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かしこい生き方 大阪大学大学院人間科学研究科教授 渥美公秀さん

「正解ではなく『成』解がある。防災は臨機応変に考えることが大切です。」

阪神・淡路大震災や東日本大震災など、大きな自然災害を
多く経験した私たちは、防災に関していろいろと意識するようになった。
しかし、たくさんの情報がある中、何を、どうしたら、と
迷うことも少なくない。
そこで、今回は、ご自身も阪神・淡路大震災を経験し
その後、海外も含め被災地のボランティア活動を継続して行う
渥美公秀さんに、防災の考え方について伺った。


必要な「物」をそろえるのも大切、でも…――人とつながっていることは大きな力

――

先生は、阪神・淡路大震災での経験を踏まえて、災害への備えについて論じられています。

渥美

阪神・淡路大震災以降、私たちはどのように災害に備えるかということをたくさん議論してきたと思います。専門家の間でも「仮に、完璧に災害に備えようとするなら、街全体を要塞のようにして、何か起きたらすぐに救助に向かえるようなチームを待機させて、というような非現実的なものになってしまう」という話になります。
こういう物を備えよう、こういう補強をしようということ自体、決して間違っていません。ただ、物理的に何かを整えようというだけでなく、人間環境を豊かにしていくことが非常に大切なのだと考えています。

――

具体的にはどのようなことですか?

渥美

私が人とのつながりの大切さに気付いたのは、地震の後、小学校に設置された避難所に手伝いに行った時です。幸いにも私の家族は無事だったのですが、亡くなったり家が壊れた方もおられ、街がとんでもないことになっている。そこで居ても立ってもいられず、何かできないかと市役所に向かったところ、ある避難所を紹介されたのです。
手伝っていて気付いたのですが、その避難所は、とても上手く運営されていたんですね。よく観察していると、野球の監督やバレーボールの審判など、地域のスポーツを指導しておられる大人たちがそこを仕切っていることが分かってきました。「地域のおっちゃん・おばちゃん」なので、顔見知りも多く、学校の先生との信頼関係もあって、かつ声も大きい(笑)。避難所には昔、野球を教えた子が来たりして、その子は「人数、数えてこい!」などと言われれば、ぱっと指示通りに動き出すのです。

――

普段から顔を合わせている人たちがいた、というわけですね。

渥美

そうなんです。一般的に防災というと、そのために組織や班を作って訓練をするようなことはあるかもしれませんが、その訓練のときにしか顔を合わせないケースが多いのではないでしょうか? ですが、こうしたスポーツでもあるいは囲碁や園芸でも、自分の好きなことで地域の人とつながっていると、災害時に助け合うことにつながるのだと、痛感したのです。

――

顔も知っていて、声も掛けやすいですね。

渥美

運営の中枢にいた地域の方々は、避難所に集まった人たちの構成から普段の暮らしぶりなど一人一人のことをよくご存じなので、上手に取り持ったり、細やかな気配りができます。家族や知り合いを探して避難所に尋ねてくる方がいましたが、ボランティアのわれわれは一人一人に聞いて回らなくてはならない。ですが彼らは「○○さんは、昨日までおったけど、もう親戚のところに行ったで」と、すぐ分かります。

――

先生のご著書『地震イツモノート』の中でも、地域の活動に参加することの意味や災害に対する日頃からの心の在り方を記されています。

渥美

特別な防災訓練ももちろん大切なのですが、月に1回くらい、地域の行事に顔を出しておく、あるいはお子さんがいるなら学校の行事には積極的に参加しておく、職場なら部署を越えて知り合いになっておくことが、いざという災害のときに必ず役立つと思います。

――

特に都会では地域の関係が疎遠だといわれ、それがいろいろな場面でゆがみとなって現れていると思いますが、災害に際しても同じだということですね。

渥美

画像 犬の散歩中に立ち話難しいなら、まずは犬の散歩をしているときやゴミ出しのとき、よく見掛ける人に声を掛けてちょっと立ち話をするところから始めてはどうでしょう。
私は、防災に関するワークショップを行ってマップ作りを提案しています。ですが、防災マップを作っているわけではないんです。例えば地域のおいしい店や面白い遊び場、史跡など地域の情報を地図上に書いていくのです。その中に避難所などの情報も重ねていくのをお勧めしています。単なる防災マップでは堅苦しくなって、皆さん、構えてしまうから、身近なマップとすることが大切だと思います。

――

楽しそうですね!

