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海野さんは、昆虫の目線で昆虫を撮影してらっしゃいますが、そもそもなぜ昆虫に注目されるようになったのでしょうか? |
海野 |
生まれた時から、虫が好きだったんです。だから、なぜ虫を好きになったのか分からないんですよ(笑)。「虫には、人間のつくりだせない色をつくる能力がある」とか、いろいろへ理屈を並べてはいましたが、本当は虫がとても面白かっただけなんです。ただ大人になった今、改めて考えてみると、僕は、昆虫の多様性に惹かれていたのだなと思います。おもちゃなんか比べものにならないくらい、いろいろな種類の昆虫がいますからね。
今、日本では約3万種の昆虫の名前が知られており、知られていないものも含めると10万種類くらいいると言われています。世界的には約100万種の昆虫がいて、更に名前が知られていないものを含めると、1000万種類くらいいるだろうと言われているのです。すごい数です。そして、それぞれが違った生き方をしているのです。
僕らは、人間という一種類の生き物ですが、かなり近い仲間にゴリラやチンパンジーなどがいて、皆、違う生活をしています。似た者同士が同じ所で同じような生活をしていたら、必ず喧嘩が起きますから。昆虫でも全く同じ。つまり数万種類いるということは、数万通りの違う生き方をしているということ。だからこそ、これだけ多様なのです。
全部の昆虫を見ようと思ったら、一生あっても足りないですよ。僕は今、58歳ですが、5歳の頃から毎日一匹、新しい昆虫を見たとしても、1万8000種類にしかならない。日本には3万種類いますから、生きている内には無理でしょうね(笑)。実際は、これまで3000〜4000種類くらいを見たと思います。
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昆虫の場合、なぜそうした多様な生き方が可能なのでしょうか。 |
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海野 |
虫は小さいから(笑)。例えば、今、目の前にが120cm幅のテーブルがありますが、人間ならばここに向き合って4人座れます。しかし、ここに蟻が同じように向き合って座ったとすれば、何匹座れると思いますか?
よく公園などで見かける黒い蟻の体長が5mm〜7mmくらいですから、私達の身長の200分の1くらい。座ったときの巾も、僕達の200分の1と仮定すると、このテーブルに蟻は800匹座ることができる。蟻にとってみれば、この120cmという幅は、240mに相当することになるわけです。だからこそ、狭い日本でも、虫たちにとってみれば無限とも思える土地があることになる。
もちろん、活動範囲が重なる場合も出てきます。その場合は、活動時間をずらしたりして、上手に互いの生活が重ならないような仕組みを作っていく。利用できるものは、ありとあらゆるところを利用するというのが昆虫。だから昆虫を見ていると、本当に嫌になるくらい合理的な生き方をしているものが多いんです。
ところが、すべてがシステマティックに合理的かというと、そうではありません。例えば、擬態(カモフラージュ)がその一例です。
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擬態は、海野さんがライフワークとして撮り続けていらっしゃいますね。 |
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海野 |
昆虫の一番好きなところが擬態なんです。例えば、芸術的とも言えるほどに、姿や形、色を葉っぱに似せていく。そんなに似て、どうするのかというくらい、似ようとする(笑)。しかも、葉っぱに似せるがために、体をどんどん薄くしていった結果、飛べなくなった虫もいる。そんなことして何になるのかと、お思いでしょう?
飛べなくなるくらいまで体を薄くせずとも、早く歩いて逃げればいいじゃないかと思うのだけれど、一旦そうした進化の方向をみつけると、とことん突き詰めてしまうのも昆虫なんです。
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種類の数だけ、生き方がある昆虫の多様性 |
海野 |
今いる昆虫は、すべて進化の袋小路にいるとも言えます。僕らから、新しい猿へと進化しないのと同じこと。もちろん小進化は起こるでしょうが、今の僕たちの頭の中身って縄文時代の人とあまり変わらないのじゃないかと思うんです(笑)。ただ縄文時代と現代が大きく異なるのは「環境」です。人間の文化というのは、積み重ねられた歴史の上で、多様な価値観をつくってきたわけです。だからいろいろな人がいて、いろいろな考え方があって当たり前であり、その多様であることが面白い。
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これまで数々の昆虫に出会った中でも、特に印象に残っている昆虫は何でしょう? |
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海野 |
一番驚いたのは、蛾の仲間の「ムラサキシャチホコ」です。写真を見てください。どこにいるか分かりますか? |
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落ち葉の山にしか見えないのですが……。 |
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海野 |
この中央にいるんですよ。蛾ですから、羽を屋根型に閉じて、落ち葉に止まっているのですが、どう見ても丸まった落ち葉にしか見えないでしょう?
でも、これはムラサキシャチホコの羽に描かれた模様、つまり平らな紙の上に描かれた絵と一緒です。今見えているのは、片側の羽ですが、上手な画家が描く「丸まった落ち葉」そのもの、いやそれ以上かもしれません。ちなみにこの蛾は、比較的どこにでもいます。
他にも素晴らしい擬態を見せる昆虫はたくさんいます。例えば、自分がついた植物の成長に合わせて、擬態を繰り返していく蛾の幼虫もいます。葉っぱの形や茎の色に合わせて変化していくんです。自分で葉っぱを食べて、その食べかけの模様まで真似つつ葉っぱに似せる芋虫なんてのもいますね。
マレーシアに行った時に出会ったのは、木の幹に擬態するキリギリスの仲間です。 |
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苔が生えていますが、どこにも虫の姿は見えません……。 |
海野 |
その苔の部分にいるんです。ちょうど羽を広げて幹にくっついている状態なのですが、どこからどこまでが虫か分かりませんね(笑)。羽に、苔の模様がついているんです。まるで本物の苔が生えているかのようにその模様が、立体的に見えるでしょ? |
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こうした昆虫は、自分の体の姿、形に合った場所を選んで止まっているのでしょうか。 |
海野 |
僕の見たところ「心地の良いところ」というのがあるようです。このバッタにとっては、苔が生えたところが心地良い場所。そうでない場所に移動させると、すぐに場所を変えてしまいます。このバッタがいるのは、標高が高いところで周りに苔が生えたところが多いということもありますが、それをどのように判断しているのかは分かりません。昆虫というのは、鳥に食べられるためにいるようなものですから、なるべく食べられないようにしなくてはいけない。それには、隠れるのが何といっても一番。それで、こうした擬態をするのでしょう。 |