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かしこい生き方 株式会社アキ工作社代表取締役社長 松岡勇樹さん

「週休3日制は個人のスキルアップのため。休みが増えたわけではないんです。」

「日本人は勤勉でマジメ」。海外からのみならず、当の日本人自身も、
そう思っている。世界的に見ても労働時間が長いことも知られている。
そんな日本において、週休3日を実施している会社が大分県国東市にある。
「売り上げが伸びていないから?」などと思うなかれ。
海外との取引も行い、しっかりと前年比をクリアして成長している。
その土地に流れる固有の時間に従って働き、暮らそうと
「国東時間」という概念のもと、この週休3日制を実現して注目される
株式会社アキ工作社の松岡勇樹さんにお話を伺った。


自分の仕事を充実させるために講じたメリハリ――「週休3日」は休みじゃない

――

現在、勤務体制はどのようになっているのですか?

松岡

月曜日から木曜日、朝8時から夜7時まで、休憩の1時間を挟んで1日10時間勤務して、金曜日から日曜日が休みの週休3日です。導入当初は、月曜日が祝日の場合、火曜日から金曜日の出勤にしていたのですが、リズムが狂ってしまうという声もあって結局、祝日を考慮せず、とにかく月曜日から木曜日が出勤日、金曜日から日曜日までが休日としました。祝日に休みたい時は有給休暇を取ります。ただ、ゴールデンウィークや年末など繁忙期は、月~木出勤チームと火~金曜の出勤チームに分けてシフトを組むこともあります。

――

導入されたのは2013年でしたか?

松岡

2013年の6月から試験的に始めて7月から正式導入しました。運用しながら、いくつかの修正を重ねて今に至ります。

――

どんな経緯で、週休3日を導入することになったのでしょう?

松岡

それには、少し会社の歴史をご紹介しないといけませんね。
僕は、もともと建築の構造設計をしていたのですが、今は弊社製品のデザインを担当しています。
会社を設立したのは1998年です。それ以前に、勤めていた建築設計の事務所を辞めて独立しました。ちょうどその頃、妻と出会ったのですが、彼女は自分がデザインしたニットの展示会をするのに、ちょうど良いマネキンがないと言う。それならばと、僕が作ったのが段ボールのマネキンでした。僕の専門である建築的な手法を使っていることもあって特許申請をして、アパレルメーカーにリリースを送ったりもしましたが、最初はほとんど反応がなく、では自分で事業化するしかないなと、会社を設立したのです。
あとで分かったことですが、日本のマネキンはリース契約がほとんど、一方、海外は買い取りが8~9割ということもあって、最初は海外からの反応のほうが良かったと思います。

――

創業当初から、海外に向けてPR活動や販促活動をなさっていたのですか?

松岡

たまたま展示会にきていたフランスのバイヤーがマネキンを気に入って、そこから取引が始まりました。そういうことがたくさんありましたね。国内では、マネキン以外に、同じような構造で犬や猫を作ってほしいというリクエストが来るようになりました。最初は、やる気がなかったのですが、時間はありましたし(苦笑)、設計してみようと思い始めたところ、だんだんとアイテムが広がってきたのです。
一方、僕は親の仕事の関係で転校が多かったのですが、生まれは、ここ安岐町です。東京でモノ作りをしている時にも、人が多いし、広い空間を確保するのは難しいし、いつか環境の良い場所で仕事がしたいなと考えていました。そういう思いもあって2001年に大分県の国東(くにさき)半島に帰ってきました。

――

当初は、空港に近い海側に拠点を置かれていました。

松岡

ええ。その年にグッドデザイン賞を受賞して注目を集めたり、大分のビジネスグランプリで最優秀賞をいただいたりして、事業が軌道に乗るようになりました。海外との契約も増え、ディズニーとライセンスを結んだり、国内では小売りにも販路を拡大したりという矢先、2012年にリーマンショックの影響もあって、1998年の創業以来、初めて売り上げが落ちてしまいました。
すでに社員もいて、取引先も増えていてという状況で、さあもう一度売り上げを伸ばすにはどうしようかと思案したのですね。その時、普通なら機械を動かす時間を延ばして、たくさん作って、たくさん売ろうと考えると思いますが、僕は、どうしてもそれで生産性が上がる気がしなかったのです。勤務時間が長くなれば集中力もなくなりますし、ミスも多くなるからです。では、どうしたら売り上げを伸ばせるだろうと考えた時に、逆にしてみようと考えたわけです。

