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かしこい生き方 浜松市花みどり振興財団理事長 塚本こなみさん

「キーワードは『感動分岐点』。美しいものを見て心を震わせた記憶は一生の宝です。」

今月登場いただいたのは、女性樹木医第1号の
塚本こなみさん。もともと、造園家として観光植物園やホテル、
公共施設などの庭の設計や樹木の育成で実績を上げていた
塚本さんだが、今では栃木の「あしかがフラワーパーク」を
年間の入園者数100万人という国内屈指の人気を誇る植物園に
再生させた立役者としても名をはせる。
2013年4月には静岡にある「はままつフラワーパーク」の再建を
期待されてパークを運営する浜松市花みどり振興財団の理事長に就任。
大胆な手法で問題を解決する塚本さんの発想について伺った。


前例にとらわれない、諦めないで策を見いだす――型破りな発想は目的を見極めればこそ

――

栃木のあしかがフラワーパークを再生させた記事を興味深く拝見しておりました。パークとの縁は、根元径が100cm以上もある藤の移植を依頼されたことがきっかけでしたね。

塚本

パークの前身である早川農園が現在地に移転する時、この巨大な藤の移植を誰か引き受けてくれないかと依頼がありました。オーナーは、かれこれ4年も探していらしたそうですが、皆、難しいと言って引き受けてくれない。それで私に連絡があったわけです。正直、浜松にいる私にとって足利までは遠いですし、最初は、どうしようかと悩みました。けれど早川農園に行ってその藤を見た瞬間「この藤は動く」と確信したのです。それでその場で移植を引き受けることにしました。1994年1月のことでした。

――

その当時で、300畳ほど広がっていたそうですね。それほど大きな樹木を移動するというのは、想像がつきません。しかも、塚本さんにとって藤の移植は初めてだったとか。

塚本

ええ。足利の藤の移植を引き受けたのは、樹木医になってから1年ちょっとの時でしたから。でも足利の現場に行った初日、現場の方を前に「私の指示通りにやってください。まずやり方を説明しますから、もっと良いやり方があるのだったら教えてください。ただし、最終的に私が決めたことには従っていただきます。この移植はうまくいったら皆さんのおかげ、失敗したら私の責任です。従っていただけないと困るので、今ここで、従うと約束してください」と、言いました。

――

皆さん、どよめいたのではありませんか?

塚本

「はい」と言ってくれましたよ。ただ、移植が無事成功して、しばらくしてから「(塚本さんは)厳しかった」とは言われましたけれど(笑)。現場には、私より年配の方がたくさんいましたし、風当たりがきついと思うこともないわけではありませんでした。でも、質問をされればどんな事にも丁寧にお答えして、誠意を持って接しました。そもそも、そこで何を言われても、土俵が違う。要は結果を出せば良いのですから。

――

造園家でもあり、樹木医でもある塚本さんの手法は、時に「常識では考えられない」と言われるほどオリジナリティに富んでいると伺ったのですが、藤の移植の際に採った方法もユニークでした。

塚本

藤を傷つけずに移植するために石こうを使いました。樹は、人間でいえば皮膚に当たる外皮の内側2~3mmの層を師管といい、この部分で細胞分裂をしています。つまり、樹の命がそこにあるわけです。杉や松の外皮は厚いでしょう? ところが藤は外皮が非常に柔らかく、ちょっとでも傷つけると、大切な樹の血管を断ち切り、枯らしてしまうことになるのです。藤はとても繊細で傷つきやすく、移植は簡単ではありません。加えて多くの造園家がこの移植を引き受けなかったのは、藤の根元径が100cm以上もあったからです。藤の移植は根元径が60cm程度までとされていますから、非常に難しい仕事だったのです。
もちろん私も、引き受けなければ良かったと後悔したことも、夜も眠れないこともありました。そんな時、社員が、バイク事故で骨折した時の話をしているのを耳にして「石こうでギプスを付けて固定してみてはどうだろう!」と思い付いたのです。

――

樹木の移植の場面で石こうを使うという方法はそれまでもあったのですか?

