初代社長の谷川兵三郎。宮大工の頭領を辞してローソク事業を興した。
2代目社長の谷川正士。戦前・戦中・戦後の経営を担い、カメヤマの土台を築いた。
1946(昭和21)年頃の工場。製造機械はまだ他社製のものを使っていた。
神棚や仏壇に欠かせない厳かな道具、バースデーやウェディングを飾る華やかなキャンドル、癒しの時間を演出するヒーリングアイテム…。世代や年齢、性別によってローソクのイメージは異なるかもしれない。だが、おそらくほとんどの人はこのブランド名を聞いたことがあるだろう──カメヤマローソク。3本のローソクが描かれた神仏用の「カメヤマ 小ローソク」は、同社の伝統を受け継ぐロングセラー。今回はクリスマスとお正月に相応しい、小さな灯りの物語をお届けしよう。
カメヤマの創業者、谷川兵三郎がその前身となる「谷川蝋燭製造所」を立ち上げたのは、今から80年以上も前の1927(昭和2)年。兵三郎は伊勢の宮大工の頭領だったが、高齢になったため引退し、家族と一緒にできる新しい仕事を探していた。目を付けたのは神仏用のローソク作り。もともと信心深かったこともあるが、三重、滋賀、奈良の三県にローソクメーカーがなかったことも理由の一つ。兵三郎は三重県亀山市に小さな工場を造り、事業をスタートさせた。
工場とはいうものの、機械は簡素な手動式で、従業員もわずか5人だけ。生産も販売もままならず、事業は早々に行き詰まった。
1937(昭和12)年には次男の正士が事業を継承し、9年後には2代目社長に就任。この青年社長が、経営難に苦しむ会社を窮地から救うことになる。
正士は早くから、神仏用のローソクだけでは先がないと考えていた。既に家庭の照明はローソクや石油ランプから電灯にとって代わられており、需要は激減している。彼が事業を引き継いだ時点で、全国のローソク業者は100軒以上も減っていた。
神仏用に代わる新しいローソクの開発を迫られた正士は、発想を転換し、西洋のキャンドル文化に着目する。ヨーロッパやアメリカでは、教会の祭事はもちろん、食事の席にもキャンドルを灯している。正士は新たな需要を海外に求めたのだ。苦労の末に美術ローソク(絵柄や模様が描かれたローソク)が載っている雑誌を見つけた彼は、見よう見まねで製造に取りかかった。度重なる失敗の末、ついに完成したのがローソクの外側を螺旋状にしたスパイラルキャンドル。1938(昭和13)年には早くもアメリカ向けの輸出第1便を送り出している。スパイラルキャンドルは海外で評判になり、カメヤマは見事に息を吹き返した。
輸出貿易で急成長する一方、会社は度重なる苦難に見舞われた。1941(昭和16)年にはローソクの芯カスが発火して工場を焼失。戦後間もない頃は電力事情が悪くローソクの需要が伸びたが、原料のパラフィン(石油から作られる化合物の一種)の入手に苦しんだ。53(昭和28)年にはかつてない資金不足に直面。倒産寸前の危機に陥ったが、カメヤマの将来性を評価する銀行の出現によって救われた。
規模だけを見ると、カメヤマは地方の一中小企業に過ぎない。だが、会社を率いる正士には高い志と大きな目標があった。「日本一のローソクを作る」。この目標に向い、正士は戦後のカメヤマを更に大きく発展させていく。
輸出用美術ローソクのポスター。1947(昭和22)年頃。
紺色の箱と3本立てローソクのシンボルマークが使われた初期のパッケージ。
1951(昭和26)年当時の自社製ローソク製造機。
走る広告塔に仕立てたオート三輪。1952(昭和27)年頃。
鈴鹿川堤防に建設した巨大な広告塔。
戦後間もない頃のカメヤマは美術ローソクが主力で、全生産量の80%を輸出していた。正士にとって日本一のローソク作りとは、国内で勝負できる高品質なローソクを作ること。昔から神仏用ローソクの品質は「流れず、曲がらず、くすぶらず」で決まると言われている。溶けた蝋が流れ出さず、気温が上がっても曲がらず、火を付けても煙が出にくいことが大切なのだ。
そのためには、まず製造機械を見直さなければならない。それまでは他社製の機械を使っていたが、社内に工作部を置いて自作することにした。原料にもこだわり、入手が難しかった高品質パラフィンの代用として、セレシンを原料とするローソクを1951(昭和26)年に発売。停電が日常茶飯事だったこの頃は粗悪なローソクが多く、真っ白で煙の出ないカメヤマローソクは人気を集めた。3本立てローソクのシンボルマークが描かれた紺色のパッケージが使われたのも、この時が初めて。以降はこのデザインがカメヤマローソクの顔になっていく。
