電車の中で携帯電話で話しているのがどうしてあんなに不愉快か、というと、隣り合わせて座っているにもかかわらず、こちらに人がいるという意識がまったくなくなって、違う世界に行ってしまっているからです。宇宙人になってしまってるんです。
今は、テレビにも電車の週刊誌の中吊り広告にも、世の中に顔が満ち溢れているけれども、そこに出ている顔というのは本当の顔なんだろうか、という疑問があります。もしかしたらそれは顔とは違うものなんじゃないだろうか?
本当の顔というのは、相手の視線があるのでジロジロ見られるものじゃないですよ。視線は強いものですから。ところが、テレビに映っている顔というのは、いくら見ていても反応しない、見られても気にならない顔です。単なるBGM的な顔でしかない。「バックグラウンドフェイス」です。それを見慣れていると、街の顔も同じように見えてしまう。そうなるとテレビの前でメイクをしているのと同じ感覚で、周りにあるのは顔ではないから見られていても全然気にならないわけです。
広い意味でのネットワークの中で顔を隠すコミュニケーションを僕は「匿顔のコミュニケーション」という言い方をしています。コミュニケーションとはもともと顔と顔を合わせるものだという大前提があったのですが、今は顔を見せないコミュニケーションが主流になりつつあります。その時に人格がどう変わるのか。現実の世界では紳士が、インターネットの世界ではやたらに攻撃的になることもあるかもしれない。いたずら電話も顔を見せていないから出来ることで、そうした現象はすでに多く起こっています。
顔を見せている社会では我々は、無意識に自己規制をかけています。悪いことをする時にはストッキングをかぶったりして顔を隠したりするでしょ?
それがもともと顔のない社会だったら自己規制が働かなくなります。だから今、顔を見せないネットの中の秩序を一体どうやって作っていくのかという問題が出てきています。
しかし一方で、顔を隠すことによって、勇気ある自分が出てくるということもあります。昔から勇気あるヒーローは顔を隠していました。鞍馬天狗とか月光仮面とかバットマンとかみんなそうですね。
ネットにも同じような、今までのしがらみから逃れて新しいことができるという可能性もあって、ネットを中心に新しい社会が出来つつあります。
でもやはりネットの中でも感性的なコミュニケーションを大切にしていかなければいけないと思います。それを学ぶためには人間の顔の研究は大切ですね。顔の研究は人間の大切な部分をいろいろな形で含んでいるのです。顔学というのはコミュニケーション工学の基礎研究としてなくてはならないものなのです。 |