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現行の「開明墨汁」。蓋には筆置き用の切り込みが付けられた。70ml入り280円始め、全部で6サイズある。 |
日本の義務教育では、国語科の書写として、小学3年生以上の授業で毛筆による指導が学習指導要領で定められている。高等学校でも、芸術科には音楽や美術などと並んで、書道が選択科目として置かれている。こうした背景を考えると墨汁の未来はまだまだ明るいようにも思えるが、実際はなかなか厳しいらしい。開明の現社長である田中葉子氏は、毛筆に代表される手書き文化の将来に危機感を抱いている。「市場規模は小さくないけれど、少子化の影響は確実に受けています。バブル期には中高年のカルチャー需要で盛り返しましたが、IT全盛の今は手書き文化そのものが衰退しつつあるようで、残念でなりません」
手書き文化復興の担い手になるべく、開明は今、様々な試みにチャレンジしている。2008(平成20)年からは、「手書き普及キャンペーン」をうたった独自のセット商品をネット販売し、「墨汁で遊ぼう!」と題した来場者参加型のイベントを開催。漫画家やイラストレーターとのコラボレーションにも積極的で、150人のイラストレーターが「開明墨汁」だけで描いた作品展「墨一色展」を開催したり、著名な漫画家による指導教室やトークイベントなどを実施している。
「子供時代に書写を経験する日本人には、もともと書の心が根付いているはず。でも授業では書いた文字を直されて、あまりいい記憶がありません。私たちは墨汁で遊ぶことを通して、手書きの楽しさに気付いてもらいたいんです」と田中社長は語る。
そんな活動が注目を集めたせいか、最近はインテリア業界から声がかかった。LED照明と素材のコラボレーションイベントに協力し、墨汁を使ったアーティスティックな書を配した和室空間を展示。もしかしたら「開明墨汁」にもう一つ、新たな利用シーンが生まれるかもしれない。
「開明墨汁」が最も売れたのは、昭和40〜50年代にかけて。日本が目覚ましい経済成長を遂げて、ほっとひと息ついた時期にあたる。多忙な毎日の中で、ともすれば見失いがちな自分の姿を再発見するのに、書の世界はぴったりだったのかもしれない。
現行の「開明墨汁」は1974(昭和49)年、ちょうどその頃にリニューアルされている。墨池型の容器は丸みを帯びた角形になり、大きなキャップに開明伝統の黄色をアレンジ。360ml入りの縦長容器は昔ながらの黄色いボトルを採用している。その一方で墨汁としての本質は全く変わっていない。墨の伸びや光沢、筆運びの滑らかさなど、「開明墨汁」が伝統的に受け継いできた持ち味は、今もしっかりと守られている。
前回のリニューアルから35年。時代は変わり、今や年賀状すらパソコンで作るのが当たり前になった。残念ながら、大人が日常で墨汁を使う場面はあまりない。だが、年賀状に添えられた手書きの文字を目にすると、私たちはどこかほっとした気持ちになる。子供が一生懸命書いた書写を見ると、愛おしさで胸がいっぱいになる。
手書きの文字からは、書いた人の心が伝わってくるのだ。その心を少しでも多く伝えたいから、開明の創業者は墨をする行為から人々を開放した。
年が明けたら、子供と一緒に書き初めに挑戦してみよう。書道ケースの中には、きっと「開明書液」が入っているはずだ。 |