――

それが週休3日制導入のきっかけですか。

松岡

ええ。労働時間を短くして、自由な時間が増えた分だけ、個人が自分のスキルアップに使う。それがやがて会社に還元され、結果的に、売り上げも伸びるだろう――そう仮説を立てたのです。

――

それは勇気のある決断でしたね(笑)。

松岡

そうかもしれません(笑)。その頃の僕自身はと言うと、ニューヨークの展示会からとんぼ返りして東京に出張し、戻ってきて図面を描くというような暮らしをしていました。設計事務所にいたころも終電で帰る、徹夜するということは日常茶飯事でしたし、大分に帰って来てからも同じような調子で仕事をしていました。だから周りにも同じことを要求してしまうのです。社長がいたら、社員は帰りづらいですよね(笑)。「大分に帰ったら週末は釣りに行こう」なんて漠然と考えていましたが、目と鼻の先にある海に、年に一度行くかどうか、という生活だったのです。

――

それが、売り上げが落ちたときに止まって考えてみた、と?

松岡

そうです。国東に帰ってきても、僕は結局、東京やニューヨークの市場に合わせて仕事をしていたのです。そうしている内に、他人の時間に合わせて仕事をしているという感覚が強くなっていました。何て言うのでしょう...借り物の時間というのでしょうか。それに対する違和感が強くなり、この国東という環境で成り立つ「国東時間」があるはずだ、それを積極的に取り入れて、自分たちのビジネスを組み立てていこうと考えたのです。

――

トータルでは週の勤務時間は変わりませんね。

松岡

そうです。ただ週休2日、1日8時間勤務のときは、皆、毎日8時間以上、会社に居ました。製造分野の人たちは、機械を動かす時間によって残業代を計算できますが、クリエーティブな分野に関して言えば、時間があってないようなもの。導入前から1日9~10時間は会社に滞在している者が多かったのです。導入後は、会社に居る時間が、実質的に5分の4程度に減りました。

――

同じ業務をやりながらも、会社に居る時間は減っているということですね。

松岡

ええ。導入からまだ1年半程しかたっていないので、これが売り上げが伸びる手法だ!と声高には言えません。ですが労働時間が減ったことも、前年より売り上げが伸びたことも事実です。単年度の数字だけでは図りきれないところはありますが、現時点では、そういう結果です。

――

週休3日制の導入はスムーズでしたか?

松岡

導入してから、折に触れて必要な修正を加えてはきましたが、皆で共有しているのは、まず週4日の勤務日と週3日の休日は、オンとオフではないという点です。どちらもオンなのです。ただそのフェーズを切り替えていくというのでしょうか。それまで5日間で行っていた勤務日の4日間は、ルーティンワークをいかに効率よく、精度高くやっていくかを考える。今まで5日でやってきた仕事を4日間でやるためには、個人が仕事のやり方を変えていかなくてはなりません。特にコミュニケーション上の無駄は、組織としてもとてもマイナスですから、無駄な会議はしないといったように、無駄な時間をどんどん省いていきました。

――

無駄を省くというのは、具体的にはどのように?

松岡

まず勤務日の4日間の過ごし方として、月曜に朝礼を行い、営業、製造、設計を含めて、その週にやるべきことのタスクを細かく書き出し、リストにします。営業職なら、取引先ごとに何をするのかリスト化し、それに従って木曜の夕方の週礼で、月曜に挙げたタスクが遂行されているかどうかを確認します。
社内でも、チームのメンバーには、業務の引き継ぎ、連絡を端的に伝えること、すべて文章化して、タスクをリストとして書き出すこと、そうやって、月曜に決めたことを翌週に持ち越さないこと、というルールを共有しています。
1週間、1カ月という全体の時間を把握しながら、自分がどういうプライオリティを持って仕事をすべきか、頭の中に地図を描くのです。そういう全体像を皆で共有することが、効率を挙げるには、多分一番大切です。

――

金曜日は多くの会社が営業していますが、支障はありませんか?

