戦後から昭和30年代にかけての「イカリソース」は瓶入りで、赤いラベルが特徴。発売当時の瓶は布や一銭銅貨で栓を開けられるようになっていた。
昭和30年代頃のラベル。色遣いやロゴタイプがハイカラな雰囲気。
イカリマークの変遷。初期のものに比べると、現在のマークは太くて力強い。
昭和30年代頃の工場。瓶入りのソースがラインを流れている。
毎日の食卓に欠かせない万能調味料、ソース。どの家庭でも、とんかつ、フライ、ハンバーグ、お好み焼きなど、揚げ物を中心に大活躍しているはず。商品の種類が多く選ぶのに迷ってしまうが、日本のソースはJAS規格によって、サラッとした「ウスターソース」、とろりとした口当たりの「濃厚ソース」、その中間の「中濃ソース」の3種類に分類されている。各メーカーはこの分類を基本に、メニュー別など様々な商品を販売しているわけだ。
ソースの面白いところは、地域によって選ばれる傾向に差があることだろう。関西など西日本はウスターソースが中心で、濃厚ソースもよく売れている。東日本では中濃ソースの使用率が高く、ウスターソースはそれほどでもない。ソースの文化圏は西と東に分かれているのだ。
今回取り上げる「イカリソース」は、西日本を代表するソースブラ
ンドの老舗。地ソースを入れると日本には100以上のソースメーカーがあるというが、現存するブランドとしては最も古い歴史を持つ。イカリソースブランドを興した旧イカリソース株式会社は、数年前、諸事情によって会社清算された。現在はブルドックソースがそのブランドを譲り受け、ブルドックソースの子会社をイカリソースという社名に変更してイカリブランドを継承している。
「イカリソース」誕生のきっかけは、日清戦争当時にまで遡る。前述した旧イカリソースの創業者が、中国の天津で偶然、ある液体調味料を見つけ、その美味しさに感動する。それが、イギリス製のウスターソースだった。
彼は中国から外国製のソースや原料のスパイスなどを日本に持ち帰り、1896(明治29)年、大阪市に食料品店「山城屋」を開業した。イギリス人コックの指導の下、開発に着手。ウスターソースは野菜や果実を煮込み、裏ごしした後に酢や調味料・スパイスなどを加えて作る。専門家に教えてもらっても大変な作業だ。なんと194回もの試作を繰り返し、努力の末に完成させたのが「イカリソース」だった。
商品名の由来が面白い。1895(明治28)年の秋、旧イカリソースの創業者が乗り込んだ船が火事になった。彼は自分の救命袋を妻子のいる友人に譲り、観念して海に飛び込んだ。もう駄目だと諦めかけていたら、目の前に救命ランチの錨綱が。九死に一生を得たことから、感謝の気持を忘れないよう、自らの商品にイカリの名を付けたのだという。
ちなみに、イカリマークのデザインは、現在までに5度変わっている。
ソースの調合に漢方薬を使っていたことから、当初、「イカリソース」は食品店ではなく薬屋に置かれていた。だが、売る方も買う方もソースの知識はほとんどない。「10倍に薄めて砂糖を入れると即席スープになる」と書いた宣伝チラシを配る薬屋もあれば、塩昆布や佃煮にかけて食べる消費者もいたという。
発売時の価格は不明だが、戦中の1937(昭和12)年で4合瓶(720ml)が40銭という記録が残っている。米10kgが2円ちょっとだったから、今よりずっと高かった。
イカリソースは当時、西日本の食品業界ではリーダー的な存在だった。創業者が海外事情に詳しかったこともあり、ソースだけでなく、葡萄酒、ウィスキー、マスタード、カレー、ケチャップなど様々な食料品を製造販売。洋食文化を日本に根付かせるために、自社で作るだけでなく、同業者への支援も惜しまなかったという。缶詰の普及を見越して製缶会社を興すなど、先を見る目も確かだった。
また、缶詰の新商品を販売する際、道頓堀の劇場を2日間借り切って缶詰購入者に芝居を見せ、帰りにはソースの土産を持たせた。これは景品付き販売の先駆けのようなもの。動物園から象を借り出し、背中に会社の垂れ幕をかけて御堂筋を練り歩いたこともあった。販売戦略の点でも、同社の戦略は図抜けていたようだ。
甲子園球場に上げられたアドバルーン。「トマト坊や」の形をしたものも。
個性的な形をした宣伝カーが街中を走っていた。ボディにはイカリマークと「トマト坊や」が描かれている。
レコード化された「イカリソースの歌」。大阪の朝日放送で発表会が行われたという。
「イカリソース」が「イカリ」ブランドとしての価値を高めたのは、大正時代に獲得した大量生産の技術や宣伝のノウハウを実践した昭和に入ってから。
