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「人間の脳は、30代から大活躍するんです。」
第28回 池谷裕二さん

脳科学から見た「かしこい」ということ

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池谷さんは、薬学者の立場から脳を研究されていますが、脳科学の視点から見て「かしこい」とは、どんなことだと思われますか?

池谷

「かしこい」という言葉自体、多くの意味があります。一つの価値観で測れないと言いますか、同じ人間でも、ある側面ではかしこく、別の側面ではかしこくないということがあります。結局、かしこいかどうかを判断するのは、周りのシチュエーションとの相対価値で決まるのだと思います。状況に応じて「かしこい」という意味合いが変わってくるのです。ですから「頭が良い」とか「かしこい」ということに対して、絶対的な判断基準はないと考えています。

 
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脳科学の視点から見たときに「頭が良い、悪い」という発想はない、ということですね。

 

 

池谷

はい。というのは「頭が良い、悪い」を決めようとした瞬間に、何をもって頭が良いとするのか、その基準を作らなければいけません。そうして定義をした瞬間に、それから漏れたものは、すべて頭が悪いとなってしまいます。
例えば、偏差値というのも、頭の良さを図るための一つの基準ですが、それを作った瞬間に、その基準では測れない「頭の良さ」が見えてきて、いろいろな矛盾が生じます。あるいはオリンピックの選手と棋士とでは、かしこい、優れていると見なされる場面は当然違いますね。かしこさがステイトに応じて異なるというのは、そういうことだと思います。
サルとヒトを対象に、次々とモニターに生物と非生物の写真を映してそれを分類する早さを見る実験があります。結果は、サルの方が人間の1.5〜2倍位速くこなせるんです。これは恐らく、ヒトがいろいろ考えているからだと思います。ヒトの脳はより複雑なので、その分、複雑な処理をしなければいけない。だから、この実験のような単純作業ではサルよりも成績が悪かったりすることがあるんです。サルもヒトも、一見同じようなことをしているように見えて、脳の中での処理は全然違う可能性がある。でも、この現象をもって、サルのほうがかしこい、という風には言えませんね。

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なるほど。とはいっても、私たちは「あの人は頭が良い」とか「かしこい」と評する時があります。その判断基準は、何だと思われますか?

池谷

「心地良い」というのが、一つの指標になると思います。対話をしていて、相手のレスポンスがすごく早かったり、的確だったり、自分の言いたいことを分かってくれたりすると「心地良い」と感じますよね? 私たちはそういう時に、相手の人を「かしこいな」と思う。ですから「かしこい」かどうかというのは、結局相対的なものであって、最低2人の人間が必要なのです。
一方、脳科学というのは、取り出してきた一個の個体としての脳に向かうものであって、そこに人と人との関係はありません。ですから、脳科学的に見た頭の良さというのは、定義できないんです。

物としての脳の動き

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では、そのような「心地良さ」を感じる時は、物理的に脳は、どのような動きをしているものなのでしょう?

池谷

情報が脳の中に入ってくると、それがいろいろな場所を経由して、大脳皮質という部分に送られ、そこで高度な処理がなされます。感情や心といった、普段、私たちが感じているものは、この大脳皮質によるものだろうと言われています。しかし外から入ってきた多くの情報が、大脳皮質に届かずに途中でシャットアウトされてしまうことが、しばしばあるんです。分かりやすい例では、睡眠中は音が聞こえているにもかかわらず、大脳にはその情報が届いていません。詳しく言うと脳の中心部、視床と呼ばれるところには情報が届いているのですが、大脳皮質まで伝わっていない状態なのです。情報を大脳皮質まで通すか通さないかは、この視床が決めているのですが、脳側からすれば、この視床という門がより開かれている状態…つまり外に向かって集中力や興味が向かっている時は、外から入ってきた情報がそのまま大脳に届いてインプットされている状態なのです。
僕は、脳のインプットの重要性を主張しているのですが、インプットがスムーズに行われている状態が、「かしこい」ことの第一条件と考えています。対人関係において、コミュニケーションがスムーズに行っている状態を「かしこい」とした場合、相手から受け取った情報が視床を通ってダイレクトに大脳に届いている状態と言えるでしょう。

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その時、科学的に見ると、脳の中で何か起きているのですか?