1950年代前半は、朝鮮戦争による特需に日本中が湧いていた時期。カメヤマも53(昭和28)年に、在日米軍から20万ポンド(約90トン)という大量の注文を受ける。正士は厳格な米軍の規格を満たすため、製造機械を新たに製作し、24時間3交代制で工場をフル稼働させた。その結果、大量の納品を期日どおりに達成。カメヤマは代理店や同業他社に一目置かれる存在となった。また、この出来事は社員一人一人に大きな自信を与えた。
ここから正士は全国に代理店網を築き上げ、営業拠点を設置していく。同時に広告宣伝にも力を入れた。全国版の新聞はもちろん、地方有力紙や業界紙にも毎月広告を掲載。大阪の心斎橋筋にネオンサインを出し、全国の代理店と小売店にはホーロー製の看板を配った。56(昭和31)年には地元の鈴鹿川堤防に高さ15mの宣伝塔を建設し、周辺住民の話題をさらった。
本格的な国内販売に乗り出したカメヤマは、販売面でも高品質をアピールしていく。営業担当は代理店との商談の際にローソクを脇に挟み、耐熱性が高いことを体で証明した。
正士のこだわりを示すエピソードが残っている。1959(昭和34)年、伊勢湾台風が紀伊半島を襲い、知多半島に甚大な被害をもたらした。数週間にわたって停電が続き、ローソクの需要は急伸長。カメヤマもフル生産体制を敷いた。「不良品でもいいから売って欲しい」と言われるほどに注文が殺到。社内からも「商売である以上、売れるときに高く売るべきではないか」との声が出た。だが、正士は頑として信念を曲げなかった。
「真に困っている人に安く買って頂くことからカメヤマブランドの信用が生まれる。このような時こそ良い商品を出荷するのだ。いくら飛ぶように売れても、不良品を出すことは許さない」
この言葉に奮起した社員は一丸となって増産体制を取り、被災地の隅々にまでローソクを供給。カメヤマはその信用を一段と高めることになった。
「カメヤマ100番」仕様のローソク。パッケージデザインはややモダンになった。
「カメヤマ100番」の品質検査風景。チェックは念入りに行われた。
初期のキャンドルサービス用メインウェディングキャンドル。
カメヤマの品質へこだわりはまだ続く。1963(昭和38)年には、日本石油と協同で最高品質のパラフィン「カメヤマ100番」を開発。一般のパラフィンは通常38時間ほどで精製されるが、「カメヤマ100番」は58時間かけてじっくりと精製した。しかも一日数回のサンプリングを行い、耐熱性、耐寒性、耐光性、そして溶解温度が141度(華氏)以上であることを厳しくチェック。カメヤマは国内向けの神仏用ローソク、海外向けのキャンドルに「カメヤマ100番」を使用し、国内外で今まで以上の高い評価を獲得した。
この頃、ヨーロッパにおけるKAMEYAMAブランドの評価を高めた出来事がある。1960年代後半の第3次中東戦争の影響で7年以上にわたって放置されていた貨物船の積み荷から、カメヤマのキャンドルが出てきたのだ。炎天下で日中の船内温度は60度に達する。普通のキャンドルなら溶けて折れ曲がっていたはずだ。ところが、カメヤマのキャンドルは積み出したときの状態を保持しており、品質に変化は見られなかった。この出来事は大きく報じられ、KAMEYAMAブランドはヨーロッパ全域から大きな注目を集めることになった。
68(昭和43)年にはスウェーデンの王立研究所でローソクの燃焼試験が行われ、数社の製品を集めて蝋が流れた量を比較。他社製品が15%以上も流れたのに対し、カメヤマのキャンドルはわずか2%しか流れなかった。世界一の品質であることが客観的に証明されたのだ。
1978(昭和53)年、正士が逝去し、谷川誠士が社長に就任。誠士は円高を見越して海外生産に力を入れると共に、線香の製造・販売を始めるなど、経営の多角化を推し進めていった。
国内販売においては、神仏用ローソクだけでなく、洋風のキャンドルを普及させることに尽力した。85(昭和60)年には東京・銀座にキャンドルショップ「C&LE」をオープン。結婚式や誕生日など特別な日を演出するグッズとしての、新しいキャンドルの使い方をアピールした。
ところで、カメヤマは結婚式と深いつながりがあることを御存知だろうか。披露宴セレモニーの定番となっているキャンドルサービス。あれを日本で最初に行ったのはカメヤマの社員なのだ。1959(昭和34)年、ヨーロッパ駐在員から現地での結婚式の情報を聞いた当時の営業課長が、キャンドルサービスを考案して自らの結婚式に採用。その後は一般に広まり、披露宴に欠かせない重要なセレモニーとして定着した。
そして2003(平成15)年、カメヤマは新たなウェディングセレモニー「キャンドルリレー」を考案した。参加者にはあらかじめリレー用のキャンドルを配布。ゲストがキャンドルの灯火を繋いでいき、最後に新郎新婦が灯火をもらってウェディングキャンドルに点火し、永遠の愛を誓う。キャンドルの灯火を会場につないでいくことで、大きな一体感を共有できるのが特徴だ。
