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「平安時代の日本人は何百という色を使いこなしていたのです」
第29回 吉岡幸雄さん

脳科学から見た「かしこい」ということ

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日本人は、古来、色に敏感であったと言いますが、今は必ずしもそうではないようです。日常的に使う色の表現も、多くはありません。そもそも人間が「色」を意識し始めたのはどんなところからなのでしょうか?

吉岡

「色」というのは、自然に対する崇拝の中から生まれ、文明の進化とともに発達してきたと言えます。最初は、原野を歩いて川や海から魚を捕る、木の実を食べるといった狩猟採集の生活を送っていた頃の原始的な、自然と共に生きる生活の中で、いくつかの色を意識するようになったのでしょう。
例えば「赤」。太陽の色であり、暖をとるための火の色でもあり、自分の体内を流れる血の色でもあります。「青」は、海や川の色。「黄色」は、稲穂の色であり、木の実の色でもあり、それら植物を育てる大地の色です。それらの色を意識するような文明が発達すると、今度は敬意と畏怖の対象である自然を身近に置こうと考えたのではと思います。
例えば、福井県の若狭湾近くにある縄文時代の古墳からは、真っ赤な土器が出土しています。同じ古墳から、やはり漆で真っ赤に染めた櫛も出ています。ここには、赤に染めて装うという以上に、自然、つまり原始神に捧げるものだったり、近づこうとしたりする思いが、人々の心の中にあったのではないでしょうか?
こうして、人は「色」を認識し、更に文明が進むにつれて色を作り出そうとする動きが発展してきたのですね。弥生時代になり衣服を身につける文化が発展すると、織りの技術も工夫され、それに色をつける動きが出てきました。特に、各部族を治める権力者が登場してきた事、つまり権力構造が生まれた事が色の発展に関係しています。統治者は自分の権力を誇るために、顔に色を塗ったり、衣服も質の良いものを着ようとし始めたのです。これは、今の時代も同じかもしれません(笑)。

 
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その中でも、特別な色があったのですか?

 

 

吉岡

やはり「赤」は、重要な時に用いられていたようです。人が亡くなった時に「施朱」といって遺体に赤色を塗ったり、お墓に赤色を撒いたりした痕跡が見られます。恐らく死者の再生を願って、血液に見立てた「赤」を使ったのだと思います。

仏教の伝来でかわった色の認識

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日本では、仏教が伝来した事で、色の認識ががらりと変わったようですが、具体的にどのような変化が起きたのでしょうか?

吉岡

権力構造の中で、色が発展してきたとお話しましたが、これはほぼ全世界共通で言える事です。金色を始め華やかな色を使う事で、権力を表していたわけです。特に中国の場合、絹織物が開発され非常に華やかな色彩文化、織物文化が生まれました。日本の仏教のベースとなったのは、この中国の大乗仏教です。この仏教は国家権力と結びついたもので「国教」として入ってきました。国教と言うからには、それを多くの人に広めなければなりません。ですが当時はインターネットも、メールも、テレビもチラシもありませんから、文字通りの広告塔をお寺が担ったのです。仏教が伝来した際には、中国や朝鮮半島から様々な職種の職人が来日し、飛鳥寺を建設しました。柱木をむいて朱を塗る、仏像を金色にするなど、当時の人々の色彩感覚から言えば、度肝を抜かれた事でしょう。

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そういえば聖徳太子には、冠位十二階の制があり、位によって色を定めるなど、色が効果的に使われていますね。この制度では、紫がもっとも高い位を表しています。

吉岡

紫色は、暗闇では目立ちませんが、太陽の下では「紫」と認識できます。そうした、光の加減で見え方の変わる色というのが、高貴な色とされる事があります。仏像も同じですが、薄暗いお堂の中にたたずむ金色の仏像を想像してください。射し込んできた光によってパッと表情が変わるでしょう? 例えば平安京にある紫宸殿は、即位など重要な行事が行われる場所ですが、ここは天皇がお出ましになる部分が少し高くなっています。その下には、白砂が敷いてあり、そこに家臣が並ぶ。天皇は音楽などに合わせて、薄暗い建物の中から表れてくるわけです。始めは闇に紛れてぼわっとしたシルエットが浮かび、太陽の元に出てくるとパッと美しい紫が見えてくるというわけです。

   

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カリスマ性を出す一種の演出だったわけですね。色が政治権力と密接に関わっているのがよく分かります。

 

吉岡

平安時代になると、更に色が発展しました。一つの日本らしい形が出来てきたといってもいいでしょう。
それ以前、奈良時代までは、建物などを見ても、中国や韓国に追いつけ、追い越せという意識が強い印象を受けます。ところが平安時代になると、ひらがなの発明があり、それを用いて歌を詠むようになります。その時、主題となったのが季節感でした。日本の四季の移り変わりを楽しみ、尊び、歌に表現していったのです。そして、そこに色も加わりました。自然と色と人間の生活はイコールですから、例えば、桜の季節には桜の色の着物をまとい、山吹の花が咲く季節には山吹色の服をまとう。そうして季節感を出す事が教養と見なされていたのです。
でも「桜の季節には、皆、桜色の着物をまとっていたのか」というと、そんな事はありません。宮中の人は皆、工夫した桜襲を着てくるんです。中には、季節を先取りして、やまぶきを着てくる人もいるだろうし、桜と柳を合わせたりする人もいたでしょうね。そうやってセンスを磨いて競うんですね。