渥美

地図を1枚、近所で作るとなると、それこそ地図には載せられないだろうという情報が出てきたり、カメラ好きな方が「写真は俺が撮る」と言い出してもめたり、完成までに珍事件が起きて、それが結構面白いのです。実際、神戸市などではそうした地図作りをして、防災に役立てています。

――

地図を作る過程で、地域のつながりもできていきますね。

渥美

それが狙いなのです。子どものための安全マップなどもPTAが作るのではなく、子どもと一緒に作ったらいいと思います。植え込みがあって子どもの背の高さでは通るクルマがまったく見えないといった、大人では分からない危険が潜んでいることがあらためて分かります。
そうやって日々やっているもろもろのことを、防災という面から考えるようにしようという提案なのです。毎日作っている料理に、防災というスパイスを加える...そんなイメージでしょうか。一品料理として「防災」が出されても、なかなか手を付けられないのですが、普段の料理にスパイスとして加わっていたら、おいしく食べられるということです。

――

確かに、取り立てて「災害時にはどうする」などと言わなくても「外出先で迷子になったらこうしよう」と話し合うついでに、災害のときの話もしておくといいですね。

渥美

普段の暮らしの知恵を防災に応用したという例があります。
独居老人のお宅などを回っている民生委員さんに伺った話なのですが、お年寄りが普段飲んでいる薬が分からないとか、親戚の名前を聞いて答えられないとかいったことがあるので、薬と連絡先はまとめて冷蔵庫に入れておくことにしているのだそうです。でも冷蔵庫はとても丈夫ですから、災害のときにも壊れにくい。そこで「お年寄り世帯だけでなくても、災害時の備えとして有効だ」となるのです。

――

冷蔵庫とは良いアイデアですね。災害への備えという話題になると、まずは非常持出し袋と考えますが、もしかしたら、家具の下敷きになって持ち出せないかもしれません。

渥美

非常持ち出し袋も、もちろんとても大切なことだと思います。備えるに越したことはありません。ただし、その袋を作るのは家族全員でやってほしいと思います。そして非常食や水を入れ替えるといった作業もなるべく皆でやりましょう。
と同時に、今あるものを工夫して使える知恵を身に付ける訓練もしておいた方がいいのです。これはあくまでも私個人の意見ですが、実際、被災してから2日ほどはまったくお腹が空きませんでした。それどころではなかったのでしょう。数日内に支援物資も届くでしょうし、食べ物を持っている人が分けてくれることもありました。ですから「あれを用意しよう」「これも入れておかなくては」などと、型にはめて硬く考え過ぎるのは良くないという気がします。常備薬など、なくては生死に関わるというものをそろえておくのは必須としても、全部そろえようとするのではなく、臨機応変に対応するという心構えも必要です。
正直に申し上げると、私も震災後に、一度非常持ち出し袋を用意したのですが、結局、玄関先にどんとあるから「邪魔やなぁ」ということになって、今は押し入れにしまい込まれてしまいました(笑)。やはり工夫がいるな、と今、思案しているところです。


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臨機応変に組織されるボランティアしかり――「これしかない」ではなく「これもあり」

――

震災の経験を経て、ボランティア活動も始められました。どんな経緯だったのでしょうか?

渥美

地震の後、大学の様子を見に行く途中で、最寄り駅の六甲道駅が落ちているという放送が流れたのですが「『駅が落ちる』ってどういう意味やねん?」と思いました。何が起きたのかよく分からないという状態でした。今思えば、地震から1、2日は、ぼうぜんと過ごしていたように思います。
ですが、道すがら「どこに行ったら水がもらえるか」とか「食べ物を持っていないか」など、いろいろ声を掛けられ、我に返って見渡せば、自分の家の周囲よりずっと大変なことになっている。「何か手伝わな、あかん」という気持ちはごく自然に生まれました。