塚本

なかったでしょうね。私も経験したことがありませんでした。みんな「ええ?!」という感じでしたし(苦笑)。けれども、その方法で4本とも無事に移植することができました。結局、依頼をいただいてから2年の歳月を要しました。

――

藤の塗布剤も塚本さん特製ですね。

塚本

はい。植物の切り口に施す殺菌塗布剤とされるものは数種類あったのですが、藤の場合、何を使っても腐ってしまったのです。私も、一般的に使われるものから、果てはオキシドールやわさびを塗ったり、傷口に和紙や障子紙を張ったりと、ありとあらゆる物を試しては失敗の繰り返し。樹木医の仲間からは、藤の腐りを止められたら樹木医界のノーベル賞ものだよと言われました。ですがここで「できない」と諦めたら、それで終わりです。これだけの藤を守らなければいけないのに、私が諦めたら誰がやるのか。だから絶対に何とかしようと思ったのですが、なかなかうまくいかない。でもふと気づいたのです。「『私がやるぞ』と気負っているうちはできない」と。藤は手入れ次第で、500年も1,000年も生きる樹木です。それをたかだか数十年しか生きていない私が何とかしようなどという気持ちで向かってもダメなんです。それで藤に「お願いだから教えてください」と頼んだところ、ちゃんと藤が教えてくれました。

――

墨を使う方法を思い付いたということですね。

塚本

史跡から木簡が見つかったというニュースを見て、ヒントを得ました。木簡は、木が腐らず文字が見えますよね? 一方、一般的な殺菌塗布剤には、樹脂が入っていますが、樹脂はビニールのようなものです。生ものにビニールをかけると結露するのと同じように、薬の下に水分がたまり腐っていたのです。そこで墨ならば、木質を被膜して腐らないのではないかと発想して試したところ、腐りを緩やかにすることができました。傷の治療は、割と早く発見できましたが、藤の生理生体に気付くのには、やはり5年はかかりましたね。

――

塚本さんはノーベル賞候補ですね(笑)。そういう自由な発想が、その後携わることになるパークの運営にも生きていますね。

塚本

画像 入園料を変動制に移植の仕事を進める間に、新しいパークの設計も依頼されて、ようやくオープンにこぎ着け、その後は顧問として月に1回ほど足利に通っていました。そうすると園の経営状態が見えてくるのです。オープン1年目も2年目も赤字。大手術をした藤も、移植後1、2年では、本当に美しいと言えるには至っていません。このままでは運営が成り立たないという話も出て、私は自分の設計がもっと良ければ、もっとお客さまがいらしたかもしれないと責任を強く感じたのです。そこで資本金を一部出して、新たに運営会社を立ち上げ、その1年後に園長に就任しました。


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モノ言わぬ樹木を相手に学んだことは――よく見る、そして考える。

――

最初は、藤の移植、そしてその育成に関わり、さらに園長に就任して運営を始めた、と。それから1年で黒字になったそうですが、そこで実行された改革もまた「常識では考えられない」大胆な手法でした。

塚本

入園料を変動制にしたんです。お客さまの立場になって考えれば、藤が美しく満開に咲き誇っている時季も花が少ない夏場も、料金が一緒というのは納得がいきません。100円でも200円でも頂くには、その価値を提供しなくてはなりませんし、一方、入園していただかなくては、園内のレストランも利用していただけません。スタッフがいるだけで、赤字がどんどん増えてしまいます。逆に、入園料が安くてもレストランに入っていただく、あるいはお花を買っていただくといったように、都市公園と同じ感覚で使えれば、お客さまもおみえになるだろうと考えたのです。

――

藤の樹をメインに据えて「世界一」というキャッチコピーでアピールされたのも秀逸でしたね。

塚本

私が園長になった時に「世界一の藤」というキャッチコピーを取り入れました。オーナーからは「世界一と言ってしまって大丈夫ですか?」と言われたので「大丈夫ですよ」とお答えしたんです。それまで私は日本中の藤を見て回って、ここの藤が一番美しいと思いましたから。一方で、当時は、経営が苦しくて予算が少なかったので、最小限で最大の効果を出す販促をしなければなりませんでした。そこで一計を案じました。
近隣の埼玉県春日部市には日本一と言われる藤の樹があります。東京の亀戸天神も藤の名所として知られています。関東一円には藤の名所が点在し、藤を愛でる文化があるのです。そこで、藤の名所を自負している地域に向けて「あしかがフラワーパーク 世界一の藤のガーデン」というチラシを配りました。

