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かしこい生き方 コロンビア大学医療センター博士研究員 慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科訪問研究員 仲谷正史さん

「触感を意識することが新しい価値を生み出すのです。」

私たちは触感というと「手で触った感じ」と思いがちだ。
しかし、実際にはいすに座っている時、そのいすを感じることができるのは
触感=触覚の働きがあるからだ。
最近では、タッチパネルなどデジタル機器のインターフェースでも
触覚的なアプローチが注目されている。
意外に知らない「触覚」について、さまざまな角度から研究を重ねる
仲谷正史さんにお話を伺った。


触れているだけで気持ちが変わる――ヒトは触感に左右される

――

私たちには、触覚というものが、視覚や聴覚と同様、重要な五感の一つであり、「生きている実感」を生んでいるなどという認識があまりないかもしれません。

仲谷

多くの人は想像もつかないと思います。オリヴァー・サックスの『妻を帽子とまちがえた男』という本には、病気で触覚を失い、自分がそこに存在することを認識できないために、生きているという実感が持てずに苦しむ女性が登場します。私自身も骨を折って手術をすることになった時に麻酔をしたのですが、自分の足なのにもかかわらず、まるで自分の体とは思えないという気分を経験しました。そういう状況にならないと、触覚を失う体験はできませんね。

――

触覚を失うというのが、そこまでの極限的な状態になるということ自体、驚きですが、それだけでなく、触感は私たちに与える心理的影響も少なくないそうですね。

仲谷

「温かい」「冷たい」、「重い」「軽い」、「柔らかい」「硬い」といった感覚が、人間の行動に現れるという研究結果はいくつもあります。初対面の人に飲み物をもらう時、温かいものだと相手をいい人だと思うとか、柔らかいソファに座ると会話が和やかになるとかいったことですね。

――

そういう工夫はビジネスシーンの心理戦略として、耳にすることがありますね。

仲谷

画像 触覚の研究開発そうですね。接触回数が増えると好感度が増す「単純接触効果」も、よく知られているのではないでしょうか。日本では、恋愛の文脈で語られる機会が多いようですが、欧米では宗教や人種の違いによる衝突を避ける上で、単純接触効果を語ることがあります。
つまり、人間はそういったちょっと“触れた”時の感覚に敏感に反応し、価値判断が影響されるのです。人には、触覚的な要素から感じ取る第六感みたいなものがあるのですね。ならば、それをうまく想起させることで新しい価値が生まれるのではないかと考えているわけです。
触覚の研究開発は2000年前後から進歩し、バーチャルリアリティーの中でどう再現するかというテーマのもと、例えば、地上に居ながらにして宇宙ステーションで作業している触感をフィードバックしたり、遠隔操作で手術を行ったりという、高度に専門的な場面での利用が想定されていました。その成果が、カメラのシャッターの押下やドアの開閉といった部分の感触に落とし込まれています。それをご存じの方は少ないと思います。


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触感をデジタル化してコピペを可能に――ピアニストのタッチを再現

――

こうしてみると確かに私たちは、触感を意識することが少ないように思います。

仲谷

ただ、例えば化粧品などの分野では多くの人が触感を重視していると思います。私は、以前に化粧品メーカーの研究所に勤務して「しっとり」とか「ふっくら」といった化粧品の触り心地の研究をしていました。化粧品を肌に付けた時の触感を定量化する研究に携わっていましたが、専門的に触り心地を評価している方だと肌に付けただけで「これはA」「これはB」と製品名まで分かるんです。私は、残念ながらその域には達しなかったのですが(笑)、技術の力で人間の触感力を明らかにする仕事をしていました。そうすることで、化粧品産業も含めて、大学で研究されている触覚の技術をもっと広め、新しい価値と産業を生み出したいと考えていたのです。

――

そこで仲谷さんが主導されている「テクタイル」というコンセプトが生まれたのですね。

仲谷

「テクタイル」とは「テクノロジー」と「タクタイル(触覚)」を組み合わせた造語です。技術(テクノロジー)を使うことで、触感を楽しんだり、それに親しむことを意識できるようにしたい。そうなれば触感を通した新しい価値や産業の創出につなげることができるのではないかと考えています。展覧会も3回ほど行いました。その後、触感をコピーペーストする「テクタイルツールキット」を開発したんです。

――

触感のコピーペーストですか?

