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どん底があったからこそ、トップになれた

― お母様は見抜いていたわけですね。

はい。私はそれまで、プロと名乗ってはいるものの、プロになりきれていなかったんだと思います。スランプ以前、大好きなテニスを仕事にしていてある程度の結果を出していたために、勢いだけで走っていたのかもしれません。ですが、どん底に落ちてしまい「もうやめた」とさじを投げそうになった時に「やりきったの?」と聞かれて、「私は、何を甘いこと言っているんだろう」と気付かされました。「うまくいかないから、もうやめたい」という思考回路は、子どものそれです。精神的に大人にならないと、これから先のテニス人生はないなとも思いました。この時、自分の考え方、ものの見方も大きく変わりました。

― 大きな気付きですね。

プロと名乗っているからには、現役人生をやりきる、全うすることも、重要な“仕事”だという覚悟ができたので、ゼロから再スタートを切ろうと思い直すことができました。

― プロであるという意識が芽生えたとも言える出来事かもしれませんね。そこから復活の道が開けたと?

いえいえ、そんなに簡単ではありません。頑張る、やりきると決めたものの、本当にひどい状態だったので、どう手を付ければいいのか、見当が付きませんでした。ですから、テニスの初心者がするような練習から始めました。手投げのボールを打ち返す練習もしましたし、テークバックもグリップも全て作り直しました。それから肉体改造もし、どんな大会をどのタイミングでどう回るかなどのプランも練り直し、と本当に全部、ゼロからスタートです。

― 「こんな初歩的なこと、できるわ!」などと、“過去の栄光”は、邪魔しませんでしたか?

杉山愛さん

最悪の状況の時、私は「自分には何もない」と完全な自信喪失に陥っていました。ですから変えることに抵抗はありませんでした。仮に自分がやってきたことに少しでも固執していたら、余計悩んでいたかもしれませんが、当時はどん底だったので、プライドも何もありません。とにかく、最初はぐちゃぐちゃでした(笑)。

目隠しされて手を引かれて歩いているような感覚でした。ですが、確実に自分の力をつけていかないことには先はない。過去にしがみついていては、この世界では戦っていけないということを痛感したので、変わらなくては、という意志を持って自分を律していました。

半年ほどすると方向が見えてきて、1年くらい経ったころにはアタマが整理されてきました。

― プロとして活躍していたことに固執することなく、ゼロからスタートすると決めて、それを迷わず実行したことによって、確かな力が蓄積されたのですね。

自分の中にも積み重なっていくという感触があって周囲から「最近、良くなってきたね」と声を掛けられるようになりました。そうやって一度、回り出すと、楽しくなってきてどんどん吸収できるようになります。それまでは、周囲の言われるままに練習をし、試合に出てという受け身の姿勢だったのが、「私はこういうことがしたい」という発信ができるようになってからは、方向がさらに明確になりました。そして再スタートから3年目には久しぶりにツアーで優勝し、2003年の終わりには、テニス人生の目標だったトップ10に入ることもできました。結果から言えば、そのスランプがなかったら、トップ10という夢の実現はなかったでしょう。大きなピンチはチャンスだったというわけです。テニス人生の中で一番感謝したい時期です。

― 地道に積み重ねて一歩ずつ成長していくという感覚は大切ですね。ご自身の中で最も大きい変化は何だと思われますか?

今振り返ると、スランプ前は、調子が良い悪いの波に自分が乗っているだけで、何も分かっていませんでした。ですから良い時は勝てますが、悪い時にどう修正するか、という幅がありません。

ですが、スランプ後は自分と向き合うということを知りました。きちんと自分と向き合えば、どこを磨けばいいのかも見えてきます。自分を知るということはとても大切なんです。

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