1938(昭和13)年には、自社生産による品質向上と生産力増強を目指して台湾にトマト工場を新設。戦時中の統制経済をなんとか乗り切った後は、ソースを中心とした多角経営を更に推し進め、トマトジュースの製造にも乗り出した。61(昭和36)年にはトマト製品専用工場を設立。70(昭和右45)年には九州に近代的な工場を造り、ソース類やトマト製品の供給量を大幅に拡大した。
また、ブリキ鋼板の会社を設立し、海外から最新鋭の製造設備を導入。これは、会社が手掛ける製品のほとんどにブリキ缶が使われていることが理由だった。
1951(昭和26)年には社名を「山城屋」から商品名の「イカリソース」に変更。この頃から、日本人の食生活は急速に西洋化し、ソースの消費量は右肩上がりに上昇し始めた。アメリカ流の大量生産を取り入れた同社は、ソース業界のトップを切って、自社の生産工程を完全自動化した。
更にイカリソースの名が広く認知されたのは、積極的に展開した宣伝の力によるところが大きい。昭和30年代には「イカリソースの歌」をレコード化したり、甲子園球場にアドバルーンを上げるなど、斬新な宣伝を次々と打ち出していった。派手な宣伝カーを使った街頭宣伝に力を入れていたのもこの頃だ。
レコードや宣伝カーをよく見ると、トマトを擬人化したイラストが描かれている。これは、社内で「トマト坊や」と呼ばれていた「イカリソース」のオリジナルキャラクター。今は使われていないが、当時の広告にはこのキャラクターが頻繁に登場した。
主流のマスメディアである新聞や雑誌、ラジオへの広告展開はもちろん、始まったばかりのテレビCMも積極的に展開。よく知られているのは、人気絶頂だったザ・ドリフターズの起用だろう。「茶注長工ブー、茶注長工ブー、イカリソースは茶注長工ブー、おれはいかりやソースはイカリ、イカリソース♪」──1970(昭和45)年に始まったこのCMにより、それまで東日本でほとんど知られていなかった「イカリソース」は、あっという間に全国的な商品となった。
こうした努力が実を結び、戦前・戦中は高級調味料だったウスターソースは、戦後に進んだ食の西洋化と共に、誰もが気兼ねなく使える生活必需品へと変わっていった。
現行のレギュラーソース3商品。左から「イカリウスターソース500」「イカリ中濃ソース500」「イカリとんかつソース500」。
人気の粉物ソース3商品。左から「イカリたこ焼きソース たこ焼き家300」「イカリお好み焼きソース おこのみ家300」「イカリ焼そばソース やきそば家300」。
「やさしさブレンド」シリーズ3商品。左から「やさしさブレンド ウスターソース250「やさしさブレンド 中濃ソース250」「やさしさブレンド とんかつソース250」。
発売から70年近く容器にガラス瓶を使っていた「イカリソース」だが、流通効率の点から1964(昭和39)年に容器をポリエチレン系に変更。以降、何度かのデザイン変更を経て現在の形に至っている。
ウスターソースの味に関しては、昭和50年以降で数回リニューアルを実施。とはいえ「スパイシーで深みのある味わい」という、「イカリソース」の本質は変わっていない。ソースは消費者の嗜好性が強く出る調味料なので、そう簡単に味の傾向を変えられないのだ。それでも、消費者の好みの変化から、ウスター特有のピリッとした辛さは徐々にマイルド化してきているらしい。
昔も今もイカリソースの主力商品はウスターソースだが、全国を視野に入れたソースメーカーとなるためには、消費者のニーズに応える幅広い商品を用意しなければならない。という理由から、同社は「とんかつソース(濃厚ソース)」を発売。1969(昭和44)年には「中濃ソース」を発売し、ソースの基本ラインアップを揃えた。
2006(平成18)年には、これらのレギュラーソース3商品を一挙にリニューアル。“安心・自然・シンプルな美味しさ”からなる新しい価値をプラスするため、「10種類以上の野菜果実を使用」「10種類以上のスパイスを新ブレンド」「10%以上の塩分をカット(自社比)」という「トリプル10」のこだわりを実現した。味の特徴がひと目で分かるグラフ表示や、キャップ天面に「ソース」の点字記載をするなどパッケージにも工夫が凝らされ、より親切で使いやすくなっている。
それぞれサイズはミニパック・300ml・500mlの3種類あるが、最も売れているのは一番大きな500ml。消費量の激しい関西では大きなサイズが好まれるのだ。
総合ソースメーカーらしく、イカリソースはメニュー別の商品にも力を入れている。粉物では「たこ焼きソース」「お好み焼きソース」「焼そばソース」を、肉料理系では「デミグラスソース」「ステーキソース」「ハンバーグソース」を販売。関西には粉物を提供する飲食店が多いため、こうした商品はウスターソースに次ぐ売れ筋になっているという。