仲谷

まず触感を意識するためには「触感とは何か」を感じてもらうのが良いだろうと思ったのです。ですがアナログだと、例えば目隠しをした状態で、ボックスの中にあるものを手探りで当てるといったゲームがありますが、それでは触覚をテクノロジーとつなげることができません。デジタル技術を通すことで、触感にも広がりが出るのですから。

――

触覚がデジタル化されるというのは、なかなかリアルなイメージが湧きません。

仲谷

ええ。触感を伝える技術は、体験したことがないと想像しにくいでしょう。実際にやってみましょうか。

(キットを介して糸電話のようにつながった紙コップが二つ。被験者は何も入っていない紙コップを持つ。実験者のコップにはビー玉が入っている。)

――

あっ! コップの中で、ビー玉がコロコロ回転している感じがします! 触感を伝えるって、こういうことなのですね。うわぁ…まるで自分が回しているようで、とても不思議な感覚です…。

仲谷

私が回しているビー玉の感触が伝わっていますね。これが触感のデジタル化とコピーです。キットの構成は非常にシンプルなんです。触った時に生じる振動を拾うマイクとそれに連動して振動を再生する装置、それと再生の強さを変えるアンプから構成されていて、この3つをうまく組み合わせることで、触感を記録し伝えることができるのです。今はそれぞれの装置をコップに付けていますが、例えばペンの書き味や服の触り心地を記録して、後で再現するといったことにも使えるだろうと考えています。

――

例えば、柔らかなカシミヤの触り心地を再現することができるということでしょうか?

仲谷

ええ。装置を指に貼ることもできますから、布地を触っている時の指の振動を記録し、それをうまく再現することで触感の再現は可能だと思います。見た目の光沢感を同時に示すことで、よりリアルに感じさせることもできるでしょう。触感コピーペーストの応用編です。こういったツールを使って、全国の大学や美術館などで、いろいろな触感を作るワークショップを行ったのですが、その中で面白かった事例をお見せしましょう。(http://www.techtile.org/archive/

(次の実験。被験者は同様にコンピューター画面の前で紙コップを持つ。コンピューター画面には砂が紙コップの中に落ちていく映像、炭酸飲料が紙コップに注がれる映像などが映し出される)

――

おお!

仲谷

手にした紙コップに砂をさらさらと流し入れた感じがありましたね。動画の中で感じられているだろう感触が手元に再現されているんです。次は、私のお気に入りなんですが、ソーダの触感。コップに炭酸を注いだ時のシュワーっとした感じが伝わってくるでしょう? こうした触感のバリエーションをこのキットで伝えられますし、ビールが注がれたコップにシュワシュワとした触感をコピーペーストすれば、シュワシュワ感をアップさせたりもできるのです。例えば、映画の中の登場人物がコーラを飲んでいると、それに連動して、弾けるような感触が何も入っていないコップを持つ手に感じられたり…そういう新しい体験が作れると思います。
もう一つ、これはバトミントンのラケットにシャトルが当たった時の感触を記録して、再生したものです。この人は初心者なので、シャトルがラケットのフレームに当たる時がありますが、その違いも分かりますよね?(笑)そうやって、体の動かし方の善しあしを伝えることもできます。

――

この装置を精査したら、スポーツのトレーニングに使えそうですね。

仲谷

スポーツの分野では、自分のなりたい姿やうまくいっているシーンをイメージするメンタルトレーニングを行いますが、実際に体でその感覚を経験することができれば、よりひも付いた知識になるのではないかと思います。

――

頭でこうすればいいと分かっても、実際にそのように体を動かすのは簡単ではありません。ですがこの装置を応用したら、もっとダイレクトに「これが正しい」という感覚を体験できますね。楽器でもできますか?

