ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER

ニッポン・ロングセラー考 Vol.109 551蓬莱の豚まん

1946年 発売 蓬莱

関西人なら誰もが知っている 大阪・難波に生まれた老舗の味

INDEX

中国伝来の饅頭を日本人向けにアレンジして販売

画像 豚まんのイメージカット

ボリューム満点でジューシーな「551蓬莱の豚まん」。ひとつひとつ丁寧に手作りされている。

画像 創業者・羅 邦強

蓬莱の礎を築いた羅 邦強。戦前に台湾から来日し、生涯のほとんどを日本で過ごした。

画像 昭和27年頃の蓬莱本店

1950年代の蓬莱本店。店頭のガラスケースに「豚まん」が並べられている。

今回のテーマはホカホカ、アツアツの“肉まん”。関東では季節を外れた食べ物だが、関西ではそうともいえない。夏真っ盛りの暑い日でも、店頭では手作りの肉まん、ではなく“豚まん”が、いつもどおり販売されている。関西では、肉まんのことを豚まんと呼ぶ。原料はどちらも豚肉。豚肉のことを関東では“肉”、関西では“豚”と呼ぶところから、この違いが生まれたらしい。
豚まんと言えば、「551蓬莱の豚まん」があまりにも有名だ。大阪には主要駅や百貨店などに数多くの販売店があり、いつも多くのお客で賑わっている。

「551蓬莱の豚まん」を製造・販売しているのは、大阪市浪速区にある株式会社 蓬莱。ルーツは、終戦の1945(昭和20)年、台湾出身の羅 邦強が2人の仲間と大阪・難波に開店した「蓬莱食堂」だ。店はカレーで繁盛したが、復興が進むにつれて客足は減少。その打開策として翌年発売したのが「豚まん」だった。
当時、神戸の元町では中国の天津包子を日本人向けにアレンジした豚饅頭がヒットしていた。サイズは小籠包ほどで、具は豚肉のミンチと青ネギのみ。これに目を付けた3人は、豚肉のミンチとタマネギを日本人好みの味付けにしてたっぷり使い、大きめの手作り饅頭を完成させた。

ボリュームがあるので、ひとつだけでも食べ応えがある。歩きながら食べられるのも、大阪人の嗜好に合っていた。この新商品を、蓬莱食堂は「豚まん」という名前で売り出した。豚饅頭よりも親しみやすく、語呂がいいので覚えやすい。
蓬莱食堂の一メニューとして登場した「豚まん」は、予想以上の人気を集めた。その後食堂はシューマイや和洋菓子を販売して売上げを伸ばしたが、1947(昭和22)年に火災に遭い、店舗を消失。再建後は広東料理の店として新たなスタートを切った。

生まれ変わった蓬莱食堂は1952(昭和27)年、看板商品となった「豚まん」の店頭実演販売を開始。食堂でしか食べられなかったものが自宅で食べられるようになり、「豚まん」の人気はさらに高まった。
ここでも、店の営業担当だった羅はその商才を発揮する。当時は箱代をお客に請求するのが当たり前だったが、羅は箱代を取らず、店で提供するのと同じ値段で「豚まん」を販売した。お客の立場からすれば、店で食べても家に持ち帰っても同じ「豚まん」。値段に差を付けるのはおかしいと考えたのだ。まずお客のことを考える──商売に対するこの姿勢は終生変わらず、551蓬莱の基本理念として現在まで受け継がれている。


Top of the page

デパ地下、鉄道ターミナルなどへの出店で大阪名物に

画像 初のテイクアウト専門店・そごう大阪店

初のテイクアウト専門店を出したそごう大阪店(当時)。

画像 テイクアウト店の様子

初期のテイクアウト店。店頭で作る「豚まん」が次から次へと売れた。

画像 国鉄大阪駅店

国鉄(JR)大阪駅店へ出店したのは1981年。現在は新大阪駅にも5店舗を構える。

1953(昭和28)年、蓬莱は多角的な飲食サービスを視野に入れ、株式会社 蓬莱へ改組。まもなく羅はアメリカとヨーロッパへ視察旅行に出かけ、その経験から新たな事業展開に乗り出した。それが、今も続くテイクアウト専門店。難波の本店は繁盛しているが、販売拠点がひとつだけでは限界がある。百貨店の地下食品売場や主要駅の構内に店舗があれば、お客は買い物帰りや通勤帰りに「豚まん」を買うことができる、と考えたのだ。

