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「人生の山や谷を越えた方々のお話を聞くと、自分自身が豊かになるイメージが見えてくるんです」 第9回黒川由紀子さん 慶成会老年学研究所所長


自分が納得できるイメージが見えてくる
 

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黒川さんは「老い」について研究なさっていらっしゃるとのことですが、皆、平等に老いていくわけで、誰しも興味のあるところと思います。まずは、黒川さんのお仕事を簡単にお話しいただけますでしょうか。

黒川

臨床心理士として、カウンセリングをしたり心のケアに関わる仕事をしています。その中でも特に高齢者の方を専門に、痴呆症やうつ病といった問題を持った方々の心のケアや心理療法的なアプローチを続けてきています。
高齢者の方というのは、人生の長い歴史を持っていらっしゃる。それは一つの財産でもあり、資源でもあり宝でもあります。そこを活用しながら、ご本人達がこれまで歩んできた道を丁寧に伺いながら接することで、それぞれの方が人生の物語を紡ぎ直していく――それを「回想法」というのですが、その回想法を痴呆症など、記憶障害や認知障害といわれる、脳に障害のある方々にどうやったら応用できるかということが研究課題の一つです。
元々「老いの創造性」、つまり高齢者の創造性に一番強い関心を持っていました。それで音楽家や彫刻家などいろいろなアーティストの方にインタビューや、心理検査をさせていただいたのが、私の研究の出発点です。
「老い」というと、どうしてもネガティブに捉えられがちだったり、逆に最近は、無理にサクセスフルなイメージを作られたりする対象になりがちですが、私は、たくさんの高齢者と接し、人の人生を「サクセスフル」とか「アンサクセスフル」というように簡単には分類できないと思っています。良いとか悪いとか一口には言えないような、人が生きていくことの深さや、奥行きといったものをニュートラルに実感したいと思いました。その一つの切り口として、「クリエイティビティ」――何かを生み出す、創ること――に関心があったので、そこから入っていこうと思ったんです。

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その研究を通して、どんな「老い」の姿が見えてきたのでしょうか?

黒川

皆さん、非常に冷静な頭と、とても熱い心を持っているんです。
インタビューをした方々は、多様で混沌とした要素をバランス良く併せ持っているという感じがしました。若い時には、熱している方もいれば、クールでシャープな方もいますが、大抵どちらかに偏ってしまいます。ところが私がインタビューをさせていただいたご高齢のアーティストの方々は、現実は現実としてすごくクールに見ている、一方でパッションがある。だからすごく豊かで強い。17人全員が、その方その方なりに統合されていたような感じがしました。
加えて「少年、少女のような心」とでもいうのでしょうか。それが生き生きと残っていると感じました。インタビューをした時、私は20代前半で、その方々が発信して下さったメッセージを消化しきれないような年齢だったと思います。でも今なお、その方々に「まかれた種」というのが、私の中に育っているんだなぁという感覚がありますね。

 

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「老い」を知り「接する」ことによって「今」の生き方に返ってくるものがあるような気がするのですが、いかがでしょうか。

黒川

全くその通りです。私自身、ご高齢の方々からいろいろなお話を聞いたことで、目の前がぱっと開けるような思いをすることがあります。どうやって生きていけばいいかなんて悩んだりした時に、人生のライフサイクルをすべて生きて、山谷越えてきた方々のお話を聞きますと、結局何が大切なのか、どういうふうにしていけば自分自身が豊かになれるのか、自分自身が納得できるのかというイメージが見えてくるんです。
昨日も病院で百歳の患者さん達の集まりをしていたんですが、ある患者さんが「このごろ眠ってばかりいて、でも全然飽きないんです」と。「もうまるで、天国にいるみたいな感じ」っておっしゃるんですよ。
それで「天国ってどんなところでしょう?」と聞くと、「多分、今の延長線上にあるのだと思います」とお答えになったんです。「ううむ」と思いました。その話を聞いたからといって、今日の私の生産性が上がるとか、下がるとかといったことには無関係なんですが、「この世の次の世界」を感じながら生きている人に触れると「あくせくしてても、いつか終わりがくるんだし」などと、自分の心にゆとりができます。
逆に言えば90歳を過ぎた方々というのは、瞬間瞬間、今日この日を生きてらっしゃるんです。お年寄りは「私達は、時間がいっぱいあるから、山の向こうから日が昇ってくる様子をじーっと見ながら、空の雲や景色が移り変わっていく様を観察して、ああきれいだなぁと思いながら過ごしているの。桜の時期には、昨日の桜と今日の桜の違いを深く感じながら生活している。黒川先生は忙しいからそんなことできないでしょう?」と言われて、私って貧しい生活しているのかしらと思ってしまいました(笑)。
だからといって、今、毎日、富士山や桜を見て暮らしているわけにはいかない。でもいつか、そんな情感を深く味わえる時期がくるんだなと思うと、それもいいなと楽しみになります。

