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かしこい生き方を考える COMZINE BACK NUMBER
モノを味わうことは人生を味わうことと同義です 第6回 島村菜津さん ドキュメンタリー作家


食は便利なコミュニケーション・ツール
 

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スローフードと言うと、丁寧に作った素材を丁寧に調理しておいしく食べて、というイメージがありますが、実際、それはかなり表層の部分ですね。

島村

この言葉を作ったのは1980年代半ばのイタリア人です。85年から86年にかけてローマに世界最大手のハンバーガーチェーン店が進出して、それに危機感を抱いたことに始まります。これからヨーロッパにもどんどんファーストフード的なものがなだれ込んでくるから、自分達はスローフードで行こうか、という冗談交じりの言葉がスローガンとなって、89年に正式にスローフード宣言をして協会が発足しました。
スローフードには二つの定義があります。
一つは、ファーストフード的なものを支える考え方に反対する運動です。端的に言えば、同じモノを効率良く世界中の人に提供しようというのがファーストフード的考え方ですが、それに対して、世界のどこでもいつでも同じ味じゃつまらないし、旅行する意味もないし、自分達の食文化は一体何なの? というのがスローフードの発想。その土地固有の味や家庭料理の味など、多様な味の世界を守ろう、という運動です。それがひいては文化自体の多様性を認め合おうという考えにつながっていきます。

 

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食文化は、それだけを切り離して考えられるものではありませんから、食が失われるということは、その文化自体が失われていくということにつながりますね。

島村

そうです。例えば日本の鯨食については、ヨーロッパ人にもゆっくりきっちり伝えたいと思っています。ヨーロッパもアメリカも捕鯨に対しては非常にネガティブなことで共通していますが、こういうことはゆっくりじっくり伝えないと分からないと思います。
全く経験していない異質な料理とか食文化に対して心を開くのはそんなに簡単なことではありませんからね。
例えば韓国料理、中華料理では、鶏なんて足まで全部使いますが、若い人でそういうものを「臭い」としか表現できない人を見ると、すごく寂しくなります。逆にそうした食文化に対して積極的な若い人がどんどん育ってくるのはすごく頼もしいと思うし、会社で偉そうにしているおじさま達よりも、よっぽど文化交流していると思いますね(笑)。

 

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スローフードのもう一つの定義とは?

島村

いろいろな関係性をつなぐものとしての食です。自分と家族や友達、あるいは地域社会、突き詰めれば自然などもそうですが、食べ物ってさまざまな関係をつなぐコミュニケーション・ツールなんです。それが、大量生産・大量流通・大量消費され、食を巡るいろいろな局面がファーストになっている。その結果、物事の関係性が壊れていっているのではないかということです。
「キレる子供は食生活に問題がある」という指摘がありますが、これも、子供と周囲の人間との関係を食を通して見ることが一つの手がかりになるかもしれないと思います。子供に説教するだけではなくて、普段、台所に立たないお父さんが買い物に行って苦心して何かを作ってくれたら、多分すごく心に残ります。食とはそういうものなんですね。
スローフード運動というのは、そういったメンタルな部分から、アメリカやカナダから大豆みたいなものまで運んで来ていいの? という現実的な部分までを視野に入れて、食べ物に対してみんなの意識がもう少しスローに変われば、関係性も変わるよ、という壮大なる「関係修復運動」でもあることに最近気付きました。

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「食は便利なコミュニケーション・ツール」とおっしゃっていますが、他にどんな例がありましたか?

島村

一度、イタリアで取材をしていた時に、取材相手の弁護士に夕食に招待されました。仕事上でする彼の話はさして面白くもないのですが、その日は彼が買い物して料理してくれて、それがとても美味しい上に、食事中の会話がめちゃくちゃ面白い。彼に限らず、イタリア人は仕事が終わった後の自分に返る時間をとても大切にしていて、豊かな生活をしていると思いました。その時、お礼に日本やアジア料理を作ってあげたら、とても喜んでくれました。私は、若くてお金もない一人暮らしの物書きでしたが、包丁と良い調味料があっただけで、お礼ができたわけです。そこで「これは使えるコミュニケーション・ツールだ」と思いましたね。そうやって彼らの食卓へのこだわりに触れているうちに、食べ物ってすごく大切なんだなと思うようになりました。

 
自分のテンポで人生を楽しみたい
 

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スローフード協会の宣言は、「フード」と言いながらも、私達のあり方のようなものに視点を置いていますね。

