷、とうもろこしなど、食料となる全てのでんぷん原料が国の統制下に置かれ、糊の原料として使えなくなったのである。
ヤマトを始め、糊メーカーは皆大きな打撃を受けた。だがこの困難な状況が、後にヤマトが大きく飛躍するきっかけを生むことになる。
主要なでんぷん原料が使えなくなった開発陣は、やむなく彼岸花やダリヤなどの球根からでんぷんを抽出した。ところが、異なる種類の非食品でんぷんでは、従来の商品と同じ品質を維持するのが難しい。研究を重ねた結果、開発陣が辿り着いたのは、でんぷんを加熱して糊にするのではなく、化学的な処理によって非食品でんぷんを混合させる技術だった。“冷糊法”と名付けられたこの製法によって、ヤマトは今までよりも強力で劣化しにくい糊を作ることに成功。後の1950(昭和25)年、同社は冷糊法の製法特許を取得している。

戦後はでんぷん原料の統制が解除され、ヤマトも全国に向けて販売量を伸ばしていく。カタログでは、品質の高さやブランドの知名度をアピール。CMタレントに三木のり平を起用するなど、親しみやすさを前面に出して積極的な販促活動を行った。
戦後の高度経済成長期を迎え、事務用糊の市場は更に拡大。封筒一つとっても今なら当たり前の糊付き封筒など存在しない時代だから、糊の出番はいくらでもあった。事務用以外の用途は、ふすまや表装、障子貼り、洋裁や子供の工作など。知らない人も多いだろうが、でんぷん糊は洗濯糊としてもよく使われていたのである。

発売当時は高価だったヤマト糊だが、商品の普及と企業努力によって、戦後はかなり割安な価格になっている。1950(昭和25)年、ハガキ1枚が2円だった頃に、45gの製品が10円。55gの製品を見ると、68(昭和43)年の20円から89(平成元)年の80円まで徐々に値段が上がっているが、諸物価の上昇を考えれば値上がり率自体はかなり低い。価格の基準にしていたのは、国鉄一区間の運賃だったという。
画期的な「保存できる糊」として売り出されたヤマト糊は、数々の歴史を経て、どの家庭にもなくてはならない生活必需品となったのである。


“ガラスからプラスチックへ──容器の変遷

陶製の容器
戦後のガラス瓶

戦時中に使われていた陶製の容器。見た目はきれいだが壊れやすかった。

戦後のガラス瓶。ラベルに隠れた瓶の色は青、キャップは金属製。

初期のチューブ糊

プラスチック容器を採用したチューブ糊。手を汚さずに使える糊は画期的だった。

現行のチューブ糊
初期のボトル糊

こちらは現行のチューブ糊。左からT-70、T-220、T-380。数字は内容量(g)を示している。

初期のボトル糊。側面にへらが差せるようになっていた。

現行のボトル糊

現行のボトル糊。へらはキャップの裏に収納されている。小さい順からP-70、P-220、P-380。数字は内容量(g)。

ヤマト糊の歴史を語る上で忘れてならないのは、容器の移り変わり。なじみ深い緑色のチューブや青いボトルに入ったヤマト糊は、いつ頃から販売されているのだろう?
先述したように、発売当時に使っていたのは円筒形のガラス瓶だった。発売時こそ値段が高かったものの、もともと糊は低価格で売られる日用品。ヤマトは積極的に製造コスト削減に取り組み、ガラスくずを溶かした再生ガラスなどを使うようになった。
戦争が始まるとガラスが入手しにくくなり、1941(昭和16)から5年間は陶製の容器を使用したこともあった。だがこの容器は壊れやすかったため、戦後は再びガラスの容器に戻している。

ガラス容器入りのヤマト糊は昭和30年代頃まで製造された。戦時中の陶器時代を除いても、約60年もの長きに亘ってほぼ同じ容器が使われていたのである。確かにガラス瓶は生産しやすく安価だが、重くて割れやすいという欠点はいかんともしがたい。ガラス瓶時代のヤマト糊(普及品)の重量比率を比べると、瓶と中身が1対1。半分は瓶を運んでいるようなものだから、流通コストの低減はヤマトの懸案事項の一つだった。