テイクアウト専門店は、1957(昭和32)年のそごう大阪店(当時)が第1号となった。ウインドウの向こうでは、店員が手際よく「豚まん」の生地(ネタ)に具(カヤク)を詰め、丁寧に蒸し上げていく。立ち上る湯気の中から現れるホカホカの「豚まん」は、お客の購買意欲をそそった。百貨店での実演販売は大きな話題となり、以降、蓬莱は有名百貨店への出店を続けていった。顧客のことを第一に考える羅は百貨店に対し、いつもこう語っていたという。
「蓬莱は百貨店にとってプラスになるよう、他のテナントさんより何倍も売ってみせましょう。その代わり出店に関わる手数料は可能な限り安くして下さい。そうすれば、お客様においしいもの、良いものを安く提供することができますから」

地域的には、難波を中心にした大阪のミナミから梅田地区にあたるキタへ進出。ロケーションも百貨店などの独立した商業施設だけでなく、大阪全域にあるターミナルの駅構内へと広げていった。80年代始めまでには、奈良、京都エリアの百貨店にまで店舗ネットワークを拡大。鉄道ターミナルへの出店も、1981(昭和56)年の国鉄(現JR)大阪駅への出店をもって、関西の主要ターミナルをほぼ全てカバーした。

レストランを含む現在の店舗数は61。その全てが蓬莱の直営店であり、フランチャイズ展開はしていない。関西での圧倒的な知名度を考えたら、全国展開したくなるのが普通だろう。事実、「うちでも扱わせてほしい」という依頼が全国から寄せられているという。
だが、蓬莱には創業当時から関西以外で販売する考えはなかった。同社の「豚まん」は、蒸した状態で販売するのが大前提。蓬莱は一日数回に分けて各店舗にネタとカヤクを運んでおり、店舗の場所によってイースト菌の発酵時間と粉を溶く水の温度を綿密に調整している。遠隔地で販売するには長時間にわたって運搬しなければならず、それではイースト菌の発酵が進み、蒸した時の丸くふっくらした状態を保てなくなってしまうのだ。

品質を維持するためには、本社のセントラルキッチンから車で150分ほどの距離にある滋賀の草津近鉄店が限界。売れると分かっていても、蓬莱は味を保証できないエリアでは決して「豚まん」を販売しない。これもまた、顧客を最優先する創業者の信念と言えるだろう。


Top of the page

電話番号から取った? 551マークの由来

画像 テイクアウト用バッグ

60年代初期に使われていたテイクアウト用のバッグ。551マークはまだ使われていない。

画像 「豚まん」6個入り

赤い箱に入れて販売される「551蓬莱の豚まん」。全て偶数個入りなのは縁起を担いでのこと。価格は1個あたり160円。

画像 季節限定手提げ袋

“551HORAI”ロゴ入りの手提げ袋も関西ではよく見かける。写真は母の日とクリスマスの季節限定バージョン。

画像 現在のTVCM画面

なるみと常務の掛け合いが楽しい現在のTVCM。

ここで疑問がひとつ。「551蓬莱の豚まん」の551とは、いったい何を意味しているのだろう? 話は1962(昭和37)年にまで遡る。この年、難波の蓬莱本店は二度目の火災に見舞われた。2年後、3人はそれぞれ別法人として独立し、蓬莱食堂を立ち上げた仲間たちは別々の道を歩むことになった。本店を受け継いだ羅は新しい株式会社 蓬莱を設立し、独力で宣伝に力を注ぐ。蓬莱の名をたくさんの人々に覚えてもらうには、もっとインパクトのあるキャッチフレーズが必要だった。

悩んだ羅がひと息入れようとタバコに手を伸ばした時、目に入ってきたのが“555”という3桁の数字。それは、自分が吸っていた外国製タバコの銘柄だった。単純な数字の羅列だが、見た目のバランスが良く、音の響きも悪くない。数字なら万国共通だし、誰でも簡単に覚えられる。羅は当時の本店の電話番号が54-551番だったことから、“551”をワンポイントマークにして、蓬莱の文字と組み合わせることにした。ちなみに551には、「味もサービスもここがいちばんを目指そう」という意味も込められている。

蓬莱が"551蓬莱"を大きく打ち出してPRするようになったのは、60年代の後半から。「豚まん」のパッケージには50年代の後半から赤い箱が使われており、昔の蓬莱を知っている人には、この赤い箱そのものが蓬莱ブランドの象徴となっている。
また、現在使われているテイクアウト用の紙製バッグも「551蓬莱の豚まん」のシンボル的存在。"551 HORAI"というブランドロゴの下には英文で蓬莱のポリシーが書かれており、同社が大阪や関西だけでなく、関西を訪問する世界中の顧客を想定していることがよく分かる。