松岡

休みの金曜から日曜も市場は動いているので、当然、連絡は入ってきます。入ってきた情報に関しては、SNSやクラウドで共有してスマートフォンでチェックして、取りあえず「月曜に返信します」と連絡しますし、緊急の場合には対応します。それはどこの会社でも同じですね。
つまり、休日だからといって頭を完全に空白にしていないのです。3日間完全に仕事から離れてしまうと、月曜日に出社してから、「仕事モード」を立ち上げるまでにすごく時間がかかってしまいます。4日間で仕事を処理するためには、月曜の朝からトップスピードで入らないとクリアできませんから。

――

単純に、休みが増えた!うれしい!というわけではないのですね。

松岡

画像 週休3日3日間の休みを、個人のスキルアップに使ってほしいというのが、経営者としての要望です。あくまで要望ですから、それに応えてくれたら評価するという制度も用意しました。例えば、無償で地域の少年たちにサッカーを教えている社員がいるのですが、それは社会活動でもあるし、回りまわってわが社のイメージアップにもつながります。もしかしたらそうやってサッカーを教わっていた子どもたちが、将来、うちの会社に入ってくれるかもしれません。デザイナーであれば、会社の仕事以外に、自分で作品を作ってコンペに出したり、展示会をしたりという活動があります。そうした社外の活動を奨励していこうと、いくばくかの手当を出しています。ですので、残業代は減りましたが、給料が減ったという社員はいません。
こういう休みの時間の使い方をしていけば、個人の能力が上がっていくはずです。それを期待した施策をとっているのです。

――

導入する時の皆さんの反応はどうでしたか?

松岡

弊社は人数も少ないので小回りが利きます。朝礼で社員に問うて、皆が「やってみたい」と言うので、その翌週から始めました。僕自身、熟慮した計画ではなく「良さそうな感じがするから試しにやってみようか」程度で、会議の仕組みや、休日3日間の情報共有の仕方を決めてスタートしました。

――

週休3日を導入したことによって大きなトラブルは、何かありました?

松岡

今のところありません。お取引先に周知するまで多少の混乱はありましたが、半年ほどで周知され、その後は問題になっていません。それによって営業窓口が4日間に集約されるので、むしろ効率が良くなりました。

――

松岡さんが社員の皆さんに期待されていたことは達成されているようですか?

松岡

個人の能力が伸びたかどうか、導入して1年半では、なかなか計れません。ですが1年半たってみて感じる一番の効果は、3日間の休みで、皆、心身ともにリフレッシュしているということです。出勤している4日間は、集中力も仕事に対する意欲も増しているようです。2日間の休みのうち1日、何か用事があるとしっかりリフレッシュできないということもありますが、3日間の休みなら余裕が生まれます。
ただ、休みであっても寝ていてはダメです。オフではないとは言い続けています。週休3日制と聞いて、働きたいと言ってきた人もいますが、続きませんでした。単に休みが増えるのとは違って、もしかしたら、こちらのほうが大変かもしれません。

――

海外との取引も多く、社内には緊張感があります。

松岡

今、僕たちの会社の事業は、国内が75%、海外が25%を占めています。すべてここで作って発送していますが、今はインターネットがあるので、リアルタイムでいろいろなコミュニケーションがとれます。それがやりがいでもあるし、山奥というか、よく「辺境」と書かれますけど(笑)、僕らは辺境モデルとして、東京を介さずに、直接、世界の市場と対等な関係で、ものを作ってお金と交換していくことができるということをモデル化したいんです。いろいろな地方に、小さくても有能な事業者が居ると思うので、これから先は、そうした事業者との連携も生まれてくるでしょう。


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その土地固有の時間の流れ方を尊重して暮らす――国東時間は生き方の軸そのもの

――

週休3日制の導入が象徴的ですが、松岡さんはこの土地ならではの時間の概念を「国東時間」として提唱されています。

松岡

1日は24時間、1年は365日ですが、東京で流れている時間と、国東で流れている時間は、明らかに質が違うと誰しも感じているはずです。国東は、海側と山側の環境が全く違うのですが、山には数多くの神社仏閣があり、自然も濃密です。時間の流れ方は、その場所、その環境によって全く異なるのです。ところが僕たちは、こういう環境に居ながら、東京やアメリカという市場に合わせて、休みなく仕事をしてしまいがちです。それでは、自分自身がどんどん消耗していってしまいます。

