1950年頃 発売
ミカサ
世界のアスリートに支持される
競技用ボールのトップブランド
ミカサの社名は2001年から。写真は明星ゴム工業時代から会社をけん引してきた仲田國市社長。
昭和40年代半ば頃の工場風景
原反パネル貼りの工程
バレーボール綿布貼りの風景
2012年夏に開催されたロンドンオリンピックで、日本は過去最多となる38個のメダルを獲得した。観戦していて久々に熱くなったのは、ロサンゼルス大会以来、28年ぶりの銅メダルに輝いた女子バレーボール。日本人選手の活躍はもちろんだが、展開がスピーディーでラリーが継続する試合そのものの面白さに興奮した。
もうひとつ目立っていたのが、青と黄に塗り分けられたボール。世界選手権やワールドカップなど、女子バレーボールの国際大会で必ず目にするこのボールを作っているのは、広島に本社を構えるゴム製品メーカー、株式会社ミカサだ。
創業は1917(大正6)年。当初はスリッパやゴム草履、リヤカーのタイヤなどを作っていたが、戦後は船のプロペラに使うゴム軸受けを製造。今では工業用軸受けの分野における代表的企業へと成長した。
工業用軸受けと並ぶもうひとつの主要製品が、競技用ボール。戦前から複数のゴム製品メーカーがさまざまなボールを作っていたが、中でも人気があったのはドッジボールだった。ミカサもドッジボールから競技用ボールの製造をスタートしている。
同社がバレーボールの製造を始めたのは1950年頃から。戦後の日本は国民の体力向上を目指してスポーツ振興に力を入れており、スポーツが盛んな広島県のなかでも強かった種目がバレーボールだった。そういった背景もあって、バレーボールの製造が開始された。
60年代に入ると、女子バレーボールへの注目度が一気に高くなる。1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックでは、"東洋の魔女"と呼ばれた選手たちが金メダルを獲得。60年代後半から70年代前半にかけては、「アタックNo.1」「サインはV」などの漫画やアニメが大ヒットした。50歳前後の世代なら、当時のバレーボールブームを覚えていることだろう。
社会現象と言えるほどのブームに、ボール製造業界も沸き立った。ミカサはバレーボールだけでなく、サッカーボールやバスケットボールなど他競技のボールも作っていたが、バレーボールにシフトしてフル生産。当時を知る社員によると、「作る端から飛ぶように売れていった」という。
70年代半ば以降、ブームは沈静化するが、ミカサはその技術力と営業力でバレーボールのトップメーカーに成長してゆく。キーポイントは、公認団体から認められるかどうか、そして公式試合で使われるかどうか、だった。
ミカサ初期のFIVB公認試合球「MGV5-18」。皮革18枚貼り。
モスクワオリンピックなどで使われたFIVB公認試合球「MGV5」。皮革18枚貼り。
1988年のFIVB公認試合球「VL200」。ソウルオリンピック、バルセロナオリンピックなどで使われた。皮革18枚貼り。
自社製バレーボールの認知度を高めるためにまず必要なことは、バレーボール界を統括している国際団体及び国内団体の公認を得ること。こうした団体に認められることが、製品の品質が優秀であり、安定していることの証となるからだ。バレーボールの場合、「国際バレーボール連盟(FIVB)」と、同団体に加盟する「日本バレーボール協会(JVA)」がそれにあたる。
公認と検定は、各団体のボール規格に準拠した製品に与えられる。例えばFIVBによるインドア用ボールの規格では、周囲65-67cm、重量260-280g、内圧0.3-0.325kgf/cm2と決められている。ミカサのようにある程度の技術レベルを維持しているメーカーなら、FIVBの公認球やJVAの検定球に選ばれることはさほど難しくない。実際、常に複数のメーカーのボールが両団体の公認球・検定球となっている。
難しいのは、そうした団体が主催する公式試合の「試合球」に選ばれるかどうかだ。公式試合球に選ばれるボールは、特定のメーカーが製造する1種類のボールに限定される。世界大会や国内のVリーグでは数多くの試合が行われ、使用されるボールも膨大な数になる。試合によってボールの特性に変化があることは許されないので、何よりも安定した品質が重視されるのだ。
ミカサの強みは、バレーボールだけでも1日1000個以上に及ぶ豊かな生産実績。試合球は、その中から厳しい条件に合格したものだけが選別される。優良製品を数多く作っているからこそ、プロの使用に耐えうる製品を提供することができるのだ。
FIVBの場合、公式試合球に選ばれたメーカーは、4年間にわたってFIVBが主催する公式試合にボールを提供することになる。試合はオリンピック、世界選手権、ワールドカップなど、トップレベルの世界大会ばかり。当然、全世界のバレーボールファンが自社のボールを目にすることになる。メーカーにとってこれほどの名誉はない。
ミカサは東京オリンピックの公式試合球として採用されたが、この時は他メーカーのボールも試合球に選ばれていた。同社が他社に先んじていたのは、早くから海外進出を念頭に置いていたこと。そのため、当時の仲田國市社長はFIVBに対して積極的に自社製品の優秀性をアピール。業界に先駆けて、1969(昭和44)年にFIVBから国際大会公式試合球としての認定を受けることに成功した。
以降、ミカサのバレーボールは1972(昭和47)年のミュンヘン大会と、1980(昭和55)年のモスクワ大会以降すべてのオリンピックで公式試合球に選ばれている。
1980年代後半のボール製造工程。左から二層ブチル製チューブ、表面特殊加工、ナイロン糸巻、補強ゴム、牛革表皮層。
3色カラーボールの代名詞となった「MVP200」。ミカサの国際的知名度はさらに高まった。