キャンドル部門の成長を確信したカメヤマは、1995(平成7)年に「キャンドルハウス事業部」を新設。2000(平成12)年には東京・青山にショールームをオープンし、06(平成18)年には北青山に新たなショールームビルを建設した。今ではキャンドルだけでなく、インテリア雑貨の販売にも手を広げている。
ベストセラーの「カメヤマ 小ローソク 徳用豆ダルマ 225g」。今のパッケージは中が見えるようになっている。燃焼時間約19分。557円。
植物性原料の人気商品「カメヤマ ローソク クリ・オ 15」」。同シリーズは全部で8種類。燃焼時間約15分。462円。
LNG原料のエコロジー商品「カメヤマローソク 灯しび10 極小豆ダルマ」。燃焼時間約10分。368円。
現在、カメヤマが販売している商品数は全部で約3500種類以上。パッケージに3本立てローソクのシンボルマークが付いたスタンダードな神仏用ローソクだけでも、約30種類に及ぶ。長さや太さは細かく分かれており、それぞれに燃焼時間が違う。短い商品なら5分、10分、長い商品ならなんと約22時間も燃えているというから驚きだ。これほど多くの種類が用意されている理由は、地域や宗派によってお経を読む時間に差があるから。もちろん、仏壇や神棚の大きさや使う場所によっても、ローソクの種類は違ってくる。
なかでも最もよく売れているのが「カメヤマ 小ローソク 徳用豆ダルマ 225g」。直近の流通専門誌の調査では、神仏用ローソク市場の売上げシェアで約19%を占めている。ちなみにキャンドルを含めた全ローソク市場におけるカメヤマのシェアは約4割。もちろん、国内では最大規模になる。
最近のトピックは、環境に優しいローソクの登場だろう。2002(平成14)年に植物油を原料にした画期的な新商品「クリ・オ」を発売。商品名は「クリーン・オーガニック」の略で、従来のパラフィンではなく、パーム油やヤシ油といった植物性油を原料にしている。不純物を含まないので煤がほとんど出ず、消した後の臭いも気にならない。
この商品の大きな特徴は、燃焼時に出るマイナスイオンの存在だ。第三者機関の実験でも、燃焼時に滝の周辺や森林に匹敵する量のマイナスイオンを放出することが確認されている。また、パラフィン原料のローソクに比べて二酸化炭素の発生量が少ないこともメリットといえるだろう。
環境に優しいという点では、2003(平成15)年に発売した神仏用ローソク「灯しび」も見逃せない。パラフィンは原油を精製して作られるが、今は石油の代替エネルギーが模索されている時代。カメヤマはいち早くこの問題に対処し、5年の歳月をかけてLNG(天然ガス)から合成されるワックス原料を使う商品を開発した。
LNGは燃焼時の硫黄酸化物や窒素酸化物、二酸化炭素の排出量が少なく、原料自体が無色無臭なので、火を消した後も臭いが気にならない。今のところLNG原料のローソクは「灯しび」以外になく、世界的にも注目される存在となっている。
カメヤマの生産量は、年間平均で約6000トン。ベストセラーの「カメヤマ 小ローソク 徳用豆ダルマ 225g」に換算すると、あの小さなローソクを年間3億5000万本も作っている計算になる。興味深いのは、原料を全て日本国内で調達し、ほとんどの生産を海外の工場で行っていること。商品を逆輸入している形になっているのだ。これにより、カメヤマは品質と効率を両立させることに成功。高品質と商品の独自性で、近年国内でも増えてきたアジア産のローソクとは一線を画している。
今年も歳神様を迎えるため、神棚を飾る時期がやってきた。しめ縄、さかき、酒、お供えの餅を飾って、灯明のローソクを用意しよう。いつもの「カメヤマ 小ローソク」でお迎えするもよし、エコな気分で「クリ・オ」や「灯しび」を使うもよし。
ローソクの小さな炎はかすかに揺らぎながら、神棚に手を合わせる人の心を温かく見つめている。
核家族化が進み、若い人がお墓参りや先祖供養をする機会が減っている。「家族のイベントの一つとしてお墓参りを見直して欲しい」という思いから、カメヤマは2009(平成21)年にミニチュアローソク「故人の好物シリーズ」を発売した。日本酒、ビール。団子、ラーメン、カレーなどが手の平に載るミニサイズで再現され、てっぺんにローソクの芯が出ている。実用品だが、見ているだけで楽しくなってくる。日本酒メーカーの大関とコラボした「ワンカップ大関ローソク」は、初回ロットが即座に完売、その後の販売も好調に推移しているという。12月には猫用の「黒缶キャンドル」など12種類を追加。好物を模したローソクなら、故人もきっと喜んでくれるに違いない。
「ワンカップ大関ローソク」。714円。