「どういうふうに生きたら得か」なんて「結局、得でもない」

黒川

また非常に驚かされるのは、百歳の会の方が「1日の中でどの時間がお好きですか?」という質問に対して、テレビなどで世界や日本の情勢に触れる時間だとおっしゃること。そして将来の日本の子供達の教育をどうすべきかといった未来のことを考えてらっしゃるんですね。
皆さん100年生きてきて、視野が非常に広いんです。つまり子供のころに体験したり、ご両親やおじいちゃん、おばあちゃんに聞いた話、そして今これから育っていく子供達が生きていく時代を含めて、200年ぐらいの「体験」を持っておられ、その視点で日本の情勢を考えたり意見を述べるので、目先のことにとらわれな的確な意見が多いように思います。
最近、中学校に行って、老いに関する授業をしています。子供達が、自分らしく枝葉を伸ばして、自分の価値や個性をもっともっと大切にしながら生きていく手掛かりとして、「老い」という視点を持つことが有用だと思います。ご高齢の方からのメッセージを子供達に聞かせることもあります。
メッセージの内容は「どうすれば得に生きられるか」なんて話ではありません。「どういう風に生きたら得か」という話は、「結局、得でもない」ということを思い知っている人達ですから(笑)。
例えば、80代後半の男性の方からは「君達は将来について、すごく不安に思っていると思います。でもそんな必要はありません。なぜかというと、君達が思い描いている将来と、実際の将来は全然違うからです」という言葉がありました。同じことを30歳の先生が言っても「そうかなぁ?」と薄っぺらくなってしまうことでも、80年、90年生きてきた方に言われると、リアリティがありますね。
続けてこの方は「仕事とか学校という場はどうしても競争になります。そこで、それとは一切関係のない、楽しみや趣味を持つと良いと思います。私の場合には、生け花、お茶、浪曲……そういうものをやってきたことが、この年になって日々の暮らしをものすごく豊かにしてくれます。窓から見える木の枝振りを見ても、ちょっとした花を見ても、その有り様にすごく感動できます」というメッセージを中学生に下さったんです。
普段なかなか大人の話を聞かない子供達も、本物の言葉にはじっと耳を傾けていました。

 

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「自分が思い描いている将来と現実の将来は違う」のは、中学生に限らず、いくつの人にも当てはまる言葉ですね。

黒川

今の時代、いろいろな閉塞感を持っている方が多いと思いますが、90歳や100歳の方にお話を伺うと、自分の人生には、ものすごくたくさんの分かれ道があったとおっしゃるんです。「あの時、あっちに行ったらどうなったかなって思う時がある」っておっしゃる。「でも、この道を選ぶ必然性があったから自分はこっちに来たのだと思います」ともおっしゃるんですね。
自分達が閉塞していると思うのは間違いで、私達は、まだあっちにもこっちにも行ける。だから迷いもあるのかもしれない。そんなふうに考えるのはもったいない。「自分が思い描いている将来って、勝手に自分で縛っているだけで、もっと可能性がある」ということなんです。高齢の方からはそういう力強いメッセージを頂くんです。もっともっと多くの方に伝えていきたいなと思いますね。

 
心の世界で山に登ることもできる

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「200年のスパン」とありましたが、今、100歳の方々は、ご自身が蓄積したものの他に、子供のころに受け継いだものがあるからこそ200年のスパンで物事を考えられるのだと思います。それが今、失われつつあるとしたら、もったいない話です。それではせいぜい100年のスパンでしか物事が考えられませんね。

黒川

本当にその通 りです。回想法では、個人の過去の歴史や思い出を聞きますけれども、都市の記憶や地球の記憶といった次元のものもあります。宇宙の記憶も私達は一瞬一瞬受け取っていると言えます。ただ、それを十分に感じていない。
「思い出」というと後ろ向きな感じがしますが、未来に贈る思い出を大切にしたい、個人の記憶も都市の記憶も、それを断絶してしまうのは、非常に残念なことです。

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「老い」を、ポジティブでもネガティブでもなく、ニュートラルなスタンスで見据えることで、そうした記憶を今の在り方に受け継いでいくことが、いろいろな意味での豊かな生き方につながりそうですね。

黒川

私は「クリエイティブエイジング」を提唱したい。モノを残すということではなく、一人一人の人が、年を重ねることの喜びを感じる人生を歩むことです。
例えば、山がお好きな方で、年を取って山に登れなくなったことが一番つらいとおっしゃっていた方がいたんですが、その方が作るコラージュ作品には、必ず山が出てくるんです。
最初は、挫折の対象として、山が貼られていた。それがある時、高い山の写 真と民家の写真がそれぞれ一枚ずつ貼られていた。その方がおっしゃるには、若いころはこういう高い山に登りたかったけれど、今は、麓の民家を訪れたいと。ご本人が老いやご自身の障害を受け入れていく非常に象徴的なプロセスでした。さらに2、3年たった秋に、色とりどりの木々に彩 られた山の風景写真を貼って、俳句を詠まれたんです。「秋深し深山錦の衣着て」。当初は挫折の対象だった山が、今は色とりどりの衣をまとう山に変化しているんです。
実際の山に行くことも大切かもしれませんが、心の世界の中で山に登ったり、その美しさを感じることもできるし、意味がある――そう、感じました。もちろん人それぞれ。100歳になってもいろいろなことにチャレンジする人がいてもいいと思います。
百歳の会をしている中で「長生きの秘けつ」や「豊かに老いる秘けつ」について、よく聞かれますが、長生きしている人に共通項があるかというと、統計的に有効なデータは実際のところありません。それに、あったらつまらないと思うんですよ(笑)。生きていく上で、一番大切なことは、それぞれが作っていくしかなくて、若者もそこで甘えたり、マニュアルを求めたりしてはいけないと思いますね。


インタビュア 飯塚りえ
黒川由紀子(くろかわ・ゆきこ)
東京都生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。保健学博士(東京大学)。お茶の水女子大学学生相談室、東大医学部精神医学教室などを経て、現在は慶成会老年学研究所所長、大正大学大学院教授。
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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