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湖池屋の創業者・小池和夫。ポテトチップスの普及に力を尽くした。 |
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発売当時の釜揚げ風景。量産を目指したものの、初期の製品はほとんど手作業で作っていた。 |
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最初の「コイケヤポテトチップス」。パッケージデザインは今とは全く違っている。 |
今から50年以上も前の話。東京のとあるスナックにて、一人の男が仕事仲間と酒を飲んでいた。つまみに出てきたのは、その頃まだ珍しかったポテトチップス。おつまみメーカーを経営するその男も、目にするのは初めてだった。手に取ってしげしげと眺める。ジャガイモを薄くスライスして油で揚げ、塩などで味付けたシンプルなスナック菓子だ。だが食べてみると…世界が一変した。男は思わず心の中でこう叫んだ。「こんなに美味しいものが世の中にあったのか!」
そして、こう決意した。「これをぜひ世の中に広めたい。そうだ、うちの会社で作ってみよう」。
男の名は、小池和夫。1958(昭和33)年、東京の駒込におつまみ製造会社を設立し、ミックス菓子「お好み揚げ」などで人気を博していた。郷里の長野県にある諏訪湖にちなみ、「会社も諏訪湖のように大きくしたい」という思いから、小池の「小」を「湖」に変え、社名を「湖池屋」とした。
アメリカでポテトチップスが開発されたのは、およそ150年前。日本で販売されたのは終戦後で、昭和20年代初めに登場した「フラ印」のポテトチップスが、日本初のブランドだと言われている。だがこの頃のポテトチップスはそのほとんどが手作りで、スナックやバーなどでしかお目にかかれない、高級で珍しいものだった。
ポテトチップスも「お好み揚げ」も、原料を油で揚げる点は共通している。小池は「お好み揚げ」を作るときの大釜を活用し、ポテトチップスの製造に乗り出した。だが、意欲はあっても実際の製造は苦難の連続だったという。
まず、ポテトチップスに適したジャガイモの品種が分からない。品種によって味が大きく違ってくるのだ。次に、釜で揚げるときの温度設定と時間管理が難しい。温度が低すぎるとパリッとした食感は生まれないし、高すぎると焦げてしまう。工場の片隅には失敗したポテトチップスが次々と積み上がっていった。
製造そのものが難題だった他に、小池にはもう一つ大きな課題があった。味をどうするか。スナックで食べたポテトチップスは塩味で、美味しいことは美味しいのだが、それがベストな味とは思えなかった。「もっと日本人好みの味があるはずだ。それを追求しよう」。小池は手に入るさまざまな調味料や食材を、ポテトチップスに組み合わせてみた。
その結果、最も美味しい仕上がりになったのが、塩味と青のりの組み合わせ。ふわっと香る青のりが、ジャガイモの味わいにぴったりマッチしていた。従来のポテトチップスにはない、日本人にも親しみやすい味覚。小池はこの「のり塩」一本で勝負することにした。
記念すべき最初の商品「コイケヤポテトチップス のり塩」を世に送り出したのは、1962(昭和37)年。関東を中心に、袋入りパッケージだけでなく、量り売り用に一斗缶に収めた商品も販売した。
この時のパッケージデザインが面白い。描いたのは、西武開拓時代の幌馬車のデザイン。西洋風スナック自体がまだ珍しかったこの時代、小池の心中には「ポテトチップスで新たな菓子市場を開拓したい」という、熱いフロンティアスピリットがあったのだろう。 |