関西エリアに限定されるが、蓬莱はCMにも力を入れている。「豚まん」のCMを始めたのは1987(昭和62)年から。代々、吉本興業の女性タレントを使っているのが特徴で、現在は「なるみ」が同社の常務とコンビで出演中。
80年代は年配の女性客が中心だったが、これらのCMによって蓬莱には若い女性客が急増。今では会社帰りの女性が、晩御飯代わりに「豚まん」を買って帰る姿も珍しくない。


Top of the page

イートイン、テイクアウトに続いて通信販売をスタート

画像 メディオ新大阪店

2000年にオープンしたレストラン「551蓬莱 メディオ新大阪店」。チルド「豚まん」も販売。

画像 ハート豚まん

世にも珍しい「ハート豚まん」。毎年変わるオリジナルラッピングもユニークだ。300円。

関西圏の直営店でしか販売されていない「551蓬莱の豚まん」だが、その人気は既に地域レベルを超えている。知名度が上がるにつれ、全国から「故郷の友人に豚まんを食べさせたい」「出張の際に食べた味が忘れられない。地方にも送ってもらえないか」といった声が寄せられるようになった。
こうしたユーザーニーズに応えるため、蓬莱は1994(平成6)年から「豚まん」の通信販売をスタート。レストランでのイートイン、駅ターミナルや百貨店などのテイクアウトに続く第3の販売ルートを開拓した。この時に導入したのが、作りたての「豚まん」を急速冷蔵するチルド技術。その技術を通販システムに応用したのだった。

蒸した「豚まん」の消費期限は常温で当日中だが、チルド「豚まん」なら製造日から5日間は日持ちする。発売当時から反響は大きく、当初の電話とファックスに加え、現在はインターネットによるダイレクト注文にも対応。24時間どこからでも気軽に「551蓬莱の豚まん」を購入できるようになっている。
また、新大阪駅内の4店舗と大阪空港店、関西空港店では店頭でもチルド「豚まん」を販売。出張族やファミリーのお土産需要に応えている。

「551蓬莱の豚まん」で特筆すべきは、発売から66年経ってもその味を変えていないことだろう。小麦、豚肉、タマネギというシンプルな材料から作られていることもあるが、ふっくらとしたネタの食感とほのかな甘さ、カヤクの間からしたたるジューシーな肉汁は、昔も今も全く変わらない。時代や季節によって材料に微妙な差はあるはずだが、消費者にはまず分からない。製造レベルで頻繁にキャンペーンを行っており、常にふっくらとした美味しい“べっぴんさん”の豚まんになるよう、最大限の注意を払っているのだ。

定番化した「豚まん」の影に隠れがちだが、蓬莱は店舗・数量限定商品として「叉焼まん」と「あんまん」も販売している。また1984(昭和59)年からは、バレンタインデー限定で「ハート豚まん」も販売。シャレの利いたプレゼントとして、関西の女性に好評を博している。

現在、「551蓬莱の豚まん」の1日平均販売個数は約14万個。その全てが手作りされていることを考えると、食べる側としてはただただ驚くしかない。
食べ方は人それぞれだが、個人的には商品に添付されているカラシをウスターソースに溶き、ネタをちょっぴり浸して食べるのが一番美味しいと思う。そう言えば保存料を含まないこのカラシもまた、蓬莱の自家製なのだった。

取材協力:株式会社蓬莱(http://www.551horai.co.jp/
もうひとつのロングセラー商品「アイスキャンデー」

蓬莱の顔となっているもうひとつの人気商品が、1954(昭和29)年から発売されている「アイスキャンデー」。「豚まん」は通年で売れる商品だが、さすがに夏場は売れ行きが落ちてしまう。夏に売れる商品として目を付けたのが、安くておいしいアイスキャンデーだった。発売当時は一本一本手作りしていたが、60年代後半からは工場での大量生産に移行した。味のバリエーションも年代と共に変わり、今年はミルク、アズキ、チョコなど6種類をラインアップ。期間限定の味「フルーツ☆フルーツ」もある。店頭でアイスキャンデーをどさっとカゴに入れているオバチャンの姿も、蓬莱ならではの光景だろう。

画像 アイスキャンデー

関西の人にとってはアイスキャンデーも既に定番商品になっている。

タイトル部撮影/海野惶世 タイトル部撮影ディレクション/小湊好治 取材編集/バーズネスト
Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]