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先生はその後、ヒマラヤの氷河調査に参加され、新種のユスリカを発見されました。学名には「Diamesa kohshimai」と先生の名前がついていますね。 |
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幸島 |
私は「ヒョウガユスリカ」と呼んでいますが。彼らはセッケイカワゲラ以上に寒いところが好き-16度でも活動することができます。昆虫の活動温度としては、新記録ではないでしょうか(笑)。その後生態を調査した結果、彼らが氷河の上で増殖する雪氷藻類とバクテリアを餌としていることが分かりました。そしてこの氷河には、これらの微生物を食べるトビムシやミジンコまでいました。つまり、これまで無生物的環境だと考えられてきた氷河にも、予想以上に豊かな生態系があったのです。 |
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氷河に、そんな生物の世界が広がっているとは思いませんでした。そして最近ではその氷河での生物活動が、地球環境にも影響していることが分かったとか。 |
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幸島 |
一つは、氷河生態系で虫の餌になっている雪氷微生物が、過去の環境を知る手がかりになると分かったことです。氷河の氷は昔降った雪が固まってできており、降水と大気の化石のような物です。だから、氷河をボーリングして深い部分から氷を取り出して分析すれば、過去の気候や環境を復元することができます。でも、氷河に生物がいるとは誰も考えなかったので、これまでは化学成分や同位体など、物理・化学成分だけが分析されてきました。ところが我々の研究によって古い氷の中には過去に氷河の表面で増殖した雪氷微生物が保存されており、その種類や量が過去の環境を反映していることが分かってきました。例えば、温暖な時代の氷ほど微生物量が多く、暖かい環境に適応した種類をたくさん含んでいる訳です。
また、氷河生態系の一次生産者である雪氷微生物が、氷河の色を変えて、氷河の融解速度を左右していることも分かってきました。地球上で一番白いものは、雪や氷です。そして白いということは、ほとんどの光を反射しているということを意味します。一般的な新雪では、入射光の約97%を反射するので、雪はほとんど溶けません。ところが、氷河の上で増殖する雪氷微生物由来の黒い汚れが氷河の表面を覆うと、 反射率が約5%、つまり入射光の約95%を吸収してしまい、氷や雪がどんどん溶けていくことになります。私が調査したヒマラヤの氷河では、この生物起源の黒い汚れによって、氷河の融解速度が真っ白な時に比べて3倍以上大きくなっていました。氷河の大きさというのは、氷の生産量と融解量の微妙なバランスによって決まっているわけですが、もし、生き物がいなければ、この氷河はもっと大きくなっているはずです。つまり生物の活動が、氷河の大きさをコントロールしているということなんです。
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わずか数ミリの昆虫や目に見えないほどの微生物が氷河の大きさを決定しているんですね。 |
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幸島 |
今、温暖化の影響を一番受けているのはグリーンランドです。世界の氷の約90%弱が南極にあって、グリーンランドはその次に大きく、世界の約10%を占めている場所です。研究する内に、このグリーンランドのごく一部の氷河が生物起源の汚れで黒くなっていると分かりました。今後気候変動が起きると、黒いところが拡大するかもしれません。今、単純に、気温が何度上がると、氷河の氷が溶けて海面が何メートル上昇すると、物理的過程だけを考慮して推定されていますが、これは氷河で活動する生物のことを考慮に入れた数字ではありません。温度が上昇することによって、生物活動が活発になり温暖化を加速する可能性もあるのです。 |
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私たちが想像もしない雪氷環境に小さな虫がいて、その虫の研究が地球環境にまで展開するとはわくわくしますね。
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幸島 |
一つの不思議が次の不思議に繋がるというのが科学の面白さです。それに最近思うのですが、僕ら人間は中温域の生物だから、高温域や低温域に暮らす生物を見ると「どうしてそんな棲みにくいところに」と思いますが、セッケイカワゲラにしてみれば、きっと人間のことを「よくあんな暑いところで生きてるなぁ」と思っていますよ。
生き物というのは、必要があれば低くても高くても、ある程度の気温に適応して生きることができる。たまたま雪氷生物のような生き方の可能性を見つけた種が少ないだけで、論理としては同じです。人間相手でも相手の立場に立って考えるのが難しいんですから、虫の身になって考えるのはもっと難しいでしょう。でも、生物なんて必要があればどんな環境にだって適応します。必要ならそのように進化をするだけですから。そういうことを私達は普段、思い描かないんでしょうね。 |
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インタビュア 飯塚りえ |
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幸島司郎(こうしま・しろう) |
1955年、愛知県生れ。京都大学入学後、山岳部に入部。85年、同大学大学院理学研究科博士課程満期退学。日本学術振興会奨励研究員、同特別研究員、京都大学研修員などを経て、90年より現職。35歳まで無職、と異色の経歴を持つ。理学博士。氷河ボーリングで掘り出したアイスコア中の生物の痕跡をもとに、過去の気候や環境を復元する研究も進めている。 |
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