ナビゲーションを読み飛ばすにはここでエンターキーを押してください。
COMZINE BACK NUMBER
音楽には憎悪さえも解きほぐす不思議な力があります
第31回 二村英仁さん

人に手を差し伸べるのはごく自然な行為

−−

二村さんは、ヴァイオリニストとして数々の演奏会や音楽コンクールで活躍されています。と同時に、日本人初のユネスコ平和芸術家として、世界各地でチャリティーコンサートを開催されていらっしゃいます。まずは音楽との出会いから伺えますか。

二村

僕がヴァイオリンを始めたのは4才の時です。父が音楽家である影響もあるかもしれませんが、物心ついた時にはすでに音楽を始めていたように思います。「自分が、何をしたらいいのか分からない」という若者が増えているようですが、僕の場合は、自分が将来どういったことをやっていこうかと考える前に、道がつけられていたと言えるかもしれません。
音楽に出会えたこと、またそれを生業にして生きていることについては、とても誇りに思っています。自分が本当に好きなものを、自分の職業にして、自分の生活のベースとして続けていられる……これほど幸せなことはないと感じています。

 
−−

音楽の道を歩み続けていくことに対して、迷いや抵抗のようなものはありませんでしたか? 例えば、本当はパイロットになりたかったとか。

 

 

二村

小さい頃、新幹線の運転手になりたいと思ったことはあります(笑)。ただ幸いなことに、ヴァイオリンをやめたいと思ったことも「本当は音楽家じゃなくて、これになりたかったんだ」ということもないんです。音楽家の中には、一度活動をやめて、しばらくブランクがあって、復活するという方もいますが、僕はそういう事がありませんでした。もちろん、辛い時はありましたし、それは今でも同じです。でも、そこで負けたくはないんです。音楽的な壁というのは一つクリアしたと思ったら、次の新しい壁が出てきます。そこに限りはなく、追求していくことが大切であり、また楽しく、面白いことでもあるのです。

−−

1995(平成7)年、「IMCJ 国際音楽コンクール」で第1位をとられた翌年、紛争のあったサラエボでチャリティーコンサートを開かれています。音楽家として世界的に活躍されている中で、社会的な運動に目を向けられたのは、何がきっかけでしょうか。

二村

子供の頃、夏休みを利用して毎年ヴァイオリンのレッスンのためにアメリカに行っていました。その後、ヨーロッパなどに出かけることも増えました。欧米の音楽家仲間と接して感じたのは、皆が当たり前のように社会的な活動に何かしらの形で参加しているということです。日本では席一つ譲るにも、まだ何となく躊躇しがちですが、欧米では、困っている人がいたらその人に手を差し伸べようという意識が強いと思います。私の活動も、周囲のそんな様子を身近に見ていたことと関係があるかもしれませんね。

−−

ご自身の活動も、そうした自然な流れの中にあるのですね。

二村

そうです。争い事というのは世界中で絶え間なく続いていて、その都度、政治的に力がある人たちがさまざまなメッセージを送っていますが、解決しないことがたくさんあります。ましてや単なる音楽家である僕らがいくら平和を呼びかけるメッセージを発信したところで、簡単に何かが変わるわけではありません。でも、一つの助けにはなるかもしれない。それぞれ個人が持っている能力を以て、努力を積み重ねていけば、何か大きなことに繋がるだろうと思うのです。
音楽で、直接に平和を作ることはできませんが、しかし音楽を聴いたことで、心が浄化されたり、豊かな気持ちになったり「争い事がない環境だからこそ、音楽が聴けるのだ」という気持ちを持ってもらうことはできます。やはりそうした想いは、内戦があった場所にいる方…生きるか死ぬかという場面をくぐり抜けた人たちの方が強いでしょうね。僕たちの演奏を、本当に喜んでくださいます。

−−

失礼ながら、ユネスコから平和芸術家に任命されたことで、そうした活動を始められたと思っていました。しかし、それ以前から自発的にチャリティーコンサートなどをなさっていたのですね。

   

二村

ええ、そうです。平和芸術家に任命された直後は、自分に何ができるか考え続けました。抽象的なことではなくて、具体的に見える形のあるものをやりたいと。音楽自体、非常に抽象的なものですし、偽善的だと捉えられることもあります。ですが自分でできること…僕の場合は演奏することを磨いていくことで、何かの役には立つと思い、世界各地に赴いて演奏活動を続けています。これまでイスラエルやパレスチナ自治区などでコンサートを行いました。

−−

そうした場所でコンサートを行うというのは、普段の演奏とは随分、勝手が違うのではと思いますが、いかがですか。

   

二村

確かにサラエボなど内戦があったような場所では、街中を歩いていてもまともに窓ガラスがはまったビルがひとつもなかったり、会場の楽屋のガラスがなくて、ビニールが張ってあったりという状態でした。ただ、演奏する時というのは音楽に集中していますから、そうしたことは関係ないんです。音楽家というのは、いったんステージに上がったら、そこに完全に集中しなければなりません。そうしないと、音楽が持っている人の心に訴える力というのは、生まれてきません。
よく「何かメッセージを伝えたいと思いながら演奏しているのか」と聞かれますが、そんなことはありません。人の心を揺さぶる音楽は、そんなに簡単に出てくるものではないんです。極論すれば、演奏家というのは作曲家の書いた音楽を忠実に再現するための媒体です。もちろん、そこに各自の演奏のスタイルやキャラクターという要素が加わりますし、それぞれの解釈の仕方も違います。ですが、いざ演奏する時というのは、その音楽の本質を、皆さんに聞いていただく、ただそれだけを考えて演奏しているので、そこに音楽以外の「こういうメッセージを伝えよう」といった何か他のことを挟む余地はないんです。