「かつソース・どぶづけ」用のソースがあるところも、関西のメーカーらしいところ。どぶづけとは、肉や魚介、野菜のフライをたっぷりのソースにどぶんと浸して食べる大阪発祥の豪快な食べ方。ソースの存在が強くなることでフライのしつこさが薄くなり、沢山食べられるのが特徴だ。
健康志向に配慮したソースもある。2009(平成21)年発売した「やさしさブレンド」シリーズは、カラメル色素等の食品添加物を使わず、砂糖類や塩分を25%もカットした。食物アレルギーの人も安心して使えるよう、アレルギー物質25品目を使っていない点も消費者から評価されている。
家庭用ばかりではない。イカリソースは昔から飲食店との取引が多く、数多くの業務用商品を取り揃えている。ウスター、中濃、とんかつ、たこ焼き、お好み焼きなどの主力ソースには、全て取っ手のついたハンディパック(1.8Lまたは2.1kg入り)を用意。西日本・東日本を問わず、こうしたメニューを出す料理屋にとって、「イカリソース」は欠かせない存在になっているのだ。
限定販売が終了した「イカリソース 皇寿」。もっと早く知りたかったという人も多いのでは。
「イカリソースレトロ150」。昭和30年代の味を目標に開発した。
「イカリソース果実150」。酸味が苦手な人や女性がターゲット。
2007(平成19)年、イカリソースは創業111周年を迎えた。これを記念して限定販売したのが、「イカリソース 皇寿」。皇寿とは111歳のお祝いのことで、同社は感謝の気持ち、長寿を祝う気持を込めて、この名を付けたという。
商品の内容が凄い。重厚な箱の中に細い瓶に入った3種類のソースが収められていて、それぞれ「トラディショナル」「プレミアム」「ノベル」と名付けられている。どれも厳選した国産原料を伝統の技で仕込み、ブランデー樽で2年間ゆっくりと寝かせているのが特徴。「トラディショナル」はブランデーの香り、「プレミアム」はスパイスの香り、「ノベル」はほのかな甘い香り。この内容で価格は3000円と比較的安価だったから、ソースファンの購入が相次ぎ、既に販売は終了。こんな特殊な商品を出すところに、業界随一の老舗であるイカリソースの自負を感じる。
イカリソースのファンで「昔の味わいが懐かしい」という人には、今年3月にリニューアルしたばかりの「イカリソースレトロ150」をお勧めしよう。これは、昭和30年代に“ソース通のソース”として一世を風靡していた瓶入りの赤ラベルを卓上サイズで復活させた商品。昔ながらの製法を使い、1ヶ月間じっくりと熟成させて仕上げている。
強めのスパイシーさと際立つ香りは、現行のウスターソースとは明らかに異なる味わい。ボトルデザインもほぼ昔のままなので、1本置いておくだけで食卓の表情が変わる。
同じボトルに紫色のラベルを巻いた「イカリソース果実150」も、この春の新商品。こちらは果実の持つ爽やかな酸味が特徴で、口の中にフルーティーな甘みがじんわりと広がる優しいタイプ。女性やソースが苦手な人に向いているという。
ソース業界の市場規模はここ数年、700億円前後で推移している。それほど大きな変化は見られないが、最近は景気後退による内食化が進んだこともあり、業界は市場拡大のチャンスと見ているようだ。イカリソースに限らず、大手メーカーはそれぞれに商品ラインアップを拡大し、材料にこだわった付加価値の高い商品を増やしている。
「イカリソース」が誕生して、今年で114年。その存在感の大きさは業界の誰もが認めている。西日本を中心にウスターソースを世に広めたことは、イカリソースの大きな功績だ。
大阪出張の際はスーパーに立ち寄ってソース棚を見てほしい。そこには、個性豊かな「イカリソース」がズラリと並んでいるはずだ。
総合ソースメーカーのイカリソース。今回取り上げたロングセラーの他にも、いくつか興味深いソースを販売している。ここ数年で大きなヒットとなったのは、2000(平成12)年に発売した「かけるデミグラスソース」。加熱調理して使うのが一般的なデミグラスソースは、缶入りが主流。だが、それでは今ひとつ気軽に使えない。イカリソースは他のソース類と同じように、デミグラスソースをボトルに入れて売り出した。これが当たり、他メーカーからも同様の商品が次々と売り出された。当時はBSE問題でデミグラスソースの市場が大幅に縮小していたが、これによって業界全体が活性化。今も順調に需要が拡大している。08(平成20)年には290g入りのコンパクトタイプも発売。フライやオムライスを簡単にグレードアップできるソースとして人気だという。
(左)「かけるデミグラスソースR1140」。1140g入りのビッグボトル。(右)「かけるデミグラスソース290」」。使いやすいチューブ入り。