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かしこい生き方 文化起業家 藤田志穂さん

「若い人が食と農業に一歩踏み出す橋渡しをしたいんです。」

2005年、「ギャル革命」を掲げて起業した藤田志穂さん。
独特のファッションで街を闊歩(かっぽ)するその姿ゆえに、
偏見を持って見られてしまう状況を憂えて、
「ギャルでもできる」ことを証明すべく活動していた藤田さんの
目下のテーマは、農業。ファッショナブルなご本人を前に
やはり「どうして農業?」と聞きたくなる気持ちこそ、
藤田さんが農業をテーマにする理由かもしれない。
食に携わろうという学生をサポートする
「ご当地!絶品うまいもん甲子園」など、
現在の活動とともに、背景にある思いを伺った。


きっかけは何でもいい。まずは踏み出すこと――ギャルスタイルで農業を楽しもう

――

「ギャル革命」も画期的でしたが、現在の活動も意外です。

藤田

根本は変わらないんです。もともと、ギャルだって頑張れば何でもできるということを証明するために会社を立ち上げたのですが、次のステップとして、せっかくなら若い子たちに何か伝えることをしたいな、と。ちょうど、そのころ、食や農業という話題をよく耳にしていたこともきっかけですね。

――

「ギャル」だったら、ファッションや映画など、もっと華やかな選択をするのでは?と思いたくなりますが。

藤田

私の父母はそれぞれ新潟の農家と北海道の漁師の家の出なんです。小さいころは、毎年遊びに行っては、田んぼでおたまじゃくしを採ったり、海釣りをしたりしていたんですが、高校生くらいになると遊びに行くことも少なくなり、あまり自然や環境を意識する機会もなくなって…。その後、19歳で会社を立ち上げ、初めて事務所を構えたのが渋谷です。私たち、ギャルからすれば遊び場であり「聖地」なわけですから、嬉しくて、事務所の周りを掃除するようになりました。特別な気負いがあったわけではないんですが、何と言っても「聖地」ですから(笑)きれいな方が良いですよね。
その掃除についてブログに書いていたところ「そういうことをしているなら」と、環境に関する活動を手伝ってほしいと声をかけていただくようになりました。ただ、私が掃除を始めた当時は、そういう環境系の活動と言うと、ちょっと堅いイメージが強くて。ゴミ拾いを率先してやること自体にも「恥ずかしい」という雰囲気がありました。では、どうやって自分たちの活動をアピールすればいいのかを考えました。ちょうど浜辺の清掃活動「ビーチクリーン」や、フリーマーケットといったイベントの企画に携わった時です。例えば、ビーチクリーンの場合「皆で浜辺のゴミを拾いましょう」と言っても、なかなか人は来てくれません。でも音楽ライブも一緒に開催されるなら、そのイベントに来たいと思う人がいるはずです。それで海の家にアーティストを呼んでライブをする。その入場チケットの代わりに、ゴミ袋を1枚配り、ゴミを拾って来てくれたら入場券代わりになるという企画をしました。自分だったら「ゴミ拾うだけでライブに入れるなんてラッキー」と思うはずだと(笑)。

――

なるほど!それが2007年とか、2008年ですか。

藤田

そうですね。そうした活動を通して知り合った仲間などから日本の農業や食について話を聞く機会が増えたのと同じころ、放置されている田んぼや畑が増えているというニュースを耳にしたんです。私の祖父は、新潟の十日町で、魚沼産のコシヒカリを作る農家でしたが、私が中学1年の時に亡くなりました。その時、祖父の田んぼも同じ状態だったのを思い出しました。世の中のことと、自分の身近な出来事とが繋がった瞬間でした。

――

おじい様が亡くなってから、その田んぼを見に行く機会や、そういう問題を意識したことはあったのですか。

藤田

いいえ。中学のころ、毎年秋になると届いていた新米が届かなくなったなという程度でしたが、改めて聞くと「今は知り合いに貸している」とのこと。そういうやり方もあると知りました。それでひらめいたというか、人手が足りないという農業の現場で若者が少しでも手伝えたら、知識や経験はなくても、体力的に何かできることがあるのじゃないか、そしたら何か変わるのじゃないかと漠然と考えるようになったんです。それが、若者に食や農業に興味をもってもらう入口を作るということをコンセプトに活動を始めたきっかけです。

