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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
かしこい生き方のススメ 第2回原島博さん
岸恵子の顔を10%
 

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まず、顔学とはなんでしょう?

原島

顔学とはもともとあった言葉ではなく、1995年3月に日本顔学会が出来て以降だろうと思います。人類学、心理学、哲学、メイク、警察関係など、顔に対して関心がある人達はたくさんいるのですが、これまでは分野が違うということで交流がありませんでした。
そこで、協力して学際的な体系を作り、顔についていろいろな角度からみんなで考えようと発足したのが顔学です。ただ、研究を続けて「人間はなぜこんなに顔を気にするのか」などと考えていくと、顔学とはまさに人間学そのものと言ってもいいのかもしれません。

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もともとテレビ電話の研究をきっかけに顔に興味を持ち始めたとか?

原島

テレビ電話の研究は、顔のデータをどう伝えるかということですが、ありのままを伝えても気持ちのよいコミュニケーションはできない。顔には表情がありますが、それに加えて印象というものがあって、単に表情をつけるだけではなくて、自分の顔をどう見てもらいたいかということが大きな要素となるのではないかと考えるようになりました。

ある時モーフィングという技術を使って実験をしたんです。取材に来られた女性に理想の女優を聞くと、若い時の岸恵子が大好きだとおっしゃる。それでその方の顔に、若いときの岸恵子の顔を10%入れる、20%入れる、30%入れるという合成写真を作ったんです。逆に、岸恵子より目が小さければもっと小さくする、マイナス10%、マイナス20%というのも作りました。そしてそれらの写真を適当に机の上に置いて「さて、あなたの顔はどれでしょう?」と聞いたところ、岸恵子が10%入っている写真を「これが私です」と選んだんですね。つまり、その人にとって自分のイメージには10%岸恵子が入っているわけです。

私は、彼女は健康的だな、と思いました。というのも、人っていうのは普段自分の顔だけが見られない。それは神様の贈り物だったかもしれないんですが、つまり自分の顔はイメージの中にあるわけで、それなら良い方に考えていればいいんです。
それに僕が選んだとしても、10%岸恵子の入った写真を選んだかもしれません。というのは、僕は彼女の話し方や表情などトータルで印象を形作っているんです。彼女が自分自身10%くらい岸恵子が入っている顔を思い浮かべて、「演じ」ながらコミュニケーションをしていることが、顔をよく見せていたのです。

もうひとつ顔の面白いところは、見る側の気持ちで変わってくるところです。
指名手配の写真はいかにも悪人に見えますが、それは悪い人だと思って見るからです。もしノーベル賞をとった大学教授だなんて言われれば「かなり癖はあるけど、やっぱりどこか違う」となる。良い印象を持っていれば良い顔に見え、悪い印象を持っていると悪い顔に見えてしまうわけです。
この「良い印象」というのは「この人は良い内面を持っているだろう」という、こちらの先入観が強く作用しています。顔学の立場から言えば、心だけではなくてもちろん顔は大切です。でも、その大切な顔をよく見せるには、良い心が重要なんです。良い心を持っていれば相手に良い印象を与え、その良い印象がその人の顔を良く見せる。そして、そこには良いコミュニケーションが生まれるから、顔も実際に良くなっていくという相乗効果が生まれるわけです。
顔というのは単独にあるものではなくて、見る人と見られる人の関係性の中にあるものなのです。

匿顔のコミュニケーション

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先生は「顔はコミュニケーションにおいて重要だ」とおっしゃっていますが、一方で今はメールや携帯など顔のないコミュニケーションがたくさんありますね。

原島

電車の中で携帯電話で話しているのがどうしてあんなに不愉快か、というと、隣り合わせて座っているにもかかわらず、こちらに人がいるという意識がまったくなくなって、違う世界に行ってしまっているからです。宇宙人になってしまってるんです。

今は、テレビにも電車の週刊誌の中吊り広告にも、世の中に顔が満ち溢れているけれども、そこに出ている顔というのは本当の顔なんだろうか、という疑問があります。もしかしたらそれは顔とは違うものなんじゃないだろうか? 本当の顔というのは、相手の視線があるのでジロジロ見られるものじゃないですよ。視線は強いものですから。ところが、テレビに映っている顔というのは、いくら見ていても反応しない、見られても気にならない顔です。単なるBGM的な顔でしかない。「バックグラウンドフェイス」です。それを見慣れていると、街の顔も同じように見えてしまう。そうなるとテレビの前でメイクをしているのと同じ感覚で、周りにあるのは顔ではないから見られていても全然気にならないわけです。