――

文字通りの「ボランティア」だったわけですね。

渥美

当時は「ボランティア」という言葉自体、日本にはあまり知られていませんでしたが、とにかく先にお話した避難所での活動の経験が、私のボランティアに関する研究や活動のきっかけになりました。
西宮市役所地下に設置されていた西宮ボランティアネットワーク(現・日本災害救援ボランティアネットワーク)にいたとき、運営者に大学の教員だと言ったら、誰と何を話したか分からなくなってしまうから、日々の様子を記録してほしいと言われました。そうした記録をもとに、どのように組織が出来上がったのかを書く機会もありました。
このときには、ボランティアのリーダー的存在はその場に長くいる人でした。それだけ現場のことを知っているからです。その人が出ていったら、また次に長い人がリーダーになります。それだけのことで、非常に即興的に組織が動いていくというのも、興味深いことでした。何となく係を決めたときもそうでした。必要ないなと見なされると翌日には、自然になくなっていくのです。
西宮ボランティアネットワークでは、こんな場面もありました。配給された弁当の配り方でもめてしまい、時間になっても決まらない。ところがふと見ると、弁当を待つ列がどんどん長くなっていくのです。そのうち「いいから、とりあえず配ろう」と誰かが言い出して、解決してしまいました。現実を前に、もめ事がなくなるというのは気持ちの良い組織だなと思いました。

――

組織をどう作るかというのは、企業でも常に課題ですが、必要に迫られてその場で出来上がった組織が最も適切に機能するというのは、興味深いですね。

渥美

ボランティアについては、もっと根源的な部分で、人の生き方、社会の在り方を考える上でその活動はとても意味があると思います。少し抽象的になりますが、学生を例にとると、彼ら、彼女らは大学を卒業して市場取引のある社会に出ていきます。その中で、当然ですがお金を稼いで生活していきます。他方、ボランティアでは「ありがとう」「お大事に」という言葉が交わされるくらいです。ですが、そういう、お金を介さずに人が接している場所があることを忘れないという意味でボランティアは重要だと思うのです。

――

人が接しているというのは、具体的にはどんなことでしょう?

渥美

時として忘れてしまうかもしれないのですが、人間は、他の人の思いを感じて豊かになったり、傷ついたりするのです。ボランティアというのは、お金とはまったく関係なく動いている世界がリアルにあるのだと感じられる場所なのではないでしょうか。
最近では「ボランティアが新しい社会を作る」といわれていますが、だからといって、ボランティアが今の経済社会で採算の取れない部分を助けるという意味しかないのであれば、それは違います。普通の市場経済ではない別の場所で、自分が寄与できることへの素晴らしい喜びがあります。それが新しい社会といったときのボランティアの役割だと思うんです。

――

あらためて伺いますが、災害に備え、向き合うときに、何を大事にしておくべきだとお考えですか?

渥美

画像 自由に発想 臨機応変 成り立つ解一つのことにとらわれない訓練をしておいた方がいいのではないでしょうか。防災のためには「これ」ではなく、自由に発想することが必要です。近所付き合いが大切だと言われたら、隣近所のことしか考えないのではなく、いつも駅で一緒になる人と友達になってもいいのだし、よく行く店で会う常連さんに思い切って声をかけてもいいのです。
私自身は「こうするしかない」と考えるのではなく、他のやり方もあるのじゃないかと考えられるようになりたいと思います。一緒に活動する研究者の間では防災に関して「『正解』はない。『成』解があるのだ」というようなことを言っています。
災害について考えるとき、専門家が正しい解を知っていて、それを教わろうというのではなく、その場で自分たちで考えて「成り立つ解」が結局、正しい解になるのです。非常時には、そういう臨機応変な姿勢が一番重要なのではないでしょうか。


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渥美公秀(あつみ・ともひで)

1961年大阪府生まれ。1985年大阪大学人間科学部卒業。1987年大阪大学人間科学研究科行動学専攻修了。1993年ミシガン大学大学院(心理学)PhD.取得。大阪大学人間科学研究科行動学専攻単位取得満期退学。神戸大学文学部助教授、大阪大学大学院人間科学研究科助教授などを経て、2010年大阪大学大学院人間科学研究科教授に就任。現職。専門はグループ・ダイナミックス。阪神・淡路大震災のときは、神戸大学文学部に勤務、西宮市に居住。災害ボランティア活動に参加しつつ、研究を続ける。

●取材後記

「家具はできる限り固定し、避難場所の確認もした。でも非常持ち出し袋は中味を吟味していて結局まだ決まらない。他に何をすればいいだろう...」。災害への備えが大切なことは分かっていても、分からないことも多い上、災害への恐れもある。しかし、渥美さんのある一言で少し気持ちが楽になった。「大変なときには助けて!と言えばいいんです。そしたら誰かが必ず助けてくれます」

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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