――

若い人に農業を紹介する方法も、藤田さんらしいものでしたね。

藤田

画像 ギャルが田植え!?ビーチクリーンの時は、皆、ライブ会場に入りたいからゴミを拾って来てくれたわけですが、ゴミ拾いが終わったら「ゴミを捨てる人に対して、初めて腹が立った」と言われました。始まりがどうであれ、やってみることで「ゴミ捨てるのって良くないね」という気持ちが芽生えるのです。だから、どうやって入り口まで皆に来てもらうか、ということを私は考えたんですね。
農業をするギャル、つまり「ノギャル」も、同じです。最初に友達のギャルと一緒に田んぼに行きましたが、意外性があるからメディアも取り上げてくれますし、若い人にもアピールします。私がプロデュースした「シブヤ米」の時も「田植えをしよう!」と言っても、若い子に集まってもらうのは難しい。だから、友達のギャル雑誌のモデルさんに来てもらったんです。そうすると、皆「◯◯ちゃんに会いたい!」と、参加してくれました。

――

ノギャルメンバーも楽しくやってらっしゃるんですか?

藤田

始めは大変でしたよ。秋田に田植えに行った時、皆、秋田の寒さを知らないから、ショートパンツで来て「寒い!寒い!」って言ってバスを降りようとしない。そこを「やるしかない!」と、奮い立たせながら田植えを始めたら、誰が最初に終わるか競い始めたり、中には「この泥が肌に良いらしい」と言って泥を塗り出す子がいたり(笑)。

――

塗りましたか?!

藤田

ギャルって、ある状況を前にして、それをどう楽しもうかという子が多いんだと思います。秋田は、初めての田植えで、小雨が降っていて寒いし、最初は皆、嫌がっていたんです。でもそれが農業のリアルな現場です。それで嫌になる子は嫌になるけれど、一人でも楽しんでもらえれば、と話し合っているうちに、皆、開き直って「やるしかないね」と言いながら、楽しもうという雰囲気になったんです。農家のお母さんと「肌荒れがひどいんですよ」「この野菜が良いよ」などという言葉をきっかけに会話も弾みました。
そして田植えが終わってご飯を食べていたら「お米の大切さが分かった気がする」「もっとお米を食べようっと」という声が聞こえてきたんです。
田植えが終われば、今度は、秋に稲刈りも必要です。「◯◯ちゃんのファンだから」と参加した子たちは、稲刈りにも参加してくれましたので「◯◯ちゃんと同じグループにするね」と気をつかったら「あ、誰とでもいいでーす」と、あっさり言われました(笑)。やはり、きっかけさえあって一度経験すれば、人それぞれの答えが出てくるのだと感じています。

――

参加するうちに、農業が楽しくなってきたということでしょうか。

藤田

参加したことで、今まで考えなかったことを考えるのだと思います。当たり前にあるお米が、当たり前じゃないと思えたり、お米を作るのって、こんなに大変なのだと分かったり、作っている人を見て身近に感じたり…。私自身も、現場に行って思うことがたくさんありましたし、そこに人の存在を感じることで考えも変わります。

――

農業や田舎にあこがれる人もいますが、現場を知っている人の中には「とても大変」と言う人もいます。

藤田

もちろん大変です。プロジェクトをスタートするために、農家さんの家に行ったり、現場を見せてもらったりしましたが「農業をなめるな」的な意見や「楽しそうなことばかり言わないで」といった手紙をもらったこともあります。けれど、そもそも農業に対しては「大変」「儲からない」「辛い」といったイメージが強いのではないでしょうか。であれば、それをまた私が、わざわざ言う必要はないなと思うのです。確かに大変ですし、事実、経済的に安定しない部分もあるかもしれません。ですが、実際体験してみた上で、やるやらないを選ぶのは、人それぞれが決めることであって、入ってみようかなと思う人を少しでも多く入り口に連れてくるのが私の役目です。やってみなければ絶対に分からない。メンバーの中には、田植えや収穫がきっかけで、不登校だった子が学校に行き始めたり、ニートだった子が働き出したりと、直接農業につながらなくても、自分自身の答えを見つけた子がたくさんいます。小さなことで言えば、今まで嫌いだったトマトが食べられるようになったり、お米をきっかけに日本酒が好きになったりという子もいます。