広い意味でのネットワークの中で顔を隠すコミュニケーションを僕は「匿顔のコミュニケーション」という言い方をしています。コミュニケーションとはもともと顔と顔を合わせるものだという大前提があったのですが、今は顔を見せないコミュニケーションが主流になりつつあります。その時に人格がどう変わるのか。現実の世界では紳士が、インターネットの世界ではやたらに攻撃的になることもあるかもしれない。いたずら電話も顔を見せていないから出来ることで、そうした現象はすでに多く起こっています。

顔を見せている社会では我々は、無意識に自己規制をかけています。悪いことをする時にはストッキングをかぶったりして顔を隠したりするでしょ? それがもともと顔のない社会だったら自己規制が働かなくなります。だから今、顔を見せないネットの中の秩序を一体どうやって作っていくのかという問題が出てきています。

しかし一方で、顔を隠すことによって、勇気ある自分が出てくるということもあります。昔から勇気あるヒーローは顔を隠していました。鞍馬天狗とか月光仮面とかバットマンとかみんなそうですね。
ネットにも同じような、今までのしがらみから逃れて新しいことができるという可能性もあって、ネットを中心に新しい社会が出来つつあります。
でもやはりネットの中でも感性的なコミュニケーションを大切にしていかなければいけないと思います。それを学ぶためには人間の顔の研究は大切ですね。顔の研究は人間の大切な部分をいろいろな形で含んでいるのです。顔学というのはコミュニケーション工学の基礎研究としてなくてはならないものなのです。

環境が顔をどんどん変える

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先生のサイトで拝見した平均顔は、非常に面白い試みですね。プロレスラーの平均顔には驚きました。

原島

誰でもないけれどもいかにもプロレスラーという顔ですよね。人間の顔には個性があり、個性というのはかなり強力なので、普通はそればかりに目がいってしまいます。ところがあるグループの平均をとると、個性は打ち消しあって、共通の顔の特徴は加え合わさって、「個性はないけれど、いかにも」という顔が出てくるわけです。
少し前にやったのでは、スチュワーデスと局アナです。平均顔をとってこれはどちらでしょうと言うと、言葉で説明するのは難しくても、不思議とみんな、間違えずに当てますよ。
きっと、その職業において期待されている顔というものがあって、その顔になるように自分の気持ちも向かっていくし、周囲も期待するからでしょう。銀行員もいかにも、という顔になった時に、周りからお前も一人前の銀行員になったという風に認定されるところがあります。脱サラしてペンションの主になった人たちは、最初はサラリーマンの顔をしているんですが、3ヵ月も経つとみんなひげを生やしてだんだんとペンションの主風の顔になるんです。

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最後に、顔を良くする13箇条をお持ちとか。

原島

その第1条は「自分の顔を好きになろう」です。これは顔を良くするための大前提です。顔から見れば飼い主は一人しかいません。飼い主が嫌っていたらどんどんひねくれていく。可愛がってあげなくてはいけません。また、自分だけではなく他人の顔も褒めてあげましょう。奥さんをブスにする一番手っ取り早い方法は、毎日毎日お前はブスだと言い続けること。これをすると必ずブスになります。顔は褒められることで美しくなります。毎日の挨拶と同じように、意識しないで今日も綺麗だねと言えばいい。口先だけと言っても、言われる方は絶対に悪い気はしません。

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先生も奥様に対して実践なさってるんですか?

原島

美人かどうか分からないけど、いつもそう言っていますよ。(笑)

環境が顔をどんどん変える
インタビュア 飯塚りえ
原島博(はらしま・ひろし)
1945年東京生まれ。東京大学教授、コミュニケーション工学者
東京大学大学院博士課程修了。工学博士。 同大学大学院情報学環・学際情報学府所属(工学部電子情報工学科兼務)。 情報理論、信号理論、デジタル信号処理、画像の符号化と処理などのほか、最近では、人間主体のヒューマンコミュニケーション技術の確立を目指して、映像構造化や知的符号化を中心とする知的コミュニケーション技術、顔画像処理などの感性コミュニケーション技術、3次元統合情報環境へ向けた空間共有コミュニケーション技術などの研究を行っている。
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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