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かしこい生き方 国立科学博物館理工学研究部科学技術史グループ グループ長 鈴木一義さん

「日本の技術には特有のおもてなしの心が根付いているのです。」

日本を紹介するときには必ずと言っていいほど聞かれる
「日本のモノづくり」とか技術力といった言葉。
確かに、日本にはたくさんの工芸品もあり、
また自動車産業や精密機械にも一定の評価がある。
それでも、日本の技術のどこが「すごい」のか、
実はよく知られていないかもしれない。
そこで、科学技術史に詳しい鈴木一義さんに登場いただき、
日本のモノづくり、技術の源を伺った。


競争しつつ共存する――平和が培った独特の精神性

――

今や日本の紹介には「モノづくり」がつきものです。

鈴木

そんなふうに言われ始めたのは、つい最近のことです。私自身、もともとモノづくりが大好きで、大学でも機械工学科に入学しました。ところが、当時はちょうど、公害問題やオイルショックなどといった問題があって「技術は悪だ」といわれた時期でもありました。それに対して、技術に携わっている人は皆、世の中の役に立ちたいと思っているにもかかわらず、反論ができなかったんです。なぜできなかったかといえば、先人たちがどんな思いでモノを作ってきたか、いわんや公害を出すためにモノづくりをしてきたのかどうか、そんなことを知らないからです。
そこで私は大学1年のときに機械工学科の仲間を集めて、技術の歴史を学び始めたんです。そうしたら、からくり人形にたどり着いてしまいました。

――

からくり人形ですか。

鈴木

ええ。その日本独自の技と知恵の集積に心を奪われ、近代社会を生み出す前の日本人の持っている技術的なポテンシャルを理解できるのじゃないかと思い、半年かけて自分たちでからくり人形を作りました。日本中を調査して、いろいろな人の協力もあって完成させたものは、自分で言うのもおこがましいのですが、非常によくできていましたので、科学博物館に寄贈したのですが、まさか自分が今、そこに勤務することになるとは、当時は想像もしませんでしたね(笑)。
ともあれ、そうやって実際にモノを設計してみると、実にいろいろなことが分かります。江戸時代の技術という制約の中で「茶運び人形」を作れと言われたら、今、簡単にはできないでしょう。例えば、江戸時代には分度器がありません。そもそも角度の概念がないからですが、にもかかわらず、奇数の歯がある歯車を作っているんです。

――

偶数なら二分割を繰り返せば何とかなると、想像できますが…。

鈴木

私も最初は本当に分かりませんでした。でも日本中、いろいろと見て歩いているうちに、歯車の歯の先にピンで穴が空けてあるのを発見したんです。それでようやく分かりました。丸い歯車にひもを巻き付けて円周を測り、そのひもの長さを分割したんです。ひもは直線ですから、偶数でも奇数でも問題ありません。ひもに印を付けて、それをもう一度巻き付けて、印を付けたところにピンを刺していけばできます。よく考えたなぁと感心しました。

――

江戸という時代がいろいろな面で非常に豊かだったというのは、知られるようになってきましたね。

鈴木

高度経済成長などもあり、日本の技術は戦後のものというイメージがあるかもしれません。そしてそこには公害など、技術がもたらしたとされる負のイメージも伴っているのでしょう。しかし、日本のモノづくりの原点を探ると、それは戦後ではなくもっと前、つまり江戸時代にたどり着くのです。江戸は、世界史的に見ても珍しい、260年間もの長きにわたって争いのない平和な時代でした。技術というのは得てして、戦争における武器などの開発とともに発展することが多いのですが、江戸時代は平和ゆえに、別の形で技術を発展させていました。

――

包丁など、私たちは当たり前のように使っていますが、刀の技術が由来ですね。海外の人はその完成度の高さに驚くと聞きます。

鈴木

そうですね。平和な時代は武器を作らせる必要もなかったので、殿様たちが技術者を囲う必要もなかったわけです。となれば、刀鍛冶や鉄砲を作る職人たちは、鋤(すき)や鍬(くわ)といったものを作るなどして、生計を立てなくてはなりません。生活の道具ですから、相手が「いいものだ」と喜ぶものを作らなくてはなりませんね。日本人に染みついている「相手を喜ばそう」「人のために技術を役立てよう」という気持ちは、この辺りに原点があるように思いますね。