――

藤田さんは現場ではどのように感じましたか。

藤田

私自身、農業を見る目が変わりました。農家さんを見ていると、高い技術力があって海外の市場で戦っている人もいます。残念ながら今、農家さん自体は減ってきていますが、一方で、企業の参入や農家さん同士が会社を運営したりすることも増えてきていますし、水耕栽培など栽培の方法も増えています。毎日、えんやこらと田んぼや畑を耕すというだけではないんです。それを知ったら、農業に興味を持つ人も増えるかもしれない。そうやって、自分たちの耳に情報が入るきっかけを、もっと増やせたらいいなと思っています。


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ご当地メニューも工夫を重ね、思いを載せて――頑張っている若い力を知って欲しい

――

秋田のプロジェクトは2009年から始まって2011年で終わり、今「ご当地!絶品うまいもん甲子園」のプロジェクトが進んでいますね。

藤田

もともとは、ゼロから1のきっかけ作りがメインで始めたものです。今までやってきたことがきっかけとなって、親の畑や田んぼをやるようになったと連絡をくれる子もいて、それはそれでとてもうれしいことなのですが、第一次産業の広がりを考えると非常に時間がかかる、という思いもありました。その時に出会ったのが農業高校生だったのです。農業高校の子たちは、第一次産業に近いところにいますし、目指している年齢層とも近い。頑張っている彼らの背中を押して、第一次産業を若者に結びつけるきっかけを作りたい。それで行き着いたのが、「ご当地!絶品うまいもん甲子園」です。高校生たちが、自分達で工夫して作ったメニューを発表できる場として、また学外での体験を通して、それを将来に生かしてもらう人材育成の場として、さらに、ご当地食材を使ったメニュー開発を通しての地域活性化も視野に入れて、農林水産省と共同で今年、2回目の開催となります。

――

すべて、オリジナルメニューなんですよね。

藤田

ええ。学生たちが、先輩から譲り受けたメニューもありますし、自分たちの学校でしか育てていない豚を使ったり、新しく開発した野菜を使ったメニューもあります。震災で学校が流されてしまった時に、企業がトマトの苗を提供してくれたことがあり、そのトマトを使ったメニューを助けてもらった人たちに食べてほしいという子たちもいます。自分の県を授業で勉強したらブランド力が最下位だったので、自分たちの力で盛り上げたいという子もいます。本当に皆、真面目だし一生懸命で、こちらのほうが圧倒されてしまいます。私は高校生の時に、こんなこと、考えもしませんでした。

――

19歳で起業していても、ですか(笑)?

藤田

いつ渋谷に行こう、みたいなことばかりだったと思います(苦笑)。でも、今の農業高校生たちの話を聞いていると、こういう本気の高校生がいることを、もっと周りに知ってもらわなければいけないなという思いを強くしました。それで昨年の第一回の開催にこぎつけたのです。
開会式の時から目が潤んでいました(笑)。高校生たちのプレゼンも、大人みたいに画一的ではなくて、紙芝居があったり音楽を使ったりして素晴らしいものでした。その驚きもあって、書類審査と決勝戦だけだった去年とは違い、今年は水産高校にも参加を広げ、全国各地で予選を行って、全部で12チームが、11月1日の本戦に向けて、頑張っているところです。

――

どの位、応募は集まったのですか?

藤田

画像 志す稲穂3人で1チーム編成で全138チームの応募がありました。この中から12チームに絞られるので、激戦ですね。
今回は「若者が食べたくなる、ご当地、絶品グルメ」がテーマですが、そのテーマの読み取り方にもそれぞれ、学生たちの思いが隠れています。例えば「自分たちの高校がある島にはコンビニエンスストアもハンバーガーショップもない。けれどもハンバーガーがすごく食べたいので、自分たちでバーガーを作りました」というチームがあります。「闘牛が有名だけど、闘牛のネックの肉は固くて捨てられている。一方、ぶりの缶詰を作る時に捨てられる部位があるけれど、これももったいないので合わせてミンチにして『闘牛ブリバーガー』というのを提案します」と言うのです。これは肉と魚のミンチなんですが、実際食べてみると、雰囲気は牛なのだけれど、つみれっぽさもあって、すごくおいしいんです。あるいは、ロコモコは、ワンプレートで学生のお腹を一杯にさせるために開発されたメニューだというのを調べて、日本人なりにアレンジしたものを開発したり…よく調べて応募してくるので、こちらは「へえ!!!」と勉強になる。こういう若い子たちの意見って、本当に大切だと思うんです。そうした子の意見が、もっと世の中に反映されたり、少しでも伝えることができたらいいなと考えています。

