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たくさんの失敗が成功を生むんです
第33回 岡野雅行さん

常に人と違うことをやらなくちゃ面白くない

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岡野工業は次々に革新的な取り組みをされています。最近では、グッドデザイン大賞に選ばれた、テルモの「ナノパス33」というインスリン用の極細注射針を作られるなど、その活躍は世界にも知られています。最初は、金型業からスタートしたそうですね。

岡野

親父が金型業を営んでいたんです。父親に怒鳴られながら、金型作りの仕事を覚えましたね。でも金型作りっていう仕事は、ちょっと割に合わないところがあるんですよ。
金型っていうのは、部品を作るための型。その型を使って部品を生産するのがプレス加工なんですが、金型作りは頭を使う割には、手間もかかってあまり儲からない。それでプレス加工も手掛けようと親父に提案したんです。そしたらものすごく怒られましてね。「今までのお得意さんの仕事を取るようなことはさせない」ってものすごい反対に遭いました。
でも僕だって何も、闇雲にプレス加工をしようと言ったわけじゃないんです。もちろん、プレス加工も手掛けたほうが儲かるだろうということはありますが、それだけでなくて、直接メーカーとやりとりすることで、メーカーが何を考えているのか、直接情報を得ることができるし、仕事としても面白いだろう、と思ったんですね。
だから「今までのプレス屋が、出来ないものをうちでやればいいじゃないか」って言ったんですが、父親は「うん」とは言ってくれませんでしたね。

 
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プレス加工に進出することが、ルール違反だということですか?

 

 

岡野

そう。親父には、そういう考えがあったでしょうね。それで、じゃあ、昼間は家業を手伝うから、夜だけ工場を貸してくれ、って頼んだんです。ところがそれも「おまえに貸してもロクなことがないから」って言われて、また大喧嘩。この件で、父親とは2、3年喧嘩し続けてましたよ(笑)。そんなこんなで、ちっとも埒が明かなかったんだけど、母親が「雅行は幼稚園も3日で辞めちゃったし、どうせすぐ飽きる」って間に入ってくれたんですよ。

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幼稚園を3日で?

岡野

そう(笑)。そういう実績を作ってしまっててね。ただ、それで折れて工場を貸したのが、親父の運の尽きですな。それからは、他のプレス業者がやりたがらないような仕事でも、どんどんやらせていただきました。

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そういう仕事から、今のような大きな仕事を受けるまでに成長するきっかけがあったのですか?

岡野

僕が真面目にやっているからと、ある会社を紹介してくれた人がいるんです。行ってみるとそこの工場長が「うちの製品の付加価値を上げたい」と言う。その工場でもある部品を作っていたんですが、今のままじゃ先細りになると考えて、新製品を検討していたんですね。ただ、そこの工場は、金型の経験もプレスの経験もないと言う。なら一緒にやりましょうってことになって、それからはもう、一生懸命いろいろなものを作りましたよ。

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岡野工業が手掛けたものに、携帯電話のバッテリーケースや、ウォークマンに使用するリチウムイオン電池があります。そうした製品を作るには、高度な技術が必要かと思われますが…。

   

岡野

数十年前にステンレスでライターケースを作った経験があるんです。ステンレスっていうのは扱い難くて、当時もどれほど失敗したか分かりませんよ。でもそのライターケースの経験があったからこそ、リチウム電池が作れたんです。とはいえライターの加工自体はこの辺の工場なら大体どこでも出来ると思いますよ。

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ということは、ライターが誰にでもできるなら、そのノウハウで作るリチウム電池も他の町工場でも作れるのではありませんか。

   

岡野

できますよ。他の工場ができなかったのはシステム化です。電池を作るのに10工程かかるとするでしょう? そうすると機械は10台必要だし、人も10人必要になる。そんなんじゃ大量生産できないんです。そこで僕は、材料を入れれば完全自動で、だーっと出来てしまうシステムを作ったんです。それが脚光を浴びて、あちらこちらから電池の注文が来ましたね。
実際、ライターケースの加工は確かに難しいけれど、やろうと思えば、どこの工場でもできるでしょう。その位、日本の町工場っていうのは技術は持っているんですよ。ただ、このリチウム電池は、月に700万個、不良もなくいつも安定した数で提供する必要がありました。だから僕は、この製品専用の自動機械を作ったわけです。他の工場は皆、そこまでできなかったんですね。
僕がそこに踏み込んだ理由のひとつには、金型屋がプレスをやってるって軽く見られていたこともあって「今にひっくり返るようなモノ作ってやるぞ!」っていう意地があったんですな。どっちにしても、皆と同じっていうのがどうも嫌いで「隣がやっているから俺もやろう」ではなく、皆と違った考えで仕事をしようって強い思いがありましてね。そうやって、人と違った事ばかりやってますよ。

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ということは、私たちがウォークマンを使えたのは、社長のおかげなんですね。

岡野

そうですよ!(笑)そうやって、ウォークマンの電池から携帯電話のバッテリーケース、今なら電気自動車のバッテリーケースも作りましたよ。それからガスを感知するコンロがあるでしょう? そのセンサー部分のカバーも、うちが最初に作りましたよ。それにくだんの「痛くない針」ですね。

 

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ちょっとくせがあって、難しそうな製品となると「岡野工業頼み」になるようですが、これまで失敗したものはありますか?