――

「日本人は世界一お人好し」などと揶揄(やゆ)されることもあります。

鈴木

日本人というのは、互いに競争しながら共存できるんです。これも江戸の時代にルーツを見ることができます。徳川幕府の下で、各藩は自治を任されていました。そこで行政に失敗すればお取りつぶしですから、皆、競争はするのです。あちらの藩のまんじゅうが人気になれば、こちらでも新しいまんじゅうを作って対抗しようとかいったことですが、戦って相手をつぶすようなことは幕府の手前できませんから、自然と共存してオンリーワンを目指すしかなくなるのです。
その流れは現代にも見られます。例えば、日本というこんな小さな国に、こんなにたくさんの自動車メーカーや家電メーカーがあります。自動車メーカーだけでも、現在8社もあるんです。これもまた世界的に珍しいでしょう。それはナンバーワンではなく、オンリーワンを目指しているから可能なのです。各社の「こだわり」があって、そのメーカーの「ごひいきさん」が生まれる―ある種のブランドです。その企業にしかできないことをして生き残っていくのです。オンリーワンは消えることはありませんからね。そうやって、ナンバーワンを目指さない、競争・共存できる関係が、日本の社会の中で巧みに培われていったのですね。

――

相手をつぶしてしまうまで戦うというスタイルを、日本人が好まないのは農耕民族だからだと思っていましたが、そんなところにもルーツがありましたか…。

鈴木

もう一つ「共有する」ということもまた、日本の大きな特徴です。だからこそ社会全体のポテンシャルが非常に高いんです。

――

共有というと?

鈴木

画像 共に有る重要な情報を特定の人が独占せず、みんなに広めることの大切さが江戸時代に認識されていたのです。『解体新書』はオランダ語の医学書を日本語に訳したもので、蘭(らん)学が興隆するきっかけにもなりました。ですが、よく考えてみると翻訳する必要はあったのでしょうか? 原語で読める人の特権と考えて、知識を独占するという発想だってできるはずです。ところが日本では皆で情報を共有しようとするのです。有益な情報は、皆に公開すべきだという発想が江戸時代に生まれていたからです。
あるいは、徳川家康は自分で薬の調合をするほどの薬マニアだったのですが、それを引き継いだ水戸光圀(みつくに)は、医者に命じて当時の病気と調合術をリストにし、庶民でも手に入る薬やその飲み方について本にまとめて無料で頒布しました。光圀に限らず、同じようなことは日本中の藩主が行っていたことです。 それに戦後間もなく創設された国民健康保険制度は、世界で最も優れているといわれています。国民に広く医療行為を受けられるようにしたという制度は、1700年代の江戸期には「養生所」という形ですでに体制ができていました。それによって世界で最も医療体制の整った国ができたわけです。

――

「医は仁術」ですね。

鈴木

その発想は平安時代にさかのぼり、江戸時代に開花しました。江戸の時代は医学は臨床が中心でしたが、明治になってドイツの基礎医学が入ってくると、多少様子が変わって、基礎医学へシフトしました。戦後には、アメリカの影響もあって、また臨床医学に舵(かじ)を切りましたが、そういう経緯から見ても、日本には臨床と基礎教育の両方の概念が通底しているのです。ですから世界で最も進んだ医学領域を持った国でもあるのです。医者の「仁」の感覚が他の国とずいぶん違いますね。医者だけでなく、医療器具の製造に携わっている人たちも同様です。

――

というと?

鈴木

ストーマ(人工肛門)というのをご存じでしょうか。消化管や尿路などに疾病がある方が人工的に装着するものですが、便の排出のためにパウチを装着する必要があります。着脱を繰り返すので肌が荒れてしまうというのが、患者さんにとって大きな悩みだったのですが、日本のあるメーカーが、それを防ぐために研究を重ね、技術を駆使して非常に優れた製品を作り出しました。しかも誰もが使えるように安価で発売したのです。欧米だったらどうでしょう?