――

東京で働いていらした時に、すでに漠然と感じていらしたことなのかもしれませんね。

松岡

自分たちが暮らす風土固有の時間を取り入れながら、自分たちの頭で考えてビジネスを組み立てられるのじゃないかというのは、ずっと感じていたことではあります。大分に帰ってきて、売り上げが落ちたことがきっかけになって、国東時間という形が出来上がりました。

――

国東時間は、週休3日制に始まって、どんなふうに広がるのでしょう?

松岡

画像 国東時間弊社の事で言えば、定年制を無くしました。地方のこういう場所では、少子高齢化がどんどん進んでいて、若い働き手がいません。当然、5年、10年とたつと、60歳以上の労働力が必要となってくるでしょう。そこで20年後も働けるような環境を作っていこうと考えています。まだ差し迫った問題ではありませんが、今のうちに宣言をして体制を整えたいのです。健康であれば、死ぬ前日まで、いえ、文字通り死ぬまで働ける場所づくりをしていこうと考えています。
定年制を廃止した、その先には、永代雇用という制度があるのではないかとも話しています。2世代、3世代にわたって継続雇用していくのです。社員の子ども、さらにその子どもも雇用する。うちの会社に入る意思があるのであれば、奨学金を出す。うちに入らなければ、返してもらえばいい。入社後、新しい事業を起こしてもいいでしょう。もちろん継いでも継がなくてもいいのですが、取りあえず、ここに席があるよと約束する――今の若い人たちが将来に不安を持つことは、少子化などすべての問題につながっています。それを払拭(ふっしょく)する上で、そんな制度がとれないか、研究しているところです。

――

終身雇用という制度が崩れつつある現状と逆行するようなお考えですね。

松岡

ええ。どういう風に盛り込んでいくのかという問題はありますが、人材確保の上でも、2代、3代と雇用を保障して安心を与えるというのは、特に地方では、結構、強い仕組みになるのじゃないかなと思っているところです。これも国東時間の考え方の一つです。

――

東京では、後ろから押されているのか、前から引っ張られているのか、とにかく自分のペースとは無関係に進んでいる感覚があります。

松岡

週休3日を導入して、僕も含め皆、とても楽になったようです。それは、ただ休みが増えたからだけではないでしょう。仕事に追われて、受け身になっていたのが、自分から身を乗り出して仕事をするようになったからだと思います。そのほうが、本人のためにも会社のためにもなりますよね。

――

時間に追われるのではなく、怠惰に過ごすのでもなく、自分なりの時間で暮らしたり、仕事をしたりするということでしょうか。

松岡

時間をどう使うかは、成熟度が求められることだと思います。若い人は、時間をもてあましてしまったりする。僕たちのシステムで仕事をするのは、大人でないとなかなかできないと思います。
国東時間というのは、週休3日だったり、定年制を廃止したりといったいくつかのシステムを通して、時間というものにどう向き合うかを考えていくことではないかと思っています。


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松岡勇樹(まつおか・ゆうき)

1962年大分県国東市安岐町生まれ。87年武蔵野美術大学建築学科卒業、90年 同修士課程修了後、T.I.S&PARTNERS入社。98年有限会社アキ工作社設立。2011年6月有限会社アキ工作社から株式会社アキ工作社へ改称。受賞に、グッドデザイン賞、第二回大分県ビジネスプラングランプリ最優秀賞など。

●取材後記

松岡さんが音頭を取って始まった「時祭(ときのまつり)」は、地域の人はもちろん、アキ工作社のファンがかけつける、新しい「地元のお祭り」だ。「国東は山が深く、神社仏閣が多いこともあって、独特の不思議な雰囲気を持っている」とは、訪れる多くの人が口にする言葉とか。松岡さんはそこに、一人の人間の時間だけでなく、今いる人、もういない人、これから来る人、という時間のつながりをも感じている。自分の時間は限られているけれど、並んで走る時間もあれば、自分がつないだ時間もある。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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