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私達は手ぶりやしぐさでいろいろな表現をしていますが、そもそも人間の身体表現とは何なのか、また何のためにあるのかということから、お話いただけますか? |
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野村 |
人間は、表現する方法を二つ持っています。「言語」と「しぐさ」です。まずは、それらの表現がどのように生まれてきたかを考える必要があります。
人間とは何ぞやと言うと、それは、直立して二足歩行するものです。他の動物、例えば猿にしても、樹上生活を送るために手足は似たような形をしています。しかし人間は、直立するために「足」を持ち、体を支えるような仕組みになりました。それによって大きく変わった点が二つあります。一つは「手」を獲得したこと。さらにそれによって口が自由になったことです。つまりそれまで口で行っていた、物を持つ、相手を威嚇するといった行為が手で行われるようになって口がその役割から解放され、発声器官が発達して、結果的に言葉の表現に繋がったのです。
一方で、手にも身ぶりという表現が生まれました。口以上に表現力を持つ手ぶりは、何か具体的な行為を示していて「手を出す」という表現があるように、強い決定的な表現になるため、言葉以上に注意して使わなければいけないものなのです。 |
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それは、相手を侮辱するような言葉を発するよりも、手ぶりでそのような意味の表現をすることが、一層忌み嫌わる、例えば、左手で子供の頭をなでるのを非常に嫌がる民族がいるといったことですね。手による表現は、言葉以上の強い意味をもっていて、決定的なものになってしまうのですね。 |
野村 |
ヨーロッパの言語に、男性が女性に求婚あるいは求愛することを「手を乞う」、女性がその求愛を承諾する、つまり相手に身を委ねることを「手を与える」と言う表現があります。手がその人の存在そのものを表しているということです。だから、うっかり手を出してはいけないんです(笑)。手に触る、手を握るという行為も、顔や肩を触るより重要な意味を持ちます。
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そういえば、映画でも手が象徴的に扱われますね。手を握り合うシーンをアップにしたり。 |
野村 |
そうです。象徴的な意味が、そこに入っているから、キスシーンよりインパクトがあるんですね。
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所在のない手 |
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ただ日本では「手は口ほどに物を言う」とはならず「目」が口以上の表現力を持っていますね。 |
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野村 |
日本は、基本的に接触型の文化ではないため、存在としての手の意味が弱いのだと思います。しかし、例えば挨拶で握手をする地域は、ヨーロッパだけでなく中東なども含めて相当に多いんです。そういう所は、手の存在がものすごく大きなものとなっています。実際、西洋人などがやる握手は、日本人が思っている以上に重要な意味があり、その握り方によって、会えてどの程度喜んでいるのか、別れる時には、また近いうちにぜひ会いたいのか、あるいはあまり興味はないのか、などいろいろなメッセージを表現しています。
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日本で手ぶりというと、ピースサインなどが思い出されますね。 |
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野村 |
日本人は身ぶりが少ないので、写真を撮る時の手持ち無沙汰を解消するために、あのポーズが型にはまったのではないでしょうか。元々アメリカのヒッピー文化が発祥ですが、今、アメリカ人にこれをしても分かる人はいないでしょう。
先にも触れたように、手の動きというのは、表現行為に繋がり、意味が過剰になるのです。黙っていても、手は勝手に動いてしまう??手は沈黙せずに、しゃべり続けているから、手の始末というのはかなり難しいんです。西欧の場合は、握手を始め、身ぶりや表現として手を使ったコードがたくさんあり、その使い方を知っていますが、日本人は慣れていない。ピースサインによって、日本の写真文化は救われたところがあるとも言えるでしょうね(笑)。
知人の脚本家によると、日本のテレビドラマや演劇に、食事の場面が多いのは「下手な役者でも、箸とお椀を持たせておけば、ちゃんと様になる」からだそうです。茶碗や箸がないと、ぎこちないと言うんです。これも日本に手の表現が少ないことの一例でしょう。 |
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そうすると、日本における身体表現的なものは何がメインなのでしょうか。 |
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野村 |
日本人の場合、表現というと、まず「抑制」を考えます。どうやって自分の感情や考えを上手に抑えるかを考える。日本人のコミュニケーションの半分は、この抑制の仕方に重きを置いていると言えます。100%自己主張するのは、嫌がられる。人当たりが良い社交上手な人や遠慮上手な人が、表現上手な人とされるわけです。 |
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なるほど。一方で、日本人の身体表現の変化を感じることはありますか? |
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野村 |
表現性が乏しくなったということでしょうか。顔が画一的になってきましたし、話し方も一様になってきたように感じます。日本人の表情や身動きが、今、どんどん受け身になってきているのではないかと思うのです。
受け身というのは相手からの反応を待っている状態です。自分が積極的に働きかけるというのではなくて、何かをされた、何かを言われたことに対する表情。学生にも見受けられるのですが「指示待ち顔」というのかな(笑)。「どうしたらいいのか、教えてくれ」という感じの顔つきで待っている。そういう人が増えたように思いますね。電車の中や、公の場で、自分に働きかけてくる人がいなかったら、反応をしようとしない。逆にいかにして「私は知りませんよ」と言う顔をするか訓練しているようにも感じられます。抑制が強くなってきているとも言えますし、これは言語でもそうですが、思ったことを言っては傷つけるのではと、考え過ぎているのではとも感じます。 |
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