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曲について少しで良いから予備知識を持つということがひとつの手がかりになって音楽の楽しみ方も変わりますね。他にも、音楽を楽しむ方法があるのでしょうか? |
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青島 |
私はクラシックを楽しむには3つの方法があると思っています。一つは、今お話したように「曲」から入っていく方法。もう一つは、雰囲気やTPOから入っていく方法。3つ目は、演奏家のファンとして入っていく方法です。
まず「曲」ですが、いかめしい気分になりたいからベートーヴェンを聴きに行くとか、明るい世界に浸りたい時はモーツアルトを聴きに行く、といったように、作曲家による曲の違いを知ることで更に楽しくなるでしょう。
ベートーヴェンは、とても激しい性格の持ち主で、真面目な人だったようです。ベートーヴェンの曲というと「楽しそうだ!」という印象よりも、激しく、暗いものだと考えるでしょう。 |
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ベートーヴェンは、耳が聞こえなくなるという不運に見舞われていますが、それも作品に影響を与えているのでしょうか。 |
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青島 |
そうですね。『田園』は、ちょうど耳が聞こえなくなった時に書いた第五シンフォニー『運命』の後で作られたものです。『運命』は、皆さんご存知のように暗い曲です。では、その直後の『田園』は、なぜ明るい曲なのか。
彼の日記にも書いてあることなのですが、彼は耳が聞こえなくなることによって、音が聞こえなくなるのが怖かったわけではなく、作曲家として周りが自分を哀れんだり、あざ笑ったりするのではないかと不安になっていたのです。ところが、耳が全く聞こえなくなっても、想像していたようなことは起きなかった。本人がその時点で音楽の勉強を終えていたから、音符を読めば曲が分かるようになっていたことも、救いだったのでしょう。
暗いと言えば、むしろシューマンの方がそうかもしれません。彼は、ベートーヴェンが亡くなってから作曲を始めたロマン派の一人ですが、もともとはピアニストを目指していました。ところがピアニストになるためのトレーニングによって、指の腱を切ってしまった。漫画の『巨人の星』で、星飛雄馬が大リーグ養成ギプスを付けていたのと同じように、薬指を上からゴムで吊って鍛えていたんですが、それが仇になりました。そこで自分は作曲家になり、妻になる人にピアノを弾いてもらおうと、天才ピアニストのクララという女性と結婚しました。しかし彼は、結局、精神的に混乱を来して『流浪の民』、『謝肉祭』といった非日常的な世界を曲にするようになっていった。幻想の世界で遊ぶようになってしまったんですね。自殺未遂を2回して、3回目を起こしそうになった時には自ら病院に行ったのですが、病院では毎夜天使が歌ってくれる歌を書き取っていると思っていました。そして、それが彼の最後の曲となりました。 |
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ベートーヴェンにしてもシューマンにしても、そうした人間像が見えると曲の聴き方が変わってきます。 |
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青島 |
シューマンのようなタイプの人は、ロマン派に多いんです。同じくロマン派のショパンなども、自分のことを庇護してくれる、愛してくれる人がいる間は、素晴らしい曲を書けるけれども、その人と別れると曲も書けなくなり、健康も害して、結局亡くなってしまった。一方、モーツアルトやハイドンといった古典派は、自分の状況がどうであれ曲は書く、つまり「職人」でした。例えば、畳職人が恋人に振られたから、もう畳は作れません、なんて言いませんね。それと同じことです。自分の気分と、作曲という行為は別だったのです。ところが、ショパンやシューマンなどロマン派の人たちは、作曲と自分の気分とが一致していた。私は、後者を軟弱だと思う面もあるのですが、自分に忠実で良いという見方もあるでしょう。その点ではロマン派の曲の方が分かりやすいということがあるでしょうね。
次に、雰囲気やTPOから入っていく方法です。つまり自分の社交場だと思って演奏会に行くのです。家の近くではドレスを着られないけれど、演奏会ならばロングドレスも着ていけるとか、そうした雰囲気を楽しみ、社交の場として捉えるわけですね。 |
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日常とは違う心地よい緊張がありますね。 |
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青島 |
3つ目が、演奏家のファンとなって、その人の「演奏」を観に行く、言ってみればスポーツ観戦のように、演奏家の技術や表情を観るということです。演奏家は、例外なく高い技術を持っています。例えばピアニストならばミスもせずに鍵を打つ技術を、またバイオリニストであれば10分の1ミリ程の差で半音を弾き分ける技を、フルートやトランペットなど普通の人だったら、あんな長い一つのフレーズを一呼吸では吹き切れないはずです。そして声楽。同じ人間という体を持っていながら、鍛錬の積み重ねによって、オーケストラの音を越えて、客席まで届く声や広い音域を開発している。曲のことを知らなくともいいから、そうした演奏家の技術や表情、動作を楽しみに行くわけです。
この3つのどれから入っても良いと思います。そして、いずれはその他の2つにも目を向けてみてください。演奏そっちのけで、自分を見せることだけに集中してTPOだけで楽しもうとすると、やがてはつまらなくなるし、曲が好きだとしても、作曲家の多くは遥か昔に亡くなっている人が多いですから、知ろうという情報も限りがあります。会いたくてもすでにこの世にいないわけですし、次のステップとして演奏家のファンになる、あるいは社交の場として演奏会を捉え直してみることも大事でしょう。 また演奏家のファンだと言う方は、最終的には「曲」を知って欲しい。演奏家はとても素晴らしいけれども、詰まるところ演奏家である限り、「曲」を超えることはできないわけです。
もちろん、どこから入っても良いのです。けれど次のステップに進むことで、本当のクラシックの楽しさが味わえると思うのです。街を歩いていて、様々な音を耳にするかと思います。けれども、それは「音楽」ではありません。音楽というのは、少なくとも自分がそれを聴きたいと思った時に、初めて「音楽」になるものなのです。ぜひ自分なりの音楽の楽しみ方を知っていただきたいですね。 |
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「堅苦しくて当然」のクラシック音楽とはいえ、やはり音楽や作曲家の背景を知ることで身近に感じられます。有り難うございました。 |
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