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現代の生活では「桜の季節だから、桜色を着よう」と考える人は少ないでしょうね。

吉岡

清少納言は「なんて恐ろしい事なんでしょう。4月なのに、紅梅色の着物を着ているなんて」と書いています。季節音痴な人は、そんな風に扱われてしまうんです。
平安時代とは、いわば季節を感じる事が教養であり、それにまつわる儀式においての色選びが、ひとつの仕事でもあった時代です。そうした背景があって、日本の色というのは発展したのではないでしょうか。
他にも『源氏物語』は、色についての描写が非常に細かい。私は『源氏物語』を色の物語だと思っているくらいです。作者の紫式部は、平安朝の人がどういうシーンで、どういう色の着物を着ているのかを詳細に書いていて、秋口に、萩や女郎花の色の着物を召している事が「時に合いたる」、つまり「時節に合って素晴らしい」などと言っていますし、紫の上や藤壺など、主要な登場人物は、紫を連想させる名前が必ずついているんです。

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光源氏を軸とした登場人物の関係が、色で表現されているなんて興味深いですね。

   

吉岡

平安朝の人は、本当によく色を使いこなしています。色の名前も300から400色くらいあります。『源氏物語』の他に、『栄華物語』、『枕草子』にも色がたくさん出てきます。それだけ、色にこだわっていたという事です。

   
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現代の人の色の感覚をどうお感じですか。

吉岡

皆、色を使うのを怖がっているように感じます。まず黒が多過ぎますね。一つは化学染料の影響もあるのかもしれませんが、色の使い方を知らないのでしょうね。私は染めを色彩学を教える機会がありますが、その時に良く「自然の色を見なさい」と言います。自然は色の宝庫ですからね。

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吉岡さんがなさっている古代染めとはどのようなものなのでしょう。

吉岡

古代染めのルーツは、弥生時代まで遡る事が出来ます。権力者が、目立つ色を求めた事から染色が始まったとされています。工房では、染めの原料となる木を削ったり、染料となる植物を畑で育ててるところから行っています。これも昔の人がやってきた事。稲作など食料の栽培からはじまり、染色の発展とともに染料や繊維の材料となる植物も栽培するようになっていました。更に大陸から染色や織りの技術が入ってきた事で、日本での「衣」は、だいたい1500年前にはほぼ完成していたと言えます。だから私の仕事は、その時代と変わらないという事ですね(笑)。
最近は、染料と体の関係も研究され始めているんですよ。皆さんあまり気付いていませんが、毎日着ている衣服を通して、皮膚から入っていくものが体に影響を与えているんです。食べ物を口にするのと同じです。例えば昔は、紅染めの肌着を付けていましたが、紅は血行をよくする作用があるため、長時間身につける事で循環機能を高める効果があったんです。

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当時、人々はその効果を知っていて、紅を用いていたのでしょうか。

吉岡

そうです。現代のように化学的根拠はなくとも、経験からそれを選んでいたのです。実は、植物染料というのは、漢方薬と共通する材料が多いんです。紫色の原料となる紫恨(しこん)も、古くは紫雲膏という火傷の塗り薬として使われていたもので、新陳代謝が高まるという理由から、今でも化粧品にも使われていますし、藍の匂いは虫や蛇が嫌う作用があるので、野良仕事の時には持ってこいですね。

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精神的な豊かさと、物理的な豊かさと、色には深い意味があるのですね。今日は有り難うございました。

インタビュア 飯塚りえ
吉岡幸雄(よしおか・さちお)
1946年京都生まれ。染師。生家は江戸時代から京都で4代続く染屋。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社を設立。88年生家「染司よしおか」を継承。毎年、東大寺お水取り(修二会)や薬師寺花会式の造り花の染和紙、石清水八幡宮放生会の和紙の造り花を植物染で奉納。法隆寺伝来の「獅子狩文錦」を復元するなど、文化財の修復も手掛ける。主な著書に『日本の色辞典』(紫紅社刊)、『日本の色を染める』(岩波書店刊)、『京都色彩紀行』(PHP研究所刊)など多数。
 
●取材後記
吉岡氏の著書には、466色にも上る古来の日本の色が紹介されており、見ているだけで、なるほどこの色はこういう名前が付いているのか、と感心する。色を説明する時に的確に表現できずに、何とももどかしい思いをすることがあるが、これだけの色を区別し、使い分けていたことを考えると古代の人の暮らしの、何と豊かなことか、と感心するばかりだった。
記憶力だけが、かしこさではない
   
撮影/海野惶世 イラスト/小湊好治 Top of the page

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