――

道場破りみたいですね(笑)。そんなチラシが届いたら、その町の人々は見ないわけにはいきません。

塚本

挑戦状です(笑)。「わが町こそ藤の町」と自負している人は、気に入らないでしょう? 気に入らなくて、チラシを破るだけじゃ気が済まない。「このうそつき!」って、文句の一つでも言いたいじゃないですか。ということは、あしかがフラワーパークに来るしかない。実際、それらの町から来る車がわっと増えて、一気に黒字化しました。この17年間、この件でどなたからも苦情を言われていませんので、いいのじゃないでしょうか(笑)。

――

藤の市場があると見極めたわけですね。

塚本

藤が咲くころになれば、藤を見るのが当たり前という方々にアピールすればいいと考えた結果ですね。この商品を、どこの誰に売ればいいかと考えるのと同じだと思います。

――

藤が最盛期のころは、入園料が1,700円です。

塚本

当初、12月から1月は無料にして、その代わり「世界一」とうたった藤のシーズンは1,000円にしましょうと提案しました。それが周知されてきましたし、藤も大きく棚を広げて美しさも増し、また藤以外の花も、楽園のような美しさで咲き誇るようになりました。その美しさに応じて、藤の季節は900~1,700円の変動料金制として、当日の朝6時半に料金を発表しています。

――

毎日変わるというのもユニークですね。

塚本

花の美しさは、日々変わるものです。満開にもなっていないのに1,700円頂くのは申し訳ないですし、花が終わって汚れてきているのに1,700円というのもまた頂き過ぎ。美しさに応じて頂くのが適正価格だと考えたのです。初めて来場されるお客さまの中には1,700円と聞いて「高いなー」と、おっしゃる方もいます。けれどもお帰りになる時には「4時間並んで見る価値があったよ」と、おっしゃってくださいます。今では「今日は入園料1,700円だ。良かった!」とおっしゃるお客さまもおられます。一番料金が高い日だから、一番美しい日に来られたのだという意味です。あしかがフラワーパークの藤は、一生に一度は見ないと損ですよ(笑)。

――

そうして、あしかがフラワーパークの年間入園者数は100万人に上り、日本の植物園の中でもトップになりました。その実績を見込まれて浜松市花みどり振興財団理事長に就任し、はままつフラワーパークの運営に着手されています。

塚本

このパークもずっと大赤字が続いていました。確かに課題はいくつもありました。例えばエントランスを入ってもフラワーパークなのに花壇がない。お客さまがフラワーパークに来た!という気持ちになるためには、わっとお花があるべきでしょう?
それにこのパークから車で15分とかからない場所に、2004年に行われた浜名湖花博の会場跡地を利用した浜名湖ガーデンパークがあるのですが、そちらは夏場、水遊びも安全にできて駐車場も入園も無料。一方、はままつフラワーパークは駐車場の利用料金が200円、入園料は通年変わらず800円。それでは、ここに来るわけがありませんよね。入園者数が少ないから予算も削減され、負のスパイラルに陥っていました。

――

そこで着手されたのが、まず7~9月の入園料を無料にされたことですね。

塚本

過去10年間の月ごとの入園者数の変動を見ると、年間の入園者数が25~26万人に対して、7~9月の入園者数は、毎月わずか5,000~7,000人。この期間は、全入園者数の2%しか入らないわけです。夏場の暑い盛り、屋外の施設に来ていただくのは大変なことです。デパートでも図書館でも、他に涼しいところがいっぱいありますでしょう?

――

そうですね(笑)。

塚本

画像 入園料を無料に同じ時期、浜名湖ガーデンパークには、毎日何千人と入っているのです。そこでこちらも入園料を無料にしたところ、月の入園者数も売り上げも倍増しました。無料でも、レストランで食事をしたり買い物をしたりして下さるわけです。それから10~2月までは、昨年同様、入園料として500円頂戴する代わりに、園内で使える500円のお買い物券を進呈しようと考えています。お客さまも気軽に入っていただけますし、物も動きます。社員も仕事が充実して、モチベーションも違うはずです。
一方で、トイレなど古い設備は少しずつ改修を進めています。それから園内に坂が多いので車いすの方にとっては移動がとても大変です。こちらはすぐに改修するのは難しいので、近隣の大学などにボランティアを募って「車いす押し隊」に手伝ってもらっています。
もちろん、樹木や花の充実も忘れていません。理事長就任と同時に、1,300本の桜と30万球のチューリップを整え「日本一美しい桜とチューリップの庭園」と打ち出しました。結果、平成25年度の入園者数は40万人近く、対前年比36.5%も増えました。今年は浜名湖花博2014の開催もあり、目標としていた入園者数の20万人を大きく上回る60万人の方が訪れて下さっています。