 

−−

音楽に国境はない、とはよく言われますが、その点ではいかがですか。

二村

確かにそういうことは言えると思います。言葉が通じなくとも、文化や習慣が違っていても、良い音楽であれば観客は耳を傾けてくれます。皆さん、素晴らしい音楽を聴いた時に背筋がぞくっとした経験があると思うのですが、そういう感覚には国境はありませんね。特に子供たちの反応は正直で、良い音楽であれば、それまで大騒ぎをしていて「果たしてこれで聴いてもらえるのだろうか?」と思っていても、音が出た瞬間にシーンとなって目をキラキラとさせて、じっと音楽に耳を傾けてくれます。我々、音楽家にとって非常にうれしいことです。しかし、ただ音を並べているだけではだめですし、演奏のレベルが低かったら、伝わりません。音楽は生き物。その瞬間にしかないものだからこそ面白いんです。

−−

そういう中で、自分が貢献できたかなという手応えを感じた瞬間というのはありますか。

二村

難しい質問ですね。
演奏を非常に喜んでいただけたのだなということは、後からじわりときます。演奏が終わった瞬間というのは「あそこがうまく行かなかったから、帰ってもう一度練習しよう」とか、やはり音楽のことしか考えていません。音楽家として、そうでなければいけないと思うんです。繰り返しになりますが、我々は演奏する側ですから、その立場に徹しなければ、そこに「音楽」は生まれません。

−−

二村さんのCDには『音楽にできること』というタイトルのものがあります。音楽で表現したものを言葉で表すのは難しいと思いますが、具体的に音楽には何ができるとお考えですか。

二村

音楽というのは、我々人間の豊かさや人に対する思いやり、自分の心の中にある優しさといったものを引き出して憎悪すら打ち消す不思議な力を持っています。僕自身は、音楽があったからこそ出会いがあったわけですし、音楽があったからこそ厳しい世界も見ています。
時々、「音楽なんて本当に必要なのだろうか」と思ったりもしますが、いざ、この世の中から音楽がなくなってしまったら、これほど辛い世界はありません。音楽には究極の美が存在すると思うのです。その世界を垣間見たいといつも思っています。

−−

ご自身の音楽活動だけでなく、海外の若手の芸術家に演奏の機会を提供する「ユネスコ アートブリッジコンサート」のプロデュースも手掛けられていらっしゃいますね。

二村

異なる活動に思えるかもしれませんが、基本的にすべて自分の演奏というものが介在しています。なぜならやはり自分が音を出さないと、自身のアイデンティティが確立されませんし、若手の芸術家を招聘するにもしても、一緒に何かを作り上げていきたいのです。その中でできる可能性を探っていきたいと思いながら活動を続けています。
今年に入って「カルチャーブリッジ」というNPO法人を立ち上げました。これまで続けてきた社会的な活動の集大成と言えるかもしれません。海外の若手の演奏家を招いたり、各地で開催される演奏会の際に、例えば病院などを訪問したり……そうした、今、僕たちがやっていることに賛同していただける方々と一緒にやっていきたいと思い立ち上げたものです。これまでの活動の延長にあって、無理のない形で続けていくつもりです。

−−

音楽家として、今後どのようにありたいとお考えでしょうか。

二村

一人でも多くの方に私の演奏を聴いていただきたいので、出来るだけ長く演奏し続けられる事が理想であり、夢です。自分の音楽性を深めるために社会のものごとを見たり、いろいろなものを吸収したい。年齢を経て体力は落ちてくるでしょう。ですが一方で、何かを理解する力というのは年をとるごとに深くなっていきます。その心と体のバランスをどうやってフォローしながら演奏家としていられ続けるか、楽しみですね。

人の心を解きほぐす音楽の力
 
インタビュア 飯塚りえ
二村英仁(にむら・えいじん)
1970(昭和45)年東京生まれ。4才よりヴァイオリンを始める。東京芸術大学附属高校を経て同大学卒業。海野義雄、澤和樹、田中千香士、江藤俊哉の各氏に師事。95(平成7)年 IMCJ 国際音楽コンクールでの優勝後、96(平成8)年より主に海外において演奏活動を開始。サンクトペテルブルグ・フィルハーモニア大ホール、アムステルダム・コンセルトへボウ、ザグレブ・リシンスキー大ホールなど世界のコンサートホールで成功を収め、イギリス、ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団と共演を果たす。日本人初のユネスコ平和芸術家。
CD作品に『音楽にできること』『時空をこえて』『スカーレット・メロディ〜緋色の旋律』(共にソニークラシカル発売)。
 
●取材後記
端正な顔立ちで、女性ファンも多い二村さん。お話の合間には世界を旅した際のちょっとしたエピソードや飼い猫の話などで盛り上がった。そんなお話の延長で、ご自身の平和への活動について語っておられるのを見ると、二村さんにとってはこの活動が実に自然なことであるのがよく分かる。そして私たちの一人ひとりが「自分ができることをする」だけで、もっと良い世界になるのではないかと思いを新たにした。
撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

月刊誌スタイルで楽しめる『COMZINE』は、暮らしを支える身近なITや、人生を豊かにするヒントが詰まっています。

Copyright © NTT COMWARE CORPORATION 2003-2015

[サイトご利用条件]  [NTTコムウェアのサイトへ]