池谷

アセチルコリンという物質が、非常に活発に働いています。時には、ドーパミンや、ノルアドレナリンも活発に働きますが、中でもアセチルコリンが重要でしょう。
アセチルコリンが活発に働いている状態で脳波をとると、特定の周波数の脳波が見られるんです。皆さん「脳波」と言うと、α波やβ波を思い浮かべるかもしれませんが、大脳生理学者は、θ波とγ波を重要視しています。この二つの波は、ほぼセットになって出てきます。θ波は、一秒間に5回くらいの波を持ち、γ波は、一秒間に40回くらいの速い波です。θ波とγ波がほぼ同時に出ている時、脳には外からの情報が大量にインプットされていて、アセチルコリンや神経細胞が盛んに活動している時に活発に見られます。大胆に推定するとそういう状態がかしこい状態であり、その必須状態だと考えています。

 

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そのθ波とγ波は、脳にどのような作用をするのでしょう。

池谷

脳の神経細胞は、一度結合してネットワークを作ると、かなり固く結びつくのですが、この二つの波を組み合わせた電気刺激を与えた時だけ、神経細胞の組み合わせパターンが緩やかになり、ダイナミックに変化するようになるんです。僕は「神経細胞が柔らかくなる」という表現を使っています。つまり、アセチルコリンが働いていて、θ波とγ波が脳波として出ている状態というのは「脳が柔らかい状態」と言え、神経細胞の結びつきが密になったり、つなぎ直したりするのです。
また、アセチルコリンは、この量が高まると記憶力も高まり、これが低くなると集中力や記憶力が低下することが分かっています。人によってリズムは異なりますが、普段の生活では、集中力が高い状態と低い状態というのがあるはずです。このかなりの部分をアセチルコリンが左右しているというか、アセチルコリンで説明できるのではないかと思います。

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体によって脳の働きが変わるという実験をテレビで観たことがあります。左右が逆に見えるような装置を付けて1週間過ごすというものです。最初は、あちこちにぶつかり食事をしてもぼろぼろとこぼしていたのが、そのうちすんなりと動けるようになる。それと同時に脳の活動分野も変化していました。これは身体の形態によって脳の仕組みが決まることがあるということに非常に驚きました。

池谷

そうです。そこまで劇的な脳の変化は、残念ながら、日常生活の中ではありませんが、それでもちょっとした変化は、起きます。普段から利き手ではないほうの手で歯を磨いたり、箸を持つことで、脳の活動の部分が広がったりします。

   

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それは活発な脳にとって良いことですか。

   
池谷

何とも言えないですが、そうやって、できるだけたくさんの分野を使うことは、良いことなのじゃないかと僕は思っています。とりわけ、脳がたくさんの領域の面積を割いている、指や舌を刺激する方が良いのではないかと考えています。
僕自身「脳がこうなっているから、こうしたら良いだろう」と考えて、過ごしてはいます(笑)。例えば、毎日、同じルーチンワークをしなければいけない時も、時間単位で区切ってみたり、栄養というより、脳に気を遣って食事に変化を持たせたり……。それはもちろん、それが脳に良いと信じているからなんですが、実際の効果はよく分かりません(笑)。

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物質としての脳のお話を伺ってきましたが、気になるのが脳とコンピュータの関係です。

池谷

脳とコンピュータの大きな違いは体だと思います。しかし、多くの人がそれを忘れているのではないかと思うのです。例えば、主人公が自分の体を捨ててネットの世界で生きるというアニメがあったり、「電脳」という言葉が流行ったりしていますが、そうした発想が出てくること自体、体の重要性を忘れていると思うのです。コンピュータ至上主義とでも言いますか、一度聞いたことを忘れない、写真のように物事を記憶する・・そうしたコンピュータのような正確性や確実性を脳に要求する傾向がありますが、それは間違っていると思います。
だって人間の脳が忘れやすいからこそ、紙と鉛筆という道具が生まれて、忘れないように紙に書き留めるようになったわけですよね? そうした道具が進化したところにコンピュータの登場があるのではないでしょうか? 苦手分野を補うべくコンピュータを作ったのだから、それはコンピュータに任せておけば良くて、漢字を1,000個、2,000個暗記した……暗記できるのが「かしこい」……そういう考え方自体が、コンピュータ的だと思います。