岡野

失敗があるからこそ成功があるんですよ。失敗したら、その原因を突き詰めて改良していく。だから、今まで、引き受けて出来なかったものはありませんよ。
今まで、開発研究に一番時間がかかったのは、7年半ですが、最後には成功させました。今、引き受けている仕事も、5、6年先に完成予定なんです。

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注射針の開発には、時間がかかったと伺いました。

岡野

大体4年位です。世界で初めてという製品だから、開発にその位の時間がかかるのは、当然だと思いますよ。実際、この針のメーカーの担当者は、僕のところに来るまでに100社は回ったそうですから。それで皆に断られてうちに来たんですよ。長さが20ミリ、外径200ミクロン、穴の直径が80ミクロンという細さですからね。実際、図面を見せてもらって、僕の方式でやってみたいなと思ったんです。

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その針のイメージは「蚊が指す」ようなものだと表現されたそうですね。

岡野

要望をいろいろ聞いていると「じゃあ蚊と同じだろ」って事になりましてね。担当者も「そうです」なんて事から始まりましたよ。
今までの針っていうのは、大まかに言えばパイプを切って先を尖らせるだけでした。だから先端も根本も同じ太さ。でもこのメーカーは、根本が太くて先端が細くなる形で作ろうとしていたんです。そんな形の針は、これまで存在していなかったし、単純に針を細くしたら良いって話でもなくて、先端を細くすると、液が管の中を流れる時の抵抗が増して、液が出なくなっちゃうという問題もクリアしなくてはいけない。このメーカーでは元を太く、徐々に先を細くしていくという針の図面を描いたんだけど、その設計を実現する人がいなかったわけです。
それで、うちでは、パイプではなくて一枚板を丸めて針を作るという方法を編み出したと、こういうわけです。

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作った針をご自身で試してみたりしたのですか?

岡野

もちろん刺してみたけど、何ともないですよ。
糖尿病の人は、一日に何回も注射針を使って治療薬を打たなきゃいけないわけです。打つ時の痛みもがまんしなけりゃならないし、何回も打っていると肌にも負担がかかって、固くたこができちゃう。でもこれなら、その負担を少しでも軽くできます。まあ、中には「痛くないと注射じゃない」なんて変わった人もいますけど(笑)。
今は、依頼主のメーカーに技術指導しているところです。

   
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世界特許まで取得していながら、その製品を独占しないのですか?

岡野

どんどん進化していくことのほうが重要でしょう。そのためには、中にあるものは外に出さないと新しいものが入ってきませんよ。出していかないと新しい注文も入ってこないんです。

   
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昔のものは手を離して、新しいものに取り組み続けると。

岡野

そう。完成したものは、ノウハウもソフトも外に出す。できたもので満足して、それでずっとやろうと思ってちゃ、成長が止まってしまうんです。どんどん進化して、どんどんそのノウハウを渡していく。それにうちは従業員が6人しかいませんから、全部やろうと思ってたら会社が大きくなっちゃいます。

   
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会社を大きくしたくないとか。

岡野

大きくしたって、しようがないでしょ?そりゃ永遠の命があるなら別だけれど、限られた時間しか生きていられないんだから、僕は6人の会社で十分なんです。大きくしようと思えば、明日からでも200人、300人の会社にできるでしょうが、人を使って苦労するのはつまらないし。僕は自分のために仕事をしてるんですよ。
人ができないものを作るっていうのは、一種の優越感ですね。たとえるなら、大学病院に行っても治らないっていう病気を、うちが治しちゃうってこと。人間ってのは、やっぱり心の生き甲斐を感じないといけないと思うけれど、それが僕の場合は、仕事なんですよ。

   
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岡野工業は、画期的な仕事をして元気いっぱいですが、町工場全体は沈滞気味です。何か打開策はあるのでしょうか?

岡野

日本の中で町工場というのは、一番力があるところでありながら、光が当たらないし、重きが置かれていない。でも成功している会社ってのは、町工場の力を借りているところが本当に多いんですよ。最近では、製造業が東南アジアに移行しているって言うけれど、誰にでもできる技術の必要のない仕事がそうなるのは当然のこと。それにしがみつかず新しいことをどんどんやっていかなくちゃだめです。そしてどんどん失敗する。それが成功に結びつくんですよ。

新しいものに挑戦するために完成した製品にはこだわらない。
 
インタビュア 飯塚りえ
岡野雅行(おかの・まさゆき)
1933年東京生まれ。岡野工業代表社員。45年向島更正国民学校卒業。金属深絞り加工の世界的職人として知られ、従業員数6人の工場に、世界中の大企業やNASAなどから依頼がひっきりなしに舞い込む。60年代からプレス加工分野にも進出。液漏れしないリチウムイオン電池のケースを開発して携帯電話の小型化に貢献。2004年秋の勲章「旭日双光章」を受章。著書に『俺が、作る』(中経出版刊)、『町工場こそ日本の宝』(PHP研究所刊)など多数。
 
●取材後記
豪快な下町の親父という感のある岡野氏。話が分かりにくいだろうと工場を見学させていただいた。ここで千以上の新製品が生まれ、私たちの暮らしを変えているんだと思うと、何やらワクワクしてくる。今は、何年後かに発売されるであろう画期的な自動車部品の開発に取り組んでいるとか。製品が世に出た時にはそれと気づくことなく、その便利さを享受するのだろう。日本の技術は声高に主張することなく、がっちりと私たちの暮らしを支えている。
撮影/海野惶世   イラスト/小湊好治 Top of the page

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