仲谷

プロのピアニストがどのくらいのタッチで鍵盤(けんばん)を叩いているかなどを伝えることができるはずです。

――

もともと、仲谷さんは触覚の仕組みを研究されていますね。

仲谷

画像 メルケル細胞現在滞在しているコロンビア大学での研究テーマは、メルケル細胞という細胞の仕組み、役割などです。メルケル細胞というのは、長年、触覚に関わっているらしいとされてきたのですが、具体的な働きが解明されていませんでした。それが今年、私も関わった研究によって、ようやくメルケル細胞が、確かに皮膚の触覚を脳に伝える上で、重要な役割を果たしていることを証明することができました。
モノに触れたと感じたり、その触感を脳に伝えたりという触覚の仕組みには、末梢神経の先端にある構造体、例えばマイスナー小体やパチニ小体と呼ばれるものが関与していることは分かっていたのですが、そういった構造体を構成するメルケル細胞は、その名の通り“細胞”というだけあって、特殊な機能が予想されていました。しかも、周りの皮膚細胞が直径30~50ミクロン程度なのに対して、メルケル細胞は10ミクロン程度ととても小さいため、刺激を与えて引き起こされる応答を正確に測定するのが難しく、長らく研究が進んでいませんでした。私も2012年から取り組んできましたが、今年になってようやく実験成果がまとまり、メルケル細胞が生体の触覚センサとして機能していることを明らかにすることができました。

――

どんなことが分かったのでしょう?

仲谷

現状では、メルケル細胞が、押し付けられた時の感覚、つまり圧迫に関する感覚を担うとされています。例えば、ギュッと抱きしめた時、その瞬間だけでなく、抱きしめている間中、圧力を感じますよね? そこにメルケル細胞は寄与しているはずだと考えています。またメルケル細胞と末梢神経が相互補完的に働くことで、指先で形やテクスチャー、モノのエッジ(端)の感覚をとらえる受容器だとも言われています。

――

触覚を担う細胞から、触感をデジタルで伝える仕組みまで、取り組みは幅広いですね。

仲谷

私は学生のころから、モノに触れ、皮膚が変形したら、どういうシグナルが生まれて、神経を伝わり、最終的に脳で「触れた」と感じるのか、その全体を俯瞰(ふかん)する研究をしています。この先、触覚の仕組みをメルケル細胞レベルで説明することができたら、振動の触覚を担う、マイスナー小体やパチニ小体を理解することにも適用できるのではないかと考えています。
最終的には、自在に触感を再現する装置を開発することに、細胞レベルで明らかになった知見を応用できればと考えています。テクタイルツールキットを使って新しい触覚研究の知見を生み、また生まれた知見を組み入れることでさらにツールキットを進化させる、そうやって触覚に対する社会の理解が深まればと考えています。


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仲谷正史(なかたに・まさし)

1979年生まれ。2007年、Harvard University Division of Engineering Applied SciencesにてResearch Assistant、2008年東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了後、株式会社資生堂入社、触感評価技術の開発に従事。2009年から慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科リサーチャーを兼任。2012年4月、日本学術振興会・特別研究員(SPD)として慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科訪問研究員。同年8月より、共同研究先のColumbia University Medical CenterにてPostdoctoral Research Fellow。現在メルケル細胞の生理学研究に従事。

●取材後記

実際の感触を伝えられないのがもどかしい。触感がこれほどリアルに再現されるとは思わなかった。今後、展覧会の機会があれば是非、足を運んで体験してみてほしいテクタイルツールキット。多くの人がスマホでびゅーっと画面をなぞる「スワイプ」の動作に親しんでいる現代なら、触感にはいろいろな可能性があることへの共感が得やすいかもしれない。5年後? 10年後? いや1年後かもしれない新しいデジタルの世界を垣間見たようだ。

構成、文/飯塚りえ   撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治
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