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その考え方からすれば、記憶力の良い悪いには意味がないということですよね。

池谷

僕は記憶力がないので「記憶力は重要じゃない」というのは、個人的な意味があるのですが(笑)。それを高める重要性というのは、今の世の中ではないと思いますね。
全般に、記憶力が高いと言われる人は、イマジネーションが弱いと言われています。というのも人間のイマジネーションは、記憶力の曖昧なところをつじつまを合わせることから出てきているからだと思います。記憶力とイマジネーション、どちらを取っても、本人の勝手だとは思いますが、今、現在のコンピュータではイマジネーションがないから、人間はイマジネーションを取ったほうがベターではと言っているのですが。

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脳の性質として、勝手にこじつけたものを明確な記憶として意識してしまうところがあるんですよね?

池谷

そうすることによって、記憶の容量が減るんです。写真を見た時に、コンピュータは記憶するドットの数だけデータ量が必要になりますが、脳は、入力された情報を過去の経験に則って分類して「ここはあれに似てる」と、言ってみれば勝手に補っていくんです。そうすると覚えなければいけないバイト数が減りますから、思い出すのも楽なのでしょう。

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その、脳が勝手に記憶を作ってしまうということを示すものとして、ご著書に掲載されていた実験は、非常に衝撃的でした。(『海馬』参照)

池谷

そうして脳が勝手に記憶を作っていくのは、記憶には限界があるからで、それを経験で補うということを脳が行っているんです。実は脳の活躍は30代からが本番だと、僕は思っています。
先ほど、脳は「これに似ている」と過去の経験に即してデータを記録していくとお話しましたが、年を経れば減るほど参照できる事例がたくさん蓄積されていますから。もちろん、それまでの蓄積が重要ではあるのですが、それらの蓄積を生かすことが出来るのは、かろうじて30歳からだと思うのです。20代だと、脳の再編成がまだまだ起きている頃なのです。再編成が起きているということは、神経細胞が減る時期でもあり、記憶が定着しない。それが30代になると、神経細胞があまり減らなくなり、記憶が定着するんです。神経細胞が固まってしまっているとも言えますが、その残った細胞を、いかに上手く使えるかで、その後の脳の働き具合も変わってくるのだと思います。
と言うと、「どうやれば、脳を上手く使えるのか」と問われることもあるのですが、それは人それぞれ価値観が違うので、僕には答えられません。結局は、その人が目指す通りに生きることがかしこく生きることに繋がるのではないかと思います。

インタビュア 飯塚りえ
池谷裕二(いけがや・ゆうじ)
1970(昭和45)年静岡県生まれ。98(平成10)年東京大学大学院薬学系研究科にて薬学博士号を取得。98年から東京大学大学院薬学系研究科文部科学教官(助手)に就任。現在に至る。主な著書に『進化しすぎた脳-中高生と語る「大脳生理学」の最前線』(朝日出版社刊)、『だれでも天才になれる脳の仕組みと科学的勉強法』(ライオン社刊)、共著に『海馬-脳は疲れない』(朝日出版社)など。
 
●取材後記
今をときめく脳研究若手のホープである池谷氏。脳の最先端の研究について興味深いお話をたくさん伺った。左の指を良く使うバイオリニストの脳は、他の人の脳と明らかに違うのだそうだ。ただ、一番印象的だったのは、同じ料理を続けて食べないなど、池谷氏自身が脳に良いだろうと実践していること。たくさん作ったからと言ってカレーが夕食に1週間続くのは、脳にも良くないようだ。
記憶力だけが、かしこさではない
   
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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