一方、類人猿や霊長類が、アフリカの熱帯雨林やその周辺の森林環境の中で進化してきた可能性が、最近、非常に濃厚になってきました。
その熱帯雨林と砂漠とを比べてみると、熱帯雨林の自然環境、特に音環境は、非常に複雑なんです。つまり情報環境が複雑だということですね。そのような場で霊長類が進化したということは、私達の遺伝子は、熱帯雨林での生活に最も適合するように仕組まれていると考えることができます。
だからこそ科学技術文明は、私達の遺伝子と最も適合する、擬似的な熱帯雨林環境を作り出してきたといえるわけです。「これしか食べられない」という制約を持つ生き物がほとんどなのに対して、人間は驚くほどいろいろな種類の物を食べます。それは、熱帯雨林には豊富な種類の食べ物があったからです。そしてその状況は、まさに今のスーパーマーケットやコンビニエンスストアと同じです。お金を払うという違いこそあれ、豊富な食材がいつでも手に入る熱帯雨林と同じ環境を私達は作り出してきたという見方もできるのです。
しかし肝心な「音」の環境を作るのは、忘れてしまった。「食」については文明ごとに成熟してきたといえますし、「音楽」や「舞踊」も維持され、進化してきた。でも「音」環境はほとんど忘れられてきたに等しい。
この場合の「音」というのは、聴こえる音だけではありません。私達人間が聴き取れなかったり、五線譜で表現することのできない「音」も含まれます。
人間が音として感じ取ることができるのは、1秒間に約20回の振動つまり20Hzから、よく聴こえる人で2万回の振動つまり20kHzです。15kHz位になると、ほとんどの人が、何かがあることは感じても、その音の高さの変化などは分からなくなります。ところが、そうした聴き取ることができない知覚できない空気振動が、人間にとって必要だということが分かったんです。
そもそも私が音環境を気にするようになったのは、1970年代前半から80年代の後半に筑波大学環境科学研究科に所属していて、いわゆる「筑波病」が問題になったころです。外国の一流機関に決して劣らない素晴らしい環境を提供され研究生活に入った人達が、次々と自らの命を断つ……。飲み水や食べ物など物質の中にその原因となるものが見つからない以上、残された可能性として、その環境を形成している情報に何か不具合があるかもしれないと、皆、漠然と考えていたんですね。しかしそれが何だかは分からない。そんな謎を抱えつつアフリカの熱帯雨林にフィールドワークに行ったら、一発でその謎が解けてしまいました。
熱帯雨林は、とにかく美しく高密度な情報、特に高密度な音に溢れた世界で、「これが極楽だ」と実感できる場所だったんです。でも、考えてみればそれは当然のことでした。森の中で進化してきた私達の遺伝子は「森」の環境を極楽と設定し、そこに生きる時に適応負荷が最小化し、快感が最大化するように作られているわけですから。 |