ここで、ミカサ製バレーボールの変遷を見てみよう。まず、1970年代前半には構造上の大きな変化があった。それまではボールの変形を防いで耐久性を向上させるために、最も内側を形成するゴムチューブの上に柔らかな布を貼っていた。ミカサは布の代わりに丈夫な糸巻き構造を採用。人手で貼っていた布に変わって糸巻き構造は機械化できるので、生産効率が大幅に向上した。
1975(昭和50)年には、ミカサ開発のカラーボールがアメリカプロリーグ(IVA)唯一の公式試合球に認定された。パネルは18枚で、配色は青・黄・白の3色。カラー化はボールにデザイン要素を取り入れると共に、サーブの回転方向が見やすくなるというプレイ上のメリットもあった。
ミカサのカラーボールは長らく国際試合で使われることはなかったが、98(平成10)年、新開発の3色カラーボール「MVL200」がFIVBによって公式試合球に認定。この時から、カラーバレーボールは国際試合においてもスタンダードなボールとなった。
バレーボール普及のためには、大会のテレビ放送が欠かせない。地味なホワイトボールより、ひときわ目立つカラーボールが好まれたのも当然だった。
もうひとつの大きな変化は、表皮パネルの素材だ。競技用バレーボールの表皮パネルは戦前からずっと天然皮革(牛革)が使われてきたが、ミカサは2001(平成13)年に、株式会社クラレの人工皮革「クラリーノ」を採用した3色カラーバレーボール「MVP200」を発売。オリジナルの「クラリーノ」はやや硬かったため、ミカサはクラレと共同でバレーボール専用の「クラリーノ」を開発した。その結果、「MVP200」は天然皮革以上のソフトな触感と理想的な重量バランスを持つ傑作ボールとなった。
人工皮革の18枚パネル・3色カラーボールの「MVP200」は、2005(平成17)年から08(平成20)年までFIVB唯一の公式試合球に認定。バレーボールファンにはすっかりお馴染みおなじみの定番ボールとなった。
青と黄の2色、8枚パネルの「MVA200」。最新テクノロジーを駆使したFIVB試合球。9450円。
「MVA200」のディンプル。表面には無数の微細なシボがある。
2008(平成20)年に開催された北京オリンピック。この大会のバレーボールでは、2年がかりで開発されたミカサの新しいボールが採用された。「MVA200」と名付けられた新製品は、見るからに従来の同社製品とは異なっている。まず、配色が青・黄・白の3色から青と黄の2色になっている。表皮パネルも、長い間続いてきた18枚から8枚に変更。複雑な曲面を持つパネルをらせん状に貼り合わせているのが特徴だ。
FIVBのボール規格はそう簡単に変わらないが、「MVA200」は、その厳密な規格を変えるだけの大きなインパクトを持っていた。カラーを黄と青の2色にしたことにより、従来にも増して視認性をアップ。選手はボールの回転方向を目で追いやすくなった。
開発の主眼は2点ある。一つは、レシーブ時などの衝撃吸収力を高めること。これは、スポンジ状の風合いを持つマイクロファイバー不織布の上に、クッション性の高いポリウレタン表皮を重ねた「2重クッション構造」を採用することで解決した。
もう一つのポイントは、ボールのコントロール性を高めること。選手の汗によって、ボールはどうしても滑りやすくなってしまう。ミカサはボール表面に新たにディンプルシボ(凹加工)を施し、同時にフラット面にも微細なシボを付けた独自の「Wシボ・マルチパターン構造」を採用。従来比で表面積を約4%も増加させた。さらに超微粒子のナノバルーンシリカを表面に塗布し、汗に左右されない高度なコントロール性を確保した。
この2つの特徴は、どちらもミカサとクラレが共同開発したテクノロジーによって実現したものだ。
「MVA200」は、開発段階から世界で活躍するトップレベルの選手たちの声を反映している。評判も上々だ。ボールのコントロール性が高くなったことにより、「スパイクの変化が付けやすくなった」「表皮が汗を吸収しないのでボールが重くならない」といった声が寄せられている。
また、観客にも「MVA200」は大きなメリットをもたらした。視認性とコントロール性が向上したことにより、ラリーが今まで以上に続くようになったのだ。速く勝負を決めたい選手にとってはあまりうれしくないかもしれないが、観客の興奮度は間違いなくアップする。
2013(平成25)年から16(平成28)年までの4年間、FIVBが主催するすべてのバレーボール及びビーチバレーボールの国際試合で、ミカサのボールを公式試合球とすることが決まっている。「MVA200」はブラジル・リオデジャネイロで開催される次期オリンピックでも、試合を支える立役者となるだろう。
現在、ミカサが製造している競技用ボールは、スポーツの種目別で約15種類。「小さくないボール」はすべて作る、日本を代表する競技用ボールの総合メーカーとなった。
まずは世界で認められること。世界的な知名度があれば国内市場も獲得できる。ミカサのバレーボールがロングセラー、そしてベストセラーとなった最大の理由は、この大きな目標を早期に実現できたからにほかならない。
ミカサはインドアのバレーボールだけでなく、ビーチバレーボールでもFIVBの公式試合球に選ばれている。最新のモデルは「VLS300」。その特徴は、世界で唯一のマシンステッチ(ミシン縫い)公式試合球であること。ゴムチューブをしっかり糸巻きするバレーボールやサッカーボールなら表皮を丸く縫うのは簡単だが、ビーチバレーボールは糸巻きを使わないため、表皮を丸く縫うのが難しい。しかも「VLS300」はデザインを重視しているため、表皮のパターンが非対称になっている。開発者によると、「丸くするために途方もない時間がかかった」とのこと。2012年のロンドンオリンピックでデビューを飾ったこのボールもまた、ミカサの高度な技術を証明する力作なのだ。
よく見ると斬新なデザインの「VLS300」。6300円。