島村

食はきっかけ、扉のようなものにすぎなくて、今、自分が置かれている状況、環境、人間関係などといったもののつながりを見るための一つのツールだと思っています。
間違ってほしくないのですが、スローフード運動は、今はすっかりなくなってしまった料理や素材を掘り起こすことだとか、「お取り寄せガイド」で名産の味を取り寄せるみたいなことではありません。例えば、最近まで肉食は日本文化にありませんでしたが、国産の飼料で畜産をやっている人や人目を引くような郷土料理がないから特産のリンゴでアップルパイを作って頑張っている人だって、立派なスローフーダーです。
生産者も小売店も、ただ作る人・売る人ではなくて、自分は食べる側でもあり、食にはみな平等にかかわっているという点で分かりやすいから、一種のシンボルとして注目していますが、結局はライフスタイルを語っているんです。
宣言の中で「スローフードな改革は食卓から始まるけれど、それを支えるものは、ファーストライフに奔走させられていく、追い込まれていく現代社会への抵抗だ、そしてそれはスローライフだ」とあります。ファーストフード・チェーンがローマにできる時にイタリア人達が守ろうとしたものは、人間らしい生活なんだなぁということが、今はとてもよく分かります。ファーストフード的に効率を追求して追い立てられて、人に生活設計されるのではなく、自分のテンポで人生を楽しみたいんですね。

 

これからは、味の多様性だけではなく、生き方の多様性もキーワードになっていくと思います。世界のグローバル化というのも防げないし、反対しているわけではありませんが、そうしてグローバル化していく世の中だからこそ、多様な生き方、異質なものをいかに尊重して認め合っていくかが非常に重要になります。
スローフード協会会長のカルロ・ペトリーニが「『異質なものが喧嘩もせずに平和に競争する世界』が理想郷で、それは多様な味、食文化としての味を守ることの先にある。100年後にその理想が実現できればいいんだという気持ちでやっている」と、いかにもスローフード的に言っていました。

食は無条件に共有できる楽しみ

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協会では、子供などに対して「食育」(※)も積極的に行っていますね。

島村

食育という言葉、本当は嫌いなんです。教育しようとすると、またテーブルの上に禁止事項が増えて堅苦しくなってしまいますから。モノを食べるというのは、無条件に共有できる楽しみです。そんなところにまで「教育」という言葉を設定しなくてもいいかなとも思っているのですが…。
食育の背景にあるのは、子供達が食べ物を楽しむことができず、食事は体を作るために栄養を取り込む作業だと思っていることです。戦後の教育がこれこれの栄養はこれだけ必要、という栄養成分学に偏ってしまい、子供達に食卓を楽しむことをさせていないわけです。そこで、まずは理屈じゃなくて体験として楽しむという原点に戻ろう、ということなんです。
さらに、今、問題になっているのはお皿の外のことです。
お皿の上の霜降り肉がどんなに柔らかくても、食卓ではお皿の外の生産地のことが全く見えない。だからお皿の外のことを屁理屈ではなく伝えてあげられる方法はないか、模索しているところです。
イタリア人達はゲームで楽しませながら少しずつやっていく方法を選んでいて、それがとてもよくできています。例えば教室に産地の違うリンゴを4つ持って来る。本当は地元の農家のリンゴを「食べて!」って言いたいんですが、子供達には関係ない。だから色や触感、匂いを嗅いでそれらを言葉にしていくというゲームをやります。先生は子供達が出した「ざらざらしている」とか「ショリショリ、音がした」という表現についてやり取りすることで、言葉と表現力が頭に入っていきますよね。そうすると味とか香りに対する意識も変わるし、注目度も違うし、すごく感受性の豊かな子供が育っていくのかもしれません。

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味覚をはじめ、五感が人間性に影響を与えるだろうということは、想像が付きますね。

島村

例えば甘いものは良くないと言って一切取らせていない子供が「甘い生活」という表現を理解できるでしょうか。昔からある言葉はみんなで共有するセンスと一緒になっているから、道理があるものだと思うんです。「味のあるやつ」とか「苦み走ったいい男」という表現もあります。
つまり、モノを味わうことは人生を味わうことと同義だと思うんです。それを考えたら、サプリメントだけで栄養を取るというのは効率化の最たるもので、中世の修道士のような「快楽は悪」と同じ感覚です。
スローフードは、個が生き生きするような関係を構築できないかという壮大な考え方ですが、それを具体的にどうしていくかはその人なりのアプローチであって、同じ答えはありません。
例えば、お昼ご飯の時間が30分しかなくて、ファーストフード店しか選択肢がないという状況で仕事している人もたくさんいると思いますが、1週間のうち2食くらいは頑張って、この人の作る料理なら10年食べ続けても大丈夫という小さなお店に通ってみるとか、あるいは無農薬のお米で作っているお店でおにぎりを買ってみるとか、一人ひとりが少し変えるとものすごく大きな変化になりますよ。

※食育とは、子供達が自分で自分の健康を守り、健全で豊かな食生活を送るために「食事の自己管理能力」を育てようとするプログラム一般のこと。


インタビュア 飯塚りえ
島村菜津(しまむら・なつ)
1963(昭和38)年、福岡県生まれ。ノンフィクション作家。東京芸術大学美術学部卒業。イタリア美術史を専攻し、卒業後にイタリアへ留学。現在、食、紀行、美術、映画などの記事を各誌に寄稿。著書は『フィレンツェ連続殺人』(共著・新潮社)、『エクソシストと対話』(小学館/二十一世紀小学館ノンフィクション大賞優秀賞)、『イタリアの魔力』(角川書店)、『スローフードな人生!』(新潮社)など。日本文芸家協会会員、ニッポン東京スローフード協会会員。
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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