――

藤田さんご自身は、その先の、例えば食糧自給率のこととか、耕作放棄地の問題とかを見据えているのですか。

藤田

最初に立ち上げた会社での経験を通して、私の役割は、若者と大人、世の中とギャルといったように、いろいろな人の架け橋、フィルター役になることだと感じたんです。それが自分のできることなのじゃないか、と。その中で、食や農業と若者というところが、今はしっくり来るのです。
私は、何か新しいことを始める時、常に「自分のやりたいこと」と「自分だからできること」「周りの求めること」という3つがリンクするようにと考えています。食や農業に関わる活動を始めようと考えた時は、自分のやりたいことというのが、農家さんと若者との「架け橋」であり、自分だからできることというのが、取材や講演会も含めて人に伝える場があるということ。そして周りの求めていることというのは、例えばもっと若い人に、食の大切さや農業を広めていって欲しいということなのじゃないかと思います。それが、今の活動の原点ですね。
若い子たちのパワーで日本を元気にしたいというのが、まず基本にあって、その中で自給率も上がれば良いとは思います。今、食の問題がいろいろとありますが、どう戦うのか、守るのか、という二択ではなく携わる人だけでなく、市場や農業の環境、仕組み等々を「育てる」こと、それが、これからの日本の農業を盛り立てる上で大切だと感じています。

――

「食」って本当に大切なことで、若いうちからその大切さを知る機会があるのは、幸せだと思います。

藤田

祖父は「お米は日本の宝だ」と、ずっと言っていました。お米に限らず、日本ブランドで戦えるものはあると思うんです。ただ、現実として余っている農地があって、その一方で、職がないという若者がいる中で、その両者をつなぐのは、大切じゃないかなと。人間、食べることはやめませんしね(笑)。

――

うまいもん甲子園を含め、これからどのようなことをしていかれますか。

藤田

19歳からこうした活動を始めてきたわけですが、本当にいろいろな人に助けてもらって、今でも助けてもらいっぱなしです。そういう方々に恩返しができるとしたら、そこで私が教えてもらったことを、私より下の世代に伝えることだと思っています。それが今は、食や農業。その上で大切だけれど、昔からのままではいけない面もあって、そこに若い人のアイデアが必要だと感じています。古き良き物と斬新なアイデアが合体した時に、新しい可能性が生まれると思うんです。それをやっていきたいですね。ただ、私もどんどん年齢を重ねていくので、若い子たちのフィルター役がきつくなってきたら困ります(苦笑)。だからこそ、もっともっと下の世代を育てていきたいと思っています。

藤田志穂オフィシャルブログ http://ameblo.jp/fujitashiho/
ご当地!絶品うまいもん甲子園HP http://umaimonkoshien.com/


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藤田志穂(ふじた・しほ)

1985年千葉県生まれ。文化起業家。一般社団法人全国食の甲子園協会会長、Office G-Revo株式会社相談役。高校卒業後ギャルのイメージを一新させる「ギャル革命」を掲げ、19歳で起業、ギャルの特性を生かしたマーケティング会社を設立した。2008年12月末に社長業を退任、現在は高校生の夢を応援する食の甲子園「ご当地!絶品うまいもん甲子園」を企画し、全国の高校生との交流を通じて、人材育成や地域活性化を行っている。

●取材後記

「ギャル」というスタイルが好きだというだけで、偏見のある目で見られた話も多く伺った。でも藤田さんは、本当に柔軟でかしこい!それならと言わんばかりに、外見と活動とのギャップを生かして、場を広げてこられた。目の前の藤田さんは20代だが、地に足がついていてまったく危なげない。私から見れば藤田さんはまだまだ若く、そしてこんな女性が頑張ろうというなら、未来は明るいなと希望を持った。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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