ガラスに代わる、割れにくく軽い素材──それを求めていたヤマト糊が目を付けたのは、1950年代始めから徐々に生産が始まったプラスチック素材「塩化ビニール」だった。加工しやすく難燃性、耐久性に優れた塩化ビニールなら、軽く、割れない容器を作ることができる。開発陣は早速、新しい容器の開発にとりかかった。
この時期、ヤマトにはもう一つの開発テーマがあった。経済成長と共に事務職に就く女性が増え、働く女性の間で「糊で手を汚したくない」「もっと簡単に糊を使いたい」という声が上がっていたのである。瓶入りの糊を使う時は、指かへらで糊をすくう。糊を使う度に指を拭いたりへらを掃除するのは、確かに面倒だ。開発陣がヒントにしたのは、歯磨きのチューブだった。先端の細いチューブなら、ほとんど指を汚さずに塗ることができる。

様々な試行錯誤を経た後の1952(昭和27)年、同社はチューブ入りのヤマト糊を発売。価格は瓶入りの糊より高かったが、「重たい」「割れやすい」というイメージを払拭し、更には「手を汚さずに」使用できる画期的な糊として、一躍人気商品となった。この頃、化粧品業界もプラスチック容器を採用したが、ヤマトはそれに先んじていたのである。
ただ、プラスチック容器の製造は簡単ではなかった。初期の容器はチューブにピンホールがあり、そこから空気が漏れて糊がやせてしまうという欠点があったため、途中で素材をポリエチレンに変更。同時に一貫成形を取り入れて、安定した品質を実現した。
4年後の56(昭和31)年には、戦後世代になじみ深い現行のチューブ糊が登場。以来53年間、チューブ糊のデザインはほぼ変わっていない。

1958(昭和33)年にはボトル型のヤマト糊が登場。スチロール樹脂をブロー成形(加熱して溶かした樹脂に空気を吹き込んで金型成形する方法)したボトル容器は、肉厚が薄く凹みやすかったため、縦方向にひだを付けて強度をキープ。へらを添付したのもこのボトルが最初で、使用後は容器の外側へ差し込めるようになっていた。
ボトル型のヤマト糊も、83(昭和58)年に現在の柔らかな四角いデザインに変更されて以降、ほぼ手が加えられていない。印象的なのは、戦後に誕生したガラス瓶と金属製の蓋から受け継いだ“青いボトルと黄色いキャップ”の組み合わせがしっかり受け継がれていること。封筒貼り、仕事の資料作り、スクラップブックの作成…この鮮やかな色遣いは、中年世代の記憶にしっかりと刷り込まれている。


 
“ざる”をヒントに誕生した液状糊「アラビックヤマト」

発売当時のアラビックヤマト

発売当時の「アラビックヤマト」。秘密は先端部のスポンジキャップにある。長く支持されたデザインにより、「2009年度 グッドデザイン・ロングライフデザイン賞」を受賞。

現行のアラビックヤマ「スタンダード」 現行のアラビックヤマ「エル」現行のアラビックヤマ「ツイン」現行のアラビックヤマ「さかだち」

全16種類ある現行商品。左から「スタンダード」「エル」「ツイン」「さかだち」。

ヤマトには、でんぷん糊のほかにもう一つのロングセラー商品がある。それが、1975(昭和50)年に発売した「アラビックヤマト」。この不思議な商品名は、明治時代末期にイギリスやドイツから輸入されたアラビア糊に由来する。アラビア糊とは、植物の粘液を固めたアラビアゴムを使った液状糊の総称。塗り口に海綿を使用した小型の瓶に入っており、逆さにして紙に押し付けると自然に糊が染み出てくるため、手を汚さずに使うことができた。だがこのアラビア糊、利便性は非常に高かったが、塗り口が固まるという欠点と価格の高さから、ほとんど普及しなかった。