――

「患者さんの生活がより良くなるように」という、日本人の心意気のようなものが感じられますが、一方で日本人の私たちにしてみると、そんなの当たり前でしょ? という気持ちもありますね。

鈴木

善きにつけあしきにつけ、われわれ日本人が当たり前と思っていることは、世界から見たら当たり前じゃないことがたくさんあります。日本では江戸時代すでに、病気になったら平等に治療を受けられるような仕組みが整いつつありました。領主なり殿様の役割だったわけですが、そんな国はまれです。『解体新書』にしても優れた本だからと日本語にして、皆が読めるようにしたのです。実は、ここに日本人は英語が不得手といわれる理由があるのです。

――

『解体新書』と英語力に関係があるのですか!?

鈴木

アジアの国では、高等教育は大体英語で受けます。でも日本は、高等教育を日本語で受けているでしょう? 欧米以外で、母国語で高等教育を受けているという国は、非常に少ないのです。
それに世界的に見ても日本は辞書が非常に多い国でもあります。電子辞書で60を超えるものがあったと思いますが、あらゆる情報を広く一般の人が享受できる環境を整えているのです。決して英語を学ぶ必要などないと言っているのではありません。ただ、英語ができないことをダメだと言うだけではなく、その背景にあるものも見据えるべきだと言いたいのです。
こうした背景は技術の発展にも貢献しています。エンジニアと現場の職人が、同じ言語でコミュニケーションできるのですから、理解も深まります。

――

それはつまり、英語で受けた高等教育の知識は、基本的に英語で理解している。そのため母国語を使う現場の人に微妙なニュアンスを伝えきれないという、そんなことでしょうか。

鈴木

そうです。海外では、現場の権限というのはほとんどありませんが、日本では「現場図面」なる言葉があるように、現場の感覚が大切にされます。現場の意見を吸収する土壌もあります。
それに日本で発明され、世界に広がっている、でも自分たちが、そうと意識していないものもたくさんあります。カメラ付き携帯電話もウォークマン®も、日本人が「こんなのあったら楽しそう」「喜ばれそう」という遊び心で作ったものです。日本を「ガラパゴス」と言って揶揄(やゆ)することがありますが、私はガラパゴスってすごいことだと思いますよ。見渡してみれば、海外の有名メーカーがこぞって日本の技術を採用しているのですから。


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「ブランディング」するには自分たちが何者か知ること――おもてなしは対等の関係から生まれる

――

今ではよく知られていますが「もったいない」も、日本特有の概念です。外国にはそういった概念がほとんどないというのを知ったときには、驚きました。

鈴木

そういうことって日本には多いですよね。「もったいない」にしても単に無駄にしないというのとは違います。使っていたものを捨てられなくなるという日本人も少なくないと思いますが、そこには愛着以上のものが宿ってしまうからです。割れた茶わんをわざわざ修理して、そこに新しい表現を見いだす「金継ぎ」など、そうした日本人の心が芸術に昇華したものでしょう。

――

ただ他国は、自身の国の文化を大いに誇りにしますが、日本人は、なぜか日本の特異性をマイナスに評価しがちかもしれませんね。

鈴木

そういう傾向はあるかもしれません。ミウラ折りを生んだ折り紙は、平面から立体を作る、しかも、3、4歳の子どもが遊びとして行うという驚くべき文化です。ところが科学技術は欧米から導入したもので、折り紙なんて欧米にはありませんから、そういう部分に日本人自身が価値を見いだすのは難しかったんですね。
ご承知のように、平面から立体を生むという文化としては、和服もあります。糸をほどけば布に戻ってしまう。そういう文化もまた非常に珍しいと思います。