――

改革に加えて、二つのフラワーパークの魅力は、やはり美しい花ですね。その点も当然、塚本さんの樹木医としてのお力があってこそと思います。樹木医というお仕事の秘訣(ひけつ)はどんなところにあるのでしょう?

塚本

樹を知るということです。藤の花、桜の花一つとっても、性質や個性が違いますし、土地によっても違います。樹はしゃべりませんが、そういったことを知れば、誰でも美しく花を咲かせることができますし、樹が今どんな状態で何をしているかが分かります。だから、隅々までよく見ることが大切だと思います。
樹木の仕事は簡単に結果が出るものではありませんし、手入れを失敗したからといって「ちょっと待って」とはいきません。やり直しは1年後しかできないのです。しかも今年きれいに咲いたからといって、来年も美しさを保証できるとは限りません。美しく咲いてほしいならば、この樹はどういう状態かと「見る力」を養うしかないのです。私たちには、見えていても、実は「見ていない」ことがたくさんあります。

――

その「見る力」は、樹木そのものだけでなく、パーク再生の過程にも生かされている気がします。

塚本

文字通り、お客さまの様子を見るということは大切です。加えて私はもう一度来たい、この美しさを誰かに伝えたいと思わせる「感動分岐点を超える園づくり」を目指しています。この花を見られて幸せだ、と感動させる力ですね。今年の春、連休中に、大きなカメラを携えた男性が「こりゃ撮影できないな」とおっしゃっていたんです。美しすぎて写真に収められないというわけです。うれしかったですね。桜の美しいところは、日本全国どこにでもあります。でも、チューリップと桜が競演する場は、他にはありません。1年のうちの2週間だけですが、本当に美しいものを提供する。それが人の心を震わせ「感動分岐点」を超えれば、入園料が多少割高でもお客さまは来て下さる。感動分岐点は、私たちの誰もが持っているものです。それを超えるためにも、プロとして、しっかりと結果を出さなければと日々取り組んでいます。商品と商品価格が一致していれば、お客さまは来て下さると信じています。

――

これからどんなことをなさろうとお考えですか?

塚本

園芸福祉、園芸療法にも力を入れたいと思っています。あしかがフラワーパークでは、いじめが原因で高校進学を諦めた生徒と、社会に出たけれど人とのコミュニケーションが苦手で、親とも話せなくなってしまった引きこもりの青年をお預かりしたことがあります。2人とも、自分たちが一生懸命育てた花を見たお客さまが喜んでくれる姿を目の当たりにして、自分を取り戻していくことができました。樹には、人間性復元力があると思うのです。園芸は、技術を身に付け、社会復帰する一つのきっかけになるのではないかと考え、より具体的に、園芸療法に取り組めればと思って動いているところです。


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塚本こなみ(つかもと・こなみ)

1949年静岡県磐田市生まれ。22歳で結婚。造園業を営むご主人の仕事を手伝ううちに、樹木の世界に足を踏み入れ、自身も一級造園施工管理技士を取得。92年女性初の樹木医資格取得。93年造園、緑化、樹木の保護などを事業とする自身の会社を設立。96年あしかがフラワーパークの大藤移植を成功させ、99年同パーク園長に就任。2013年からはままつフラワーパークを運営する公益財団法人浜松市花みどり振興財団理事長に就任。

●取材後記

樹木医としても経営者としても実績を上げている塚本さん。でも「樹齢何千年という木を前に、自分は無力だなと感じる」と言う。だからこそ「こうしてほしい」「ああしてほしい」と言わない樹木に向き合って、葉の生え方一つ、枝の張り方一つを「見て」、どうしたらいいのかを見極め「今日、できることをきちんとやろうと思う」。時間はかかるけれど、そうして積み重ねたことがきちんと結果になって表れている。そう、結果を焦ってはいけないのだな、とつくづく思いつつ、帰り道、園内の桜を見上げた。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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