女性の社会進出がますます進み、マニキュアを塗る女性が当たり前になった1970年代、オフィスから「手を汚さず、きれいに塗れる糊がほしい」というニーズが高まってきた。ヤマトの開発陣が注目したのは、かつて存在したアラビア糊。「あの使い勝手の良さと、60年代後半から登場した合成糊の滑らかさを組み合わせたら、今までにない優れた事務用糊ができる」というのが発想の原点だった。
滑らかな塗り味を実現するためには、糊を薄く均一に塗布しなければならない。スポンジキャップを検討したものの、スポンジだけでは塗布面に均一な力を加えるのが難しい。開発が行き詰まりかけた頃、ある開発者が偶然、“ざる”に注目した。ざるの底に裏側から強い力を加えると、ほどよい弾力性と強度が保持される。これをヒントに塗り口の先端部にプラスチックでざるのような形を作り、その上に素材の異なる2層のスポンジを貼り合わせてみた。塗り味はスーッと滑らかで、塗り口も固まらない。特殊スポンジキャップ付きのアラビックヤマトは、こうして誕生した。キャップの開発には、3年もの時間がかかったという。

アイデアものの先端部が実現した滑らかな塗り味と、乾きが速く強い接着力が自慢の合成糊。2つの特徴を併せ持つアラビックヤマトだったが、一般的な糊より高価だったこともあり、発売当初の出足は鈍かった。そこでヤマトは、オフィスや官公庁を中心に、数十万本のサンプルを提供する大規模なプロモーションを実施。アラビックヤマトの評価は一挙に高まり、徐々にオフィスの必需品として認知されていく。発売から30年以上経った今もその人気は変わらず、液状糊の分野でシェアNo.1をキープし続けている。

現在、ヤマトの糊製品の中で最も売れているのは、アラビックヤマトに代表される液状糊。ヤマト糊は全体の1割ほどに過ぎない。オフィスで使われることはほとんどなくなったヤマト糊だが、幼稚園や保育園では昔と変わらず大活躍している。自然に優しい天然素材(主成分のでんぷん原料はタピオカ)で作られており、ノンホルマリンで、現行商品には香料も入っていないからだ。安全性が高く、子供が誤ってなめても安心なのである。
それだけではない。ヤマト糊は指先を器用に使わなければならないから、子供の知育にも効果があるという。こうした理由から、ヤマト糊は今も教育関係を中心に根強く支持されている。

幼い頃、工作の時間に使っていたのは、折り紙、ハサミ、そしてチューブに入ったでんぷん糊だった。うまくすくい取ることができず、指はべとべとに、服についた糊はパリパリになってしまったけれど、なぜかそんな時間が無性に楽しかった。
紙と紙がくっつく不思議さと、どんなものができるか分からないワクワク感。ヤマト糊は、今もそれを子供たちに与え続けている。

 
取材協力:ヤマト株式会社(http://www.yamato.co.jp
     
使い方いろいろ! 貼って剥がせるメモテープ
「メモックロールテープ フィルムタイプ」
「メモックロールテープ フィルムタイプ」。テープ幅は7mm、15mm、25mmの3種類。

ヤマトは糊の専業メーカーだが、粘着テープや接着剤など、“貼る”行為に結び付く数多くの製品を手掛けている。特に人気を集めているのが「メモックロールテープ」。付箋紙の「ヒラヒラして折れる」「剥がれる」という不満を解消する、新しいタイプのメモテープとして開発された。全体の一部にしか糊が付いていない付箋紙と違い、全面に粘着剤が付いているので簡単には剥がれない。弱粘着なので、貼ったり剥がしたりが自由自在。カッターが付いているので、伝言やメモの内容によって好きな長さに切り分けることも可能だ。インデックス、デスクメモ、表示ラベル、マスキングなど、幅広い用途に使えるところが消費者に受け、隠れたヒット商品になっている。今年2月には下を隠さずメモできる「メモックロールテープ フィルムタイプ」も発売。こちらは「日本文具大賞2009」の機能部門で、優秀賞を受賞している。

 
タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト Top of the page

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