――

平面から立体を生み出すこういう文化があるからこそ、二次元の図面から三次元のものを作ることにも長けているなど、知らず知らずに優位性がありそうですね。

鈴木

江戸の文化に焦点を当てましたが、こうしたベースがあったからこそ、明治の近代化が成功したのです。そうした歴史を理解した上で次のステップに進むべきだと思います。

――

ある日突然、技術が進歩するわけではなく、積み重ねてきたものがあるのは当然なのですが、つい忘れがちです。

鈴木

画像 和私が会社勤めを始めたときは、ちょうど世の中がバブルに向かいつつあったころでした。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされ「コーポレートアイデンティー(CI)」という表現があちこちで使われ始めた時期でもあったのですが、それまで欧米に追い付け追い越せだったので、自分たちのブランドイメージを持っていなかったのだと思います。それが突如としてトップに並んで認められるようになり、世界中から「お前、何者だ?」と聞かれ、説明しなくてはならなかったのです。実際には、世の中全体が浮かれていて、本当の意味でのCIに成功した企業はほとんどなかったと思いますが、それは日本という国としても同じことだったと思います。
各国が経済構造の変革に取り組む中で、日本は依然として、モノづくりを基盤にしていました。しかも、その技術が他国に流れていく中、それに気付かずバブルに進んで、やがて崩壊してしまいました。ですが、自分たちは何者かを、改めて問う視点が生まれたのも事実です。

――

私たちは何なのか…ですか。

鈴木

説明できない限り、外国の人にとって日本はいつまでも不思議な国のままです。日本という国がどんな国で、何を基盤にしているのかを、改めて自覚しなくては。
ブランドがどうして重視されるかといえば、長い時間、変わらずに人々の期待を裏切らないモノを提供しているという信頼からです。私も博物館での仕事に携わるようになって、自分たちのルーツ、モノづくりにおける日本のブランド力は何なのかと模索するようになりました。そこで、日本の技術は実は、戦後や明治よりももっとさかのぼれること、平和の中で皆のことを思う精神が培われていったこと、その伝統が現代のモノづくりに生きているということを見いだしたわけです。「おもてなし」もその一つだと思います。

――

もてなそうという気持ちがそこここに宿っているということですね。

鈴木

はい。「おもてなし」は、サービスやホスピタリティーとは全く違う概念です。サービスやホスピタリティーは、主従の関係がベースにあって基本的にお金の概念を伴います。だからお金をかければかけるほど質も高くなるのですが、おもてなしは違います。もともと、主人も客も対等の立場で場を楽しむ茶の世界の用語です。ですから、客と仲居とが対等な立場に立ち、仲居が気遣いをすれば、客も気持ち良くなり、客の「ありがとう」の一言で、仲居も気持ち良くなる。つまり良い気持ちで過ごしてもらおうという無償の世界の概念です。日本はそういう文化を持っているのです。

――

改めて「不思議な日本」のことが分かったような気もします。

鈴木

日本は「和を以て尊し」という心を持っている国です。今は、皆「個性を出そう」「主張しよう」と言いますが、それは主張しないと生きていけない場所だからであって、日本の場合は、隣り同士平和の中で暮らしてきて、相手を思うから自分もこのくらいにしよう、という関係が成り立ちました。江戸時代にあれほど長く平和を保ちつつ、明治以降、急速に発展できたのは、そういうポテンシャルがあったからこそだと思います。
グローバル化の中でそればかりでは難しい場面があるのは当然ですが、まず自分たちが自身のことを知り「こういう国です」と伝えていくことが大切だと思います。


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鈴木一義(すずき・かずよし)

1957年新潟県生まれ。1981年東京都立大学工学部機械工学科卒業。1983年同大学院工学研究科材料力学専攻修士課程修了、日本NCR株式会社 技術開発部勤務を経て、1987年国立科学博物館理工学研究部勤務、現在に至る。日本における科学および技術、特に江戸時代から現代にかけての科学、技術の発展状況の調査研究を行う。「文化審議会文化財分科会世界文化遺産特別委員会ワーキンググループ」委員、「佐渡市金銀山遺跡調査世界遺産」委員、経済産業省「ロボット大賞」選考委員、「ものづくり日本大賞」選考委員、「ものづくり政策懇談会」委員、など。主な著書に『見て楽しむ江戸のテクノロジー』(監修 数研出版)『日本人の暮らし』(監修 講談社)『20世紀の国産車』(三樹書房)など。

●取材後記

自分も含め、日本人って英語を長いこと学ぶのに「話せるようにならないのは何がいけないのだろう」とずっと疑問だったが、そうか日本語で済ませられる環境だったからか! と膝を打つ。「おもてなしってうまく説明できないなぁ」と思っていたのは、対等という概念が抜けていたからか! などなど、日本のたくさんの疑問に合点がいった。日本について知らないこと、まだまだ少なくなさそうだ。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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